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2021-07

春来る&3月21日~27日のみことば - 2021.03.19 Fri

3月も半ばを過ぎ、すっかり暖かくなりました。
教会・幼児園の庭の桜もついに開花!
子供たちが植えたチューリップも次々に花を咲かせています。
いよいよ春がきたなぁという感じ。
同時に花粉や黄砂もやってきて、鼻と目も「春が来た」と知らせてくれます(^^;)

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今度の日曜日(21日)は卒業礼拝としてささげます。
それぞれの学校での学びを終えて新しい出発をするひとたちに祝福を祈ります。
同時に教会は現在イエス様の十字架の苦難に思いをはせる受難節(レント)を過ごしています。
イエス様の苦しむ場面は聖書を読んでいても苦しく、人間の罪深さに心が痛くなるけれど、その人間のどろどろした醜さをもまとめて愛し、救ってくださったイエスさまのことに思いをはせるときに、そこには感謝と賛美が生まれます。受難節のとき、目を背けることなく人間の闇に眼を留め、それをも打ち破る神さまからの愛の光に感謝して過ごしたいと思っています。

もちろん今度の日曜日もライブ配信いたしますし、当日朝にはホームページの礼拝メッセージページからメッセージの音声を聞けるように準備いたしますので、当日参加できない方も是非聖書からのメッセージを聞いてみてくださいね。

新しい週も皆さんの上に神さまの祝福が豊かにありますように♪
では、今週のみことばをどうぞ!

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 新約聖書
・書名選択     : マタイによる福音書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

21日(日) マタイによる福音書11章25-30節
一言メッセージ:今朝の箇所はとても有名な箇所ですが、私たちは昨日までの流れを思い起こしながら読みましょう。昨日までの箇所でイエスさまは「あなたがたには神さまの救いが示唆され続けているのに、多くの人が自分たちの都合や思惑ばかりに捉われ、神さまの御心を悟ろうとしない」と言われていました。その流れで今朝の箇所なのです。イエスさまは、この神さまの救いが「幼子に示された」と語ります。それは、「どれだけ律法を遵守できるかが救われるかどうかの基準だ」とか「病気の者は神さまから見放されたんだ」といった人間の判断基準で神さまの御心を捻じ曲げるのでなく、ただただ純粋にイエスさまのみことばを信れば良いと告げられたのです。
  そして、イエスさまはあの有名なみことばを語ります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」軛は家畜の肩にかけて地面を掘り起こす際に使う農耕具です。イエスさまの時代、この軛は並列で二連立てのものが一般的でした。つまり、イエスさまの言葉は「疲れた者は私のところにおいで。あなたが抱え込んだ人生の重荷ではなく、神さまから与えられる人生を私が示し、私があなたと一緒に生きる」との約束でした。このみことばもイエスさまらしい。徹底的に、私たち人間と共に生きる救い主イエスさまの姿が示されているのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、イエスさまが私たちに徹底的に寄り添い、生きてくださる救い主だと示されました。今の時代、コロナによって多くの人が人との繋がりが希薄になり、孤独感を感じています。でもあなたは「私が決してあなたを見捨てない。だからおいで」と招いてくださいます。神さま、どうか私たち、あなたに繋がっていることを喜び、信じて歩む者であれますように。また、あなたに繋げられた兄弟姉妹と共に生きている祝福も改めて感じさせてください。今日は日曜日、礼拝の時です。どうか会堂とネットを繋いで、共に礼拝に与れますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

