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2021-01

11月15日~11月21日のみことば - 2020.11.13 Fri

新型コロナウイルスの第三波が来ているという報道に心のざわつく今週です。
久留米市ではまだ第三波の波は来ていませんが、またいずれ感染者数がふえていくのでしょうか。
「Withコロナ」として新しい生活様式にも慣れつつある中、どこか新型コロナ関連のニュースにも慣れてきてしまっている自分がいる事にも驚きます。
でも今、改めて新型コロナウイルスを患って苦しんでいる方、コロナ禍に会って困窮している方々、またその治療のために最前線では働いておられる医療従事者のみなさんのために祈りたいと思います。
また、このコロナ禍にあって自ら命を絶つ方が増えているとの報道も耳にします。どうか、そんな方々に聖書からのメッセージ「あなたは愛されて必要とされている存在なんだ」ということ、そして「助けてと言っていいんだ。共に生きていこう」ということを伝えられるよう、わたしたち教会もできることをやっていきたいと思わされています。
コロナ禍にあって毎週ブログにアップしているこの日々のみことばも、どうか読んでくださっているみなさんの生きる支えや希望、いえ、そんな大それたものでなくとも、小さなたのしみとなりますように。
新しい週のみなさんの歩みのためにお祈りします。


***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 旧約聖書
・書名選択     : 箴言
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

11月15日(日) 箴言14章1-5節
一言メッセージ: 箴言14章は「知恵」がメインテーマとなりながらも、それぞれの節が独立した格言です。みことばメールで区切って読み進めるのが難しいですので、あまり深い意味なく今日は5節まで区切ってみました。そんな1-5節の中で、異質でありながら、とても私の心をとらえて離さないのが4節です。「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力。」すごく現実的で、そしてホッとすることばと思いませんか?家畜小屋を清潔に保とうと願っても、その家畜小屋に住まう牛が手伝ってくれるからこそ畑は深く耕され、糞は肥料となり、実りは豊かになる。これ、私たちの人生に置きかえて考えてみてください。たとえば「自分を律して誠実に生きていくことは大事。けれど、自分だけを律して生きることで周囲が罪を重ねねばならない状況が放置されることは果たして正しいのか?」などですね。生きるということは一見すると矛盾だらけのように思えるものです。誤解がないように言いますが、私は「綺麗ごとだけで生きていけない」と言っているわけではありません。そうではなく「矛盾を抱えながら生きることこそが人生じゃないか」と言いたいのです。さらに言うならば、「矛盾の中でこそ、私たちは救い主イエスさまと本当に出会うのだ」とも思うのです。何故なら、イエスさまこそが「神の子であり、救い主でありながら、救われるべき相手である私たち罪人に寄り添うべく、人として生まれ、人生の喜びも辛苦も経験し、十字架上で罪なきままに私たちの罪を丸ごと引き受けて死んでいく」という最大の矛盾を示したのですから。でも、その矛盾だらけのイエスさまにこそ私たちは神さまの愛と救いを見出したのです。そんな私たちだからこそ、自分たちの人生の矛盾と向き合いながら、この矛盾に満ちた私たちと共に生きて下さるイエスさまと出会えるのだと思うのです。今日は日曜日です。矛盾に満ちた私たちと共に生きて下さるイエスさまと出会うべく礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝私たちは、人生の矛盾について考えました。神さま、私たちは人生において様々なことに悩みます。あなたを信じながら、でも何があなたに正しい道なのか、分からないことも多いですし、何より、自分たちが願うこととあなたの導きとの矛盾を感じる時などは悩みます。でも、今朝注目したみことばは、そんな矛盾に満ちた私たちにとって励ましであり、平安をいただくみことばでした。神さま、あなたは私たちの矛盾の中でこそ、より身近に、より温かく感じられるのだと思います。救い主イエスさまは正に矛盾だらけの私たちに寄り添い、救ってくださいました。神さま、どうか悩む時こそ、あなたの慰めと愛を感じ、導きを信じることができますように。私たちに寄り添ってくださる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

16日(月) 箴言14章6-13節
一言メッセージ:今朝のみことばも神さまの知恵に生きることについて語っています。そんな中で、今朝注目したいのは12-13節です。「人生の前途がまっすぐなようでも、果ては死への道となることがある。笑っていても心の痛むことがあり、喜びが悲しみに終わることもある。」何だか寂しくなるし、週の初めに見たくないみことばにも感じられます。でも、このみことばを昨日の2節と合わせて読んでほしいのです。共通するのは「まっすぐ」という言葉ですが、「まっすぐ」ということばの使われ方が違います。2節では「主を畏れる人はまっすぐ歩む」と語ります。それは「神さまに向かってまっすぐ」という意味です。一方、12節の「まっすぐ」は「人間の前途」です。つまり、私たちが自分たちで考えて「まっすぐ生きている」と思っても、それは2節で「主を侮る者は道を曲げる」ということばのように、神さまにまっすぐではないかもしれないのです。それが私たちの思い込みや固定概念の故かもしれません。でも、このことばを別の視点で考えてみれば、私たちにとってマイナスや過ちとしか思えない出来事にこそ、神さまの御心があるのかもしれないのです。神さまは私たちを鍛えるためか整えるためか知りませんが、でも、神さまが私たちを導かれる時、決して順風満帆なだけではない。普段以上に切実に祈って、みことば読んで、矛盾と直面しながら、「神さま、とにかくあなたの御心と信じながら歩みます。間違っていたら訂正ください」と願いながら生きるのです。その時に、車を運転していて間違ったらカーナビが「新しいルートを検索します」と言うように、神さまの訂正を願うのです。案外、それこそが神さまへの「まっすぐ」な道なのかもしれませんね。さぁ、新しい一週間、神さまのまっすぐを求めながら歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、わたしたちの思う「まっすぐ」と、あなたに通じる「まっすぐ」が違うこともあると分かち合いました。いつでも、どんな状況においても、あなたの御心が間違いなく分かるなら楽なのですが、私たちにはあなたの御心を完全に理解することはできません。だから私たちは今週も迷いながら、悩みながら、矛盾を抱えながら歩みます。どうか、いつも私たちに目を留め、時に軌道修正を加えながら導いてください。私たちに伴ってくださいます救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

17日(火) 箴言14章14-19節
一言メッセージ:さて、今朝のみことばはなかなかに難解です。結論を言いますと、賢者は「信仰と共に、熟慮を持って生きなさい」と告げています。14-15節を解説しながら読むとこうです。「二心ある者(神さまを信じながらも、神さまの示唆に生きることをせずに、自分の考えに生きる者)は自分の決断に満足し、善人も自分の行いに満足する。未熟者は何事をも信じこむ。しかし、(信仰と)熟慮ある人は、自分の現状に留まるのでなく、自分の歩む道を見分けようとする。」賢者は「二心なく、善人だから良い」と終わるのでなく、「信仰と共に熟慮を持って生きなさい」と勧めます。
  16-19節も同様に解説しながら読むとこうです。「知恵ある人は神さまへの畏敬によって悪を避けるが、愚か者は高慢で自分に自信を持つ。短気な者は愚かな行為に走り、策を弄する者は神さまに憎まれる。浅はかな者は無知のままだが、熟慮ある人は神さまからの知識(知恵)によって繁栄する。だから、神に逆らう者のように後悔と失敗だらけで生きるのでなく、神に従って生きる者となりなさい。」何だか、イエスさまが言われた「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ(マタイ10.16)」を思い出しますね。私たちは鳩のような素直な信仰と共に、蛇のような賢さ、熟慮を意識しながら今日を過ごしてみましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは難解でした。みことばは私たちに素直な信仰だけでなく、熟慮して生きることを促します。神さま、私たちは善人であろうとするだけでなく、きちんとあなたの示唆に基づく生き方を見分けることができますように。今日、どうぞ私たちに、あなたの示唆に気づく鋭さと、御心を悟る知恵とをお与えください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

