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2022-10

6月19日~6月25日のみことば - 2022.06.18 Sat

梅雨入りしたのに、ここ数日ピカピカに晴れている久留米です。
その前に雨が降ったので、植物が元気!
素晴らしいことですが、同時に雑草(最近は猫じゃらし!)も元気に!!
草むしりのタイミングをうかがっています(笑)

気候の変化する時期、皆さんも無理せず過ごしてくださいね(^^)/
それでは、今週のみことばをどうぞ!!


※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 旧約聖書
・書名選択     : ホセア書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

19日(日) ホセア書1章1-2節
一言メッセージ:今日からホセア書を読んでいきます。今日は、1章全体ではなく、ホセア書全体を網羅するように1.1-2だけを読んでいきます。ホセアはアモスの少し後の北王国で活動した預言者です。彼は2節で「淫行の女(ゴメル)」との結婚を指示されます。ホセア書を理解するには、この「淫行」の意味を知る必要があります。これは「ゴメル自身が浮気性だった」と考えるのでなく、当時の北王国の状況から理解した方が分かりやすい。当時の北王国は神さまへの礼拝とバアル、アシェラ信仰が混同されており、バアル、アシェラ信仰では性行為が儀式や献げ物とされていましたので、聖書の神さまへの礼拝でも性行為が献げ物扱いされていました。おそらくゴメルは、儀式的な意味で性行為を行っていたのでしょうが、神さまはそれを「淫行」と断じます。では、なぜ、神さまはホセアをそんなゴメルと結婚するように命じるのか。それは、「ホセアが淫行の女ゴメルと結婚し、後に離婚するが、再度、ホセアは復縁する」という一連の行動を通して、神さまの裁きと救いを象徴的に示すためでした。神さまは北王国の間違った信仰を怒って裁くが、彼らが自分たちの過ちに気づいた時に、もう一度、御自分の民として受け入れてくださることを示そうとしたのです。さて明日からは具体的にホセア書を読み始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝からホセア書を読み始めました。あなたは「愛の神」であると同時に「正義の神」です。民の過ちを黙認して赦すのでなく、罪は罪として明確にしながら、しかし悔い改めてご自分に戻ってくる者を喜んで迎え入れてくださる方です。ホセア書を読み進める中で、私たち自身の生活と重ねながら、過ちは過ちと気づき、あなたに素直に立ち帰ることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

20日(月) ホセア書1章2-8節
一言メッセージ:ホセアは神さまの命によって「淫行の妻」ゴメルと結婚し、3人の子どもが生まれます。子どもの命名は親にとって非常に大事なものです。子どもの名前には意味や願いが込められているからです。しかし、ホセアの子どもの名前は3人とも非常に不可解な意味を持つ名前でした。長男はイズレエルの名の意味は2.24にあるように「神が種を蒔く」です。けれど、北王国の人々にとって「イズレエル」との名前は血なまぐさい歴史を思い起こさせます。当時のイエフ王朝の祖イエフが、バアル宗教を国教化していたオムリ王朝関係者を皆殺しにした場所がイズレエルなのです(オムリ王朝で有名なのはエリヤ、エリシャ物語に出てくるアハブ王とイゼベル王妃)。しかし今や、そのイエフ王朝がバアルと神さまへの信仰を混同している。神さまはホセアの長男の名によって北王国への裁きを告げます。ホセアの第二子は長女ロ・ルハマです。ヘブライ語のロは否定を意味する言葉で、彼女の名の意味は「憐れまれぬ者」です。神さまは北王国への裁きに情けをかけない(決して赦さない、6節)と断言します。第三子(次男)の名はロ・アンミです。意味は「我が民ではない者」ですが、この名前はホセアにとっても非常にショックだったでしょう。8節には命名理由で「あなたたちはわたしの民ではなく、わたしはあなたたちの神ではないからだ」とあります。この「あなたたち」にはホセア自身も加えられているからです。それまでのホセアは「北王国は神の裁きにあるが、自分たちは神によって守られるだろう」と考えていました。裁きを他人事と思っていました。しかし、ここでホセア自身も当事者だと気づいた。ある研究者の意見では、ホセアがゴメルと結婚を命じられたこと事態が神さまのホセアに対する試みだった、と言います。それは「淫行の妻」と自然に結婚するのか、それとも異を唱えるのか、という試みです。「淫行」は昨日見たように、バアル宗教と神さまへの信仰が混同されて儀式化した性行為です。そんな「淫行」そのものが神さまへの反意なのです。なのに、セアが「淫行の女性」とすんなり結婚したことは、ホセア自身がそういう社会風潮に何の疑問も持っていなかったことの証となったのです。「神さまが命じたからじゃないか」と思う気持ちもありますが、一方で、神さまは私たちに「自ら考え、思いをしっかり持つこと、そして従うこと」を求める方でもある。さて、「自分も裁かれる側」と悟ったホセア、ここからどうするでしょう。明日以降も続きを読んでいきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ホセアはゴメルと結婚し、3人の子どもが生まれました。しかし子どもたちの名前を通して、ホセア自身、自分も習慣や風習に馴染み、神さまへの信仰が変質していたこと、自分も裁きの対象だと気づきます。ホセアは傷つき、苦しみます。でも、だからこそ私たちはここからホセアがここから何を考え、どう生き方を整えていくか、自分と重ねながら読むことができます。明日からもみことばを深く読ませてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

