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2022-08

7月17日~23日のみことば - 2022.07.16 Sat

各地で雨の被害が報じられています。
空梅雨から一転、戻り梅雨?それとも、すでに夏の豪雨なのでしょうか。
ともかく、被災された地域の方々が一日も早く安心した生活に戻れるようにお祈りしています。
まだまだこれから夏本番。
感染者も増えていますし、皆さんの安全と健康が守られますようにとお祈りしています。
教会も、気を付けつつ礼拝を継続します。
会堂に来るのが心配な方は、ホームページでメッセージ音声を、YouTubeでメッセージ動画を配信していますから、どうぞご活用くださいね。

それでは、今週のみ言葉をどうぞ!!

***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 旧約聖書
・書名選択     : イザヤ書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


17日(日) イザヤ書7章1-9節
一言メッセージ:1-17節は大事な箇所なので、二日に分けて読んでいきます。この箇所における南王国は非常に切迫した状況です。北王国、アラム、ペリシテの連合軍が攻めてきたのです。新共同訳聖書の後ろに記される地図1「聖書の古代世界」を参照ください(時代は違いますが、位置関係を知るためです)。当時の世界は、チグリス川中流域を中心に勢力を誇っていたアッシリアが強国でした。アッシリアは北イスラエル王国、アラム、ペリシテに莫大な貢物を要求し、従属させようとしました(地図5「南北王国時代」を参照)。それに反発した三者は互いに結託して反アッシリア同盟を結び、南王国にも同盟に加わるように迫ります。しかし、ここがアッシリアの上手なところで、アッシリアは南ユダ王国には貢物を要求しませんでした。後にエジプトと戦うことになる際に、政治的・軍事的な緩衝地帯とするつもりだったし、同時に、仮に北王国などが反旗を翻したとしても、多大な圧迫を受けていない南ユダはすぐに同盟に加わって強大なアッシリアに反旗を翻さないだろう、という外交戦略でした。この戦略が見事に当たります。北王国、アラム、ペリシテが反アッシリア同盟を組み、南王国に加盟を求めますが、南ユダは拒否。反アッシリア同盟は自分たちの背後の南ユダ王国がアッシリアと戦う際の脅威になると考え、だから今朝の箇所にて南ユダ王国に攻めてきたのでした。2節を見ますと、南王国の王家(ダビデ家)も民衆も震え上がっています。その時、イザヤはアハズ王と面会し、神さまの言葉を告げます。3節「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。彼らはすぐに滅ぶ。彼らがどれほど脅威に思えようと、私があなたを守る」と。今朝注目するのは9節の終わりです。イザヤは「(信じなさい。)信じなければ、あなたがたは確かにされない」と告げます。「信じる」のヘブライ語の「アーマン」です。この言葉を厳密に訳しますと、受身形で「固く信じさせられなさい」です。分かりにくい表現ですが、「信じさせていただく理由を得る」ことは「神によって固く支えられなさい。神さまが守ってくださる」と、神さまの行動があるからこその約束になるのです。今朝わたしたちはここに神さまと私たちの相互関係を見出します。神さまは私たちの信仰にしっかりと応えてくださる方です。今朝は礼拝の日ですが、今朝も共に神さまを固く信じ、神さまによって強く支えられましょう。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。神さま、人は危機的状況に陥る時、あなたを忘れ、自分の力、周囲の力への注視と算段ばかりに終始してしまいます。でも、あなたはそんな動揺する南王国に「私を信じなさい。わたしはあなた方を守る」と呼び掛けてくださいます。神さま、その促しは今も変わらず与えられています。どうぞ私たちを守り、御心のままにお導きください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