18日(水) 箴言14章20-27節
一言メッセージ:今朝はみことばにいきなり躓きます。20節「貧乏な者は友にさえ嫌われるが、金持ちを愛する者は多い。」でも21節では「友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い」と語られる。矛盾するように見えるのですが安心を。20節の意味合いは「貧しい者は周囲の重荷となるが、裕福な者は安心して付き合える」です。今朝の箇所を読む上で大前提となるのは、「富とは神さまに誠実に従って得るものであり、神さまを蔑ろにする者の富は一時的な泡に過ぎない」という理解です。そう思うと、20節は「神さまを蔑ろにする者は周囲に頼るばかりで、自分で労することをしないから、周囲の重荷になる」という意味になるのです。今朝のみことばで賢者は「口先だけの言葉(23節)」や「無知(24節)」、「欺きの発言(25節)」を避け、神さまを畏敬して生きることをひたすらに勧めます。何故なら、その生き方こそが「命の源(27節)」だからです。私たちの「命の源」は神さまにこそある。この極めて単純で明快な真理を意識しながら今日を歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、賢者は私たちに「神さまこそが私たちの命の源である」ことを告げ続けます。私たちは弱く、すぐに目先の事柄に右往左往しがちです。あなたの御心よりも自分たちの都合や願望に目移りしてしまいます。それが決して祝福に至らないと気付くのは、後々になってです。神さま、どうぞ私たちの愚かさ、無知をお赦しください。そしてどうか、命に源なるあなたを信じ、誠実に従って生きる者とならせてください。いつも私たちに伴ってくださる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(木) 箴言14章28-35節
一言メッセージ:今朝のみことばの中で私に目に留まるのは32節です。「神に逆らう者は災いのときに退けられる。神に従う人は死のときにも避けどころを得る。」面白いと思うのは、神さまに逆らう者も、神さまに従う人も、平時は同じように生きていることが前提となっているのです。けれど、その違いが明確に出てくるのは「災いのとき、死のとき」です。これ、具体的に考えれば分かるのですが、私たちは困難に直面したり、「死」のように自分の力で対処できないトラブルに巻き込まれたとき、何をしますか?私たちがするのは「神さま、どうか助けてください」と祈ることです。当たり前ですが、神さまを信じない人たちは祈ることができません。何に祈ればいいかが分からないのです。その時、人の無力さや限界だけを感じながら絶望してしまうのです。そう考えると、神さまを信じるということは、私たちにとって平安を得るための保証でもあると気付かされます。
  17世紀のフランスの数学者であるパスカルは著書『パンセ』の中で、信仰について面白いことを言っています。要約すると、「神さまがいるかどうか、私たちに分からないけれど、信じて生きてみればいい。神さまがおられるならば、この世での命を終えて天に帰った時、豊かな祝福を得るだろうし、もし神さまがおられないとしても、誠実に命を全うしたことは変わりない。であれば、神さまを信じて生きた方が良いじゃないか。」ものすごくユーモラスだけど、確かにそうでしょ?神さまがいないと思って生きることに、何か祝福があるのでしょうか?今朝の箴言で言えば、「神さまがおられる」と信じることで災いのときにも平安があるし、事実おられるのだから、死のときにすら守られるのです。信じるって祝福ですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたがいてくださり、私たちの神さまであられる。それがどれほど祝福であるか、私たちは改めて考えました。あなたがおられると信じることは、私たちに勇気と未来への期待を湧きおこらせます。災いや死のときにすら、わたしたちはあなたに安心し、委ねられます。神さま、今日もあなたを信じ、歩み出します。どうぞ平安に祝福を加え、今日もお導きください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

20日(金) 箴言15章1-7節
一言メッセージ:箴言は「ことば」に関する格言が非常に多いです。それは、ことばが神さまからの賜物であり、知恵と直結しており、どんなことばをどんなふうに用いるかによって人生が大きく変わるからです。3節に見られるように、神さまは善人も悪人も変わらず目を注いでおられます。だからこそ、私たちは今、どんなことばを語るか、という意識が必要なのです。
  以前も書きましたが、僕は牧師になってたくさんの失敗を経験しながら、1つの癖ができました。それは、人に話す際に「これを語ることによって何が起こるだろうか」と一瞬考えるようになったのです。目の前の人が抱えている悩みや問題を思い起こしながら、同じ意味合いを伝えるにしても理解してもらえることばを選ぼうとするようになったのです。特に相手を諭したいときのことばには気を付けます。1節にあるように「傷つける言葉は怒りをあおる」だけだからです。もちろん、いつもいつも配慮できているわけでなく、未だに「あっ、言っちゃった」と思う時もあるのですが、でも、意識していることでトラブルは随分と減ったと思います。ことばは私たちに与えられたコミュニケーションの賜物です。大事に使いましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝も賢者は「ことば」について格言を記しました。神さま、私たちはあなたから与えられた賜物であることばを上手に使えているでしょうか。熟慮せず、思いつくままに暴言、失言を吐いていませんでしょうか?人を活かすことばを語り、真意を伝えることばを使えているでしょうか。どうか、あなたの賜物を正しく使わせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

21日(土) 箴言15章8-12節
一言メッセージ:今朝の8-9節のみことばはとても考えさせられます。「主は逆らう者のいけにえをいとい、正しい人の祈りを喜び迎えられる。」古代イスラエルの神殿にはいけにえを献げる風習がありました。いけにえは、神さまへの感謝であったり、悔い改め、謝罪の意味合いもありました。そんないけにえについて、賢者は「主に逆らう者もいけにえをすることができる」という当たり前の事実を告げます。つまり、形式だけならば敬虔に振舞うことができるのです。でも賢者は続けます。「主は逆らう者の形式だけのいけにえを好まず、誠実に信じる者はいけにえなどなく祈りすらも喜んで受けとめられる。」さらに9節では「主は逆らう者の道(生き方)を厭うが、従うことを求める人(悔い改めてやり直す人)を愛される」とあります。神さまは、過ちを犯した人たちが自分たちの失敗に気づき、神さまに正しく立ち返ることも喜んでくださるのです。そう聞く時、私たちは何を思うでしょう。10節のように神さまの諭しを「不快に思う」とか「懲らしめを憎む」ことなく、きちんと聞く者でありたいと思います。聞くことはやり直すための最初の一歩です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は「形式だけ取り繕っても神さまはちゃんと全部知っておられる。だから、神さまに喜ばれる者として生きなさい。失敗したらやり直せばいい」と諭します。神さま、私たちは罪ある者ですが、でもあなたに従いたいと願います。どうぞ、みことばに聴き、やりなおす決意とチャレンジをさせてください。日々、あなたに立ち返り、新たにされますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

***



11月8日~14日のみことば - 2020.11.08 Sun

今日のYouTube礼拝ライブ配信は途中で途切れてしまいました。すみません。
新型コロナウイルスのために礼拝のライブ配信を始めて早半年以上ですが、慣れなかったり、パソコンの古さだったり?教会の電波状況だったり?わからない不具合にみまわれることがまだまだ起こります。手探りでやっておりますので、どうぞ温かい目で見ていただければ…(^_^;)
でも、そんな試行錯誤も多くの方とみことばを分かち合うためなら楽しく取り組めるのが不思議です。
色んな苦労があっても、「配信見ましたよ!」と言われると一気に吹き飛んでしまいます。
今日のメッセージも後ほど聖書朗読とメッセージの部分のみ再度アップする予定ですので、ぜひご覧になってくださいね。

今週も皆さんの上に神さまの祝福が豊かにあります様に!!

