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2021-01

12月20日~26日のみことば - 2020.12.19 Sat

明日はいよいよクリスマス礼拝。アドベントクランツに4つ目のろうそくが灯ります。
今年はいつものようにポスターをたくさん掲示したり、チラシをたくさん配ったりと大々的な参加のよびかけはできませんでしたが、それでも一人でも多くの方とクリスマスの喜びを分かち合いたいと願っています。直接来ることができない方も、ぜひYouTubeのライブ配信などで参加してくださいね。
明日の礼拝では、教会学校小学科の子どもたちがハンドベルの特別賛美をしてくれます。
例年なら劇や歌をしているのですが、今年は大きく声を出すものは感染防止の観点から難しく、いろいろと悩んだ結果、声を出さないハンドベルをすることになりました。
11月から毎週コツコツと練習を積み重ねてきましたから、ぜひ明日の本番で練習の成果を発揮できますように。ベルの響きでクリスマスの喜びを皆さんにお伝え出来ますように。

また24日は19:30からクリスマスイヴ礼拝です。こちらもライブ配信いたしますので、ぜひご参加くださいね!!
皆さんのクリスマスがイエスさまの伴いをじんわり感じるクリスマスとなりますように。。。

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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20日(日) 箴言24章1-12節
一言メッセージ:今朝、ドキッとするのは10-12節です。「苦難の襲うとき気力を失い(弱気になり)、力を出し惜しみ、死に捕えられた人を救い出さず、殺されそうになっている人を助けず、『できなかった(知らなかった)』と言い訳しても、心を見極める方(神さま)は見抜いておられる。」今の時代、「助け合い」だの「絆」だの、標語だけは大々的に言われます。でも、本当に助け合いが、絆が築かれているのでしょうか。12月6日にThe MANZAIという番組がありました。毎年、ウーマンラッシュアワーというコンビが、かなり突っ込んだ政治ネタをやります。今年のネタの一部を紹介します。「この前ねぇ~。麻生太郎が言ってましたよ。政治に若者が無関心だと悪いように言うけども。政治に無関心なことは悪いことじゃないと。例えばね、アフガニスタンなどに行って、地雷を踏んで、命を落として、それで初めて政治に対して関心がでる、みたいなことを言ってますね。この国では地雷を踏むことはないから、政治に無関心でもいい、みたいなことを言ってましたね。そこで思ったんですね、ちょっと待ってくれ。確かに地雷を踏んではないけど、福島では原発事故で故郷を奪われた人がたくさんいるし、沖縄なんかではね、基地をいっぱい押しつけられて、静かな空とか青い海とか、人間関係を壊された人がいっぱいいるわけですね。朝鮮学校のこどもたちはですね、自分たちのルーツを学ぶという当たり前の教育の権利すら奪われ続けている。彼女たちは、ずーっと声をあげ続けているんですが、声を上げ続けても、みなさんが無関心だったら、彼らの声はずーっと聴き取れないまま。ずっと、泣き声を放置するままじゃないですか。私は気づきましたよ。日本のこと平和って言いますが、平和ってなんだ、っていったら、彼らの声を聴かないことですよ。聞かないから平和を実感できるわけですよ。無視すりゃぜんぶ平和ですよ。だから、その泣き声っていうのは、ここ(テレビ)に持って来なきゃいけない。芸人が持ってこなきゃならない。これニュースキャスターじゃだめ。政治家じゃだめ。彼らは悲しい話を悲しいようにしか伝えないから。お笑い芸人は悲しい話もこうやって伝えることができる、笑いにすることができる。痛みに触れて和らぐことができるわけですよ。だからお笑い芸人ていうのはここに持ってこなきゃいけないんですよ。もっともっとここに持ちこまないといけないわけなんですよ。」
彼らのネタはネトウヨたちからものすごく批判されています。もはや敵意だらけの誹謗中傷です。でも彼らは毎年、こういうネタをやり続けます。正に声なき人の声を代弁しているのです。
今朝はクリスマス礼拝を守ります。人間の現実を見ないふりするのでなく、そのただ中に飛び込んできてくださった救い主がイエスさま。私たちも改めて「視野を広げねば…」と思わされます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに、お笑い芸人のネタを思い出しました。「聞かないから平和なんだ」との指摘は見事に今の時代を射抜きました。わたしたち自身、無関心とは言わずとも、伝聞レベルで留まっていたかもしれません。でも神さま、あなたは人の苦難の現実のただ中に救い主イエスさまを生まれさせてくださいました。どうぞイエスさまを信じる私たちも今の時代に無関心でなく、目を開いて知ることができますように。そして、この現実に寄り添ってくださるイエスさまを信じるがゆえに笑い、期待し、勇気を出すことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

21日(月) 箴言24章13-22節
一言メッセージ:今朝のみことばも神さまに従って生きることを勧めることばです。私の目が留まったのは16節です。「神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。」「七度」は実際の数字ではなく、「何度でも何度でも」という象徴数字です。賢者は「神さまに誠実に向き合い従う人は何度だって立ち上がれる」と語るのです。
神さまを信じ、従う人も苦しいことはあるし、時に理不尽な攻撃を受けたりもします。でも、これは私の体験上もそうなのですが、神さまの御心に従おうと決断した結果、他人から攻撃されても自分の中でファイトが湧いて来るのです。「神さまの御心と信じて決断したんだから、この攻撃も神さまがどうにか整えるだろう」という信頼できて、相手に対しても恥じることなく向き合おうとできるのです。一方、神さまの御心は関係なく、自分の思惑で突っ走ったり、感情的な発言などへの批判について攻撃を受ける時には、がっつり落ち込みます。その違いは、神さまの御心を求めて従っているかどうか、です。皆さん、本当に大事な決断をする時ほど、ちゃんと御心を求めて決断しましょう。その時、私たちは何度だって立ち上がれます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちが決断する際、何を考えれば良いかを示します。それは、あなたの御心です。あなたの御心に従って決断する時、一時的に批判にさらされたり、攻撃を受けても、あなたがその事態を放っておかれることなく、御手を差し伸べ、整えてくださいます。神さま、あなたに従うことが私たちにとって最善の決断です。どうぞ日々、あなたの御心を求めて決断する私たちであれますように。私たちをよく知った上で、なお寄り添い生きて下さる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

22日(火) 箴言24章23-34節
一言メッセージ:今朝のみことばは、誠実であること、実直に生きることを勧めるみことばです。時に私たちは誠実に、実直に生きることが非効率的で愚かに見えることがあります。23節にあるように「えこひいき」したり、されたりして、仲間をたくさん作って生きる方が良いように思えます。でも、賢者は言うのです。神さまに誠実に生きねば人は過ちをしでかしてしまう、と。29節には「人がわたしにするように、わたしもその人に対してしよう。それぞれの行いに応じて報いよう」という言葉があります。意味合いは「みんなやってるから、私もえこひいきしてくれる人には、罪があってもひいきしよう(24節も参照)」ということですが、大変恐ろしいことに、彼は神さまが聖書の様々な箇所で「誠実に生きる者には、その行いに応じて報いよう」と語っている言葉を悪用しているだけなのです。言い換えるならば、神さまのみことばに従っているような体裁を作りながら、自分本位に神さまを利用しようとしているのです。正しく生きるとは、神さまの御心を模索して生きることです。私たちは正しく生きる者でありたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今の社会を見ますと、あなたの正義と公正とはかけ離れた状態に見えることでしょう。政治は率先して「えこひいき」を行い、私腹を肥やす者がさらに権力を持とうとします。でも神さま、それらはあなたの目に決して義とされないでしょう。まことの裁き手は主なる神さまであり、あなたは一人ひとりを正しい目で見極めておられます。どうぞ私たちが日々、あなたに誠実に生きる者であれますように。悪を行う者も、あなたの懲らしめを受けて悔い改め、生き直すことができますように。全ての人の救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(水) 箴言25章1-7節
一言メッセージ:今朝からは「ソロモン王の箴言」と呼ばれる箇所です。早速、2節から難しいことばが書かれます。これは「世界を不思議な仕方、私たちには分かり得ない仕方で治められるのは神さまの誉れ。一方で、その神さまの不思議さを見極めて民を正しく治めることが王の誉れ」という意味です。掘り出した銀を細工するために高温の炉で溶かして純度をあげるように、王(指導者)は自分の中の無益な思惑、たとえば名誉欲やプライド、驕りなどは捨て去るべきと、賢者ソロモンは語るのです。イエスさまのことを思います。神の身分でありながら、私たちと共にあるために、一人の赤ん坊として生まれてくださった救い主。名誉もプライドもなく、逆に私たちに全てを委ねるほどに信頼してくださったイエスさま。私たちはそんな最も尊い存在が私たちの傍らに来て下さったからこそ、神さまの救いの決意に心からひれ伏しました。さぁ、明日はいよいよ救い主誕生のクリスマス。今日はワクワクしながら、救い主イエスさまを想って過ごしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ソロモンの箴言は、私たちにあなたへの信仰の前に、私たちもまた純度を高めるように、プライドや思惑に振り回されないように生きるようにと促します。それは、正に赤ん坊となって私たちの傍らに生まれてくださった救い主に倣うように、でした。神さま、どうぞ私たちをさらに純粋で粘り強い信仰者として育て導いてください。今日一日、様々な出来事を経験しながらも、イエスさま誕生をワクワク期待し、あなたの御心に従って生きる者となしてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