21日(火) ホセア書2章1-15節
一言メッセージ:1-3節はホセアに反対する立場の預言者たちの言葉を、ホセアが痛烈に皮肉った言葉と言われています。彼らは国が繁栄しているのは「神の祝福」と考えていたため、ホセアの子どもたちの名の逆を自分たちに当てはめます。すなわち、血なまぐさい歴史のあるイズレエルでなく、「人々は海の砂のように数えることができないほど増える」であり、自らを「ロ・アンミ(わが民でない者)」ではなく「生ける神の子」と考え、「憐れまれぬ者(ロ・ルハマ)」でなく「憐れまれる者(ルハマ)」と考えたのです。しかし、4-15節でホセアはそんな人々の傲慢と神さまへの背きを徹底して糾弾します。注目したいのは7節でホセアは「淫行の女性」だけでなく、「彼らを身ごもった者(相手の男性)は恥ずべきことを行った」と言います。この言葉はホセアが自らを指した言葉でもある。ホセアは自らも、神の御心を知らなかったことに虚無と怒りを感じ、同時に、そんな結婚をさせた神さまへも怒りを感じ、叫んでいるのです。ホセアはゴメルを離縁します。それくらいに、ホセア自身も傷つき、自暴自棄だったのです。しかし興味深いことに、そのホセアが同時にイスラエルの救いの預言を語っているのです。特に注意したいのは9節です。「彼女は愛人の後を追っても追いつけず、尋ね求めても見出せない。その時、彼女は言う。『初めの夫のもとに帰ろう。あのときは、今よりも幸せだった』と。」淫行を重ねてきた妻(イスラエルを指す)が自分の過ちと虚しさに気づき、「初めの夫のもとに帰ろう」と言うのですが、この「夫」という言葉はイーシュという言葉です。主人という言葉には「バアル」という言葉もあるのに、ホセアはバアル宗教と関連する「バアル」でなく「イーシュ(夫)に帰ろう」と言っているのです。ここに、悔い改めていくイスラエルの姿と、悔い改めを受け入れる神さまの姿を、ホセアは語っていくのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝私たちは、自分の罪に気づき、悲しみ、苦しみ、同時に怒るホセアの姿に自分たちの姿が重なります。風習や習慣は私たちの生活に入り込み、あなたの御心とズレていることに気づかせません。でも神さま、あなたは傷つき、怒るホセア自身を通して、民が本当に従うべき神さまに立ち返ってくることを示してくださいました。神さま、続けてホセア書を読んでいきますが、どうぞ私たち自身があなたを知り、あなたに立ち返り、正しく生き直す機会となりますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