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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11月8日(日) 箴言11章21-31節
一言メッセージ:今朝の箇所で面白いのは、24節以下です。ここではお金のことを話しています。24節の「散らしても」は「浪費する」という意味ではなく、「必要な時にはケチケチせずに金銭を用いる人」です。そう読めば、一貫して見えてくるのですが、28節にあるように「富に依存(固執)」し、26節のように「穀物を売り惜しむ者(飢饉の時に高値を付けて儲ける者)は民の呪いを買い」、逆に周囲の人々の困窮を放っておかず、用いるべき時には財を用いる人には祝福が増し加わるとあるのです。平たく言えば「あなたは誰のため、何のために生きるの?」と賢者は問うのです。
毎年、大学生の講義を担当していますが、ここ数年、最後の講義の時に「幸せとは何か?」という特別講義をしています。最初に「幸せってどういう時に感じる?」と学生に問います。それぞれ、「欲しいモノを買った時」とか「美味いものを食う時」とか「努力が報われた時」など、答えてくれます。そうしたら次に尋ねるのです。「じゃあ、その幸せって、ずっと持続する?」幸せが瞬間的なものと、持続する幸せがあることを考えるのです。そして、持続していく幸せとは自分一人で得られるものでなく、例えば、「大事な誰それに喜んでもらった」とか「ありがとうって言ってもらえた」といった、誰かの存在があることに気づいてもらうのです。聖書のことばを加えながら、「本当の幸せは私の願望通りに生きることでなく、愛し愛されながら、周囲(神と人)と共に生きることの中で味わえるのではないか」と話します。今朝の箴言も、共に生きることの幸いを語っているのです。さぁ、今日は日曜日。教会の人々と共に礼拝し、共に生き、共に幸いを味わいましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、共に生きることの幸いを想起させます。今の社会は「今だけ、金だけ、自分だけ」と言われるように、自分の幸せ追及ばかりが目立つ世の中です。でも何故でしょう。誰もが幸せを求めているのに、他者を軽んじる社会に幸せは見えません。神さま、私たちは今、改めて箴言のことばに目を留めます。私たちはこの時代にも、共に礼拝し、共に生きる群れ、教会でありたいと願います。どうぞ私たちを幸い満ち溢れる群れとしてください。またどうぞ、教会に多くの人を加え、共に生きるように導いてください。私たちと共に生きてくださる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(月) 箴言12章1-8節
一言メッセージ:今朝のみことばは、「神さまが自分の人生の根拠である者は幸い」との教えが並んでいます。私の目に留まったのは3節です。「神に従う人の根は揺らぐことがない。」植物が土の中で太く強い根っこを何本も張り巡らせて元気に立ち続けるように、神さまに従う人も信仰の根っこが大事だと賢者は告げます。
  私は落語が好きです。好きな噺家さんの一人が桂文珍さんです。以前レンタルで借りたCDのライナーノーツ(CDの中に入っている解説)の中で「ネタ」についての文章がありました。芸人さんの芸のことを「ネタ」と言いますが、漢字で表現すると「根多」と書くのだそうです。芸人としてしっかりと立つためには、芸という根っこを多く持つことが大事、という意味なのだそうです。
  私たちも同じです。揺るがぬ神さまという大地に立ち、ふっとい信仰の根っこを持ち、少々の困難にも動じず、自らも周囲も支えて生きる信仰者になりたいものですね。そのために、今日もみことばをしっかりと味わい、自分の生活に根差した根っこを育ててまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは根多を持つ信仰者になりたいと思わされました。神さま、どうか私たちを日々、成長させてください。あなたによって希望を見出し、生きる信仰者にしてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

10日(火) 箴言12章9-12節
一言メッセージ:今朝はたった4節と短く刻んでしまいましたが、ここでのテーマは「労働」です。今朝のみことばは分かりにくいので補足します9節の「軽んじられていても自分のために働く方が、見栄を張っても空腹で苦しむより良い」という意味です。10節は「神に従う人は家畜の心すら知っている。まして、弱い人の心を知らないわけがない。一方、神に逆らう人は心さえも残酷だ」です。11節は「自分の土地を実直に耕す人は食事に困らず、楽して稼ごうとする者は困窮する」、12節は「神に逆らい、欲に走る人々は、悪事を企む者たちの下に下り、神に従う人は根を張り、実りを得る」です。全て、実直に働くことの勧めです。小さなことからコツコツと生きる。地味ですが、その地味なコツコツとの生き方に神さまが目を留め、祝福くださるのです。さぁ、今朝も箴言に励まされながら、実直に働きに行きましょう。今日の誠実も、神さまの目に留まっています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、易きに流されず、誠実に働くことの勧めを読みました。神さま、どうぞ今日も私たちが誘惑に流されず、あなたの目を意識して働く者であらせてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

11日(水) 箴言12章13-28節
一言メッセージ:今朝の箇所は「ことば」がテーマです。以前も書きましたが、「ことば」は神さまが私たちにくださった賜物です。同じ人間の同じ口からなのに、ある時は人を慰め、励まし、立ち上がらせるのに、別の時には人を突き刺すような暴言、失言を吐いてしまう。箴言の賢者も、ことばがどれほど大事なもので、注意深く語らねばならないかを熟慮していたのでしょう。今朝のみことばは、その1つ1つをそのまま、自分自身に当てはめて読んでみてください。わたしは一体、普段から何を口にしているだろう、と。(ちなみに、25節の「心配は人をうなだれさせる」は分かりにくいですが、「心配」を「憂い」と読んでください。周囲から「あれが心配」「こうなるんじゃないかなぁ」と語り続けられると、こちらもゲンナリしますが、そういう状況が25節の言葉です)。
  自分がどうだったかを考える時、「私は軽率なことばを吐いていた」と思うならば今日から注意して生き直しましょう。やり直せるのですよ。何故なら、私たちは罪だらけだったのに、イエスさまの十字架によって赦され、生かされているのですから。そもそも、私たちの命はイエスさまによってやり直しをいただいた命なのですから。だから、今日も自分の過ちに気づいたらやり直せばいいのです。繰り返しますが、私たちの口も言葉も神さまからの賜物です。ならば、神さまの賜物にふさわしい言葉をかたりましょう。壊れた関係を修復し、傷ついた者を癒し、絶望する者を励ますのです。今日、私たちは言葉によって神さまの御業を行わせていただきましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。神さま、今朝は「ことば」について考えました。私たちの語ることばは、あなたの目に正しく用いられているでしょうか。軽率に他者を傷つけ、軽んじていなかったでしょうか。もしそうならば、どうぞ私たちに御心に沿う、正しいことばを語らせてください。ことばによって、あなたの御業の一端を行わせてください。私たちの命のみことばなる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

12日(木) 箴言13章1-6節 
一言メッセージ:13章は1節ずつ独立しており、分類しにくいので3日かけて読んでみます。今朝の1-6節は「口、ことば」に関する格言です。日本語で「目は口程に物を言う」という諺がありますが、それは表面に出ないように隠しても、その人の思いが表出してしまうことを語っています。古代イスラエルの賢者も同じように、ふとした言動にはその人がそのまま表れると考えたのでしょう。いくら表面的に取り繕っても、その人が本当に神さまに畏敬の念を持ち、誠実に生きているかどうかは如実に表れるのだと、様々な表現で語っています。そんな中で今朝、私が特に目に留まったのは1節の「不遜な者は叱責に聞き従わない」でした。人からアドバイスを受ける時、その人がよく表れるものです。アドバイスを受けてた時、プライドを守るために反発したり、言い訳する人と、素直に過ちを受け入れて謝罪できる人、果たしてどちらが信用に足る人でしょう。
  11月に入り、幼児園でもクリスマスに向けた準備が進み始めました。もう何年前になるでしょうか、クリスマスの準備に因んだ1つの思い出があります。当時、幼児園は園児数が20名おらず、クリスマス劇には先生方も参加していました。リハーサルの時、三人の博士役だった中島文昭先生(当時は副牧師であり、幼稚園の園長でした)は、赤ん坊イエスさまに没薬の贈り物をするシーンで段取りを間違えました。すると一人の子が「園長、間違っとる!」と叱責したのです。中島先生は「間違っとらんよ」と言いましたが、子どもから「こうやって、こうやって、こうやろうもん」と段取りを説明され、自分が間違っていると気付いた時、彼はみんなの前で「間違ってた。ごめんなさい」と謝りました。私には中島先生の謝罪に驚きましたが、それが彼らしいし、心から彼を尊敬し、見習わなばならない美徳だと思ったのです。あれ以来、私は「間違わない人間」よりも「間違えてもきちんと謝罪できる人間」になりたいと肝に銘じています。
  きちんとことばを行動に表す、そんな一日を歩みたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はみことばから中島文昭先生のことを思い起こしました。園児の叱責にきちんと過ちを認め、謝罪した彼の姿と、今朝の箴言のみことばが重なります。神さま、私たちは今、プライドゆえに過ちを認められない自分を反省します。間違いを犯したならば、きちんと謝罪し、やり直せる私たちであらせてください。今日の一日もイエスさまの祝福と整えをいただき、一歩、あなたに近づく生き方ができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

13日(金) 箴言13章7-16節
一言メッセージ:今朝は「13日の金曜日」ですね。といっても、最近の若い子たちは昔はやったホラー映画のタイトルなど分からないでしょうが(笑)。ちなみに「13日の金曜日」が不吉なのは、イエスさまが十字架にかかって亡くなった日を計算すると「13日の金曜日」になるからだそうです。みことばメールのはじめに豆知識でした。
  今朝の箇所を読んでいると、「表面的に物事は判断できない」と思わされます。7節などは正にそのままです。8節では「裕福」に見えて幸せそうな人が、そのために危険に遭い、誘拐されるようなことがあるし、「貧しい人」はそもそも盗られるものがないので危険に遭わないのだと語ります。11節も解説が要りますが、ここでいう「財産」は「急激に得た財産(投資などか?)」であり、そうやってバブル期のように楽して儲けた金はあっという間に消え失せ、「手を持って集める(地道に働く)」財産は確実に増えていくのです。10節の「高慢」で、13節「言葉を侮る(軽んじる)」人は一見、自信満々な人ですが、彼らはその高慢さで失敗をやらかす。そうやって、表面な裕福さや自信満々な様子に、人は「あの人は幸せなんだろうな」と想像するのですが、本当に幸せであるかは見た目では分からないのです。今朝、賢者は私たちに「思慮深く」あることを諭してきます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちは見えるもので物事を判断しがちです。現代でも、勝ち組だの負け組だの、結果や成果といった見えるもので人の評価をくだす風潮です。でも神さま、本当の幸いはあなたに従う生き方にあり、あなたの知恵をいただき思慮深く生きることにあります。どうぞ私たちが今日も、あなたのみことばを愛し、楽しみながら従うことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。