24日(木) 箴言25章8-15節
一言メッセージ:今朝のみことばは私たちに「今、どんな言葉を語るのか?」と問いかけながら、「時宜にかなった言葉(今、神さまが示されている言葉)」を語るように促します。例として14節「雨雲が垂れ込め、風が吹くのに、雨が降らない」とありますが、これは乾燥地帯であるイスラエルを思い起こして読んでみましょう。雨雲を見て、人々は農作物を育てるために雨が期待します。なのに、降りそうで降らない雨雲に人々が苛立つ様が例にあげられました。これは「実現できもしないのに、壮大な贈り物を吹聴してまわる人」のことです。私たちはそのような時宜にかなわぬ言葉しか語れない者ではなく、神さまから示された言葉を語る者でありたいものです。
  では、今の私たちにとって「時宜にかなう言葉」とは何でしょう。今日はクリスマスイブと考える時、今日、語るべき言葉は喜びの知らせです。ルカ2章で天使も羊飼いたちに告げました。「民全体に与えられる大いなる喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」今日は喜びを告げ知らせながら一日を過ごしてまいりましょう。
今夜の礼拝は19:30からです。ご家族やご友人が興味を持ってくださる方々をどうぞお誘いくださいね。また夜、お会いしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは時宜にかなうことばを語るように促されました。考えてみますと、私たちはいつも自分のことばかりを口にし、あなたの御心に基づく言葉をどれほど語っているでしょう。「わたしは、わたしは」と自己主張を繰り返すばかりで、「神さまはね、イエスさまはね」と喜びの知らせを語り継いでいたでしょうか。でも神さま、今日はクリスマスです。救い主イエスさまの誕生を喜ぶ時です。どうぞ今日、わたしたちは時宜にかない、救い主誕生の喜びを告げ知らせることができますように。今夜のイブ礼拝、喜びをもって集うことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

25日(金) 箴言25章16-28節
一言メッセージ:今朝の箇所では16節と27節で「ハチミツは美味いけど、食べすぎ注意」と語られます。それは、自分たちの中で節度を持って生きることの勧めでした。そう思って今朝の箇所を読む時、18-22節に目が留まります。18-20節は傷口に塩を塗り込むように、苦しむ人をさらに痛めつけることは止めなさい、と勧められています(20節の「ソーダの上に酢を注ぐ者」は意味が分からないので、「ソーダ」をアラビア語で「傷口」と読み替えてみましょう。すると「傷口に酢を注ぐ者」という愚か者の姿が浮かび上がってきます)。賢者はそうやって「苦しむ者をさらに苦しめる、愚かな光景はあちらこちらにある」と示しながら、21-22節「(でもあなたがたは)憎む者にパンを与え、渇いているなら水を飲ませなさい」と語ります。その理由は「あなたは彼の頭に炭火を積むことになるから」です。分かりにくい表現ですが、「敵に反省の機会を与えることになる」という意味でしょうが、敵を味方に変えて共に生きる機会となるし、それは神さまにも喜ばれる、と賢者は語るのです。もう年の瀬、私たちは今年、どんなことで怒ったでしょうか。まだ怒りがあるならば年内に解消し、和解を実現して年を越せたらいいですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は、私たちに自分の感情に流されるのでなく、敵を味方に変えるような配慮を持つように促します。言われるほどに簡単でないですが、でも、みことばの通りにできるならば、どれほど素晴らしいだろうかとも思います。神さま、どうぞ今年抱えたわだかまり、御心ならば乗り越えるための一歩をチャレンジさせてください。平和の君、和解の主なるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

26日(土) 箴言26章1-12節
一言メッセージ:今朝の箇所は全て「愚か者」に関する格言です。すっごく興味深いのは4節と5節は、それぞれの前半でまるで逆のことを言っていることです。4節は「愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな」と語るのに、5節で「無知にふさわしい答えをせよ」と語っています。どうして正反対のことを言っているかと言うと、この格言は生活での指針であり、読者である私たちが「それぞれの生活の具体的な場面にて、どちらの指示に従うのが適当かを判断しなさい」ということだそうです。では、実際に4節と5節の後半部を含めて考えてみましょう。
  4節は「愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな」と語ります。その理由は「あなた」、つまり読者を優先的に考えているからです。「愚か者に合わせて無知な答えをすると、あなた自身が相手と同じように扱われてしまう」と賢者は警告するのです。
  一方、5節です。「愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ」です。それは「はいはい、そうやんね」と軽く受け流すような返答をイメージさせます。どうして、そんな返答が勧められるかと言えば、それは愚か者自身が「こんなに真剣に応えられたら、俺って結構すっごいこと言ってるっちゃない?」と勘違いしないように、です。
  賢者の格言はとても面白いですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「愚か者」がテーマとなっていました。「賢者、ちょっと口悪すぎやろ」と思いますが、でもそれは、賢者が私たちに「愚かになるな」との示唆なのでしょう。神さま、どうぞ私たち、日々あなたの知恵を悟りながら生きる者であれますように。今年も間もなく終わります。どうぞ最後まであなたの守りの中で歩ませてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

***




めぐみのその60周年!(12月13日~19日のみことば) - 2020.12.11 Fri

今日12月12日は私たちの教会の付設幼児園「めぐみのその幼児園」の60周年記念式典でした。
本来ならもっともっと多くの方々のお声をかけて行う予定でしたが、こういった状況ですので、在園児とそのご家庭、また小学生までの卒業生のご家庭にお知らせをして、感染防止対策をしつつ行いました。
式典ではまず記念礼拝がもたれ、長年園長を務めてくださっていた吉田晃児先生が赤いリボンを用いて「めぐみのその還暦祝いの赤」「歴代の先生たちの情熱の赤」「イエスさまの十字架での血潮の赤」の3つを中心にお話してくださいました。
また、第二部では在園時によるクリスマスページェント(イエス・キリスト降誕劇)が行われました。いつもと違った特別な舞台での劇となりましたが、子どもたちは立派に演じ切ってくれました。在園児家族は子どもと一緒に緊張を味わいながら、卒業生とそのご家族は懐かしみながら、子どもたちの演技に見入っていました。毎日の練習の積み重ねと子どもたちの成長に大きな拍手!!素晴らしい式典となりました。

この60年でたくさんの子どもたちがこの「めぐみのその」から巣立っていきました。時には(現在もそうですが)卒業生のお子さんやお孫さんが入園してくることも。60年という歴史の長さとそこに関わってくださった方々の積み重ねが今の園を作っているのだと実感します。
久留米教会祈りの中、初代牧師のお連れ合いの働きから始まっためぐみのその。そこにはいつも、教会・園・園児のご家族の三者の祈りと信頼関係がありました。そしてそれを全部包み込むように、神さまの支えと導きがあったことを思います。
今日、子どもたちを取り巻く環境は益々多様に、ますます厳しくなっていますが、「すべての人はそのままで神さまに愛されている」という聖書からの変わらないメッセージに基づき、神さまから与えられた子どもたちひとりひとりの命が思いっきり輝いていける園でありますように、また子どもたちだけでなくそこに関わるお一人おひとりがほっと安心できる場所となりますようにと祈りを新たにしました。
60年をみちびいてくださった神さまに改めて感謝です。


***今週のみことば***

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13日(日) 箴言21章21-31節
一言メッセージ:今朝は26節に注目したいと思います。「欲望は絶えることなく欲し続ける。神に従う人は与え、惜しむことはない。」とても含蓄のある言葉です。誰しも「あれが欲しい、こうしたい」という欲を持ちます。それ自体は問題ではありません。でも欲のままに生きていきますと、「次はあれ、次はもっと」と際限なく欲し続けてしまうのです。一方、周囲に分け与える時、私たちは一緒に満足する充足感を味わいます。実はその充足感は非常に人にとって大きな喜びです。何故なら、その喜びは自分だけのものでなく相手と一緒に経験でき、長く共有できるものだからです。
  マザーテレサの逸話を思い出します。ある時、マザーの孤児院でお砂糖が欠乏し、弱り果てたことがあったそうです。そんなある日、一組の親子がマザーを訪ねてきました。幼い男の子はマザーに小さな包みを差し出して言ったそうです。「お砂糖が無いんでしょ?僕、三日間、お砂糖使わずに貯めたんだ。使って。」マザーは彼の申し出に深く感動し、その喜びを孤児院でも、修道院でも、様々な講演でも語りました。一人の男の子のくれた三日分のお砂糖は、大勢の人に神さまに従うことの尊さと恵みを伝えてくれました。
    今はアドベントの時ですから、最後に私たちに与えられた最大の贈り物を考えてみましょう。それは救い主イエスさまです。神さまは独り子を惜しむことなく、私たちの救い主として与えてくださいました。それは、神さまが私たちを愛し、私たちと共に喜びを分かち合うためです。神さまは私たちを本気で救おうと決意されたのです。どうか今年のアドベント、このイエスさまの愛を強く、深く実感できますように。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は欲望について考えました。神さま、今の社会を見ていますと強く感じます。人が己の欲望に押し流される時、自分の利益を正当化し、結果、自分のために他者が犠牲となることさえ見えなくなります。でも、他者のために与える時、私たちはモノを持つこと以上の充足感を周囲の人と共に味わうことができます。イエスさまが「受けるより与える者が幸い」と語られましたが、神さま、どうか私たちも「我が我が」と我欲に走るのでなく、多くの人と喜びを分かち合って生きる者とならせてください。どうか私たちが驕ることなく、いつもあなたの目に誠実に生きる者となれますように。そして何より、私たちに与えられた最大の贈り物、救い主イエスさまの誕生を多くの人と分かち合うことができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

