4月23日~4月29日のみことば - 2023.04.22 Sat
4月も後半、先日は夏日になったりといよいよアクティブな季節になってきましたね。
とはいえ、まだまだ朝晩はひんやりする季節。
お互いに、体を大事にしながら過ごしましょう(^^)
今週も毎日のみことばをどうぞ!!
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23日(日) エレミヤ書42章7-22節
一言メッセージ:ヨハナンたちに依頼されて、エレミヤは10日間祈り続け、神さまの託宣を受け取ります。それは、つい数か月前にエルサレムを陥落させたバビロンに対して、ヨハナンたちが恐れていること(11節)を知ったうえで、それでも「バビロンを恐れず、イスラエルに留まれ」との託宣でした。非常に驚くのは10節で神さまが「わたしはあなたたちにくだした災いを悔いている」と語ったことです。「悔いる」は「やり過ぎたと後悔する、反省する」という言葉に読めますが、もう少し意味は広く、神さまは「(エルサレムの苦境を見て一緒になって)心痛めてきた」です。だからこそ余計に、バビロン王ネブカドネツァルが来ても、民に憐みを示し、害をなすことはない、と約束したのです。19節以下、エレミヤはヨハナンや残った民に告げます。「ユダの残った人々よ、致命的な誤りを犯してはならない。あなたたちは『我々のために、我々の神である主に祈ってください。我々の神である主が語られることを全てそのとおりにします』と言ったであろう」と励まし、逆にエジプトに逃げることがかえって災難に陥ることを告げたのでした。この箇所は私たちにとっても身に覚えのある選択です。自分の想像する不安に怯えてしり込みするか、神さまを信じて不安を乗り越えて一歩踏み出すか、です。私たちは他人のことならば「神さまを信じらんね」と言えるのに、自分の事となると「こうなったらどうしよう、ああなってしまうんじゃないか」と不安が悪い想像を膨らませ、ますますネガティブになってしまう。でも冷静になって思い起こしましょう。不安は私たちの想像です。一方、神さまの示唆は未来をちゃんと知った上での約束です。不確定な不安に捉われるか、確かな約束に立つか。あとは私たちの信仰の問題だけです。エレミヤは私たちを励まします。しんどい時こそ、神さまへの信頼を強く意識しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。エレミヤの告げた託宣は「不安を乗り越え、神を信頼しなさい」でした。それは、私たちも何度も経験してきた決断です。神さま、どうか私たちを、自分の悪い想像に落ち入らせず、あなたへの信頼に立つ信仰をお与えください。一度信じて従えば、必ず次はもっとあなたへの信頼を増すことができるでしょう。どうか先ず、決断をさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
24日(月) エレミヤ書43章1-7節
一言メッセージ:エレミヤの託宣を聞いたヨハナンたちは残念ながらこう語りました。2節「あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしていない。主は。『エジプトに行って寄留してはならない』と言ってはおられない。」そして彼らはイスラエルに残っていた民を集め、エジプトへと逃亡しました。6節を見ると、エレミヤと書記バラクも一緒に連れ去られています。なぜか。エレミヤを「偽預言者」と断じるならば、捨て置けばよかったはず。しかしエレミヤたちも連れていった。それは、彼らが「エレミヤは神が遣わした預言者」と、ちゃんと知っていたからです。知ったうえで神の御心を尋ねたが、託宣は自分の願望と違った。彼らはバビロンへの恐れを払しょくできないが、でも、エレミヤを捨て置くことで、自分たちに神の怒りが実現することも怖い。だから、神さまの怒りを回避する保険としてエレミヤたちも連行したのでしょう。さて、ここで疑問が起こる。エレミヤは彼らから逃げることができなかったのか。ヨハナンたちは大軍勢ではない。逃げようと思えば、逃げられたかもしれない。でもエレミヤは彼らに同行します。それは、こういう状況になっても彼らに神の言葉を取り次ぐ必要を思っていたからだし、それだけ神のみことばは人々が正しく生きるために必要だ、と考えていたように思えます。エレミヤ書を読みながら、エレミヤという預言者は、厳しい預言のため民に否定され続けながら、それでも民のために神さまのみことばを取り次ぎ、共に居続けた人物です。彼も生き様を通して、インマヌエル(神は我々と共にいる)を体現していったのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ヨハナンたちは神さまからの託宣を拒否し、エレミヤを「偽預言者」と断じました。でも、半面で自分がバビロンへの恐怖に捉われていることを意識し、怯えていました。エレミヤはそんな人々にそれでも寄り添います。何だか切なくなりますが、神さま、私たちもエレミヤを見ながら、御言葉への信頼と、恐れを超える強さをお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