18日(月) イザヤ書7章10-17節
一言メッセージ:昨日の続きです。反アッシリア同盟が南王国を攻めてきた時、神さまはイザヤを通してアハズ王に「自分を信じなさい。私が守る」と呼び掛けました。イザヤは続けて「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」と告げます。アハズはその言葉にどう反応したか。12節で彼は「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」と告げます。一見すると「主を試さない」は敬虔な言葉にも見えますが、アハズは「神という不安定な存在に頼らない」と拒否したのです。実際この後、アハズはアッシリアに貢物を贈り、反アッシリア同盟を攻めてもらうことで、自国への侵略を阻止します。しかし、後にこれが愚策であったことが明らかになります。反アッシリア同盟を撃退したはいいものの、その後、南王国がアッシリアによって重い従属を強いられるようになるのですから。神さまはそんな歴史の流れを知るからこそ、それを回避させるべく、イザヤを通してアハズ王にさらに信じられるように「しるしをあたえる」と約束されたのです。それが14節後半です。この言葉に私たちは何か思い出しませんか?これはマタイ1.23、イエスさまの誕生の時に引用されるインマヌエル預言のことばです。あのイエスさま誕生に繋がる「わたしはあなたがたと共にいる」預言はこの状況、つまり祖国存亡の危機の中で、動揺し怖じ惑う人々に対して語られたのです。神学者カール・バルトはこのインマヌエル預言について「神はイエス・キリストにおいて永遠に罪人と共にあることを覚悟された」と語っています。私たちはアハズを反面教師とし、神さまが本気で私たちと共に生きてくださっていることを喜びながら、新たな週を歩みだしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに私たちは驚きました。あなたが救い主誕生を語られた預言は、祖国存亡の危機に動揺する人々に「私があなたと共にいて救う」と語られた言葉でした。アハズや南王国の民はその言葉を受け止めませんでした。でも神さま、今わたしたちはあなたの預言がイエスさまにおいて成就し、今の私たちはあなたに寄り添われて生きていることを思います。どうぞ、今週もあなたが共にいて、私たちを生かしてくださっている感謝を思って過ごすことができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(火) イザヤ書7章18-25節
一言メッセージ:今朝の箇所は昨日の箇所14-17節で神さまが「わたしは南ユダ王国を救う」と語った預言の内容部分です。神さまは、神さまを捨て、力と策に頼り、アッシリアからの独立を画策する北王国、アラム、ペリシテへの滅亡を語ります。注意したいのは21-22節で、国は滅びても人々は「子牛一等、羊二匹の命を救い」、その家畜が出す乳や野の蜂の蜜で生き残ると語られていることです。25節でも荒廃した土地に人々が足を踏み入れるには多大な労苦をせねばならないのに、家畜には自然のままの放牧地となっていきます。神さまのことばは完全な滅びでなく、国が亡びながらも民はその時になって「生かされると知る」と告げるのです。それまでの「富や栄華に固執する生き方」は崩壊しますが、不思議とその時にこそ「日々、神さまの守りによって生かされていた」ことを体験していく。そこに、日々生かしてくださる神さまへの感謝と、他者と共に支え合って生きていく実感が生まれるのです。聖書が示すこの「感謝と共生の生き方」は現代の世界にも必要なこと。今朝は改めて神さまへの感謝と、他者と共に生きていくことを喜びスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所は北王国の滅びの預言でしたが、その言葉には、それまでの「富や栄華に固執して」きた北イスラエルが、あなたに生かされていることを体験してあなたへの感謝に生きること、だからこそ他者と共に生きる者とされていくことの示唆がありました。神さま、私たちはみことばから「感謝と共生」の大切さに気付きます。どうぞ今日の一日、あなたへの感謝と他者との共生を意識して過ごせますように。ウクライナに一日も早い平和を実現ください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