14日(月) 箴言22章1-16節
一言メッセージ:今朝の箇所では3つの節に注目しましょう。1節と6節と15節です。1節は新共同訳では分かりにくいのですが、「名誉」も「品位」もどちらも世評と関係する言葉です。分かりやすく訳すと、「賢者や義人として認められることは莫大な財よりも価値があり、義人との人望を得ることは金銀にまさる」です。その上で15節。賢者は、若者が無知で自分の願望に走りがちな存在であることを理解します。だから、彼らには「ダメなもんはダメ!」とする厳しい諭しが必要だと語ります。それは6節、若者を賢者や義人と育てるためです。若い時分から誠実にみことばを教えられて育った者は年を重ねても道を踏み外すことがない、と賢者は言うのです。そして、そうやって誠実に生きる人は最初の1節のように、莫大な財に優る人生を歩むのです。
  先日、幼児園のクリスマス会が行われました。幼い子どもたちが毎年のようにイエスさまの誕生劇を演じました。我が家の次男も今年で卒園ですが、何年も演じてきたからか一人で全てのセリフを覚えているようです。きっと、他の子どもたちも同様でしょう。いつか彼らが大人になった頃、何か挫折を経験する時、きっと自分のそれまでの人生を振り返るでしょう。その時、イエスさまのことが彼らの中に呼び起こされ、立ち直る希望となることを祈っています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は幼子たちにみことばを語り伝える大切さを思いました。イエスさまのことを語り伝えることで、園児たちが将来、イエスさまを思い起こすことができますように。正に今のコロナ禍のような時に、自分がひとりぼっちだと誤解し、孤独に陥ることがありませんように、彼らの中にみことばをしっかりと根付かせてください。またどうぞ、今この時、卒園生たちがしっかりとイエスさまを思い起こしながら、自分たちの現実と向き合えていますように。いのちのみことばなるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

15日(火) 箴言22章17-21節
一言メッセージ:今朝の箇所から24章22節までは「三十句」と呼ばれ、30の格言が記されるとされています(どこで30を区切るかは研究者によってバラバラです)。今朝の17-21節はそんな三十句の始まりです。賢者は「あなたが神さまを信頼し、神さまの祝福をいただいて生きられるように、30句を書きつけよう」と語ります。その中で私は18節に目を留めたいのです。賢者はみことばを「腹に納め、ひとつ残らず唇に備えておけ」と語ります。「唇に備える」とは、ふと何気なく口に付いて御言葉を語れる状態です。賢者は何気なく歌を口ずさむように、みことばを語れるようにしなさいと勧めます。私はこのことはとても大事だと思うのです。
  以前、一人の方の証を伺いました。彼女は三人の子どもを育てるシングルマザーです。夫と別れた後、子どもたちを立派に育てようと自分を律し、家でも仕事でも人一倍努力したそうです。でも、ある時とても疲れきりました。知らず知らず、気を張り続けていたのです。仕事からの帰り道、彼女は感情が留められなくなり、公園の駐車場に車を入れて号泣したそうです。一生懸命やっているけれど、子どもたちに十分に関われていないことが申し訳なく、でも養うためには必死で働かざるを得ず…と行き詰まり、頭が真っ白になっていたそうです。しばらくして、ふと気づくと、彼女は自分がハンドルにしがみ付きながら主の祈りを祈っていたことに気づいたそうです。意識していなかったのに、自分は静かに主の祈りを祈っていた。その時彼女は、心乱れていた自分の傍らにイエスさまが伴っていてくださって、一緒に祈ってくださっていたような平安を覚えたそうです。彼女は「大丈夫。イエスさまがいつも共にいてくださるから」と確信し、子どもたちの待つ家へと帰って行ったと話してくれました。
  賢者が「ひとつ残らず(みことばを)唇に備えておけ」と勧めてくれた事柄は真実です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はみことばを唇に備えることを分かち合いました。あなたのみことばは私たちの足の灯、道の光です(詩編119.105)。それは確かな真実です。私たちは弱く、時にあなたを忘れがちになるでしょう。でも神さま、どうぞそんな時にも私たちがあなたに立ち帰れるように、いつもみことばを身近に覚えさせてください。あなたのみことばによって生かされる私たちであれますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

16日(水) 箴言22章22-29節
一言メッセージ:昨日から箴言の三十句を読み始めました。でも今朝の箇所が第何句から第何句かは人によって数え方が違うので数えないようにします(笑)。さて、今朝の箇所で注目したいのは22-23節です。賢者は私たちに「弱い者を踏みつけるな」と語ります。その理由が大事です。「可哀想だ」という同情ではなく、23節で「彼らの背後に神さまがおられるから」です。賢者は、いかなる相手の背後にも神さまの守りがあると伝えます。これは互いを認め合って生きる際の大事なヒントです。時に傲慢な人は、自分の言い分が全く正しいと信じ込み、相手の意見を否定し、時には「自分にたてつく奴」と考え、拒絶します。その結果、自分の間違いや、モノの観方は多様なのだと気づかずに大失敗をしでかしてしまうのです。賢者はそんな人の弱さをよく熟知した上で、「いかなる相手にも神さまが伴ってくださっていると敬意を持って対せよ」と告げるのです。
  今日も一日、働きが始まっていきます。隣人を自分のように愛して歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の賢者の示唆は、どのような相手の背後にもあなたがおられると考えて接することでした。私たちは時に傲慢になり、自分の言い分だけが正しいかのような浅はかな誤解に陥ってしまいます。でも、あなたが相手の背後にもいてくださると思い起こすことによって、私たちは正しい接し方を行えます。神さま、どうぞいつもあなたが一人ひとりに伴ってくださっているのだと思い起こす余裕と信仰をお与えください。今日の一日をどうぞ守り、整えてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

17日(木) 箴言23章1-12節
一言メッセージ:今朝の箴言にて賢者は、支配者(権力者)と食事を伴する時の警告を語ります。賢者は「相手が抜け目なくあなたを観察し、あなたを追い詰めようとしているかもしれない」と考えています。私たちにはそこまでピリッと張り詰めるような場面は多くありませんが、でも、賢者が支配者のどこに注意すべきか語った内容には注目したいのです。それは4節「富を得ようとして労するな。分別をもって、やめておくがよい(支配者が富を得ることを主目的としているかどうか、を見極めなさい)」でした。10節では一例として、「父母を亡くした子どもの土地を奪い取ろうとするな」と警告があります。何故ならば、神さまが彼らを守られているから、悪事には神さまの厳しい裁きがあるからです。賢者は徹底して「富を目的として生きるのでなく、神さまの正義に生きよ」と告げるのです。人生の目的は何でしょう。「富(利権)」が目的であるならば、「富」が得られなくなった際には支配者たちは自分以外の者を非情に切り捨てるでしょう。それは、正に今の政治の様を見ればよく分かるというものです。富に振り回される人生より、神さまと、そして人々と共に平和に生きる人生の方が素晴らしいのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに人生の目的を教えます。それは富や利ではなく、あなたが与えてくださる平和であり、愛であり、人々との共生であり、救いです。どうぞ私たちが生き方を見誤ること無く生きる者であれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