25日(火) エレミヤ書43章8節-44章30節
一言メッセージ:今朝の箇所は長いのですが、エジプトに連行されたエレミヤが、エジプトに居ついたユダヤ人との間で論争した話です。注目したいのは15-19節の民の反論です。彼らは「天の女王への礼拝や献げ物をしていた頃は裕福であったが、それを止めた途端に災難に苦しみ、国は滅亡した」と主張します。おそらくこれはヨシヤ王の宗教改革を指しています。ヨシヤ王の前はマナセという王が50年ほど王位にあり、この時代は経済的に繁栄し、領土も拡大していました。が、それはアッシリアに従属し、また時に人身御供で幼子の命を奪う風習も行われていました。これを廃し、宗教・政治改革を行ったのがヨシヤ王でしたが、ヨシヤ王がエジプト軍と戦って戦死した後、国はエジプトと(アッシリアを滅ぼした)バビロンとの間で翻弄され、滅亡に至りました。民はそんな歴史を見て、「マナセ王時代、天の女王への礼拝をしていた頃は豊かだった」と主張し、「利益を得ていた時代の信仰に戻ろう」と思ったわけです。エレミヤは彼らに対して、歴史認識の過ちを告げます。エレミヤの認識は10節「主の律法と掟に従って歩まなかったことが国を滅ぼした原因」と語ります。それは主権者なる神さまへの誠実な生き方の欠如でした。この認識は私たちもよく心に留めねばならないことです。多くの日本人は信仰を「ご利益」で考えます。けれど、信仰は「ご利益」の代償ではない。生きるとは様々な労苦とも向き合うが、神さまはそんな労苦の中でも私たちを生かし、希望を与え、導き、救いに至らせてくださる。今日は改めて、信仰や神さまについて考えてみましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。エジプトについたエレミヤはエジプト在住のユダヤ人たちと論争しました。それは「神とはいかなる存在か、私たちの信仰とはいかなる信仰か」でした。神さま、この機会を感謝します。どうか私たち、改めてあなたについて、信仰について考えることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
26日(水) エレミヤ書45章1-5節
一言メッセージ:今朝の箇所はエレミヤの書記として長く共に行動したバルクに対する神さまの預言です。1節「ユダの王ヨシヤの子ヨヤキムの第四年」は紀元前605年にあたりますので、エレミヤとバルクがエジプトに連行される20年も昔の預言です。当時、バルクはエレミヤの書記となることに恐れも抱いていました(3節)。エレミヤと共に行動し、仲間と認識されることで、人々の敵意に晒されたことを恐れたのです。確かに、周囲から敵視されることは辛いことです。でも神さまは4-6節で、「(苦しみはあっても)あなたの命はどこに行っても守られる」と宣言されました。そして20年後、私たちが聖書に見出すのは、バルクは神さまの宣言どおり、苦しみも悲しみも経験しながらも、神さまによって守られ続けてきたという証です。私たちもそうです。それぞれに厳しい、辛い経験も重ねてきたでしょう。でも、その度に私たちは守られ、整えられ、乗り越えてこれた。その背後に神さまの守りがあったのではないでしょうか。人間は辛い経験をすると、目先の事柄に意識が捉われます。辛さの中で未来への希望を見失い、「もうだめだ」と諦めそうになります。でも、その時にこそ神さまを信じ、未来を思い描いてほしい。私たちには未来が見えなくとも、神さまにはちゃんと見えているし、その未来に私たちを導いてくださいます。ヘブライ11.1にこう書かれています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」未来が見えなくとも、神さまを信じれば、不安に対しても踏み出していける。バラクはそう私たちに示します。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。人は未来を見定めることができないから、辛い出来事が起こった時、それが人生の結論、結果かのような視野狭窄を生じさせます。でもあなたは、「災いだ」と叫ぶバルクに未来を示しました。神さま、私たちも不安の中でも祈りと希望をもってあなたに向き合います。どうかあなたを信じ抜く信仰と、確かな未来をお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
27日(木) エレミヤ書46章1-28節
