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2021-07

7月18日~24日のみことば - 2021.07.17 Sat

梅雨も明けて、いよいよ夏本番!
暑い毎日が続きそうですね。
マスクをしていることで暑さ倍増ですが、熱中症にも気を付けて元気に過ごせますうように!

明日も久留米教会では、感染防止対策をしながら会堂であなたをお待ちしています。
もちろん、YouTubeでのライブ配信も行っていますから、直接来ることをためらわれる方は、YouTubeからのご参加お待ちしています♪ ⇒YouTubeチャンネルはこちら

新しい1週間も皆さんの上に神さまの祝福が豊かにありますように!

***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 旧約聖書
・書名選択     : 創世記
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


18日(日) 創世記22章1-19節
一言メッセージ:今朝の箇所はアブラハム物語のクライマックス「イサク奉献」の物語です。しかし、じっくり考えてみると、非常に不可解な物語です。アブラハムは「信仰の父」と呼ばれますが、彼の行いは常軌を逸しています。21章で喜びのうちに生まれたイサクを、神さまの命令とは言え(1節では「神はアブラハムを試された」とありますが、アブラハムにはまだ「試み」であることが分かっていません)、イサクを殺害して神さまに献げるなど、普通はできない事柄です。けれど、アブラハムはそれを行おうとする。それは何故でしょうか。
  この物語を理解するためには、17.17と18.12を振り返らねば分かりません。アブラハムもサラも神さまから「男の子が生まれる」と告げられた時に、「無理無理、ないない」と否定し、笑っていました。自分たちの身体的な状況からみて、もはや子どもが生まれるとは思えなかった二人は、人間の常識を超える仕方でイサクを授かりました。その時、「イサク(「彼は笑う」という意味)」という名前には2つの思いが込められた。1つは21.6にあるように「神さまが笑い(喜び)を与えてくださった」という感謝であり、もう1つは「私たちは自分たちの常識で神さまの御心を見誤って、笑ってしまった。もう二度と、神さまを疑うことはしない」との戒めです。この経験があったからこそ、アブラハムは神さまの試みにもまっすぐに応えようとしたのです。神さまはアブラハムの行動を見て、彼の信仰を祝福した。それが今朝の物語です。
  物語の結論は14節「主は備えてくださる」です。大事なことは「主は」です。物事を自分たちの常識や経験だけで判断するのでなく、神さまの御心をこそ求めるのです。神さまは暴君ではありません。イサク奉献は「試みるため」であり、それほどの無茶を私たちに要求などされません。私たちの未来も神さまが備えてくださる。私たちもまた、精いっぱい誠実に生きるならば、その先は神さまの備えを心待ちにしましょう。神さまは最善の時に、最善の御業を行ってくださいます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしたちは、アブラハム物語のクライマックスを読みました。一見すると、アブラハムの行動は常軌を逸しています。けれど、その背景には、イサク誕生という祝福に伴う「二度とあなたを疑わない」という戒めがありました。神さま、私たちもアブラハムに倣い、あなたを信頼し抜きます。どうぞ、私たちの人生にもあなたへの信頼と希望とをお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(月) 創世記24章12-14節
一言メッセージ:アブラハムの息子イサクの物語は残念なことに、あまり面白くありません。そこで、アブラハムの僕がイサクの妻リベカを見出した時の話から一部だけを切り取ってみます。僕は主人アブラハムから「息子イサクの妻を探しなさい」と命じられます。加えて「自分たちが今いるカナンからは妻を取ることは禁じる」、「イサク本人は連れて行くな」と言われ、途方に暮れてしまいます。そこで、彼は神さまに祈って、リベカを見出すのです。この時の祈りが今朝の箇所です。僕は「町の娘に水を求めますから、その娘が私だけでなく、ラクダにも水を飲ませてくれたなら、その娘をイサクの妻とさせてください」と祈ります。なんて雑な選び方…と思うのですが、一方で、決断で途方に暮れた時には、「神さまに祈って結果を待つ」という決断の仕方もあるものです。
  自分のことでも思い起こすのですが、今から17年前、神学部の専攻科にいた私は翌年春から開校される神学部大学院に進むか、専攻科を卒業してどこかの教会に着任するか、悩んでいました。ある事情があり、神学部に留まり続けるのが辛い時期でした。まだ学びは足りないと自覚しながら、神学部は出たい。そんな中で私は神さまに祈って、決断を任せました。「神さま、2月に大学院の入試を受けます。もしあなたが、しっかり学びなさいと言われるのであれば大学院に進ませ、もう現場に出なさいとお考えであれば入試を落とし、4月までにどこかの教会に着任させてください。」結果は入試に合格し、学びを深め、辛い課題に向き合い続けることとなりました。けれど、その経験が今、牧師としての自分の肥やしだし、あの経験があったからこそ家族が与えられたし、久留米教会にも着任することになりました。あの時、「うえー、残るのやーめた」と自分の感情に従わなくて良かったと本気で思います。
  不思議ですが、神さまの導きは私たちには見出せない未来まで見通して与えられます。その時には意味が分からなくても御心と信じて従い抜けばいいのです。信じた先に導きは拓かれています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、あなたの御心が分からない時には、自分にとってしんどい決断であっても、あなたの御心を求めて従い抜くことを分かち合いました。あなたの御心は深く、導きは私たちの予想しえない先まで見通しての導きです。であるからこそ、神さま、私たちにあなたを信じ抜く信仰と忍耐をお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

