7月31日~8月13日のみことば - 2022.07.30 Sat
7月も終わりを迎えようとしています。
暑さも本番を迎え、熱中症の注意報が出る日もちらほら。
どうぞみなさん、体調第一に過ごしてくださいね。
教会では、感染対策をしながら礼拝を続けていますが、不安な方にはオンラインでの礼拝参加も呼び掛けたりしながら、体と心の健康を保ちながら過ごすようにおすすめしています。
そして、これはコロナ感染症が流行し始めてからずっと私たちが言い続けていることですが、「コロナにかからないのが一番いいけれど、もしもかかってしまってもどうぞ連絡してください。つらい時だからこそ孤独にならないで、祈ってつながりましょう。」と呼びかけています。
現代は、「ご近所付き合い」や「親戚付き合い」そのほか、様々な人間関係でも、あまり深く付き合うことをしなくなってきました。わずらわしさから解放された面もあるかもしれませんが、誰かに頼ったり、頼られたりしながら支え合う機会も減ってしまったのかもしれないなとも思います。
「だれかに迷惑をかけてはいけない」という思いは、人を孤立させていってしまうことも多々あります。だから、教会では「お互いに迷惑をかけない」ではなく「お互いに困ったときはまず祈り合おう、支え合おう」と考えています。
そして、だからこそ、そんな教会の交わりは弱さをさらけ出してもいいほっとできるものなんだなとコロナ下になって改めて感じています。
こんな素敵な交わりに、一人でも多くの方が集ってくださることを願っています。
今週も皆さんの歩みが神さまに守られますように。
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※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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31日(日) イザヤ書11章1-11節
一言メッセージ:今朝は番外編で、イザヤ書11章の「神の国」預言と現行憲法の話をしたいと思います。イザヤ書11章が示す「平和実現」は「子どもたちが争い合わず、兄弟のように育てる未来を作るために、親たちが過去の対立を乗り越えようと努力し始めることであり、その民に寄り添い、彼らの痛みや苦しさを受け止め、共に生きる救い主が与えられ、神の平和のヴィジョンが多くの人に共有されていく」です。私はこのヴィジョンを現時点で最も的確に訴えているのが現在の日本国憲法前文と思っています。憲法前文を、下線部に注目しながら読んでみてください。
日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。
前文を読みますと、憲法の目的は「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起こることのないように」、世界に平和を実現することにあると分かります。そのために憲法は3つの原則を作りました。先ずは「平和主義」です。9条でも記されますが、日本国憲法は武力行使を拒絶し、「平和を愛する諸国民の構成と信義を信頼して」平和であろうと考えました。そして、「平和主義」を守るために、「国民に主権」を与えて、「政府の行為に」よる戦争を回避させようとしたのです。私たちの主権は「戦争をさせないため」に、先の戦争の惨禍を繰り返さないために託されたのです。しかし、私たちは時に権力の前に自分たちを無力と感じてしまいます。そこで憲法は「基本的人権を尊重(「平和を愛する諸国民」や「全世界の国民が欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有する)」することを憲法で定めました。さらに何がすごいって、この憲法は「周辺国は知らんけど、日本人はこうやって生きていきます」という視野狭窄ではなく、「平和を愛する諸国民」「全世界の国民が」と語り、「世界の人々が戦争の無い平和を願っているし、誰もがちゃんと命を喜んで生きることができる権利がある」と定めています。つまり、世界の人々と共に生きることを憲法は願ったのです。私は憲法前文を読みながら、イザヤ書が語る「皆が過去の対立を乗り越えて互いに尊重し合って生きられるように、子どもたちの未来を守るために、今、自分たちが努力を始めよう」という平和実現の方向性と重なって読めるのです。だから、結論としてこう言います。私たちの国の憲法は現時点においても世界で最も先進的な平和実現を目指しており、戦争と暴力の拒絶という、まだ世界が到達し得ていない高い理想を謳っています。それは、イザヤ書が示す平和実現と重なっています。だからこそ私は憲法を守らねばと思うのです。明日から8月、平和を覚える時です。戦後77年目、平和実現を机上の空論にせず、子どもたちの未来のために歩みだしましょう。私たち自身がまず「平和を実現する者(マタイ5.9)」となっていくのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はイザヤ書11章と現行憲法を重ねて読みました。現行憲法はイザヤ書の示す平和実現のために与えられた具体的な力です。改憲を訴える人々もいますが、どうぞ、この憲法の精神を分かち合いながら、この憲法に基づいて平和実現を訴えていくことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