22日(水) ホセア書2章16-25節
一言メッセージ:ホセアの言葉は北イスラエルが神さまの御心から反れ、バアル信仰と神への信仰を混同している姿を痛烈に指摘します。ホセア自身もそのことに傷つき、痛み、同時に怒っていたことは昨日記しました。さて、ここで私たちは自分たちのことを思い起こしましょう。私たちが誰かに対して怒る時、「あいつとは縁を切る」とか「もう、あんなやつ、俺とは無関係だ」と思うことがあります。それは「関係を断絶する」という怒りです。怒りは関係を絶つのです。2.4などを見ると、ホセア自身も自分の妻を「お前たちの母」と語り、「妻」と表現しませんでした(直後の「彼女はもはやわたしの妻ではない」も関係断絶の言葉でした)。しかし、今朝の箇所をしっかり読んでいきますと、神さまはそんな「淫行の女性」との関係修復を示します。16節では神さまは「淫行の女性」のことを「彼女」と三人称で語りました。まだ直接には向き合えていないのです。しかし、18節「その日が来れば」と、向き合う時が来ることを預言し、「その日」には「彼女」が「あなた」という言葉に変わります。神さまがちゃんと「淫行のイスラエル」と向き合ってくださった変化なのです。18節でも「あなたはわたしを『わが夫』と呼び、もはや、『わが主人(バアル)』とは呼ばない」と語り、信仰の混同が解消され、神さまに正しく帰っていくことが預言されていきます。今朝、私たちは罪ある私たちをも愛し、向き合い、正してくださる神さまを知らされるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所でわたしたちはあなたが、あなたへの背きの罪をも赦し、向き合い、自分たちの罪に気づき、立ち返ることを喜び、受け止めてくださる方と知りました。あなたの懐の深さと忍耐の偉大さを感じます。引き続き、ホセア書を読んでいきますが、どうぞ私たちにいつも必要な示唆と生き方の整えをお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(木) ホセア書3章1-5節
一言メッセージ:今朝の箇所はホセアが神さまの命によって、離縁した妻ゴメルを再度、自分の妻とする物語です。それはホセアの言動を通して、神さまの意志を体現する象徴預言です。「主は再び、わたしに言われた。『行け、夫に愛されていながら他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子(バアル祭儀で用いられたもの)を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。』」神さまはホセアの言動を通して、神がそれでもイスラエルを再度赦し、救おうとする姿を示したのです。この時のゴメルは「銀15シェケルと大麦1ホメルを払って、買い取る(2節)」と書かれていますが、これは奴隷の値段です。つまり、彼女は奴隷に身を落としていた。そんな女性にホセアは3節「お前は淫行をせず、他の男のものともならず、長い間(生涯)わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる」と告白し、再度自分の妻とします。当時の社会観から言えば、情けない、恥ずかしい姿です。でも、その行動は正に、神さまがイスラエルを愛し、再度赦し、受け入れる姿そのものなのです。神さまの愛は自らが嘲られても相手を愛し抜く愛です。この愛は今、私にも、あなたにも神さまが与えてくださっている愛です。皆、愛されて生かされていることを覚えましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所はあなたの愛の深さをこれ以上ないほど示します。あなたは偉大な神であるのに、人々の嘲りや恥とも苦ともせず、あなたに背いて生きていた私たちを赦し、救ってくださいました。今日、あなたの愛が今も私たちに与えられていることに感謝し、一日を過ごせますように。感謝と期待を持って祈ります。アーメン。