20日(火) 創世記25章19-34節
一言メッセージ:今朝からはアブラハム、イサクに続く族長ヤコブの物語です。「族長」は一般的には民族の長なのですが、聖書では特にイスラエル民族の出発点となった3人を指します。けれど、その族長ヤコブはイサクの長男ではなく、双子の次男でした。通常の家督相続から言えば、不可解な話なのです。けれど、今朝の物語では兄エサウと弟ヤコブとの関係が明確に描かれています。
  兄エサウは活動的で単純ですが、弟ヤコブは少々狡猾です。兄の調子の権利を狙い続けています。兄も兄なのですが、腹ペコの時に食事を餌に長子の家督相続の権利を得られると思う弟も弟です。浅はかすぎますが、どうしてこんな人物が族長となるのか。でも、そこで私たちは自分たちの考えを改めさせられます。以前、「聖書が聖書であるのは、登場する人物は聖なる者なのでなく、神さまご自身が聖なる方であるということ」と話しましたが、同じように、族長も本人が優れた人物であるかどうか以前に、先ず神さまの決断があるのです。逆に言えば、問題ある人物であっても、神さまは私たちに関わってくださるのです。自分たちを考えればよく分かりますが、私たちは誰一人、「わたしは清廉潔白で、罪ひとつ犯したことがない」と言えない。けれど、その私たちが神さまに愛され、救われ、信仰者となれた。族長ヤコブもそうです。数日、彼の物語を読みますが、褒められないことだらけです。けれど、神さまがいかに関わってくださるかを見ていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝から族長ヤコブの物語を読み始めました。ヤコブは物語の最初から、あまり感心しない姿が描かれます。けれど、私たちはそのヤコブと自分たちを重ね合わせながら、みことばを分かち合っていきます。どうぞ、ヤコブを通して、あなたの愛と祝福が私たちにも与えられていることを知ることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