18日(金) 箴言23章13-28節
一言メッセージ:以前読んでいた本の中で22-26節について、とても印象深い話が載っていました。後にアメリカのウェスレー神学校校長をされた方が、牧師になるべく神学校に入学する日の朝、父親が彼にこう語ったそうです。「お前はこれから故郷を離れ、神学校生活に入る。いろいろな人や新しい考えに出会うだろう。お父さんお母さんがお前に教え諭してきたことと違う意見を聞くかもしれない。その時、不安になり、閉じこもりたくなるかもしれないが、決して耳を塞いではいけない。両親の言葉と違った意見であっても、それが真実なものならば聞きなさい。そして、自分の良心に問うて考え抜きなさい。納得すれば、その言葉に従いなさい。ただ耳を塞いで閉じこもり、真実なことばを避けて古い考えに安住するならば、将来お前が何を語っても人々はその言葉の中に、真実に向き合ってこなかったとの疑惑を見出すだろう。だから誠実に真理を求め続けなさい。」この言葉は誰しもが聞くべき言葉です。人は、自分の思惑や願望にしがみ付いているだけならば、真理を語り伝えることはできません。真理は私たち個人にではなく、神さまにあるのです。今度の日曜日は一足早くクリスマス礼拝です。神さまの真理に耳を傾け、誠実に応えたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はあなたの真理に生きることを諭されました。私たちは自分たちの慣習や思惑や願望にしがみ付きたくなります。特に都合の悪いことや苦労が生じることには、ソッポ向いていたいです。でも神さま、もし私たちが耳を塞ぎたくなることがあなたの示される真実ならば、どうぞ私たちをその真理に向き合わせてください。一時的な安穏に逃げ込むことなく、いつも誠実にあなたと向き合う者とならせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(土) 箴言23章20-21、29-35節
一言メッセージ:今朝の箇所はお酒に関する諭しです。一言でまとめたら「酒は飲み過ぎるな」です。20-21節では「身を持ち崩す」と言われ、29節では飲み過ぎたが故に、あれこれと口を滑らせ、問題を生じさせることが警告されます。30節では、より強いアルコールを求めて際限ない様が書かれ、31-33節は翌日の体調不良が書かれ、34-35節では酩酊してアホな行動をすることへの警告が書かれます。大学生時代を思い返すとあれこれ耳が痛いですが、こんな古代から「酒は飲み過ぎるな」という警告があったことは面白いです。人間、そう変わらないものです(笑)。
  ものすごく私的なことですが、実はここ2ヵ月ほど、お酒はほとんど飲まないようにしています。それまでは、遅くまで仕事をして、冴えた頭を鈍らせるためにお酒を飲んで寝ていたのですが、あまりにも疲れが取れずに具合が悪くなっていました。僕の場合はそもそもが弱いからですが、酔い過ぎないようにアテをつまみながら飲んでいたのですが、食べると翌朝身体がしんどくなっていたわけです。そこで、ここ2ヵ月ほどお酒をグンと控えています。すると翌朝、以前よりも体力が回復していることを実感します。体力が十分に回復してクリスマスを終えたら祝い酒をしようと思っていますが、もうしばらく賢者の勧めに従ってみます。
  もちろん、「断然、断酒すべき」と言うつもりはありません。イエスさまだって、罪人と呼ばれた人々と一緒に飲み食いしていたと記されています。ただ、大事なことは「ほどほど」です。明日は日曜日、元気で、お酒が残っていない程度で礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はお酒に関する勧めでした。お酒はおいしいのですが、おいしいがゆえに、ついつい量が増えてしまいがちです。飲んでも楽しい酒をほどほどに飲むくらいであれますように。深く酩酊するのはお酒でなく、あなたのみことばであれますように。罪人たちの友となり、一緒に飲み、語らってくださった救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

***




12月6日~12月12日のみことば - 2020.12.04 Fri

12月に入りました。いよいよ本格的にクリスマスシーズンが始まった感じがしますね。
教会でも、今できる中でコツコツと準備中。
今年は派手にイベントや呼びかけがしにくい中ですから、どこか静かにこのクリスマスを待ち望むアドヴェントを過ごしている感じがします。
考えてみれば、初めてのクリスマスーイエスキリストの誕生も華やかに盛大に祝われたのではなく宿屋の家畜小屋でひっそりと…だったのです。
今年のクリスマスは、お祝いの心と喜びの心は盛大に、でもどこか静かにしみじみとクリスマスの時を過ごしてみるのも良いかもしれませんね。
クリスマスは讃美歌も素敵なものがたくさんありますね。讃美歌をききつつ、クリスマスの時を待ち望むのも良いかも。
過ごし方は様々ありますが、このクリスマスを今年も多くの方と味わい・喜ぶことができるようにと祈っています。


***今週のみことば***

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6日(日) 箴言19章4-15節
一言メッセージ:今朝の箇所は「財産」について語ります。大前提となる理解ですが、ここで言われる財産とは「実直で誠実に働く者に対して神さまが与えてくださった祝福」です。悪事を行ってでも、とにかく得た財産を言っているわけではありません。そんな財産なので、逆にここで語られる「貧しい人」とは「楽して食っていこうとするばかりで、自分で労することをせず、怠惰な者」です。だから、15節のように「怠惰であれば飢える」と率直に記されています。
  そんな大変率直でビシッと語る御言葉の中で目が留まるのは14節です。「家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの。」現代の性差別問題だとかを考えると妻を「いただきもの」と語ることは問題ですが、聖書時代の常識を配慮した上で記述の本質に目を向けると、賢者が告げようとしたのは「財産は先祖から受け継ぐこともあるが、妻とは神さまがその一人ひとりに目を留められた祝福。つまり、神さまは今のあなたに目を留めているんだよ」ということなのです。今の時代では誠実に生きることが馬鹿らしく、人を出し抜いて生きる方が得に見えるかもしれません。でも賢者は「人には見えなくとも神さまの目にはちゃんと留まっている」と告げるのです。
  今朝は日曜日。今日も礼拝に集いましょう。疲れていても、眠くても、それでも礼拝を大事に守ろうとする私たちを神さまはちゃんとニコニコしながら目を留めてくださることでしょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。神さま、今の社会はあまりにも力を持つ者、権力者が強く、その横暴は時に目に余ります。でも神さま、あなたはちゃんと一人ひとりに目を留めていてくださっています。神さま、どうぞ私たちも、またこの時代の中で苦しむ誠実な人々のこともあなたが報いてください。今日もまたあなたに与えられる祝福を願い、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

7日(月) 箴言19章16-28節
一言メッセージ:今朝のみことばも一貫して、「神さまに誠実に生きよ、怠惰な者になるな」というススメの言葉です。私が面白いと思ったのは17節でした。「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる」です。「主に貸す」というのは、「神さまに貸しをする」ということです。人様のために何か精いっぱいに支援する人がいます。立派な行いですが、時に「何の得があってあんなことするんだろう」と批判する人もいます。そんな人へのユニークな反論です。「実はね、今、神さまに貸しを作っとるんよ。」何だかすごく面白い表現じゃないですか。神さまに貸しを作る。それは、神さまがちゃんと私とも、その人とも繋がっていてくれていることの証でもあるのです。
  新しい週の始まりです。神さまの導きと整えに期待しながら、神さまに貸しを作るつもりで歩み出しましょう(笑)。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「神さまに貸しを作る」という面白い言葉を見ました。神さま、現代人はあまりに余裕を失いまして、物事の判断基準が損得に偏りがちです。誰かの評価や、自分の利益があまりに関心事になっている中で、箴言の賢者は「誰にも見られていなくても、神さまはちゃ~んと知っておられるよ。困窮する人を助ける人を神さまは『こりゃ借りを作ったな(笑)』と受け止めてくださる」と示しました。神さま、あなたに貸しを作るなんて畏れ多いですが、でも、いつ如何なる時にもちゃんと目を留めていてくださっていることの証ですね。神さま、どうぞいつも私たちに目を留めていてください。どうかあなたの祝福の中で生かされていることを感謝して生きることができますように。どうぞ困窮する方と出会う時に、あなたに貸しを作ることができますように(笑)。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

8日(火) 箴言20章1-10節
一言メッセージ:20章はとても生活に根差した知恵の言葉に感じます。1節を岩波訳で読みますと、「ぶどう酒はほら吹き、ビールは騒ぎ屋。これに酔ってよろめき歩く者は皆、賢くない」です。確かに千鳥足の酔っ払いは賢くなさそうです(笑)。飲み過ぎには注意しましょう。
  さて、今朝の箇所で私が最も目に留まったのは4節「怠け者は冬になっても耕さず、刈り入れ時に求めるが何もない」です。これはパレスティナの人々の生活に根差した言葉です。パレスティナでは秋の収穫が終わると、雨が降るのを待って畑を耕し、春に向けて大麦や小麦の種を蒔くそうです。一仕事終わってホッとする気持ちは分かりますが、その先に目を向けて準備を始めるからこそ、次の収穫へと繋がると賢者は言うのです。
  今が冬の時期ということもあるのでしょうが、私にはこのみことばが今の私たちに向かって言われているような気がするのです。今年はコロナ禍で本当に大変です。けれど、「大変」と言って何もしないでいるのでなく、今は次の展開に向けて知恵を絞り、チャレンジを始めるために、耕し、種を蒔き始める時だと思うのです。コロナが終息した後、私たちの今の取り組みが芽を出し、力強く結実するように、今を大事に過ごしましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は私たちに、今この時に手をこまねいているだけでなく、次の展開を見据えて知恵を絞り、チャレンジを始めることを示してくれます。それぞれの仕事においても、健康面においても、家庭や教会の働きも、あなたはこの時にも何かを伝えておられ、私たちに気づくように促しておられます。神さま、どうぞ私たちが自分たちの安直さに陥るのでなく、あなたの示唆を模索し、実直に取り組めますように。根気と知恵と希望をお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(水) 箴言20章11-20章
一言メッセージ:14節はとっても面白いです。買い物をする時の光景です。買い手が商売人から品物を購入しようとする時、「これ、ちょっとねぇ」と文句ばっかり言うくせに、購入した途端、文句言ってたことを忘れたかのように自慢して回るというのです。賢者は人間のいい加減さをよく知っていました。今朝の箇所は正に、そんないい加減な人間である私たちに対しての示唆です。
  19節では「秘密をばらす者、中傷し歩く者、軽々しく唇を開く者(おしゃべり)とは交わるな」と語ります。どこでどんな噂に巻き込まれるか分からないからです。さらに18節では「計画を立てる際には助言を得よ」と語り、自分では見落としてしまう視点を補ってもらうように告げます。そして何より12節「聞く耳、見る目は共に主が造られた」と語り、神さまの御心を模索し、何が御心に適った正しい事柄かを見極めるように告げるのです。今日も神さまの知恵をいただきながら歩み出してまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、いい加減な私たち人間の弱点を指摘しながら、だからこそ、自分の独断で突っ走ることを控え、周囲の助言をもらい、何より神さまの知恵を求めて歩むように諭します。神さま、どうぞ私たちにあなたの知恵の一端でもお与えください。あなたの御心に沿う選択を、あなたの喜びとなる決断を行えますように。一日の始まりにあたり、救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