14日(土) 箴言13章17-25節
一言メッセージ:今朝の箴言も難解ですね。今朝の箇所において、賢者は「誠実に、実直に生きること」を諭します。その際、共通するのは「真の幸いとは神さまに繋がり、従うことから実現する」ということです。3つ解説が要ります。①19節に「欲望がかなえられれば」とありますが、「欲望」と言うと悪いイメージがありますが「望み」と理解してみると分かります。神さまによって望みが叶えられることは幸いです。②23節で「貧しい人の耕作地に多くの食料が実る」わけがないのです。実って入れば「貧しい」わけがないのですから。ここは訳の問題で「貴人の土地」と理解するように言われています。「貴人の耕作地に多くの食料が実っても、正義が行われなければ奪われる」のです。③24節で、自分の子に鞭を与える親は「DVを行う親」という意味ではなく、「子ども可愛さで甘やかすばかりで、きちんとしつけきれない親は我が子をダメにする」というニュアンスです。賢者の根底にある理解は「神さまに誠実に従うことは幸いだ」です。今週の私たちは神さまに誠実に歩めていたでしょうか。感謝するところはしっかり感謝し、反省するところは素直に反省し、一週間を締めくくりましょう。さぁ、今週も終わりの始まりです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今週もあなたの守りと整えの中で歩ませていただき、ありがとうございました。神さま、今週私たちはあなたの目に誠実に歩めたでしょうか。どうぞ、あなたの導きを覚えて感謝し、反省するところは素直に反省します。どうぞ、私たちの歩みを整え、週の終わりの一日を歩ませてください。明日は礼拝に集い、あなたの御前で感謝し、新たな一週を始められますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

***


11月1日~11月7日のみことば - 2020.10.31 Sat

ホームページでもお知らせしていますが、毎年11月3日に行っている教会バザー、今年は新型コロナウイルス感染防止のため、残念ながら中止となりました。
今年は何かと行事やイベントができずちょっぴりさみしいです。
でも、その分今年は礼拝に集中。
一時は礼拝すらできるだけオンラインでと呼びかけていた時もありましたから、毎週礼拝に集えるのは当たり前ではなく、とても幸いな事なんだと噛みしめています。

教会でも通常は様々な行事ごとがありますが、いちばん大切なのは毎週の礼拝です。
今年はこの礼拝をゆっくり、じっくり味わう年になるなぁと改めて感じているこの頃です。
皆さんも、ぜひ礼拝に足を運んでみてください。
どなたでも一緒に礼拝できます。
聖書・讃美歌も貸し出していますし、普段着でOKです!
直接行くのはちょっと…という方はYoutubeのライブ配信やホームページの音声配信から始めてみてくださいね。(Youtubeチャンネルやホームページは左下のリンクをチェック!)
あなたと一緒に礼拝できることを心待ちにしています。


***今週のみことば***

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11月1日(日) 箴言9章1-6節と13-18節
一言メッセージ: 今朝は箴言9章から7-12節を除いて読みます。というのも、1-6節と13-18節が対応する言葉だからです。1-6節は「知恵」が擬人化され、13-18節は「愚かさ、浅はかさ」が同じように擬人化されて対されているのです。両者はそれぞれ「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい」と同じ言葉を語ります(4節と16節)。ここで言う「浅はかな者」とは「これから人生をどう歩んでいこう」と模索する若者といったニュアンスですが、私たちは「私自身」と受け取った方が分かりやすい。知恵の呼びかけに応えるならば、そこには立派な住まい(1節)と豪勢な食事(2節)があり、一方「愚かさ」に進むと騒々しく無知なうえに、食事も「盗んだ水、隠れて食べるパン(不正なパン)」(17節)となります。賢者は「人は神の知恵を得て生きるのか、自分の願望に従って生きるのかで、人生がまるで変わってしまうのだ」と警告するのです。誰でも、知恵を持って生きる方が良いと思うものです。では、具体的にどう生きることが知恵を持った生き方になるのか。端的に言いますが、それはいつも神さまを意識して生きることです。自分が人生の主権者なのでなく神さまを主権者と考え、神さまの御心を求めて生きるのです。その時、私たちは喜びの時には傲慢にならず、辛い時には揺るがない強さをいただいて生きられるのです。今日は日曜日です。今朝も神さまの知恵を共に分かち合うべく、礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は、知恵を得て生きるか、自分たちの願望や都合だけで生きるのかによって人生が変わることを語りました。神さま、私たちはあなたの知恵を求めて生きていきます。どうぞいつも、あなたが伴ってくださっていることを意識して生きる者とならせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

2日(月) 箴言9章7-12節
一言メッセージ:昨日の「知恵」と「愚かさ」の擬人化の間にある格言が今朝のみことばです。ここは1-6節の「知恵」が私たちを諭す言葉です。アドバイスする時は、相手を見て語りなさい、と。神さまを知らない人に神さまを語っても余計な反発を生むだけであり、きちんと聞く耳を持つ人にこそ知恵は有用だと書かれます。私はその言葉に納得すると同時に、「でも…」と思うのです。「私たち自身も神さまを信じる前は不遜で傲慢で、感情のままに生きていたじゃないか」と。だから、今朝の御言葉で私は「アドバイスはやり方が大事」と受け取ります。最初からあれもこれも話しても理解されないのだったら、最初に薦めるべきは10節「主を畏れること」です。神さまをお伝えすることが「知恵の初め、分別の初め」となると賢者は告げるのです。
  さぁ、今週も仕事が始まります。私たち自身は神さまの知恵を意識しつつ、また周囲には神さまをお伝えするようにして、始めてまいりましょう。
祈り:神さま、今朝もみことばをありがとうございます。今週も働きの日が始まりました。どうかこの一週間もあなたの知恵をいただいて歩ませてください。私たちは職場や学校やご近所など様々な人の中で生きており、人間関係で悩むこともしばしばです。そんな時、どう注意するのかに悩みますが、どうか、語り掛けるべき言葉とタイミングを見極める知恵を与えてください。そしてその相手にあなたの存在をお伝えする機会も与えてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

3日(火・休) 箴言10章1-9節
一言メッセージ:今朝の箇所から22章16節までは「ソロモンの格言集」と呼ばれる箇所です。これまでのように数節のまとまった言葉でなく、短い文で古代イスラエルの格言が編纂されています。みことばメールでは毎日、数節ずつ読んでいきます。
  さて、今朝は10章1-9節です。ソロモンの格言の始まりは、知恵ある子と無知な子の比較です。1-5節を見ると、知恵ある子とは、「慈善を行い、主に従い、勤勉で、地道に働きを行う者」です。一方、無知な子は「不正に頼り、欲望のままに生き、手抜きばかりの怠惰な者」です。その行く末を示すのが6-9節です。神さまが祝福なさるのは知恵ある子だと箴言は告げます。
  先日の祈祷会で、以前の牧師がされた譬え話が話題に上がりました。その先生はこう話したそうです。「派手なパフォーマンスをするスキープレイヤーがいますが、彼は自由でダイナミックな演技をするために、実直に何度も何度も基本を行ってきたのです。私たちはその最後の一面に目を留めがちですが、その前に膨大な基礎があるのです。」今朝の箇所もそうなのです。神さまが喜びとされる知恵ある子は毎日を誠実に生きてきた人です。神さまは実直な誠実さを喜ばれるのです。
今日11月3日は文化の日ですが、その発端は1946年のこの日に憲法が公布されたことを記念する日です。憲法も私たちを主権者としながら、平和を守るべく、国民に「不断の努力」を求めています。私たち、誠実に生きていきましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに誠実に生きることを告げます。私たちが目に留まるのは、成功者の派手な行動ばかりですが、その背後にも実直な基本の反復があります。同じように、どうぞ私たちも、あなたに誠実に生きる者であれますように。今日は憲法公布の日です。危うい政治状況ですが、どうぞあなたの御心に基づく平和を実現させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