一言メッセージ:46-51章は諸国民への裁きの言葉です。今朝の46章は諸国民の中の雄、エジプトへの滅亡の預言です。2節の「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第四年」は昨日の箇所と同じ年、紀元前605年です。この時、エジプトはバビロンとの対決のためエジプトを発して北上します。途中、イスラエルを通過時に南ユダのヨシヤ王に挑まれますが、エジプトはヨシヤ王を返り討ちにし、北上を続けます。そしてユーフラテス川沿いでバビロン軍と対峙します。この時のエジプトは兵士が溢れかえるようにおり、世界の雄たる自信に満ちていました。しかし、その彼らはバビロン軍に大敗北を喫し、エジプトへと逃げ帰ります(22節)。エジプトはなぜ敗北したのか。エレミヤは端的に語ります。15節「主が彼を追い払われたのだ」。アピス(15節)やアモン(25節)といった神々を有していると思っても、所詮、それらは偶像に過ぎない。目に見える出来事を物事の全てかのように誤解したエジプトの民は、神さまを見誤り、己の自負の中で倒れていくのです。どれだけ強い力も必ず滅びる。だからこそ、私たちは目の前の出来事がどれだけ強大に見えても、神さまの御心をこそ模索していきましょう。「主は生きておられる(18節)」のですから。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。今日からの箇所は諸国民への預言でした。そのはじめにあなたはエジプト滅亡を告げました。きっと、預言時点では誰もその言葉を信じなかったでしょう。でも歴史はあなたの預言が成就したことを示します。神さま、人は目の前の出来事が物事の全てであるかのような思い込みに陥りがちです。でも私たちは目先の事柄に翻弄されず、あなたの御心をこそ模索します。どうぞ、あなたの御心に沿って1つ1つ、私たちをお導きください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
28日(金) エレミヤ書47章1-7節
一言メッセージ:今朝の箇所はイスラエル西側の地中海に面した沿岸部にいたペリシテへの裁きの預言です。ペリシテは紀元前12世紀に住みついた民で、早い時期から鉄器を所有し、士師記やサムエル記では何度もイスラエルを襲ってきた民です。エレミヤ時代にも彼らは3節にあるような軍馬や馬にひかせる戦車を有し、強い力を誇ったようです。しかし彼らもまたバビロンに滅ぼされていく。この箇所も象徴的です。ペリシテもイスラエルにとっては脅威でした。でも、強国バビロンの前には弱小国でしかない。まして、バビロンをも使う神さまの前にはちっぽけな存在に過ぎない。その構図は「私たちの思惑やこだわり、執着は神さまの前に小さなものにすぎない。本当に大事な事柄は神さまの御心にこそある」と示唆しているかのようです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はペリシテへの裁きでした。ペリシテも一時期は強い力を誇り、イスラエルを侵略してきました。しかし、人の力はあなたの前にちっぽけです。私たちの思惑や固執もあなたの前では本当に守るべきものではない、あなたの御心をこそ第一として生きよ、との示唆に感じます。神さま、どうぞ今日も私たち、あなたの御心をこそ模索して過ごせますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
29日(土) エレミヤ書48章1-47章
一言メッセージ:今朝は非常に長い箇所です。モアブへの裁きの言葉です。モアブは死海の東側に位置し、ルツ記のルツの出身地です。ルツはダビデの曾祖母になりますから、イスラエルにとっては縁深い民族です。その近さゆえか、イスラエル民族が異教礼拝の影響を受ける中でモアブの「聖なる高台(35節)」は何度も登場し、神さまや預言者によって厳しく否定されています。「聖なる高台」は人々が土を盛り上げて高台を作り、異教の神々を礼拝した風習ですが、「高くする」ことは神に近づくというイメージを持っていたと思われます(創世記11章のバベルの塔で人々が塔を高くしたことと同じ感覚)。神さまは、自らを神に並ぶかのように驕り、一方で7節のように「自分の業と富に頼る」ことをモアブ滅亡の理由として挙げたのでした。神さまが民を断罪する際の理由には共通して「神の勘違い」があります。己の功績や力、財産は私たちにとって魅力的です。でも、それらは神ではない。ゆえに、私たちはそういったものに翻弄されてはいけません。マタイ6.33でイエスさまが「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生きるに必要なもの)はみな加えて与えられる」と告げたように、私たちを生かす本当の神があってこそ必要は与えられる。順序を間違えないようにして、今日もスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はモアブへの裁きでした。モアブの姿を見ながら、私たちは人の弱さを思います。自分たちの功績や力、財産に心惹かれすぎて、あなたを見失う弱さです。どうぞ私たちは、先ずあなたをこそ信じ、誠実に生きる者であらせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
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