10日(木) 箴言20章21-30節
一言メッセージ:今朝の箇所も人間の弱点を指摘し、だから神さまの御心に従って生きることを促す箇所です。例えば、23節の「おもり石を使い分けることは主にいとわれる。天秤をもって欺くのは正しくない」とあります。人間、自分や自分が行為を持つ人には非常にあまく、逆に快く思わない相手に対しては、大したことない事柄でも盛大に批判しがちです。そうやって物事を正しく図らない心、人間の弱さを賢者は「おもり石を使い分ける」と表現し、批判しています。
  その上で賢者は幾つも私たちに示唆します。解説を加えながら読みますが、22節では「悪に敵意をもって報いるな。物事の結末は神さまに任せなさい。神さまが最善を与えてくださる」と諭します。25節では「軽々しく『神さまに献げる』と云うな」と語ります。一見、神さまに献げることは素晴らしいことだから良いじゃないかと思うのですが、その後、「ちょっともったいないな。取り戻そう」と行動することはかえって、神さまへの離反になるのです。だから、25節を平たく理解するならば、「感情で神さまに従うな」です。神さまはそんな私たちをよく知っておられます。27節で「神さまは私たちの腹の奥底までご存知」と語ります。
  そんな私たちに対して賢者が諭すのは24節「人の一歩一歩を定めるのは主である」です。神さまの導きを感謝して、大事に受け止め、自分の思惑や願望と違う時にも神さまに従うように諭すのです。何故なら、神さまの導きこそが最善なのですから。
祈り:神さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばもとても深く考えさせられます。あなたは、浮き沈みしがちで安直に自分の願望や思惑に走る私たちの心をよくご存じです。賢者は先ず、私たちにそんな自分自身をしっかりと認めた上で、最善をお与えくださる神さまに従いなさいと促します。神さま、あなたの御心は私たちには測りがたく、時には、あなたに委ねて従うよりも自分の決断の方が正しく、安全であると結論付けてしまいます。でも神さま、最善はあなたにこそあります。どうぞ、私たちの弱さを御存じのあなたですから、悩みながらもあなたに従い得るように、私たちにいつも促しと勇気をお与えください。永遠の導き手なるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

11日(金) 箴言21章1-10節
一言メッセージ:今朝の箴言のみことばもとても興味深いです。9節は旧約聖書学の恩師が「好きなみことばです」と言っていましたが(笑)、ここは「妻」に限定せず、身近な人と思って読んだらいいです。すぐに感情的な争いごとを起こす人の傍にいるよりも、回避して、静かな時間を過ごす方がいい、という意味です。何とも穏やかなみことばですが、今日の始まりに皆さんと分かち合いたいのは2-3節です。私たちは自分たちの判断こそが正しいと思いがちです。特に思慮の浅い者ほど他の意見を受け入れず、自分の正しさばかりを主張します。でも、その人の正しさはその人の価値基準のものであって、事柄の判断の仕方は多様なのです。皆にとって最善の本当の正しさとは神さまにあります。私たちが本当に正しい選択をするには、神さまの御心を模索せねばなりません。賢者はそうやって神さまの御心を模索することを私たちに勧めると同時に、神さまの正義を実践する人は神さまの喜びなのだと語ります。神さまに喜ばれて生きる、なんて素敵な生き方でしょうか。今日私たちは、「今、神さまが喜ばれるのは何かな?」と考えながら歩み始めてみましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちは限られた経験、知識、視野しか無いにもかかわらず、時に自分の判断に酔いしれ、自分こそが正しいのだと考えてしまいます。これまでもそうやって自分の正しさを主張した挙句、どれほど失敗を繰り返してきたかと思い起こします。神さま、本当の正しさとはあなたに中にあります。どうか私たちがあなたの御心を模索しながら生きる者であれますように。今日も、あなたの正義と平和を行う者とならせてください。一日の始まりに救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

12日(土) 箴言21章11-20節
一言メッセージ:昨日に続き、19節は「いさかい好きで怒りっぽい妻というよりは荒れ野に座っている方がよい」とあります。ここも「妻」に限定せず、身近な人と捉えましょう。そうすると、短気なクレーマーといるよりも、静寂の荒れ野にいる方が良いとなります。これも真理ですね。
  さて、今朝のみことばの中で大事にしたいのは15節です。神さまの裁きがテーマになります。「裁きを行うことは、神に従う人には喜び、悪を行う者には滅び。」同じ裁きのはずなのに、神に従う人と従わぬ人では受け取り方が違うというのです。その違いは何か。それは端的に言って、神さまに従う人は「この裁き(叱責)は私の間違いを正して、もう一度やり直させてくれるヒントなんだ」、「わたしには次があるんだ」と思えるのです。それは、神さまが私たちを愛し、生かしてくださるお方との大前提を知っているからです。一方、神さまに従わない人にとっては「裁き(叱責)は自分を叱り飛ばし、排除するためのもの」としか受け取れません。そういう人の特徴は「私が悪いわけじゃない。あいつが悪いんだ」と他人の責任にしてしまい、自分を正すことをしません。だから、いつまで経っても同じ過ちを繰り返してしまい、終いには周囲に見放されてしまうのです。私たちは神さまを知り、いつでもやり直せる人生を歩み続けたいものです。今朝は土曜日、一週間を振り返ってみましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに自分を振り返ることの大事さと、信仰に立ち、過ちを正しさやり直すことの恵みを思い出させてくださいました。神さま、あなたは私たちを愛してくださるが故に、時に過ちを正してくださいます。どうか今週、分かっていて犯した過ちだけでなく、認識せずに犯した過ちがあれば、どうぞ悟らせ、やり直すためのヒントとさせてください。明日の日曜日、礼拝で慰めと勇気をいただき、月曜日から今一度やり直すことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

***




アドヴェントが始まります!(11月29日~12月5日のみことば) - 2020.11.27 Fri

先日の日曜日は、次週(11月29日)から始まるアドヴェントに向けてクリスマスの飾りつけなどの準備をしました。
3_2020advent.jpg
こちらは受付班。「あれ?この布だっけ?去年どうしてた??」全員記憶があやふやです(笑)
あ、右側のツリーは献品していただいたおニューのツリーです!!

飾りつけとは別に、付設幼児園のキャンドルサービスのために会堂窓に暗幕も。
だけど、私たちの会堂の窓はとにかく縦長!!
一番高いところは椅子に脚立を載せて設置するほど。
1_2020advent.jpg
写真は二番目に高いところ。
道具を駆使して…がんばれ!!

2_2020advent.jpg
ちなみに設置しているのは牧師です(笑)


今年はクリスマスも例年のように大々的に参加のお声がけがしにくいですが、こんな時だからこそ、クリスマスの喜びを一人でも多くの方と分かち合いたいとも思っています。
クリスマスのイヴの礼拝もライブ配信する予定ですから、どうぞ教会に来れなくとも、インターネットを問うして共に礼拝に参加してくださいね。
今週も皆さんの上に神さまの祝福がありますように!!