4日(水) 箴言10章10-21節
一言メッセージ:ソロモンの格言集に入ってからは、毎日どこでみことばを区切るか、悩ましいです。今朝は10章10-21節としました。それは「口」や「言葉」を括りました。ソロモンの格言集の特徴ですが、「口」や「言葉」についての格言が多いのです。それだけ言葉によって失敗する者が多かったからです。それは現代も同じです。11節に「神に従う人の口は命の源」とあります。本当だなぁ、とつくづく思うのです。何気ない一言が深く人を傷つけることもあれば、誠実な一言が他者を慰め、癒し、勇気づけることもある。言葉とは神さまから私たちに与えてくださった賜物でもあるのです。だからこそ言葉は大事。私たちは今日、どんな言葉を語るのでしょう。他者を軽んじる言葉でなく、祝福し生かす言葉を語りたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「言葉」について考えさせられます。言葉はあなたが私たちに与えてくださった賜物です。たった一言で誰かを慰め、励まし、勇気づけることもできれば、軽い気持ちの一言で相手の心を引き裂くような暴言にもなります。神さま、どうぞ私たちが誠実に言葉を語る者であれますように。どうぞ守り、導いてください。ヨハネ福音書にて神さまの言葉ロゴスと記された救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

5日(木) 箴言10章22-32節
一言メッセージ:今朝の箇所の中で、私にとって印象的なのは22節です(26節も何となく好きですが)。「人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。」岩波書店の聖書訳では「主の祝福、それがひとを豊かにする。ひとの苦労は、それに何も付け加えない」です。神さまの与えてくださる御業は完全であり、最善なのです。誤解がないように最初に言いますが、この言葉は「人間は苦労しなくて良い」という意味ではありません。私たちは努力も苦労もするのです。誠実で勤勉に生きる者を神さまは祝福されるのです。だから努力や苦労はしましょう。でも、今朝の箴言が私たちに語ることは、「結果や成果は神さまにお委ねして良い」ということです。何故ならば、神さまの為さる御業は私たちの想像をはるかに超える祝福だからです。私たちの想像を超える御業に私たちが何かを加えることなど必要ない。ただ、誠実に働きを担った後は、神さまにいただく祝福をワクワクしながら待てば良いのです。今日もワクワク始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに私たちはホッとしますし、期待感を持ちました。私たちは日々、誠実に勤勉に生きているつもりです。でも願う結果が出ない時、予期せぬトラブルに巻き込まれた時、私たちは自分たちを責めてしまいます。でも神さま、今朝のみことばは精一杯の努力のあとはあなたにワクワクと期待することを示してくれます。あなたは私たちを祝福し、願いを超える結果を準備し、トラブルさえ祝福の基としてくださいます。だから神さま、ただただあなたに期待します。どうぞ私たちの想像を超えてあなたの御業を行ってください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

6日(金) 箴言11章1-11節
一言メッセージ:箴言11章は正邪の対比がはっきりしている箇所です。「神さまは不正を憎み、公正を喜ばれる」です。1節の「偽りの天秤」は、最初から片方に偏った天秤です。文字通りの天秤というよりも、人間関係などで片方にだけ友好的な態度などが偏った天秤として表現されています。一方、1節の「十全なおもり石」は正しく均等な重りです。とても印象的なことに、岩波訳聖書では十全なおもり石を喜ばれる」は「正しいおもり石は、主のお気に入り」と訳されています。神さまのお気に入りは何だか楽しい表現ですが、とても大事なことを示しています。神さまは誠実に生きる人を祝福されるのです。旧約聖書では神さまのことを「正義の主」と表現する箇所が幾つも出て来ます。それだけ、古代世界では権力者に阿る者が優遇されるような、力を持つ者が横暴に振舞えるような、社会だったのでしょう。それは今の時代も同じように見えてしまいます。でもだからこそ私たちは見誤らず、忘れずにいましょう。神さまのお気に入りは公正であり、神さまに誠実に生きる者、神さまはそんなお気に入りに正しく報いてくださる。今週ももう金曜日ですね。週の後半も誠実に歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、あなたのお気に入りが公正に生きる者、誠実に生きる者だと分かち合いました。社会を見ますと、強い者がますます富み栄え、弱い民がさらに苦しい境遇に追いやられているように見えます。でも神さま、あなたは不正を義とされず、必ず誠実に生きる者に報いて下さる方です。神さま、どうぞ私たちにも目を留め、私たちの中に不正があるならば正し、誠実な姿を喜び、お気に入りに加えてください。あなたの整えと祝福に期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

7日(土) 箴言11章12-20節
一言メッセージ:今朝の箇所、新共同訳聖書は訳が分かりにくいです。それは、ヘブライ語原文の表現そのものが、私たちの日本語のニュアンスと違っているからです。だから、かみ砕いて読んでみましょう。この箇所は思慮深い者と浅はかな者を比較して書いています。岩波訳で少し紹介しますと、12節は「隣人をそしる者は思慮に欠ける者。洞察力のある人は沈黙する」、13節は「中傷して歩き回る者は秘密を漏らす。信頼に足る者は事を隠しておく」です。とても分かりやすい。特に伝えねばならない事情もないのに「ここだけの話だけどね」と話す人は、どこでもここでも噂を言い広めているものです。本当に信頼に足る人は思慮深く、話して良いことと話してはならないことを区別します。だから、安心して相談できる。よく分かりますね。15節の「他国の者の保証人となれば災難がふりかかる」とありますが、「他国の者」は「知らない人」という意味なので、八方美人への警告です。16節の「美しい女、強い男」は容姿を言っているのではなく、「優雅な女は名誉を掴み、勤勉な者は富みをつかむ」ですから、誠実に慎み深く生きる人を語った言葉です。
  思慮深さについて、以前読んでいた有川浩さんの『図書館戦争』という小説シリーズの中で、とても印象的な場面がありました。舞台は架空の現代日本です。ある時期に「有害図書に制限をかける」という法律が作られるのですが、その法律が時代と共に悪用され、一部の権力者にとって都合の悪い書物、思想を有害扱いして取り締まられようとする。一方で「思想信条の自由」を盾に図書館側が武装して抵抗する…という設定の話でした。作品の中で、政府側に有害書物の作家とされた人物が語るセリフがドキッとさせられます。彼は国の「有害図書に制限をかける」との言い分だけを間に受けて法律を支持した人々の思慮の足りなさについてこう語ります。「悪意を持っている人は自分が何かを損なう意志を明確に自覚していますが、場合によっては一部の『善意ある人々』の方が恐ろしいのです。何故なら、彼らは自分が何かを損なう可能性を自覚せず、一面的な事柄や、その時の感情によって物事を判断してしまうからです。」ドキッとさせられました。「これが正しいんだ」と一面的に判断する時、人は視野が狭くなっています。今自分が賛成する事柄が別の側面でどんな問題を起こすのか、後々どう変化していくか気づかないのです。それは、先の政権時に嫌というほど実感しました。思慮深くあることは本当に大事なことなのです。そして聖書は語ります。その思慮とは神さまの御心を模索することから始まる、と。最後に20節を読みましょう。新共同訳「完全な道を歩む人を主は喜ばれる」は岩波訳では「まっすぐに(主の)道を歩む者たちは、彼(主)のお気に入り」です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをくださり、ありがとうございます。今朝の箴言は思慮深くあること、誠実にあることを私たちに勧めます。私たちは物事を、一面的であったり、その場の感情で判断しがちです。そして、自分の判断こそが正義だと考えてしまいます。でも、物事は常に複数の視点があり、完全な正しさは神さま、あなたのご判断の中にしかありません。だからこそ、賢者は読者である私たちに、神さまに通じる思慮深さを求めるべく促しました。神さま、私たちは自分たちが限界だらけだし、思慮に足らぬ者だと自覚します。だからこそ、神さま、私たちは自分を絶対視せず、あなたの御心を尋ね求め、一心に従いたいと願います。どうぞ私たちにあなたの知恵と思慮をお与えください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

***


10月25日~10月31日のみことば - 2020.10.23 Fri

さわやかな秋の風の気持ち良い季節になりました。
教会の裏庭の銀木犀も甘い香りを漂わせています。

17日の土曜日には、私たちの教会の付設幼児園の運動会が行われました。
今年はどこの保育園や小学校も短縮開催の中、私たちの園は少人数で密になりづらいこともあり、対策をとりつつ、通常通りのプログラムで開催を予定しました。
結果的には雨のため、午後からの開催となり若干の短縮プログラムとなりましたが、大いに盛り上がり大変楽しい運動会となりました。
子どもたちの一生懸命な姿って本当に感動しますね。
わたしたちの園の運動会は、全員参加型。
子どもはもちろん保護者をはじめとした大人の競技も充実してみんな勝つために必死です。
最後の全園児による紅白リレーは、会場全体が一つになって応援します。
ちなみに今年は同点で迎えた最後のリレー、まさかの同着で引き分けの結果になりました。
結果もさることながら、全力を出し切ったあとは本当にすがすがしい気もちになるなあと改めて思わされた運動会でした。
大人も子どももケガなく運動会を終えることができ、神さまに心から感謝でした。
スポーツの秋、皆さんはどのように過ごされますか??


