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2021-07

7月4日~7月10日のみことば - 2021.07.03 Sat

7月に入り暑い毎日です。
今日から雨が降り始めましたが、湿気と暑さで余計に体力を奪われそうです。
どうぞ皆さんお体ご自愛くださいね。

今週も日々のみことばをどうぞ!
みことばによって慰められ、戒められ、励まされ、押し出されながら歩む素晴らしい一週間でありますように!!

***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 新約聖書 / 旧約聖書
・書名選択     : マタイによる福音書 / 創世記
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

4日(日) 創世記2章4節後半-7節
一言メッセージ:創世記には2つの創造物語が描かれています。1つは創世記1.1-2.4前半で、もう1つが今朝から始まる創世記2.4後半以下の物語です。2つの物語には創造の順序などは食い違いがあります。「聖書だから話が食い違うわけがない」と思って読むと大混乱する例です。それよりも、「聖書は様々な記述を含む、多様性を認めている」と理解し、非神話化(神話的な記述は当時の文化や表現であって、それを事実かどうかで読むのでなく、その記述を通して著者が悟った真理を伝えていると理解し、当時の理解や常識、文化を受け止めながら読む読み方)して読みましょう。
  そんなわけで2つ目の創造物語を読み始めますが、今朝は4節後半から7節と短く区切りました。注目したいのは7節です。ここでは人間アダムが創造されます。そのアダムは「土の塵」をこねて造られた泥人形です。非神話化しますと、このメッセージとは「人間はそもそも塵芥に過ぎない存在。けれど、その私たちに神さまが命の息を吹き入れてくださり、『生きる者』となった。つまり、人間とは神さまと向き合い、神さまに生かされてこそ、本当の人生を生きることができる」です。ヨハネ福音書20.22を見ますと、復活のイエスさまが弟子たちと再会する時に「息を吹きかけ」ます。イエスさまを見捨てて見殺しにしてしまった弟子たちがイエスさまから息を吹きかけられ、赦され、今一度、使命をいただく。その際にも「命の息」が吹きかけられているのです。
  今日は日曜日。礼拝にて私たちも神さまの命の息を吹きかけられ歩み出しましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝私たちは漠然と生きるだけでなく、神さまと向き合い、命の息をいただいてこそ本当に生きる者となると分かち合いました。どうぞ、私たちにも命の息を吹き入れてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

5日(月) 創世記2章8-15節
一言メッセージ:今朝はエデンの園の記述です。注目は15節です。神さまは人をエデンに連れてきて住まわせるのですが、その際に与えた役割は「耕し、守る」です。別の言葉に言い換えると、「管理する、仕える」です。一方、もう1つの創造物語では、1.26で神さまが人間を創造される際には「(あらゆる動物を)支配させよう」と語っています。この違いに注目したいのです。
  創世記では人間と自然との関わりについて2つの示唆があるのです。1つは「管理し、保つこと」、もう1つは「支配し、人の役に立たせること」。2つの理解はそれぞれに主張されてきましたが、2011年3月11日の東日本大震災以後、「管理する、仕える」が強く見直されています。それは福島第一原発の事故の反省のためです。「人間は自分たちで処理しきれないにも拘らず、驕り高ぶり、原子力という手に負えない力に走ってしまっていた」と痛感させられたのです。
  世界は神さまの創造物であり、私たち人間は神さまの御業に生かされている。だからこそ謙虚に、誠実に生きる者でありたいし、過ちを正す必要があるのです。いかなる建前、言い訳をしようとも、人間は己が都合で原子力や戦争を進めてはならないのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は自然とどう向き合って生きるのか、を考えました。人間は驕りやすく、あなたの創造を自分たちの所有と考え、やりたい放題に破壊も行ってきました。その結果は福島第一原発事故で顕著にされました。神さま、私たちは悔い改めます。どうか、私たちの手に負えぬ力はすっぱりと断念し、あなたの造られた世界を子どもたち、孫たちにも安全に遺せるように決断させてください。御名によって祈ります。アーメン。