***今週のみことば***

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11月29日(日) 箴言17章1-7節
一言メッセージ: 今週は箴言17章から始まります。最近読んでいる箴言は、ほとんどが節ごとに独立した格言です。だから、人によって目に留まる節は違うことでしょう。今朝、私の目に留まったのは3節「銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主」です。金や銀は高温で熱し、不純物を除外して鋳造します。同じように、私たちの心を鍛え、信仰の純度を高めていかれるのは主なる神さまだと言うのです。鍛えるための出来事が1、2、4、5節なのかもしれません。例えば1節、誰の目にもカサカサのパン一片より、いけにえの肉の塊の方が価値あるものでしょうが、けれど価値ある肉を得るために大事な家族と争うよりも(いけにえの肉の一部は、肉を献じた家族に返され、家族で食べるものだった)、神さまの平安をいただき、互いに分かち合えるパンの一片の方が幸せだと賢者が告げたことも、そんな訓練の一つなのでしょう。
神さまに従うこと、それは一見すると無価値なものに見えるかもしれません。けれど、神さまを信じ従うことは、未来が見えない私たちにとって、明確に未来への期待を与える約束なのです。
今朝は日曜日。疲れているから家で寝ていた方がいいかも…ではなく、どうぞ一緒に礼拝しましょう。今日からアドベント、イエスさまの誕生を待ち望む期間ですよ。一緒に救い主誕生をワクワクしながら待ち始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに神さまの訓練を思い起こさせます。あなたは時に私たちを鍛えられます。それは、私たちの信仰の純度を上げるためでしょう。確かに今、コロナ禍の中で私たちは日頃になく、あなたへの信仰がどれほど祝福かを実体験しています。神さま、ぜひ私たちがコロナ禍で転んで終いにならず、あなたへの信仰をより固く確信することになりますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

30日(月) 箴言17章8-15節
一言メッセージ:今朝の箇所もなかなかに面白いみことばが並びます。そんな中、「あれ?どういう意味?」と読み直してしまうのが8節です。「賄賂は贈り主にとって美しい宝石。贈ればどこであろうと成功する。」これ、「賄賂」と書かれるから誤解が生じるのです。「賄賂」と聞くと、越後屋が悪代官に最中に忍ばせた小判を贈り、「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえ、お代官さまほどでは」「へっへっへ」みたいなやり取りを想像するのですが、この「賄賂」というヘブライ語の別訳は「贈り物」です。箴言18.16なども参照に成りますが、「贈り物」と読み替えますと、「贈り物は美しい宝石のようだ。贈れば、受け取り手は喜び、あなたを格別に覚えてくれるだろう」です。この「格別に覚えてくれる」の意味合いが強くなって、見返りを求めるニュアンスが出てくるから「賄賂」との訳も出てくるのですが、私たちは「贈り物」と読みましょう。
  さて、今、私たちが思い起こしたい「贈り物」は救い主イエスさまです。神さまは私たちに素晴らしい贈り物として救い主イエスさまを贈ってくださいました。それも、私たちがその贈り物を本当に身近に覚えられるように、神さまは民のただ中にイエスさまを贈ってくださったのです。それが家畜小屋の飼い葉おけに寝かされた赤ん坊です。今、私たちは神さまからこれほどまでに覚えられ、救い主イエスさまが与えられていることをぜひ強く思い起こしましょう。私たちは今も神さまの眼差しと、イエスさまの伴いをいただいて生かされているのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は難解ですが、でも私たちのイメージを大きく膨らませてくれました。あなたが私たちに与えてくださった救い主イエスさまは、私たちにとって何者にも代えがたい素晴らしい祝福でした。でも神さま、この贈り物を今も知り得ず、どこに人生の希望があるのかと模索する人々が多々おられます。特にコロナ禍の今、そのような方々が溢れています。神さま、どうか今年のアドベントが、そのような方々に救い主イエスさまをお伝えする機会となりますように。私たちに言葉と勇気を与え、伝道させてくださいますように。御子イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

12月1日(火) 箴言17章16-22節
一言メッセージ:今朝のみことばも面白い。16節は賢者の痛烈な皮肉です。「愚か者が知恵を得るための代金を手にしている。しかし、知恵を得ようにも、そのために知恵がない。」落語みたいです。
  そんな箇所の中で今朝、目に留めたいのは22節です。ニュアンスを強調して訳しますと、「身体は喜びや希望を抱いていると元気が出るが、沈み込んでいると骨さえも枯れ果てたように、弱ってしまう。」諺に「病は気から」とありますが、聖書も同じように、心と身体の関係を語っているのです。その上でさらに覚えたいのは、私たちの喜びや希望の源について、です。一般の人にとっての喜びや希望は「あれが達成した」とか「これを手に入れた」など何らかの具体的な好条件が根拠となって喜びや希望を感じるでしょう。けれど、私たちクリスチャンの最も大きな喜び、希望の根拠は「神さまがおられ、イエスさまがおられる」です。私たち自身に何も喜べる材料が無かったとしても、「でも神さまがおられるっちゃもん、大丈夫ばい」「今しんどくても、イエスさまがちゃ~んと導いてくださるたい。今だけ頑張りゃ、次は祝福があると」と期待できる。それがクリスチャンに与えられている大きな恵みですし、特権です。今日も喜びと希望の根拠である神さまに「神さま、今日もひとつよろしくです」と祈って始めて参りましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに私たちは、あなたがいてくださること、イエスさまが救い主であることが、私たちにとってどれほど大きな喜びであり、希望かを確認しました。今、私たちはクリスマスに向けて、救い主イエスさまの誕生を待ち望むアドベントの時を過ごしています。どうぞこの期間、普段以上にあなたに思いを馳せ、ワクワクしながら過ごすことができますように。今日もどうぞひとつ、よろしくお願いします。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

2日(水) 箴言17章23-28節
一言メッセージ:今朝、目に留まる御言葉は24節です。「分別のある人は顔を知恵に向け、愚か者は目を地の果てに向ける。」平たく言いますと、「分別ある人は神さまを向き、神さまの知恵を求めて生きるが、愚か者は見当違いに明後日の方を見ている」です。これ、とても大事なことなのです。
  私たちは腹が痛い時には内科に行きます。怪我をしたら怪我に行きます。歯が痛ければ歯科に行くし、ぎっくり腰になったら整形外科に行きます。腹が痛い時に眼科に行く人はいないし、歯が痛いのに皮膚科に行く人はいない。私たちは患部に応じて、誰に見せたらいいか、誰の助言を得ればいいのか、考えて行動します。では、祝福に満ちた人生を生きるには誰に聴けばいいのでしょうか?自分で未来が見通せない時に私たちの未来を知り、導いてくださるお方に聴くのが最善です。それが神さまです。箴言の賢者は「分別ある人は顔を神さまの知恵に向ける」と語りました。それは時代を超え、今を生きる私たちに対しての示唆でもあるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。昨日から12月に入りました。世間でもクリスマスムード一色になってきましたが、神さま、どうぞ今、クリスマスの希望が一体なんであるか、なぜ祝いなのかを改めて思い起こさせてください。そしてどうぞ、救い主イエスさまの誕生を自分たちだけでなく、多くの方と共に分かち合させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

3日(木) 箴言18章1-12節
一言メッセージ:今朝の箇所では、神さまに従う人と神さまから離反する人が対比されています。その中で目が留まる言葉は2つあります。1つは3節「神に逆らうことは侮りが伴う」ということ、もう1つは11節「財産は金持ちの砦」という言葉です。これを関連付けて読むと、神さまに逆らう人は財産などのように、自分にとって非常に価値あると思う根拠があるからであり、その根拠ゆえに神さまを侮るのです。このことは、信仰の利点にも繋がります。神さまを信じる私たちは、自分が絶対ではないと知っていますから、普段から驕り高ぶることを自制しようとする。自分の思惑や願望に引っ張られるよりも、「神さまの御心は何だろう?神さまは今、私に何を示しておられるだろう?」と問うことは、私たちを侮りや驕りから遠ざけようとする作用があるのです。
  今朝のみことばの終わり、12節で賢者は言います。「破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。」私たちは驕って大失敗するのでなく、神さまに、そして人に謙遜に生きていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は私たちに自制を思い起こさせてくださいました。人は驕り高ぶり、あなたを侮る時、大失敗をしでかします。そりゃ、私たちも失敗を繰り返しますが、でも、あなたに誠実である時、「おぉ、やばいやばい」と事前に気づかされますし、やり直せる程度の失敗に留まることができます。神さま、どうか私たちが今日も驕ることなく、あなたに誠実に向き合って生きることができますように。神の子でありながら私たちの傍らに生まれてくださった救い主イエスさまの謙遜な姿を思い起こしながら祈ります。アーメン。

4日(金) 箴言18章13-24節
一言メッセージ:昨日の「驕り」と同時に私たちが注意深くあらねばならないのは、思慮深さです。私たちの周囲で度々目にすることは、例えば17節です。最初に自分の正しさを訴えて、被害者として自己主張する人は、初めは同情を集めます。けれど、次に訴えられた側の主張を聞いた際に、「あれ?思っていたのと状況が違わない?」と思うことは多々起こります。何故ならば、最初に自己主張する人は自分の被害を訴えるけれど、自分の加害など都合の悪いことは言わず、自分の味方を得ようとするからです。その結果は、当初の願いとは逆に、最初に主張した人ほど悪い印象を持たれてしまう。また、13節のように、過ちを指摘されても感情的な口答えに終始する人は、周囲から呆れられるものです。また19節などは「本当に信頼したのに一度こっぴどく欺かれたならば、信頼していた者ほど近寄りがたく、断固たる態度を取られる」とも語ります。今朝の言葉は「うわー、あるある、そういうこと」と思えるケースを示しながら、誠実な言動に努めることを勧めてくるのです。今朝は言葉について考えました。最後に読みたいのは21節です。意訳しますと、「死も生も舌の力(ことば)に左右される。だから、ことばを大事に使う者は信頼と祝福を得る」です。賢者の勧めのように、大事にことばを語る一日としましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「こういうことあるなぁ」と思わされる例が幾つも示されました。神さま、私たちに与えられた言動は賜物です。誠実な言葉と行いは周囲の信頼を勝ち取り、一方でその場しのぎに語る言葉や、我が身可愛さの行動は信用ならぬ者との認識を持たせてしまいます。神さま、どうぞ私たちに、言動を律する力をお与えください。いつもあなたを身近に感じ、あなたの御心を想って語り、行動する自分たちであれますように。祝福と導き手なるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