21日(水) 創世記27章1-45節
一言メッセージ:今朝は長い箇所を選んでしまいました。父イサクが老齢のため、家の権利を長男エサウに相続しようとした時に、母リベカと弟ヤコブは父を騙して長子の権利を奪い取ります。ひどい話です。「子山羊の毛を身体に巻きつければお父さんを騙せる」みたいな雑な話ですが、完全なる詐欺行為です。リベカとヤコブは「上手くいった」とほくそ笑んだでしょう。けれど、物事は思わぬ方向に逸れて行きます。狩りから帰ってきた兄エサウは怒り心頭で、41節では「父が死んだら、弟を殺してやる」と息巻いています。それを知ったリベカはヤコブを呼び、「お兄さんがお前を殺そうとしています。すぐに逃げなさい」と言って、自分の兄ラバンの許へとヤコブを逃がすのです。ここに注目したいのです。家の相続権を得て、一家の全てを手にしたと思ったヤコブは、その全てを棄てて我が身一つで逃げ出さねばならなくなったのです。ここが人生の不思議さです。ヤコブは将来の約束を得たと思ったのに、それまで持っていた家族の権利すら失ったのです。
  さて、ここからがヤコブ物語の面白さです。明日読む箇所ですが、28.10-22で初めて、ヤコブは神さまの働きかけを感じるのです。全て順風満帆だった時ではなく、全てを失った時にこそ神さまを身近に感じる。これは信仰の1つの側面です。自分の知恵、力、周囲の協力を失ったその時に、神さまの偉大さを知らされるのです。それまでも神さまは共にいてくださったはずなのに、それまでは気づかなかったヤコブ。さぁ、ここからヤコブの人生が始まっていくのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ヤコブは詐欺を働き、父と兄を黙り、家の権利を奪いました。全てが上手くいったと思ったでしょうが、その途端に彼は全てを失います。家族の権利も、優しい母とも別れ、父の落胆、兄の怒りを背に逃げ出さねばなりませんでした。しかし、その時にこそヤコブはあなたと出会っていきます。神さま、私たちも思い通りに人生を生きられぬことは多々あります。ですが、どうぞ、その時をあなたと出会うチャンスとして生かしてください。私の思い通りよりも、あなたの御心のままこそが最善だと悟らせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

22日(木) 創世記28章10-22節
一言メッセージ:今朝の箇所ではヤコブは兄エサウから逃げる途中の野宿の場面です。彼は石を枕に眠りますが、その時に夢を見るのです。聖書では夢や幻は人間を超越する存在のメッセージと受け取られます(必ずしも神さまや天使だけではないのですが)。彼が見たのは天まで達する階段と、そこを上り下りする天使たちです。でも、注目したいのは13節「主が傍らに立って言われた」であり、その後に神さまが自ら語り掛ける言葉です。神さまの方からヤコブに近づいて来られる。この時のヤコブは逃亡者なのに、神さまは自らヤコブの傍らに立ち、語り掛けられるのです。その言葉は7つの祝福です。①土地の授与、②子孫の繁栄、③他民族の盟主の約束、④「共にいる」、⑤「守り、連れ帰る」、⑥「あなたとの約束を果たす(決して不履行はしない)」、⑦決して見捨てない。神さまの祝福のオンパレードなのです。ヤコブは仰天して飛び起きますが、逃亡の最中ですから、神さまの約束に応える術はありません。ただ、枕にした石を地面に立てるだけです。
ここに、聖書の神さまと日本的な寺社仏閣の神の違いを感じます。神社では、先ず人間が神仏の傍まで出向き、祈祷とお供えをして、見返りが与えられます。けれど聖書の神さまは、先ず自らが現れ、私たちへの祝福を与え、その祝福に私たちが応答していくのです。つまり、私たちの信仰とは見返りを求める算段でなく、神さまへの感謝であり、期待なのです。
あなたは今、神さまに何を期待しますか?ヨハネの手紙一5.14のように、自分の利でなく、神さまの御心に適う願いながら、きっと叶えられます。それがどんな時に、どんな仕方で…かは分かりません。それこそ「神のみぞ知る」ですが、神さまに期待し、感謝して今日も歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はヤコブへの顕現と祝福の物語を読みました。あなたはヤコブが何も持たぬ時、いや逃亡中であるにも拘らず、自ら現われ、豊かな祝福を約束されます。神さまのあなたの慈愛に心から感謝します。私たちにもヤコブと同じくあなたの祝福と伴いを感じさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(金) 創世記29章15-30節
一言メッセージ:今朝の箇所は何かメッセージを得るというよりも、ヤコブの新しい家族についての報告です。なぜ、一日分のみことばメールを用いてまで書くかと言えば、これがヤコブ物語の後半と次のヨセフ物語の素地となるからです。
叔父ラバンの家に着いたヤコブはそこで、従姉妹たちと結婚することになります。が、ここに複雑な人間関係ができてしまいます。ヤコブは妹ラケルを好いたのですが、叔父はヤコブを騙し、最初に姉のレアと結婚させ、その後にラケルとの結婚を許します。兄エサウを騙したヤコブが叔父から騙されたわけです。ともあれ、ヤコブは念願のラケルを妻とします。
  すると、29.31-30.24ではヤコブの子どもたちが生まれた報告があります。ヤコブの息子は12人生まれます。では、誰との間に生まれた子なのか、に注目しましょう(何番目かは分かりやすく、番号で記します)。①ルベン、②シメオン、③レビ、④ユダは姉レアとの子どもです。当初、愛妻ラケルとの間には子どもが生まれなかったのです。29.31で「疎んじられていた」姉のレアは得意でしょうが、妹ラケルの心中は穏やかでない。30.1では姉への嫉妬から、自分の女召使ビルハと夫の間で性行為を持たせ、⑤ダン、⑥ナフタリをもうけます。自分の息子として育てようとしたのです。すると、姉レアも同じことを行います。自分の女召使ジルパに夫ヤコブと関係をもたせ、⑦ガド、⑧アシェルが生まれます。その後、再び、姉レアとの間に⑨イサカル、⑩ゼブルンが生まれます。加えて、女子であるディアも生まれます。そしてようやく、⑪ヨセフが妹ラケルとの間に生まれるのです(⑫ベニヤミンは後に生まれますが、産後の肥立ちが悪かったのか、出産直後の35.16でラケルは亡くなります)。ヤコブは叔父の家で家庭を作りますが、そこにも自分と兄のような、ごたごたがあるのです。今朝は今後の物語の素地でしたが、ヤコブの家族を見ながら、ヤコブ自身の生い立ちと重なるような、家族間のぎくしゃくが見られるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所は今後の物語の素地でした。神さまの祝福をいただいたヤコブも様々な課題を抱えていました。神さま、ここからあなたはどうヤコブを導かれるのでしょうか。どうぞ、あなたの導きを見出させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