6日(火) 創世記2章16-25節
一言メッセージ:私が結婚式の司式をする際、この箇所からお話をします。ここには聖書の示す結婚観があるからです。聖書からの内容は大きく3つです(実際の式ではもう1つ足して話します)。  ①最初の視点は「あばら骨とは何か」です。あばら骨は内臓を守るものです。古代世界の理解では命は内臓にあると考えられていました。だから、あばら骨は「命を守るもの」です。聖書の示す結婚観の1つ目は「結婚とは命を託すことのできる相手との出会い」です。実際、18節の「助ける者」は「一方が相手を支配する」ではなく、対等なパートナーを表しています。
 ②「命を託すことのできる相手との出会い」はどうやって起こるのでしょう。世界にはものすごい数の人間がいるのに何故?聖書は理由を端的に語ります。22節「主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると…」。つまり、命を託せるの相手との出会いは、神さまの御業なのです。
 ③最後の視点は、「アダムがあらゆる動物では見出せず、人間エバに見出したものとは何か」です。それは対話です。生まれも育ちも考え方も違う二人が一緒になるのですから、そりゃ、相違点も多々あります。その二人が互いの考えを語り合い、一緒に生きてこそ、二人は夫婦となるのです。
  こういった聖書の結婚観が見えてくるのですが、現代はさらに新たな視点が求められています。それはLGBTQ+の方々の結婚をどう考えるか、です。神学でも様々な議論があるでしょう。ただ以前にも書きましたが、もし私がLGBTQ+の方から結婚式の司式を頼まれたら引き受けると思います。何故なら、聖書の記した最初の結婚でのポイントは①命を託すほどのパートナーであること、②神が出会わせてくださったと確信すること、③対話を重んじること、が第一義的な結婚観だからです。昨日もそうですが、神学も今もなお検討や再理解が続けられているのです。神学が見直され、信仰も見直されるならば、私たちも常に聖書から自分を見直すことが必要なのですよね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は聖書の結婚観を見てきました。現代の状況において、聖書解釈も次々と新たな可能性を示しています。神さま、あなたの創造の業は今なお私たちの中で働き、新たな可能性という創造を生み出しています。神さま、どうぞ私たち、勝手に自分が完成されたと思いあがることなく、日々、あなたと向き合い、新たな気づきとチャレンジを続けていけますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

7日(水) 創世記3章1-24節
一言メッセージ:今朝はエデン追放物語です。蛇の言葉で食べてはならない「善悪の知識の木の実」を食べたアダムとエバはエデンから追い出されます。今朝の箇所で見たいのは3つのことです。
1つ目は人間の醜さです。神さまから「取って食べるなと命じた木から食べたのか(11節)」と叱責されたアダムは12節「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と語ります。彼はエバと神さまのせいにして、自分は不可抗力で食べたかのように語ります。けれど6節を見ますと、彼は拒否することだってできたが、自分で判断して食べています。また、エバも13節では「蛇が悪い」と言い逃れしています。ここには人間の「責任の擦り付け」という弱さが描かれています。
2つ目は、「でも、そもそも何故食べてはならない実の木が植えられていたか」という疑問です。2.9を見ますと、「善悪の知識の木」は園の中央に植えられています。確実に目に留まり、食べられる位置にあったのです。食べてダメならば、そもそも植えなけりゃいいし、絶対手の届かないところに植えればよかった。なのに何故、園の中央に植えられていたのでしょう。それは神さまの信頼のゆえです。神さまはアダムたちに「食べちゃダメ」と告げた。それで彼らが守るだろうと、信頼してくださっていたのです。この物語の根底に見出せるのは、神さまの人間への信頼です。
3つ目は、エデンからたたき出される際の神さまの配慮です。神さまはアダムとエバをエデンから追放されるのですが、21節では「皮の衣を作って着せられ」ている。大学の講義では「神さまってツンデレ」と話すとウケていますが、でもそうなのです。神さまはアダムとエバを叱りながら、けれど、彼らへの配慮をされる。そのスタンスは私たちへの関わり方と同じです。何度も何度も神さまの信頼を裏切り、罪を重ねてしまう私たちなのに、神さまは私たちを叱りながらも、どうにか立ち直るようにと信じて、手を差し伸べてくださる。だから私たちは悔い改められるのです。
エデン追放物語に見出せるのは、①人の弱さ、②神さまの信頼、③悔い改めのチャンスです。我が事と受け取って、今朝を歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の物語に私たちは自分を振り返ります。私たちもアダムたち同様に我が身可愛さで罪を重ねてしまいます。あなたが信頼してくださっているのに、です。けれど、あなたはその私たちをそれでも配慮し、立ち直ることを願ってくださいます。神さま、悔い改めます。どうかあなたを信じ、誠実に生きる私たちとならせてください。また弱い私たちの「あなたを信じて救われている」との喜びを通して、近しい人たちにあなたを伝えさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