8月1日(月) イザヤ書11章11-16節
一言メッセージ:神さまの平和預言(11.1-10)直後の箇所ですが、11節で「その日が来れば(10節冒頭と同じ)」とあるように、これは1-10節の神の平和が具体的に実現した時に預言でもあります。11節で描かれているのは「御自分の民の残りの者を買い戻される」です。政治的混乱や戦乱、強国による滅亡などによって捕囚となっていた歴史など、これまでイスラエルが経験していた様々な状況によって散り散りにされていたイスラエルの民が帰還してくるというのです。11節の「アッシリア」は北王国を滅ぼしたアッシリアであり、「エジプト、上エジプト、クシュ」はアフリカ大陸の雄エジプト、「エラム、シンアル」はバビロンを、「ハマト」はシリア地方、「海沿いの国々」は地中海沿岸地に逃げ、あるいは捕囚として暮らしていた人々を指し、彼らが皆帰ってくると記します。さらに13節では「エフライムとユダ」が言及されますが、エフライムはかつての北イスラエル王国の中心部族で、ユダは南ユダ王国です。北王国滅亡の決定打となったシリア・エフライム戦争で双方が敵対して戦争しましたが、その対立の歴史も乗り越えられていくのです。14節は「イスラエルが逆に近隣国を侵略している」みたいに見えますが、9.11との関係で見ると、奪われていた土地を取り戻すというニュアンスです。15節はエジプトに、16節はアッシリアに囚われていた人々の帰還の預言です。私たちには土地名や民族的対立と敵対関係はよく分かりませんが、要素だけ抽出するなら、この箇所では「力の支配によって虐げられていた民の権利が回復され、あらゆる敵意が乗り越えられ、皆が本来生きていた場所にて生きられるようになる」との預言です。今日から8月に入ります。神さまのみことばから「平和(シャローム)」を意識し、過去の戦争を思い起こし、現在の世界を見渡し、未来のこどもたちに同じ過ちや悲しみを負わせないために、平和を祈り、行動する時です。その始まりの日、私たちは散らされていた民の帰還と和解、共存が、神さまの平和の姿と分かち合いました。さぁ、これを現実化するため、今わたしたちは、そして世界は何から取り掛かるでしょうか。この8月、共に平和を祈ってまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はあなたの平和の実現がイスラエルの民にとってどんなものであるか、そのみことばを分かち合いました。そこに書かれていたのは、あらゆる民の帰還であり和解であり、共存でした。神さま、世界はまだまだあなたの平和(シャローム)と程遠いです。でも戦後77年の今年、私たちはまたみことばから平和を分かち合い、どう実現できるか、模索してまいります。どうかあなたの平和を実現してください。そのために私たちも参与することができますように。平和の君イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
※明日から11日まで牧師の夏季休暇のため、みことばメールはお休みです。時々、イザヤ書11章1-10節のメールを振り返りながら、平和(シャローム)実現をお祈りください。
12日(金) イザヤ書12章1-6節
一言メッセージ:ご無沙汰していました。夏季休暇を終え、久留米に戻ってきました。今日からみことばメール再開です。さて、再開一発目は神さまの救いへの人々の応答です。イザヤは1節で「あなたは言うであろう」と、神さまの救いを体験した個々人の応答を語り、4節では「あなたたちは」と、今度はイスラエルの民衆の応答を語っています。1-3節では一人ひとりが神さまに「慰められた、救われた」と語ります。ここで注目したいのは、ここでは一人ひとりが神さまの救いを「この社会のこと、国のこと」以前に、「私の事柄」と実感していることです。彼らは自分たちの生活で神さまの救いを変化として感じているのです。その具体例が3節です。この「泉に水が湧き、皆が水を飲める」ということは、乾燥地帯であるイスラエルの民にとって極めて現実的な恵みでした。ちなみに、この光景は小学校の時にフォークダンスで踊った「マイムマイム」のオリジナル描写です。あの曲の歌詞は「マイム、マイム、マイム、マイム、マイム・ベッサッソン」でしたが、ヘブライ語「マイム」は「水」です。