24日(土) 創世記31章1-21節
一言メッセージ:さて、ここからヤコブの人生は、その課題の1つ1つが整えられていきます。先ずは20年過ごした叔父ラバンの家から、元の家に戻ることです。聖書を読みますと、叔父ラバンはヤコブが出ていくことを認めようとせず、ラバンの息子たちもヤコブ一家に対して冷たい(31.1)。そこで神さまはヤコブに「故郷である先祖の土地に帰りなさい(2節)」と告げます。この時にも「わたしはあなたと共にいる」との約束が繰り返されます。では、その約束の下で何が起こるでしょう。これは非常に不思議なことなのですが、14節を見ますと、レアとラケルの二人の間に対立や変な交渉関係が無くなっているのです。二人とも「父の家を出て、ヤコブについていく」と言うのです。神さまの「共にいる」との約束は、先ず、乗り越え難かったはずのレアとラケルの関係を変えることから始まっているのです。
そこでヤコブは一家を率いて、叔父の家から逃亡します。不思議なもので、かつて兄エサウから逃亡したヤコブは、今度は叔父の家から逃亡するのです。しかし、今度は何も持たない旅ではなく、家族を連れての帰郷でした。31章の終わりまで読みますと、叔父ラバンはヤコブとの間に契約を立て、ヤコブたちを無理やり引き止めないこととなりました。こうして、1つずつ、ヤコブの問題が整えられはじめたのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたの「共にいる」との約束はヤコブの課題を1つずつ取り除いて行かれます。妻であるレアとラケルの関係を対立でなく協力へと導き、叔父との和解も実現されます。神さま、あなたの不思議な御業を見出します。あなたの御心こそは不思議な時に、不思議な仕方で実現します。神さま、わたしたちもあなたに期待します。どうか、私たちの課題においても、あなたの御業を行ってください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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