***今週のみことば***

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25日(日) 箴言4章1-27節
一言メッセージ:今朝は箴言4章をまとめて読んでみました。先週のみことばメールをまとめてふりかえったような言葉です。そんな中で、目に留まるのは1節、10節、20節と繰り返される「我が子よ、耳を傾けよ」という呼びかけです。
  私は3人の子育てをしています。自分が彼らに語る言葉が、かつて私自身が親から言われた言葉が多いことに気づきます。不思議なもので、反抗期から独り立ちの頃などは「いつまで子ども扱いするんだ」とイライラ感じていたのに、自分が同じように話しているのです。そして、自分が言うようになって実感します。親が話していた言葉は、私たちが成長していく上で大事なヒントだったのだなぁ、と。親が子の成長を喜ばないわけがないのです。だから、成長の上で大事だからこそ小言のように繰り返していたのです。もちろん、今のように変化の激しい時代には、「かつてはこれで上手くいった」というような風潮が通用しないこともあるでしょう。でも、しつけ、心、そして神さまに対しての姿勢は、時代が経とうが何も変わりません。変わらずに大事な示唆です。
その証拠に、今の私たちから見れば数千年前の箴言のことばでさえ、今の私たちにとても実践的な生き方のヒントとなります。だから、箴言が語る言葉は、どれだけ時間が経とうと真実な示唆です。だから賢者は繰り返します。「我が子よ、神さまの知恵をいただいて生きなさい」と。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。賢者は数千年経とうと変わらない真理として、神さまの知恵をいただきながら生きることを示しました。私たちは時に浅はかにも、自分の願望を優先し、あなたの御心を蔑ろにしてしまいます。でも神さま、どうぞ私たちをただし、あなたの御心に従う者へと整えてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

26日(月) 箴言5章1-23節
一言メッセージ:私たちの人生の主軸はどこにあるでしょうか?人によっては「仕事」や「趣味」、「家族」など、様々な答えが出てくるでしょう。でも、今朝の箴言5章で賢者は、それは神さまの知恵にある、と繰り返します。神さまが私たちの主軸だからこそ、人生は盤石なのです。
若い頃には様々なものに興味が出るものです。興味は自分の見分を広げる意味で大事なことです。けれど、主軸が無いままの人があれこれ見分を広げようとしても、それは単なる目移りになるのです。賢者はその危惧を12-14節でします。目移りばかりで帰るべき神さまという主軸をもたない人が将来、「自分は一体何をしてきたのだろうか」と深い後悔ばかりで人生を終えることが無いように、箴言は「今すぐに神さまに立って生きる者となりなさい」と呼びかけるのです。
以前、大ベテランの牧師から聞いた話を思い出します。先生は当時80代中盤だったと思うのですが、彼は自分が年を重ね、今までのようにあれもこれもできなくなった当初は落ち込んだそうです。でも、改めて「失ったものでなく、変わらず残っているものは何だろう」と考えた時、彼が真っ先に感じたのは「神さまの恵みは年齢に関係なく、常に私に与えられ続けている」という確信と、感謝だったそうです。
賢者が語ったように、「人の歩む道は主の御目の前にある」。神さまが私たちの人生の主軸。さぁ、新しい一週間も、神さまの御目の前で歩み始めましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばにて、賢者は神さまに主軸を置いて生きることを諭してくれました。それは、私たちが後悔だけの人生を終えないための諭しでした。神さま、私たちはあなたを信じます。いつも自分の都合や願望、経験だけで物事を判断するのでなく、あなたの御心を模索し、あなたの整えと導きをいただきながら、人生を重ねていくことができますように。今週も、あなたの御目に留められながら歩める一週となりますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

27日(火) 箴言6章1-5節
一言メッセージ:今朝は難解な諭しが語られます。信頼していた友人に裏切られ、苦境に陥った時にどうしたらいいか、を賢者は語ります。それは「行って足を踏みならし、友人を責め立てよ(3節)。怠らずに訴え続け、努力し続けよ(4-5節)」でした。私たちは「『許しなさい』じゃないんだ」と意外に思うかもしれません。でも「命は友人の手中にある(3節)」から、こちらも余裕はない。加えて、ここが大事ですが、不義を不義のままに放置することが正しいことではないのです。神さまの目に悪だと判断されそうなことは、きちんと指摘することも大事です。何故ならば、その相手が自分の過ちを知り、それでも自分を赦し救ってくださる神さまを知り、悔い改めるかもしれないから、です。相手を放置するのでなく神さまの正しさを伝え、悔い改めの機会を示すことも私たちの役割なのです。だから、「おかしいことはおかしい」との指摘も必要なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は難解でした。不義の相手を許すのでなく、不義を指摘し、努力することが告げられました。私たちはそれを、「その人に悔い改めの機会を与えるため」と理解します。神さま、今の世の中で、あなたの御心を告げることに臆病になる時もありますが、どうぞ、その出来事もあなたの目に留められていること、必ず整えられることを確信させてください。私たちの同伴者であり、導き手であるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

28日(水) 箴言6章6-19節
一言メッセージ:今朝のみことばは格言です。賢者は「蟻」の実直さに学ぶようにと勧めます。蟻が実直に働き続けることを示しながら、9節では「怠け者になるな」と、12節からは「ならず者になるな」と警告します。16-19節では「主の憎まれるものが六つ、心からいとわれるものが七つある」とあります。この「〇個、いや〇+1個」というのは古代イスラエルの表現法なので、「七つある」と理解したらいいのですが、新共同訳を見ますと17-19節は八つの厭うものがあるように書かれています。これは訳のマズさです。原文の七つは「驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪のない人の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足、欺いて嘘を言い立てる嘘の証人(ここが新共同訳のマズさ)、兄弟間にいさかいを起こさせる者」です。じっくり読むと、この七つは怠け者よりも、ならず者の要素が強いです。それは、周囲をも陥れるからなのかもしれません。私たちはならず者とならないように自戒しつつ、みことばを心に留めて歩みたいものですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、あなたの目に厭われるものを読みました。それは、あなたの目に留められて生きていることを忘れ、自分の利益のために周囲を陥れる者でした。神さま、わたしたちは今、あなたの目に正しく生きているでしょうか。もし、正しくないならば、どうぞ私たちを諫め、整えてください。あなたの整えに期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

29日(木) 箴言6章20-35節
一言メッセージ:箴言の中では不倫への警告が幾つもあります。それは、イスラエルの中で不倫が多々あったからというわけではなく、不倫が神さまから離れて罪を犯すことと同じイメージで語られたからです。軽い気持ちで性的関係を持つ行為が、「まぁこれくらいならいいだろう」と神さまに罪を犯す者の浅はかさと同じように考えられたのです。だから、箴言は不倫への警告を語ります。
  賢者は、ほんの出来心でふらふらと過ちを犯してしまう人間の弱さをよく知っています。でも、それは「仕方ない」では済まない、取り返しのつかない事態を引き起こすことも理解しているのです。だから警告し、神さまを意識しての自制を呼びかけるのです。その時、23節のように、神さまの戒めは私たちの足元を照らす灯であり、神さまの教えは光のように私たちを照らします。時に少々の失敗をしても、その懲らしめや諭しはどうやり直せばよいかを示す命の道となるのです。やり直しのきかない人生より、やり直せる人生でありたいですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。神さま、私たちは誘惑に弱い存在です。「これくらいなら」と思うと、ついつい失敗をしでかします。食べちゃだめな饅頭を食べたくらいなら「ごめんなさい」で済みますが、慢心が膨れ上がると、取り返しのつかない過ちをもやらかしてしまうのです。神さま、どうか私たちの弱さを理解した上で、誘惑に屈しないように、踏みとどまらせてください。いつもあなたを想いながら生きる者としてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