20日(水) イザヤ書8章1-4節
一言メッセージ:昨日まで読んでいた箇所は、反アッシリア同盟に怯え切った南王国に「安心して神に信頼し、守られなさい」との流れのことばでした。それは、南ユダ王国に対しては現実的に「アッシリアに取り入って安全を模索してはいけない。それは結局、自分たちの首を絞めることになる。あなたたちにとって最善の選択はただ神さまに頼ること」というメッセージでした。そんなメッセージを体現するように、今朝の箇所でイザヤに息子が誕生します。名前は「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(「分捕りは早く、略奪は速やかにくる」という意味)」です。我が子につける名前としてはひどい意味ですが、これは南王国への公的な警告なのです。「アッシリアに頼ると、結果、南王国自身も早急に衰退していく」と告げたのです。聖書研究によれば、イザヤはこの子が7.14で神さまが救いの約束として与えてくださった「男の子」だと考えていたようです。だからこそ彼は8.18で「わたしと、主がわたしにゆだねられた子らは、…主が与えられたイスラエルのしるしと奇跡である」と語っているのです。イザヤは神さまが示した未来の希望を人々が喜んで受け止め、国は立ち返ると思ったことでしょう。けれど、民はあまりにも目先のことに執着し、苦難の先にある祝福を信じない。目先ばかりで未来を観ない民に、イザヤの切実な訴えは続いていきます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。イザヤが告げた預言は、未来の祝福でした。けれど、王も民も目先の利に留まり、国は正されません。神さま、わたしたちはイザヤの預言を見ながら、「私たちは目先に捉われず、神さまが約束くださる未来の祝福を信じ、ワクワクしつつ歩もう」と思います。どうぞ、私たちの毎日を目の前の出来事に誠実に向き合いつつ、未来のお約束を覚え続ける日々としてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

21日(木) イザヤ書8章5-15節
一言メッセージ:5-8節は神さまの託宣の形式が語られる言葉。「シロアの水」はエルサレムのギホンの泉からの湧き水でエルサレムの籠城時の生命線となる水です。今朝の箇所で「民はシロアの水を拒み」とは神さまの「守る」という約束を拒み、反アッシリア同盟に屈してしまう状況を指す言葉です。イザヤは13節などで「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主」と訴えながら、14-15節で「神さまを畏れないなら、神さまが民の“つまずきの石、妨げの岩”となってしまう」と警告するのです。「神さまが民の躓きの意志となる」とはどういう意味でしょう。それは「神さまは目で見えず、手で触れられないから、民が不安に陥り、分かりやすい確証を欲してしまう」です。心情的には分かりますが、でも、そこで私たちは冷静に考えましょう。身近で触れられるものは本当に頼りになるのか。「溺れる者は藁をも掴む」のが人間ですよ。歌手のさだまさしさんのステージトークで好きな話があります。コンサートの合間の移動日のこと、台風が接近しているが、どうしてもその日のうちに移動せねばならず、飛行機に乗ったそうです。突然の強風に煽られ、飛行機は上昇したり、エアースポットで下がったりと、不安定な飛行だった。隣ではマネージャーがガタガタ怯え、飛行機が上下する度に「ひぃっ!」と声を上げて座席の手すりを握りしめる。それを見ながらさださんが言ったそうです。「バカだねぇ。堕ちる時には手すりも一緒に堕ちるのに。」ものすごい的確な指摘でしょ?そうです、堕ちる時には手すりも一緒に堕ちるのに、その手すりにしがみついて身の安全を確保してしまうのが人間です。イザヤの指摘は同じです。「本当に助かりたいなら、人間に頼ってどうすんだ。神さまに頼らんと意味がない」って。私たちは神さまを信じたのは、このお方が私たちの神であり、イエスさまが救い主だと信じたからです。「だったら大事な時にこそ信じんでどうする?」なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちはイザヤの言葉から「本当に信じ、頼るべき相手は誰か」と問われました。私たちはあなたを信じながら、危機の時にあなたを忘れてジタバタ足掻いていたかもしれません。神さま、あなたを信じます。どうぞいつも、私たちに信頼と期待を強く湧き起らせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

