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2022-10

6月12日~18日のみことば - 2022.06.12 Sun

いよいよ九州北部も梅雨入りしました。
しばらくは雨が続きそうですね。
久留米はここ数年、夏の大雨で様々な被害が出ています。
幸い教会に被害は出ていませんが、今年は水害が起こりませんようにうにと願うばかりです。

季節の変わり目、体調を崩しやすい時でもありますから、どうぞ皆さんの健康も守られますように!
それでは、今週のみことばをどうぞ♪

***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 旧約聖書
・書名選択     : アモス書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

12節(日) アモス書3章1-2節
一言メッセージ:預言者アモスが活動した紀元前8世紀の北イスラエル王国はヤロブアム2世という王の下、大繁栄の時代を迎えていました。国土はかつてないほどに広がり、経済は活発でした。しかし、その内実は経済格差が広がり、貧しい人が奴隷に落とされ、靴一足の値段で売買される状況です(2.6参照)。国の指導者たちは権力にしがみついて横暴を極め、裕福な民は盛大な献げ物をすればすべての罪が許されると高を括り、祭司たちも利益に走っていました。神さまへの礼拝もバアルやアシェラへの信仰と混同され、神殿にて性行為が献げものと解されている始末です。そこで預言者アモスは1-2節で語ります。「イスラエルの人々よ、主がお前たちに告げられた言葉を聞け。地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちをすべての罪のゆえに罰する。」読んで、「あれ?」と思いませんか?神さまが選んでくださったのなら、「すべての罪を赦す」と言ってくださると想像したのに、神さまは「罰する」と宣言した。何故か。それは、神さまの落胆と怒りのためです。神を知らぬ民への怒りではなく、出エジプト以降、ずっと向き合い、助け、共にいたイスラエルの民が神さまよりも自分たちにご利益を与える宗教を「神」として拝み、己が欲を社会制度で正当化している。だから神さまは、そのすべての罪を正しく裁くと宣言されるのです。神さまの裁きに厳しさを感じますが、同時に私たちは「裁きの後の約束」も知っておきましょう。アモス書を読み進めますと、神さまは国の滅亡の後に、もう一度、民が正しく神さまに立ち返り、復興することを語ります。つまり、この神さまの裁きは「整えるための戒め」なのです。宗教改革者マルティン・ルターはこう語っています、「みことばは、私たちを救うために裁き、生かすために殺す」と。当時のカトリック教会が救いを金で売買する姿を見て、ルターはアモス同様に叫んだのです。私たちはアモスの警告を正しく受け取り、己を振り返りましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。アモスの言葉は民を正しく立ち返らせるため、整えるための裁きの宣言でした。神さま、私たちはアモスの言葉を読みながら自分たちを振り返ります。私たちにも過ちは多々あることでしょう。どうぞ救うために、己が罪に気づかせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

13日(月) アモス書4章1-13節
一言メッセージ:神さまの裁きの言葉は続きます。今朝、注目したいのは6節、8節、9節、10節、11節で繰り返される、「私はお前たちに○○(いろいろな災難)を行った。しかし、お前たちはわたしに帰らなかった」です。神さまは裁きの前に何度も何度も、民に過ちに気づくようにきっかけを与えているのです。でも、自分たちの風習や伝統、欲と都合を優先し、神さまを考えない民は悔い改めのきっかけにも気づかない。そこで神さまは言われます、12節「それゆえ、イスラエルよ、お前は自分の神と出会う備えをせよ。」怖い言い方ですが、でも読み方を変えると、神さまはここでも民を見捨てるのでなく、なお「出会おう」としてくださるのです。求道中の方と話していて、「いつか洗礼を受けたいと思っているんだ」と聞くことがあります。その度に「もったいない」と思うのです。信じたから状況が悪くなるもんじゃなし、かえって神さまの整えを感じるし、期待して生きられる。あなたが神さまと出会い、本当に充実した人生を歩むために神さまと早々に出会えばいい。9年前、予備校の先生だった林修さんの言葉「いつやるの、今でしょ」という言葉が流行語になりました(もう9年前なんですね)。同じ気持ちです。いつ信じるの?今でしょ!
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所で、あなたは「それでもお前たちはわたしに帰らなかった」と繰り返しながら、でも「わたしと出会う備えをせよ」と、出会いを促してくださいます。神さま、私たちの中にも求道中の仲間たちがおります。まだあなたを知らぬ人々もいます。どうぞ、少しでも早くあなたを信じ、安心して、期待して生きる人生を始めさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