30日(金) 箴言7章1-27節
一言メッセージ:今朝の6-23節は非常に不倫に至る生々しい誘惑の場面です。彼女は遠方に行商に行く裕福な商人の妻です。彼女が若い男性を自宅に引き入れる光景が書かれています。一見すると魅力的な提案に思えますが、賢者はそれを「まるで屠り場に行く雄牛(22節)」と表現しました。何故ならば、彼は自分の犯した過ちが、命奪われるような事態なのだと見過ごしているからです。
  誘惑の特徴の1つは、目先の楽しみばかりを思い起こさせ、後々起こることを想像させないことです。これは、性的な誘惑だけでなく、私たちの周りでも日々、起こっている事柄です。軽はずみな一言や安易な行動が引き起こす事態を想像していれば、経験せずに済んだ惨事もある。例えば、真夏に、車のエンジンを切った車に子どもたちを乗せたまま買い物に行って、帰ってきたら子どもたちがぐったりしていた…なんて事件が今年もありました。大人であれば暑ければ窓を開けるとかできるでしょうが、子どもたちがエンジン切った車でどう窓を開けるのか、といった想像ができないための不幸な事件でした。誘惑は、私たちに先を想像することを怠らせるのです。
  だから賢者は語ります。「知恵を自分の姉妹(知恵は女性名詞だから)と言い、分別を友とせよ(4節)」と。「戒めを守って、命を得よ(2節)」と。神さまの戒めは、私たちを縛り上げる堅苦しいものでなく、私たちを生かし、守る勧めなのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは誘惑の危うさを考えました。誘惑は私たちに目先の楽しさばかりを思わせ、その先に起こる事態を想像させません。だからこそ、賢者は私たちに「知恵と分別を保ち、神さまの戒めを守れ」と告げます。神さま、どうぞ私たちも日々、あなたを想いながら、知恵と分別を得て生きることができますように。誘惑に屈しませんように。私たちの救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

31日(土) 箴言8章1-36節
一言メッセージ:今朝の箇所は長いのですが、4-36節は人格化された知恵が私たちに呼びかけているような記述がされています。大部分は知恵を得ることが人生においてどれほど大事なのか、が繰り返されるのですが、ところどころピックアップすると、神さまの知恵の特徴が分かります。箇条書きで書き出してみます。
   ・知恵は知識と慎重さをもって、私たちに熟慮させるもの(12節)。
  ・知恵は、私たちに何が正しいかを見分けさせる(14節)。
   ・知恵は常に公平である(6節)。
   ・知恵は権力者に忖度するのでなく、神さまの御心にこそ生きる(15-16節)。
  ・知恵は人を正しく神さまに導き、また人と人とが共に生きるように導く(31節)。
   ・知恵は浅はかな者に熟慮を、愚か者に反省を求める(5節)。
   ・知恵をもって生きることは幸い。知恵無く生きると人は人生の喜びを失う(34-35節)。
  今日は土曜日です。この一週間、私たちはどう過ごしてきましたか?喜びや感謝でいっぱいの一週間でしたか?それとも、後悔や反省がありますか?今日は一週間を、知恵をもって振り返る時ですね。失敗したなら、来週はどうやり直せばいいか、考えてみてください。賢者は、知恵無きままに終わらないようにと呼びかけているのであって、「失敗したらもうおしまい」と言っているわけではないのです。正しく悔い改め、来週はやり直しましょう。やり直せることも、神さまの知恵なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今週のみことばは、ずっと神さまの知恵を得て、誠実に生きることを繰り返し示してくれました。神さま、私たちは浅はかで、よく失敗を繰り返します。でも、あなたはそんな私たちにも、繰り返し繰り返し知恵を示し、やり直しを与えてくださいます。今週の生活に失敗や後悔があっても、どうぞ新しい週、知恵をもってやり直すことができますように。あなたの知恵と整えに期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。


***





10月18日~24日のみことば - 2020.10.19 Mon

10月も半ばを過ぎました。
18日の日曜日の礼拝では、私たちの教会でうれしいうれしいバプテスマ式が行われました!
「バプテスマ」とは洗礼のことで、クリスチャンになるための儀式です。
洗礼の方法には色々あります。例えば、おでこに水をチョンとつける「滴礼」や頭にパシャっと水をかける「冠水礼」など。
そんな中でわたしたち「バプテスト派」の教会では、聖書に基づいて全身を水に沈める「沈めのバプテスマ」を大切にしています(もちろん、病気など事情があれば無理はしない)。
礼拝堂の講壇後ろには大きなお風呂?小さめのプール?のような「バプテストリー」と呼ばれるものがあり、そこに水をためて牧師によって水に沈められ起こされます。
今回はクリスチャンのお連れ合いと一緒に教会に通って来てくださっていた男性のバプテスマでした。
新型コロナウイルスによって、教会も活動の制限を余儀なくされ、教会での食事や分級、特別集会などを中止して、とにかく毎週の礼拝を守ることに必死になっていた私たちでしたが、その間にも神様は一人の方の中の信仰を育て、今日のバプテスマへの決心へと導いてくださっていました。
その方の信仰告白(信じるに至った経緯とクリスチャンとなる決心をつづった文章)を聴きながら、神さまの不思議な導きと決心に心が熱くなったことでした。
わたしたちの日常も、平坦なものや時に苦しい事の多いものだと感じるかもしれません。しかし、そんなときにも神様は必ず次の喜びへの準備をしていてくださるのだと思います。
その様に信じることができたら、また新しい一日を神さまに期待して元気よく歩み出すことができるのではないでしょうか。
今週も新しい歩みが始まります。
皆さんの今週の歩みが神さまに導かれ・守られたものとなります様に!!

***今週のみことば***

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18日(日) 箴言1章8-19節
一言メッセージ: 昨日読んだ箴言1.7では「主を畏れることは知恵の初め」とありました。神さまを畏れ、敬い、従うことが幸いな人生の基本だと賢者は言いますが、今朝はその逆の出来事への警告です。つまり、「誘惑に屈するな。悪に入るな」です。ここで想定されているのは、どうにもならない貧困のために盗みをはたらく…といった状況というよりも、ただただ誘惑に弱く、「まぁ、これくらいならバレないだろう」と安易に悪事に手を染めることへの警告です。それだけ人間は誘惑に弱いのです。賢者は「悪を避け、神に正しく生きよ」と呼びかけます。なぜなら、神さまはいつも私たちに目を留めているからです(17節)。それは祝福であり、私たちへのブレーキです。
  1950年代、国連の事務総長として冷戦下で世界のバランスを模索したダグ・ハマーショルドは、神さまに日々、誠実に神さまに祈りながら、自分を律する言葉として、こう記しています(『道しるべ』、みすず書房出版より)。「おまえが決して耳を傾けたがらないなら、聞こえるという能力を、おまえはどうして保持してゆくことができようか。神がひまをかけておまえにかかずらうべきだ、ということがお前には当然のように思われるらしいが、そのくせおまえのほうでは神にかかずらうひまがないとは!」ハマーショルドは、私たちが神さまと誠実に向き合うことの大切さを自戒していたのです。今朝は日曜日、礼拝の時です。礼拝に集い、共に神さまと向き合いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、賢者は私たちに、「誘惑に屈するな。悪事に手を染めるな」と告げます。それは、あなたが私たちに目を留めていてくださるからです。神さま、どうぞ日々、私たちを顧み、お守りください。そして私たちもあなたに誠実に応答して生きることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(月) 箴言1章20-33節
一言メッセージ:今朝の箇所はとても面白いです。20節の「(神さまの)知恵」は人格を持った女性形の名詞として書かれています。だから「神野知恵子(神の知恵こ)さんがこう言うとります」みたいな感じで、客観的に淡々と言葉が綴られています。何が言われているかと言えば、「浅はかで、不遜で、愚かのまんまじゃいかん。ちゃんと神さまの御心に従って生きなたい。後々、『ほーら、言うたやんか。そん時に自分を律して正さんけん、どげんもならんごつなった』って笑われんごと、今のうちに神さまに誠実であらんといかん」です。言われていることはよく分かります。ただ、ここが一番難しいのは、自分たちが浅はかで、不遜で、愚かであると気付くことです。皆、安易に自分を正当化してしまうのです。これが人を失敗させる。じゃあどうすればいいか。知恵子さんは言っています。「神さまの御心に従って生きることを尺度にし、客観的に自分を見つめなさい。」7節にあるように「主を畏れることは知恵の初め」、スタートなのです。今日も神さまに誠実に始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今日もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに私たち、ドキッとしました。私たちは周囲の人のことならば「浅はかでだなぁ。不遜だし、愚か」と気づくのに、いざ、自分のことになると気付きません。特に感情的になる時ほど、自分を正当化してしまいます。神さま、どうぞいつもあなたという人間を遥かに超えた方を畏敬しながら生きられますように。御心を模索し、自分を客観視して立ち居振る舞いを判断できますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