5日(土) 箴言19章1-3節
一言メッセージ:今朝は短い箇所を選びました。というのも、この箇所はとても重要な示唆だからです。1節で賢者は「貧しくとも、神さまに正しい道を歩む者は、以下の人々よりも遥かに幸い」と語ります。「以下の人々」とは「唇の曲がった愚か者(嘘を常用する者)」であり、「自分を知らぬ者(2節前半)」であり、「焦りすぎて視野狭く、大失敗をやらかす者」であり、「無知」のために取り返しのつかない事態に陥っているのに、「主に対して心に憤りを持つ者(「物事がうまくいかないのは神さまが自分を祝福しないせいだ」と神さまに責任転嫁する者)」です。私は現代の社会のように、何かというと「自己責任」という言葉が弱い人を切り捨てる風潮には大反対ですが、その一方で自分の非を認めず、周囲の責任にして自分を顧みないこともまた間違っていると思うのです。
  信仰は時に私たちを甘やかすこともあります。宗教改革者の一人にフランスのジャン・カルヴァンという人がいました。彼は予定論と呼ばれる理解を主張しました。それは「救われる人は既に神さまに決定され、予定されている」という主張でした。これは当時のローマカトリック教会の腐敗に対する痛烈な批判でした。当時のローマカトリック教会は甚大な資金不足のため、「このお札を持っていたら神さまに救われる」という免罪符を販売していました。神さまの救いを金銭で得られるものだとしたのです(使徒言行録8章のペトロの怒りをなんと思っていたのでしょうか)。カルヴァンはそんなカトリック教会への批判として「救いは神さまの御心による決定であって、人間が勝手に売り買いできる事柄ではない!」と主張した、それが予定論でした。けれど、それから数十年後、カルヴァンの死後に彼の弟子の中には「既に神さまによって救いが約束されていて、自分たちは救われているのだったら、今から罪を犯したって問題ないじゃないか」と主張し、好き勝手な行いをする人たちが出てきてしまったのです。信仰が悪用された例です。
  そう思い起こしながら今朝の箇所を改めて読んでみましょう。嘘をつき、己を知らず、思慮に足らず、とりかえしのつかない事態に陥っていて、そのくせ神さまに憤り、「神さまはどうして自分に有利に働いてくださらないのだ」と騒ぐ者ではなく、貧しくとも神さまに正しく歩む者でありたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は信仰が時に私たちをダメにすること、信仰が自分を甘やかす言い訳にされることの危惧を分かち合いました。人は弱いですから、自分に都合よくみことばを捻じ曲げる誘惑にかられます。けれど神さま、どうぞ私たちの都合であなたを用いるのでなく、あなたに御心に誠実に従う私たちであらせてください。どうぞ私たちの思惑でなく、あなたの御心で私たちを導いてください。心から祈ります。アーメン。


***




11月22日~28日のみことば - 2020.11.21 Sat

11月も下旬に差し掛かっているというのに温かい日が続いています。
来週からはまた少しづつ気温ががっていくようで、身体がついていかないですね(>_<)
寒暖の差で免疫力が下がらないように、気を付けつつ毎日を過ごしたいと思います。
健康には身体の健康はもとより、心・魂の健康も大切。
今週のみことばが皆さんの心と魂の健康のお供となりますように!


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11月22日(日) 箴言15章13-19節
一言メッセージ:今朝の箇所を読む中で、ふと問いが起こってきます。それは「豊かな人生とは何か?」です。そして、その答えは「過度に持ちすぎず、過度に不足せず。神さまを信じて歩み、イエスさまに伴われている実感を持ち、周囲と共に生きること」じゃないかと思うのです。
  牧師になる前ですから、もう15年以上前でしょう。韓国人の友人から韓国の大企業サムスンの創業者一族の話を聞いたことがあります。彼らの持つ財産は莫大で、何世代にもわたって、悠々自適な生活ができるほどの財産があるそうです。では彼らは幸せかと言えば、そうは見えないのだそうです。家族の中で権力争いと、倫理的な事件が多いのだということでした。友人は言いました、「財産を持っていることが必ずしも豊かな人生ではないことを資産家が示しているんだよ」と。
  彼の話を聞いてから15年が経ちますが、彼の言葉はますます重みをもって響いてきます。現在の社会ではますます「金だけ、今だけ、自分だけ」の風潮が強まり、格差は広がっています。もちろん、食べることができないとか、住むところがないという状況では、不安や憤りによって人は心身ともに殺伐としてくるでしょう。だから、「文化的な最低限度の生活(憲法)」は絶対に必要ですが、でも、食べるに不足しないほどの生活が確保されているならば、人生の豊かさとは人との比較で決まるものではないことを多くの人が気づくようになるでしょう。その時、私たちが見出すのは、自分たちを深く愛してくださる神さまの存在であり、いかなる苦境にあっても伴ってくださるイエスさまであり、そして信頼し、共に生きる人々の存在なのです。だから最初に戻ります。私は「過度に持ちすぎず、過度に不足せず、神さまを信じて歩み、イエスさまに伴われている実感を持ち、周囲と共に生きること」に豊かさを見出すのです。今日は日曜日、神さまとイエスさまと、兄弟姉妹たちと共に礼拝に集いましょうね。10:30にお待ちしています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは人生の豊かさについて考えました。賢者の言葉は「過度に持たず、過度に不足せず、神さまを信じ、イエスさまに伴われ、周囲と共に生きる」ことを示します。神さま、どうぞ私たちが、社会が煽る価値観に翻弄されず、誠実にあなたと向き合って生きる者であれますように。今日も多くの兄弟姉妹と共に礼拝を守ることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(月・休) 箴言15章20-27節
一言メッセージ:今朝の箇所の中で、私は2つのみことばに目が留まります。1つは21節「意志の弱い者には無知が喜びとなる。英知ある人は歩みを正す」です。アメリカ大統領選挙で敗北したトランプさんが、まだ大統領として威勢よく差別発言を口走っていた頃に、彼への批判としてよく耳にした言葉に「反知性主義」と「ポスト真実」という言葉がありました。「反知性主義」とは知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる理解です。「ポスト真実」は客観的事実よりも個人的信条や感情が優先される傾向でした。この2つが結びついていたのがトランプ大統領であり、安倍政権でした。どちらも、自分たちの個人的信条を優先し、客観的事実や社会の現状を捻じ曲げ、人々の感情的なうっ憤を煽って対立を生じさせ、そのどさくさで自分の我がままを政治で実現してきました。残念なことに、心に余裕を無くした民衆は感情に突っ走り、多様な意見を自分を否定するクレームとしか理解せず、考えることを放棄して、感情を煽る政治家に乗っかってしまいました。彼らは箴言が語るように、「無知を喜びとし」、歩みを正すことを拒否しました。その結果が今の世界です。時代は変われど、箴言の言葉がどれほど的確かを今、私たちは確認します。
  そんな時代の反省と共に、もう1つ目に留まるのは24節です。「目覚めている人には上への道があり、下の陰府を避けさせる。」正しく神さまに目を向けている人には、この状況から這い上がり、滅亡を回避する道が備えられているのです。
  今日はお休みの日ですね。英知を持って明日から歩み出せるように、頭と心と身体としっかりリフレッシュする一日にしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちの生き方のとても具体的な示唆でした。私たちは頭と心と体力と余裕を無くした時、周囲の指摘に対して、客観的な判断よりも自分たちの感情的・心情的な反発に走ってしまいます。その結果、私たちはどれほど失敗を繰り返してきたことでしょう。今朝のみことばにて賢者は、「英知ある人は歩みを正し、目覚めている人には上(神さま)への道が備えられる」と語りました。神さま、どうぞ私たちが日々、あなたに誠実に向き合い、自分をも客観的に見定めることができますように。様々な課題の中にあって、平安と整えと導きを与えてくださるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

24日(火) 箴言15章28-33節
一言メッセージ:連休も終わり、今日から今週の仕事が始まる人も多いでしょう。その仕事はじめに、今朝のみことばはとても適格です。先ず目に留まるのは28節です。「神に従う心は思いめぐらして応答し、神に逆らう口は災いを吐く(失敗を生じさせる)。」賢者は「神さまに従う心は、物事について思いつくままに反応するのでなく、考えを巡らして応答する」と語りました。これ、当たり前のようですが、とても重要な事です。私たちの失敗の最たるものは、熟慮せず、感情的に行動することによって生じます。特にやらかしてしまうのは、人から諭されたり、懲らしめを受ける(批判を受ける)時です。そういう時ほど、私たちは冷静に受け止めるのでなく、感情的な反発が出てしまいます。箴言の賢者はそんな私たちに告げます。31-32節「命を与える懲らしめ(批判)に聴き従う耳は知恵ある人の中に宿る。諭しをなおざりにする者は魂(命)を無視する者。懲らしめに聴き従う人は心(信頼)を得る。」そして、そんな、きちんと批判を受け止め、自分を正せるのは、33節「主を畏れる」ことから始まるのです。今週の仕事はじめ、私たちは神さまを畏れ、周囲の指摘には冷静に耳を傾けて歩み出したいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。最近の箴言のみことばは、私たちの弱い所を的確に指摘してくれます。私たちは過ちを指摘されると、熟慮せずに感情的に反発を生じさせがちです。でも、賢者は「正しい批判に耳を傾けよ、熟慮して応答せよ」と告げます。神さま、どうぞ今朝のみことばを日々、忘れずに過ごさせてください。感情的になりそうな時ほど、あなたへの畏敬によって冷静さを保てますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