14日(火) アモス書5章1-15節
一言メッセージ:アモスは神さまの言葉を取り次ぎます。今朝の箇所で印象的なのは4節、6節と14節です。4節「わたしを求めよ、そして生きよ」、6節「主を求めよ、そして生きよ」、14節「善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主は、お前たちと共にいてくださるだろう」です。気づくのは「神さまを信じること」と「生きること」がイコールで結ばれていることです。先日12日の礼拝説教で創世記2章から「私たちはいかに生きるべきか」を考えました。創世記2.7には「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」という記述があります。人はそもそも塵芥に過ぎない存在です。でもそんな私たちに対して神さまは鼻から命の息を吹き込むため、真正面から向き合ってくださる。さらに「息」という言葉はネシェマーという言葉で、本来の意味は「呼吸」です。神さまから息を吹き入れられた人間は、息を吸い、吐く。それは神さまからもらった命で応答していくことを意味します。そして創世記はこう語ります。「人はこうして生きる者となった。」聖書において、「信じることと生きること」は等しいのです。「信じている」と言っても、信じたように生きていないのは、もったいないのです。ぜひ信じて、神さまに期待して、生きてみましょう。もし大きく一歩踏み出すのが怖いなら、先ずは小さな一歩からでもいい。神さまが私たちの勇気を込めた一歩を喜び、きっと、「あぁ、神さまに期待して良かった」と思える一日を与えてくださる(ただし、私たちの願望どおりではない。ここは神さまの主権に委ねる事柄ですもんね)。さぁ、信じて生きる一日を始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「信じることは生きること」と分かち合いました。あなたを信じる時、私たちはどこか臆病で、あなたに大きな期待をせずにいるのかもしれません。でも、あなたはそんな私たちに「わたしを求め、生きよ」と呼び掛けてくださいます。神さま、小さな一歩からあなたを信じ、期待し、踏み出します。どうぞ私たちを祝福し、「あなたを信じて良かった」と言える一日を過ごさせてください。また、どうぞあなたの示唆に気づく一日であれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

15日(水) アモス書6章21-27節
一言メッセージ:神は北王国の民の礼拝を7回にわたって強く拒絶します(21節「憎み」「退ける」「喜ばない」、22節「受け入れず」「顧みない」、23節「遠ざける」「聞かない」)。それは、彼らの礼拝が神さまへの信仰をバアルやアシェラ信仰と混同したものであり、また「罪を犯しても豪華な献げ物をすれば、問題ない」と高を括っていたからです。そして神さまは24節で民に悔い改めを求めます。24節「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」この言葉はとても具体的なイメージを持った言葉です。「正義」は「神さまの御心に基づく判断」を指す言葉で、それは「洪水のように」、飲み込み、壊して流すのです。神さまは、民が神さまへの不誠実な礼拝をしている現状を「神の正義によって押し流し、排除せよ」と語ります。一方、「恵みの業を大河のように」と語る。「恵みの業」は「神の御心に基づいて、互いに当たり前に生きていける社会」を指しています。そんな「当たり前に生きる社会」は「大河のように」です。「大河」は生きるために必須な水を安全に与えてくれる秩序をもった水です。神さまは、神さまに向き合い正しく生きず、命がないがしろにされる社会に正義を洪水のように押し流し、誰もが当たり前に生きられる社会を秩序ある大河のように静かに、確かに、尽きぬことなく流れさせよ、と言われたのです。この言葉を、私は日本や世界の現状への示唆にも感じます。ウクライナには早急な停戦を、同時に、日本でも世界でも、弱い者が虐げられる格差は是正され、現憲法が指示する「健康で文化的な最低限度の生活」が世界どこででも約束される社会であってほしいと祈るのです。御心にはほど遠い現実ですが、私たちは一歩ずつでも前進していきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたの「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」との示唆は2800年経った今も極めて具体的な示唆です。神さま、どうぞ私たちの社会にあなたの平和を実現させてください。一歩ずつ堅実に、社会を正す、そんな私たちであれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

16日(木) アモス書7章10-17節
一言メッセージ:アモスの強烈な預言の言葉に、社会の人々は嫌な顔をしました。当時の北王国は経済的に豊かだったため、有力な人々にとっては都合の良い社会だったからです。そこで、ベテルの祭司アマツヤはヤロブアム王に「アモスがあなたを批判しています」と訴え、排除しようとします。アマツヤの言葉は12節からです。彼はアモスに「北王国から出て行き、南王国にでも行ってしまえ。ここは北王国の王の聖所、神殿だ」と告げます。一方、アモスは「今、主の言葉を聞け(16節)」と答えます。二人は対照的です。アマツヤは王や王国の神殿、自分の祭司という地位など、権威でアモスを黙らせようとします。一方、アモスは「私は農夫だが、その農夫に主が預言するように言われた。だから、今、主の言葉を聞け!」と、神さまを根拠にして語るのです。私たちバプテスト教会は徹底的に権威を客観視し、万人祭司という考え方を大事にします。「すべての人が神さまと向き合い、神さまの示唆をいただいている。だから『権威だから』と従うことはしない」と考えるのです。どれだけ立派な人間だって、所詮は人間。必ず間違う存在だから、バプテスト教会では牧師や長老格の信徒の考えも一意見とし、皆の対話による決断を重視するのです。わたしたちは、一人ひとりが「神さまは私に今、こう告げておられるのだと思う」との自覚的信仰を持って対話するのです。私は改めて「バプテスト教会って良いなぁ」と実感しています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。アモスは人の権威に屈服せず、ただ「神さまのご命令」に従いました。私たちはその姿に、万人祭司を大事にするバプテスト教会の姿を重ねます。神さま、どうぞ私たち一人ひとり、あなたと真正面から向き合い、あなたの示唆を模索し、互いに協力し合う教会であれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