24日(金) ホセア書4章1-19節
一言メッセージ:4章以下は1-3章のホセア預言をさらに細かく見ていくようなものです。だから、時系列で3章の続きと読む必要はありません(そう読むと混乱します)。
  今朝の箇所を読みますと、イスラエルの民が神さまへの信仰(礼拝)とバアル信仰が混同していたことが指摘されています。具体的な「淫行」に加えて、2節の「欺き、人殺し、盗み」は十戒に背く内容です。けれど彼らは「豊作祈願の献げ物」としての幼子の人身御供を「殺人」と考えず、アモス2.6で「貧しい人が靴一足の値段で売り買いされる」様子を当然の社会文化と考えていました。加えて、本来、過ちを指摘して社会を正さねばならない祭司さえ9節では「民と同じ」と指摘されています。社会の風習、風潮、伝統に盲目的に馴染んでしまい、神さまを見失わせていたのです。古い教団賛美歌345番「義の太陽はさしいでぬ」の3番の歌詞にドキッとします。「ひかり仰げば今さらに、たえず移ろうしきたりと、やがて過ぎゆく習わしに、深くなずみし、愚かさよ」。意味はこうです。「神を仰げば、今さらに自分の姿がよく見えてくる。それまでの私は、いつも移ろいゆく伝統や、やがて忘れられていくだけの習慣に、どっぷりと馴染み、神さまが見えていなかった。愚かだった。」ホセア書が指摘する民への警告を見ながら、私たちは今、改めて神さまの御心、示唆から自分自身も振りかえりましょう。その時、社会の「~べき」「~ねばならない」が案外と、どうでもよいものだったことに気づき、解放されていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちはホセア書を読みながら、自分たちの姿を振り返らされます。私たちは社会の伝統や風習の中で、本当に大事にすべきものと、そうでないものとの区別がつかず、かたっ苦しく、見当違いな生き方に絡めとられていた部分に気づきます。神さま、どうぞ私たちが改めて、あなたを第一とし、あなたによる喜びと解放に満ちた生き方へと進むことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

25日(土) ホセア書5章1-15節
一言メッセージ:5章は北王国が滅亡していく歴史的流れを踏まえて読む箇所です。ホセアはヤロブアム2世の晩年から北王国滅亡のかけての預言者ですが、その時代のイスラエルは次から次へと王が代わります。ヤロブアム2世の死後、息子のゼカリヤは6か月でシャルムのクーデターによって殺害され、イエフ王朝は終わります。その後、シャルムもメナヘムによって1か月で滅ぼされ、メナヘムの息子もペカによって滅ぼされ、ペカもホシェアに…とコロコロ変わっていく。これらのクーデターの背後にあったのは北の強国アッシリアに近づくか、それとも南のエジプトに近づいて独立を守るか、といった政策の違いです。ペカは反アッシリアの王でしたが、彼はクーデター後にアラム王レツィンと反アッシリア同盟を組織(小国がまとまることによってアッシリアに対抗しようとした)。南ユダ王国にも加盟を求めますが、南ユダはそれを拒否。同盟は南ユダに「自分たちに加わらないなら」と攻め込みますが、南ユダは生き残りのためにアッシリアに大量の貢物を送って、反アッシリア同盟を背後から攻めてもらいます。反アッシリア同盟はこれに敗れます。加えて、この時、南ユダ王国は北王国に攻め入って領土を切り取りますが、戦後はその南王国もアッシリアに従属を迫られます。この流れが8節以下に影響を与えています。複雑でしょ?さて、箇所そのもので注目したいのは1節以下、ホセアは「祭司たち」への厳しい裁きを語ります。祭司たちは「自分たちは神の託宣がある」と驕り、でもその言葉の内実は自分たちの利権となっていました。ホセアはその姿勢が国を滅亡させる「罠、網、穴(1-2節)」となっていると指摘しています。神さまへの信仰が己の都合と結びつくことへの警告です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ホセア書5章を歴史的な流れで読むと、危機の中で人があなたを見失い、自分たちの画策に終始していく姿が見えてきます。神さま、どうぞ私たちはいつもあなたをこそ第一とし、己の生き方を振り返り整える者であれますように。悔い改めを受け入れてくださるあなたを信頼し、救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。


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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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