8日(木) 創世記4章1-26節
一言メッセージ:今朝は聖書の示す最初の殺人事件です。悲しいかな、それはカインによる兄弟殺しでした。動機は嫉妬です。今朝の物語は人間の弱さをしっかりと露見させます。カインは弟アベルの献げものが喜ばれることに嫉妬し、アベルを殺害します。神さまは6節で「お前が正しいなら、顔を上げられるはずだ」と語り、暗に、比較でしか自分の価値を判断できないカインを正そうとされたのに、カインにはその意図が分かりません。神さまからアベル殺害の責められた際に神さまに泣きつきますが、その言葉13節を見ても、彼はアベルに対する謝罪ではなく、自分のことばかりに終始しています。農作物を生み出すカインと、家畜を飼うアベルが一緒に暮らしてこそ支え合えたはずなのに、悲しい結末です。では、この物語は何を私たちに示しているのでしょう。それは、「他人との比較でしか自分を見れないならば、私たちの心は嫉妬に支配されてしまう。そうではなく、一人ひとりが神さまと正しく向き合い、そして互いに協力し合って生きればいいのだ」です。コロナ危機の今、私たちも比較でなく、共に協力して生きる教会を目指しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の物語に、私たちは「比較に捉われるのでなく、互いの違いを認め合って協力してこそ幸いの生き方」と悟りました。今のコロナ危機は人と人とを分断します。けれど、あなたの示唆は「互いに協力して、共に生きよ」にあります。神さま、私たちから、教会から、その示唆を実現させてください。そして、この社会に、あなたに繋がってこその協力を示させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(金) 創世記9章9-17節
一言メッセージ:6章から始まるノアの箱舟物語は、物語としては興味深いことばかりですが、大胆に省略します。物語の発端は6.8にあるように「神さまの後悔」だとか、6.15で箱舟は山の中に、長さが135m、幅が22.5m、高さが13.5mで造られますが、洪水にならなければ無用の長物だったとか、8.11の鳩がオリーブの葉を咥えて帰ってきたので今の国連の平和のマークにも使われているとか、面白い話はいっぱいです。でも今朝と明日はノアの箱舟の2つの結論部に注目したいのです。
  今朝の結論はハッピーエンドの結論です。神さまはノアとその一族に「もう二度と滅ぼさない」と約束し、その証として「虹」を与えました。三男「虹太」の名づけの由来ですが、この話は「神さまの祝福」です。人間、生きていれば、望む望まぬに関わらず、様々な困難を経験します。時には人生に絶望しそうな時もある。でも、その度に私たちは虹を見上げて神さまの約束を思い起こすのです。「人生、いついかなる時にも望みは尽きず。大丈夫、神さまが共にいる。」それがノアの箱舟の1つの結論です。間もなく梅雨明けでしょう。どうぞ雨上がりに虹を探してみてください。神さまは今も私たちを祝福してくださっているのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はあなたの祝福の約束を分かち合いました。人生には困難やしんどい経験もあります。けれどあなたは、私たちがお約束を思い起こせるように、虹を与えてくださいました。神さま、どうぞ雨上がりの虹を見上げ、あなたを覚えて元気になれますように。私たちの思惑を超えて導いてくださる神さまに祈ります。アーメン。

10日(土) 創世記9章18-29節
一言メッセージ:今朝はノアの箱舟の2つ目の結論部です。昨日の結論部がハッピーエンドな励ましだとすると、今朝の結論部はとても深く、示唆に富む話です。ノアは泥酔して正体をなくすまでベロベロに酔いつぶれ、素っ裸で寝ています。次男のハムが父の姿を見て兄弟たちに話し、長男と三男が父親に着物を被せて裸を隠す。ノアは目覚めるとハムの子カナンを叱責して「呪われよ」と騒ぎます(ハム自身じゃなくてカナンが叱責されていたり、カナンを「末の息子」と語っていることに、研究者は「これって間違いだろうね」と考えています。細かくは気にしないでください)。さて、最も不可解なことは、酔いつぶれたノアの理不尽さです。正体を無くすまで飲み潰れたのはノアなのに、どうして息子に八つ当たりするのか、です。でも、ノアの置かれた状況を考えてみましょう。大洪水によって生き残ったのはノアの一族と動物の一対ずつです。ノアにとって、生き残ったことは祝福でも、同時に同胞を失った悲しみやここから再スタートの重圧はすさまじかった。つまり、「飲み潰れねばやってられない」ほどの葛藤があったのです。東日本大震災の後、仮設住居の中で家族や仲間を救えなかった悲しみや空虚感から、急性アルコール中毒の患者が激増した理由と同じです。そう考えると物語の結末は悲惨でもある。けれど、同時にとても現実的なのです。
私たちの人生は映画やドラマのように1つの困難を乗り越えて終わりでなく、なお続くのです。解決の後に、また新たな困難にも直面する。でもそんな私たちにとって「困難に打ちひしがれるノアが自分の恐れや空虚さを抱えながらも、もう一度、世界に向き合い、神さまの創造を始めていった」と読む時、そこには「この現実から始めていこう」との励ましを見出せるのです。昨日の話と重ねて読みますと、神さまはノアの悲しみや空虚さ、恐れを全て受け止めてくださった上で、なお、祝福の虹を与えられたとも読めるのです。ノアの箱舟物語は現実に重なる励ましなのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ノアの箱舟の2つ目の結論部を読みました。今朝の物語はどこか、私たちの現実に即した結論に思えます。だって、私たちはノアのように投げやりになりたくなるような時がありますから。でもあなたは、ここまで悲しみや空虚感に苛まれたノアと共にいてくださり、ここからもう一度、世界を始めてくださいました。神さま、私たちはあなたの伴いを信じ、期待します。どうぞ今、課題を抱える人々にも寄り添い、慰め、励まし、立ち上がらせてくださいますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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