私たちはよく分からないままに踊ってましたが、あの曲は「水や、水!水が出た~♪」という喜びの歌です。さて4-6節は民が集団として神さまの救いに応答する箇所です。注目したいことは、彼らは神さまが自分たちに成してくださった事柄を諸国民への証としていることです。それも「私たちはこんなに祝福された。いいだろ?」との自慢でなく、「このちっぽけな自分たちを顧みて、信じられないほどに救ってくださったのは、ただ祝福に満ちた神さまのゆえ」と、神さまを強調しているだけなのです。8月は平和について考える時です。戦後77年、私たちが語り足りていなかったことは「平和の尊さ」だったかもしれません。戦争の悲惨さは様々聞いてきまし。けれど、伝え聞いた言葉はどうしても薄れてしまいます。では、戦後世代にとって語れる言葉は何か。それは、伝え聞いてきた戦争の悲惨さと共に、「今、私たちはそんな悲惨な歴史の上に、平和の一端をいただいている。武器を捨てると憲法に記したからこそ、戦後77年、戦争に巻き込まれずにこれた。でも、この平和はまだ、未完成であること。もっと実感をもって、もっと広げて、それこそ世界に平和を実現していこう」と感謝と夢を語っていくことなのかもしれません。神さまの平和シャローム実現はまだ私たちに託された使命ですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所では、あなたの救いを経験した民が、個々人の生活においてもあなたの救いを実感していたこと、民衆としてはその救いを証しとして全世界に告げようとしていたことを分かち合いました。神さま、戦後77年、私たちもそこに示唆を見出します。戦争の悲惨さと共に、憲法が戦争を拒否したからこそ私たちが享受できた平和の喜びと証を今度は私たちが身近なところから世界へと告げる番なのかと思います。神さま、どうぞ世界にあなたの平和シャロームを実現してください。私たちにその一端を担わせてください。77年目の8月に平和の君イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
13日(土) イザヤ書13章1-22節
一言メッセージ:今朝の箇所はペルシア王キュロスによってバビロンが滅ぼされていく預言です。記述では、バビロンが徹底的に破壊されていく様を描いていますが、史実はまるで違います。バビロンはキュロス王に対して無血降伏したのです。バビロンの最後の王ナボニドスはその悪政により、既に将軍たち、民衆、バビロンの神マルドゥクの祭司たちからも見放されていたようです。一方、キュロス王は支配した地域に対して穏健な統治を行っています。その土地の信仰を認め、政治的自治もある程度を認め、捕囚民は解放して自分たちの故郷に戻ることを認めています。徴税や賦役は軽くはなかったものの、非人道的な無茶な支配は行わなかったため、バビロン側の民衆や祭司たちが無血開城して、バビロンは滅びたのでした。それが2節の「手を振り、貴族の門から入る」との記述です。では、今朝の箇所後半で「神の怒り」として街が破壊され、バビロンの民が殺害される記述は何か。それは、それまでのバビロンの、自らを神かのごとく振る舞う支配に対して、彼らが所詮人間でしかなく、神を自称するおこがましさを示すために、非常に対照的に記した記述のようです。先月の祈祷会ではハバクク書を読みました。ハバクク書1章では、バビロンによる南ユダ王国滅亡時の攻撃の激しさに「ここまでするのか」と嘆く預言者ハバククの呻きが書かれていましたが、2.2-4で神さまは「(私の業は)必ず来る」と語り、王が強い力を誇っても、所詮、人間に過ぎないと記していました。事実その言葉どおりバビロンは、かつての隆盛を知っている者から言えば信じられないような無血降伏で滅びていくのです。今朝のイザヤ13.22で神さまは言います、「今や、都に終わりの時が迫る。その日(神の救いの日)が遅れることは決してない。」今朝は8/13。77年目の配線記念日を前に、私たちは神さまの平和実現を改めて祈らされます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちはバビロン帝国の滅亡の記事を読みました。そこには、甚だ無残な記述が並びます。けれど史実は、バビロンの無血降伏でした。預言者はその滅亡に、神さまの御業を見たことでしょう。神さま、今、私たちの国は77年目の敗戦記念日を控えています。そして、私たちは戦争の惨禍を繰り返さぬべく作られた憲法の改憲危機を迎えています。どうか私たちにあなたの平和を示し、その尊さと、「護ろう」との言葉と勇気と機会をお与えください。平和の君イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
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