17日(金) アモス書8章9-12節
一言メッセージ:7章から9章にかけて、アモス書では5つの幻の話が記されています。今朝は4つ目と5つ目の幻の間に記された話ですが、非常に印象的な箇所です。9節、11節の「その日が来ると」の「その日」とは神さまの裁きの時です。その時に、神の警告に耳を傾けなかった民は「飢え」に襲われると言います。それも「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ(11節)」です。私はこの言葉にゾッとします。この2年4カ月を思い返してください。私たちは新型コロナのただ中で、仕事や人々との関りなど不安はいっぱいありました。でも、心くじけず、いつも元気に過ごしてこれたのはなぜだったか。それは、みことばがいつも私たちの傍らにあったからです。日曜日の礼拝も、このみことばメールも、皆さんが日々行っておられるディボーションでも、みことばはいつも豊富でした。そのみことばが一切なく、「みことばに飢え渇く」と想像すると、それがどれほどの落胆、失望、絶望の状態かとゾッとするのです。その時に聞こえてくる希望は、その場しのぎの気休めに過ぎない。何があろうと決して揺るぎない確約ではないのです。今日、私たちは改めて、みことばが与えられていることに感謝しながら、一日をスタートしましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、終わりの日には「主の言葉を聞くことのできぬ飢え渇きが襲う」との預言を読みました。それは私たちにとって、大きな恐怖です。でも逆を言えば、あなたのみことばは今日も私たちには豊富に与えられています。神さま、改めて、みことばを感謝します。どうぞ日々、私たちにみことばを通しての希望をお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

18日(土) アモス書9章7-15節
一言メッセージ:アモス書も今朝で終わりです。アモス書は、神さまの怒りを印象的な言葉で語ってきました。今朝、注目したいのは7節です。神さまはイスラエルの民に「わたしにとってお前たちはクシュ(エジプト南方、今のスーダン)の人々と変わりがないではないか」と告げました。この言葉が意図しているのは、当時の北イスラエルの民が「私たちはアブラハム以来、救いを約束された民だから、神の怒りを買うことがない」と考えていたことへの反論です。キリスト教の歴史を見ますと、この「自分たちは既に救われたから、神は私たちを怒らない」という理解は度々登場します。例えば、宗教改革者ジャン・カルヴァンの弟子たちもそうでした。カルヴァンが宗教改革を行ったのは、十字軍の遠征に失敗し、深刻な資金難に陥ったローマ・カトリック教会が免罪符を販売し、「神さまの救いを金で売り買いできる」としたことへの反論からでした。だから、カルヴァンは「救いは神によってもう既に決められている」という予定論を主張したのです。しかし、それから数十年後、カルヴァンの弟子たちは「救いは神によってもう既に定められているならば、救われた私たちは何をしたって問題ない」と考え、自堕落な生活をしたのです。同じ問題は実はⅠコリントでもパウロも指摘しています。キリスト教の歴史で度々出てきたのです。神さまへの畏敬を見失う信仰は己が都合の正当化に利用されてしまいます。アモスはそんなイスラエルの民に、「神の前にお前たちは、神を知らぬ民と何ら変わらないほど小さな存在に過ぎない。しかし、そのお前たちを愛し、祝福し、導いてくださった神さまだからこそ、誠実に向き合え」と告げたのです。実際、11節以降、神さまは北イスラエルだけでなく南ユダ王国も滅亡することを預言し、その後に神さまによる回復を預言したのでした。私たちは神さまへの畏敬をもって、今日も過ごしていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。アモス書は厳しい預言の言葉が続きましたが、その最後にアモスは人の驕りを指摘し、神さまへの畏敬を示しました。神さま、アモスの示唆に従い、私たちも改めてあなたを畏れ敬います。どうぞ、私たちの過ちは正し、御心に沿うところは喜び、導いてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
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