22日(金) イザヤ書8章16-23節前半
一言メッセージ:今朝の箇所は16-18節と19-23節で分けて読む箇所です。16-18節は13節で「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ」と語った言葉のとおり、イザヤと弟子たちが神さまに誠実に生きる記述です。注目したいのは17節です。当時の社会は経済格差が広がり、弱い立場の民は奴隷に身を落として人身売買され、富む者、権力を持つ者の横暴ははびこっていました。でもイザヤは17節で「神さまの御心と程遠い現実が今、起こっているが、それでもなおわたしは、主に望みをかける」ことを語りました。ここに私たちは「信じるとは」を教えられます。信じるとは「私の願いどおりだから」行えるものでなく、自分の願いと違う現実においてなお貫くことです。一方、19-23節は民の反応です。彼らは神の分かりやすい反応(超常現象、目を見張るような奇跡)が起こらないため、自分たちで超常現象を求め始めます。「口寄せ(いたこ)」や「霊媒」です。20節にあるように、彼らは「聖書のみことばにはまじないの力は無い」と軽視し、分かりやすい超常現象に縋ろうとしました。この姿は時代を超えて、人間の弱さを示します。人は誰でも自分を超える絶対者を求めますが、残念なことに多くの人はその絶対者を目先のご利益やまじないや超常現象という分かりやすさで測ろうとする。その結果、本当に信じられて、頼るべき方を見過ごしてしまう。イザヤは23節で言います。「彼らに苦悩を逃れる術はない。」私たちは「本当に信じ、頼るは神さま」を再確認しながら、今日をスタートしましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。民は分かりやすい超常現象(口寄せやまじない)に走り、イザヤはまっすぐにあなたを信じ抜きました。頼るべき相手を知らぬ者と知る者の違いでした。神さま、私たちもイザヤたちと同じく、あなたを信じます。どうぞ今日もあなたに誠実に向き合い、一日過ごせますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(土) イザヤ書8章23節後半―9章6節
一言メッセージ:今朝の箇所はイエスさま誕生を待つ期間(アドベント)で読まれることが多い箇所です。それは5節の「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」がイエスさま誕生と重なって読まれるからですが、イザヤ書の状況で言えば、この記述はヒゼキヤという若い王の即位時の言葉と考えられます。非常に大事な箇所なので2日に分けて読んでいきます。
今朝は状況的なアプローチで読みます。8.23後半に「海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは栄光を受ける」、2-4節では戦争終結の描写が描かれます。これは前王アハズ時代に北王国、アラム、ペリシテが反アッシリア同盟を組んでアッシリアと戦争した(シリア・アッシリア戦争)後に関連する描写です。戦争によってアッシリアは反アッシリア同盟を滅ぼし、その土地を支配します。23節はその、それぞれの土地を指しています。「海沿いの道」はペリシテ、「ヨルダン川のかなた」はアラム、「異邦人のガリラヤ」は北王国です。23節にて神さまは、そんな支配された地域の解放の兆しを語るのです。1節以下もそうです。南王国もアッシリアを使って反アッシリア同盟を撃退し、外交上は成功したかに見えましたが、アッシリアは今度、南王国に従属を求め、多額の貢物を要求してきました。その結果、南王国の民は絶望し、それが1節の「闇の中を歩む民」であり、「死の陰の地に住む者」という表現に繋がっていました。しかしイザヤは「その時代が終わる」と語る。それがヒゼキヤ王の即位です。イザヤはこの王を通して神は南王国を救ってくださると見ています。それも4節の描写では、民は戦争の道具を焼き捨て、「もうこれで二度と戦争はしない」と解放まで期待したのです。では、イザヤのこの期待の根拠は何でしょう。それは6節です、「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる(神さまの情熱が民に平和を実現させる)。」私たちも神さまの平和の実現を切望します。神さまが実現くださる平和、そのために私たちは今、何ができるのか。まもなく8月、平和を覚える月です。今わたしたちは、一刻も早いウクライナの停戦や、私たちの国が二度と戦争できる国に戻らないこともよりいっそう、しっかりと祈り始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所は南ユダ王国の政策の大失敗によってアッシリアの支配を受けていた状況が、神さまの情熱によって終えられていく預言でした。神さま、私たちはイザヤの言葉を読みながら、現代の社会においても続く戦争や、権力者の間違った政策によって民が苦しめられている状況を思い起こします。神さま、どうぞ私たちにもあなたの平和を実現し、お与えください。平和の君イエスさまの御名で祈ります。アーメン。


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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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