25日(水) 箴言16章1-6節
一言メッセージ:今朝の1節は分かりにくいのですが、とても大事な指摘をしています。1節を他の訳で読みますと「人は心の備えをするが、舌の答え(ことば)は神から来る」です。「人は心の奥底にある思いを取り繕って話そうとするが、ふとした際に隠していた本心がことばになって出てきてしまう」というのです。それは2節にも繋がります。2節「人が取り繕って自分を清く見せようとしても、神さまはその心の奥底までちゃんとご存知だからだ。」だから3節「あなたの言動を神様に委ねなさい。その時、神さまはあなたを整え、堅実に生きられるようにしてくださる」です。
  人間は弱いなぁと思います。何か問題が起こり、周囲に自分の窮状を訴える時、私たちは自分がどれだけ傷つけられたかは盛大に語るのに、自分が傷つけたこと、自分にとって不都合なことは隠し、割り引いて話しがちです。そうやって、周囲を誤魔化し、自分の味方を作ろうとしても、神さまには全てがちゃんと見えているのです。そして、必ず誤魔化しはボロがでてしまう。
  だから賢者は、自分の弱さをも神さまに委ね、神さまの御心を模索して生きることを勧めます。弱さを含めて全てを受け止め、整え、導いてくださる神さまに従って生きることが最善なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばも、私たちが隠していた本音をグイッと指摘します。神さま、あなたの前に私たちは隠し事などできません。あなたは全てを御存じで、私たちの本音をも引き出されます。だから賢者は、神さまに信じ、委ねて生きることを勧めてくれました。神さま、どうか私たちがあなたに誠実に従い、人々に対して御心のままに生きる者であれますように。救い主イエスさまにお委ねして祈ります。アーメン。

26日(木) 箴言16章7-15節
一言メッセージ:今朝の10節以下は「王」の格言です。「王は神さまの代務者として働く」という理想に基づいた格言です。ただ、今日皆さんと分かち合いたいのは主に7節と9節なので、王の格言は省略させてもらいます。
  先ずは9節。分かりやすく解説しますと、「人は自分で『こうやって、こうやって、こうしよう』と計画をする。けれど、実際にその一歩一歩を備えてくださるのは神さまである」です。だからこそ、神さまを蔑ろにした計画は頓挫すると賢者は語ります。一方、神さまの御心に基づいて生きる時は7節。「主に喜ばれる道を歩む人を、主は敵と和解させてくださる。」なんと大胆で想像を超える御業か。神さまは私たちが敵対する人との和解へと導いてくださるのです。自分たちの力では乗り越え難い敵意や、相手への無理解。「あいつはこう思っているに違いない」と悪い想像をして、敵意ばかりが募る私たちなのに、神さまはそんな敵対する人と友達になるように導いてくださるというのです。神さまの御業はどう実現されるか、本当に不思議としか言えないのです。
  私は小学生の頃までは「将来、牧師になりたい」と言っていました。しかし、中高生くらいから、牧師の過酷さが目に留まり、大学進学を考える頃以降、「牧師にだけは絶対になりたくない」と考えました。そんな僕が神学校に進むことになったのは、就職活動中の挫折でした。活動中に、「自分は教会で生まれ育ち、聖書や教会のことは知っていたはず。なのに、何もわかっていなかった」と突き付けられる経験をしたのです。それで、「牧師にはなりたくないが、もう一度、聖書のことを知りたい」と思い、神学部に進んだのです。入学後も紆余曲折がありました。短く書くことができないほどに苦しい経験もしました。けれど不思議なことに、そんな経験を通して、私は「自分は牧師となるべく神さまに召された」との確信を強めていったのです。神さまの導きは不思議です。私たちでは「あり得ない」と結論付けていた事柄すら、御心の前にはひっくり返っていく。今朝のみことばの9節は私自身の経験でもあります。だから私は今、今度は7節のみことばに期待します。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。神さま、私たちはあなたの導きの中で生かされています。けれど、私たちは時にあなたの導きを忘れ、自分たちの計画や都合を優先して、先々を計画します。神さま、あなたの目に私たちの計画が義とされないならば、どうぞ大胆に私たちの人生を修正してください。あなたの御心が実現されることこそが、私たちにとっても最善です。どうか、私たちでは想像もできなかった御業を体験させてください。あなたの導きに期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

27日(金) 箴言16章16-25節
一言メッセージ:今朝私は16節と25節に目が留まります。知恵や分別は一見しても形を持ちませんから、多くの人には存在しないかのように見えます。けれど、そういった形の無いものが本当に大事なものなのだと思うのです。
  以前、ある葬儀に参加した際、びっくりしたことがありました。遺族の方々が葬儀の合間に話していたのは「どこそこの株で幾ら儲けた」とか、「あそこの土地は今なら幾らで売れる」といった話題でした。きっと、それらは、その方々にとっては未来を保証してくれる頼みどころなのでしょう。でも、身内が亡くなり、命について考える時に、彼らの関心が財産のことというのに寂しさを感じました。申し訳ないですが、その方々が亡くなる時、財産は何一つ持っていくことができないし、その財産によって救われることも一切無いのに。25節が語るように、自分の想定では真っすぐな人生でも、命の主は神さまに他ならないのです。
  箴言の賢者は「知恵、分別を持ち、主に依り頼んで生きよ」と告げます。多額の財産を持ちながらも先が見えずに生きることと、祝福に満ちた人生を歩ませてくださる方を身近に感じる知恵と分別に生きること。どちらが幸いか、改めて考えさせられます。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。今朝は、知恵と分別を持って生きる者でありたいと願わされます。私たちの社会が価値と見なす財産は、私たちが生涯を終える時には何の力も持ちません。せいぜい、葬儀を盛大にする程度です。でも神さま、私たちは死の先についても祝福をいただきたいと願います。どうか、命の主であるあなたに依り頼み、知恵と分別をいただいて生きることができますように。復活の主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

28日(土) 箴言16章26-33節
一言メッセージ:今朝は31節「白髪は輝く冠、神に従う道に見出される」という言葉が目に留まります。古代社会において、人の寿命は短く、戦闘や搾取によって亡くなる人たちは非常に多かったと言われます。だから老齢に至る人は神さまの祝福をいただいた特別な人と考えられました。そして、畏敬の念で見られる人々でした。
  日曜日の夜、我が家が楽しみに見ている番組に「鉄腕ダッシュ」という番組があります。TOKIOというグループが何年もかけて農業や漁業、無人島開拓など、様々な企画に取り組む番組です。先週の放送は稲刈りでした。毎年、福島で米作りをする彼らですが、今年は春先にコロナ拡大のため県跨ぎの移動ができず、20年の米作りの中、初めて東京で米作りをすることとなりました。畑を水田に作り変え、メンバーの自宅で発芽からはじめ、田植え、手入れ、収穫となったのですが、放送では収穫した米を例年、一緒に米作りをする福島の年輩の方々にも送り、東京と福島でそれぞれに同じ米を焚き、中継を繋いで一緒に食べていました。TOKIOのメンバーが東京から尋ねるのです、「今年の米はどうです?」福島の方々が「甘みも粘りもある良い米だ。畑から田んぼに変えた年で、あんなに暑くって、それでもこんだけできたら上等だ。ようやったよ」と口々に言う。それを聞いたメンバーが「あの人たちに褒められると本当に嬉しいよなぁ」と喜んでいました。
  その光景を見ながら「良いなぁ」と思ったのです。手取り足取り米作りを教え、失敗を繰り返しながらも決して見捨てず、精いっぱいの努力を理解した上で、「ようやった」と声をかける年輩の方々と、その言葉の背後にある年月を思い起こしながら励まされる若手。そこには、正しい世代間の関係を見る思いでした。
  今はコロナ禍真っただ中。日に日に感染者数が増えて、誰もが不安になっています。そんな時だからこそ余計に、互いを思いやり、理解し合い、励まし合う、そんな関係が必要なのですね。箴言の賢者は、ならず者の暴言、陰口、不法を行う者の言動を警告しながら、神に従うことを勧めるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は正しい世代間の関係を想わされました。現代社会は変化が激しく、時に世代間で互いを理解し合おうとせず、それぞれの価値感で相手を裁こうとする傾向が強く見られます。けれど神さま、賢者は互いを理解し合い、共に支え合って生きることを促します。どうぞ今、久留米教会をそのような教会へとより成長させてください。ここに集う人々が互いを思いやり、理解し合い、支え合う群れであれますように。また、新たに加わる方々をどうぞ一人、また一人と増し加えてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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