20日(火) 箴言2章1-22節
一言メッセージ:「神さまに従って生きよう。」教会で多々耳にします。では具体的にどうしたらいいのか。今朝のみことばは1-5節で教えます。先ず神さまのみことばを大事に大事に聴く。そして「神さま、このみことばは今の私に何を言っているのでしょうか?」と尋ねながら考える。そして、神さまがこう言ってらっしゃるんだろうな、と気づいたことを宝物のように心に留め、実践する。そうすれば、「神を知ることに到達する(5節)」なのです。
  牧師になって13年と半年が過ぎました。感謝なことは数えきれないほどありましたが、失敗したことも多々ありました。その中で得た私の教訓です。「失言はふとした時に吐いてしまう」です。安易にポロっと話した一言を今も「何であんな風にいったのだろう」と思い返すのです。だから、感情的になりそうな時は、言葉を発する前に一瞬、間を取るようにしました。その瞬間に「神さまはどう考えるだろう」と思いめぐらすのです。そう考えた瞬間、冷静にさせられます。そこからは今朝の箴言の手順で考えます。すると、失言はグンと減りました。箴言はとても実践的です。
祈り:天のお父さま、みことばをありがとうございます。今朝はあなたの御心を知るにはどうしたらいいか、とても実践的な示唆を得ました。先ず、あなたのみことばを大事に聴くこと。そして、あなたのお考えを思い浮かべ、大事に守ることでした。私たちはしばしば、感情のままに発言し、大失敗します。ことばは形に残りませんが、負わせた傷は長く長く残ってしまいます。どうぞ私たちに御心を悟れるように、知恵をお与えください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

21日(水) 箴言3章1-4節
一言メッセージ:3章はとても素敵な言葉なので、分けて読むようにしました。今朝は1-4節です。賢者は「御言葉を忘れず、心に納めよ」と語ります。「そうすれば、神さまの祝福をいただいて生きられるから」です。興味深く読みたいのは3節「それら(神さまの教え)を首に結び、心の中の板に書き記すがよい」です。敬虔なユダヤ人たちは文字通り、律法を記した紙を身近に置いています。例えば、家の入口に律法を記した紙を貼り付け、家の出入りの際にそれに触れます。律法を記した小さな紙を小箱に入れ、腕に結び付け、折に触れて思い返す生活をするそうです。神さまを思い起こすことを生活習慣にしているのです。知恵ですね。クリスチャンでも家にみことばを飾る人がいますが、みことばを身近に覚える工夫です。トイレなどおススメですよ。
祈り:天のお父さま、今朝は身近にみことばを置くことを学びました。生活習慣にしながら、あなたのみことばを身近に感じることによって、誠実に生きたいとの知恵です。神さま、どうぞ日々、私たちがみことばを思い起こし、みことばに照らして自分たちを顧みる者となれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。

22日(木) 箴言3章5-12節
一言メッセージ:今朝の5-6節のみことばは、私にとってとても大事で、折に触れて思い起こすみことばです。礼拝の招詞や祝祷時に読むことも多いです。「心を尽くして主に信頼し、自分の分別に頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」自分たちの常識や思惑に固執せずに神さまの御心を求めることの勧めです。そのために、意識することは、頭を柔らかくすること。自分の常識や固定概念、感情はありますが、ものを考える際にはその常識などを外して考えることです。自分にとって嫌な可能性を含めて考えます。そうせねば、視野が狭くなり、神さまの示唆に気づけないからです。11-12節で詩人は語ります。「わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。かわいい息子を懲らしめる(鍛える)父のように、主は愛する者を懲らしめ(鍛え)られる。」子どもが成長する時は好きなことだけやっていてもダメなのです。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。今朝はとっても大事なことを教えられました。私たちは自分たちの常識や経験や思惑で物事を判断しがちです。でも、それはあなたの御心以前に、自分の願望で物事を判断しようとする行為でした。賢者は私たちに「自分の願望でなく、あなたの御心に誠実に従う時、あなたは御業をもって私たちを整えてくださる」と教えてくれました。神さま、どうぞ日々、あなたに誠実に尋ね求める私たちであらせてください。ゲッセマネにて「御心のままに」と祈ってくださったイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(金) 箴言3章13-20節
一言メッセージ:「神さまの知恵」が人格を持つ女性名詞として描かれています。以前も話したように「神野知恵子(神の知恵こ)さん」という人がいるかのような書き方で、今朝の箇所は書かれています。その生きた知恵を得ることは何ものにも勝る人生の幸いだと賢者は告げます。でも、どの時代でも、多くの人は神さまの知恵よりも「銀、金、真珠、財宝(14-15節)」といったものに目が奪われてしまう。確かに財産は魅力的かもしれません。でも、財産はあくまでも人生を豊かに彩る一助であって、人生そのものの幸いを測る尺度ではありません。同じようなものに、名声や人脈などがあるでしょう。そういったものが最上の価値で、人生の幸いだと信じ込んでいる人は必ず、財産で対処できない課題に直面した時に愕然とするのです。自分はどうして役に立たないモノのために人生を費やし、全てと信じ込んだのだろう、と。
先日も紹介したダグ・ハマーショルドがこんな言葉を語っています。「かつては灼けつくほど熱気を帯びていた問題(関心)が、いまでは冷ややかな抽象物のように広がっている。簡単な問題だったのだ。ところが、われわれはそれを解きほぐすことができなかった。われわれは愚鈍な操り人形であって、個人的利益で夢中になり、踊らされているのである。」
私たちは今、客観的に自分と周囲を見定めましょう。人の関心は移り変わる。でも、神さまの知恵はいつ如何なる時、状況においても私たちに与えられた祝福であり、死の先にすら与えられる約束なのです。自分たちの願望が第一でなく、神さまの御心を第一にするのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。箴言の賢者は、あなたの知恵こそが最上の祝福であり、私たちに与えられた幸いだと語りました。あなたが共にいて下さり、わたしたちを救い、あなたの御国へと導いてくださっていることを、改めて喜ばせてください。どうか、移ろいゆく価値観に振り回されず、人生の盤石な根拠たる神さまにこそ従い生きる私たちであらせてください。またどうか、私たちの周囲の人々が今、この世知辛い世の中のため、惑い、孤立し、居場所を見失い、不安になっています。神さま、どうかあなたを信じ、従う幸いを伝えさせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

24日(土) 詩編3章21-35節
一言メッセージ:今朝のみことばにて賢者は日々の勧めです。21-24節は「慎重さを忘れずに、でも不安に怯えずに生きなさい」です。それも、25節にあるように、突然襲ってくるトラブルの際にも、です。何故不安に惑わされずに生きてよいのか。それは26節にあるように「主があなたの傍らにいまし、守ってくださるから」です。人間は先が見えない事柄、予測できない状況に不安を感じやすいです。でも、ここで発想を変えてください。先が見えないということは、「悪い出来事に陥る」でなく、「神さまの御業が起こる可能性が秘められている」でもあるのです。神さまは私たちに祝福の約束をくださっているのだから、安心したら良い。もし、それでもつらい現実やしんどい課題があるならば、「神さまはこの事態の先に、すんごい祝福を準備くださっているんだ」と信じたらいいのです。
  賢者は加えて語ります。27-35節、「自分の働きを誠実に生きていきなさい」と。神さまの永遠の御業は今日の一日、明日の一日という繋がりの中で実現するのです。言い換えるならば、今日の一日は神さまの永遠の祝福への一日なのです。だから誠実に生きるのです。
  さぁ、今日は一週間の締めくくりです。今日も誠実に歩み出しましょう。今日も神さまと共に生きる一日です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝も誠実に一日を歩み始めるように、賢者は示してくれました。あなたが共にいてくださる。あなたが私たちに目を留めていてくださり、私たちを顧み、導いてくださる。それが私たちにとって誠実に生きるための根拠です。不安多い時代に、でも神さまがいて下さることの平安を味合わせていただいています。どうぞ一週間の締めくくりも誠実に歩ませてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。


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福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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