22日(月) マタイによる福音書12章1-8節
一言メッセージ:今朝の箇所も、昨日の「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい」とのみことばを意識して読みましょう。さて、今朝の箇所では、安息日にイエスさま一行が麦畑を通った際に出来事が書かれています。弟子たちは空腹のあまり、「麦の穂を摘み」、手で揉みほぐして食べ始めました。すると、ファリサイ派の人たちが「あんたの弟子は何てことをしよるとか!」とイエスさまに詰め寄ります。ちなみに「いかんこと」とは、人様の麦畑から勝手に収穫することではなく、安息日に労働と考えられていた麦摘みをしたことです。ユダヤの掟では、生活弱者が飢えてしまわないように、収穫時に一部はわざと収穫せず、貧しい人のために残していましたし、落穂は拾っても良いとされていました。また、鎌ではなく、手で摘む分は認められていました。だから、ファリサイ派は麦を摘んだことを指摘したわけではありません。彼は「神さまを礼拝する安息日には一切の労働が認められない。麦摘みは労働にあたる。だから律法違反だ」と責めたわけです。そこで、イエスさまは言います。「あのさぁ、ダビデがサムエル記上21章で神殿のお供え食った記事、読んだことあろう?また民数記28.9では祭司は安息日に仕事しても仕方んなかってある記述も知っとる?つまりさ、はっきり言うけど、律法は人が神さまの祝福をいただいて生きるためのものであって、人を縛りつけて苦しめるもんじゃないとたい」と告げたのです。
  さて、ここで昨日のみことばを思い起こしましょう。イエスさまは言いました、「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。…わたしの軛は負いやすく、私の荷は軽いからだ。」それは正に、「人々が、神さまの御心に従うと思いながら形骸化させ、内実を失わせた決まり事で人が苦しめられる、そんな状況じゃなくて、神さまの本来の御心に立ち返って、自由と祝福を享受して生きられるようになりなさい。そのために私のもとに来なさい」なのです。イエスさまに従う、そこに本当の祝福があります。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、イエスさまがファリサイ派の人と議論なさった物語から、神さまの御心が見失われたルールは人を縛り上げることに気づかされました。考えてみると、私たちにも、意味が見失われながら「伝統、ルール」という理屈だけで守られる慣習が多いように思います。でも、今わたしたちが経験しているコロナは、そういうルールを見直すチャンスでもあります。神さま、どうぞ今、私たちがあなたに御心に立ち返り、神さまに従うからこそ得られる本来の喜びを再発見することができますように。またどうか、多くの人がイエスさまを信じて、あなたによる自由と祝福を得ることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

23日(火) マタイによる福音書12章9-14節
一言メッセージ:これも昨日同様、「神さまは何のために律法を与えられたのか」というイエスさまの問いかけの物語です。イエスさまが会堂に入ると、そこに手の動かない男性がいました、イエスさまは物語の終わりに彼の手を癒すのですが、注意して読みますと、彼自身はイエスさまに「手を癒して欲しい」とは言いません。ファリサイ派の人々が「安息日に病を治すのは律法に適っているか」と問うために、彼をダシに使ったのです。手の動かない人の視点で見れば、何て悲しい言い方でしょう。彼は手が動かないことで「神さまに罪を犯した罰だ」と言われてきた。でも彼は神さまに向き合いたいと願い、安息日に会堂にやってきていた。彼自身はイエスさまに「癒して欲しい」とは言わない。彼は神さまと向き合う安息日に、自分の都合を言ってはならないと自制したのでしょう。けれど、ファリサイ派はその彼を利用して、イエスさまを追い込もうとした。イエスさまは彼の口惜しさを受け止めてくださった。イエスさまは即座に、穴に落ちた羊の例を挙げて、「誰でも助けるじゃないか。まして、人間は羊よりはるかに大切なものだ」と語ります。言い方を変えれば、「彼もまた神さまの憐れみをいただく人間だ」と宣言された。そして、彼の手を癒します。それは病の癒しだけでなく、人と扱われなかった彼の人権の回復でした。物語の終わりは残念です。ファリサイ派は神さまの御心、御業を理解するのでなく、自分たちの面子や思惑を潰されたことを恨み、イエスさまは殺害する相談を始めるのです。
  私たちは物語を通して考えさせられます。私たちは、物語のファリサイ派のように、自分たちの願望ありきで神さまを判断するのか。それとも、自分たちの理解を超えた神さまの御心に従うのか。さて、どちらの生き方でありたいですか?
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちはイエスさまがファリサイ派の自分勝手な思惑に尊厳を踏みにじられた人が、イエスさまを通して神さまの御業に与った物語を見てきました。私たちは今、自分たちの生き方を振り返ります。ファリサイ派のように、自分の思惑、願望ありきであなたを見ることがありませんように。私の思惑でなく、あなたの御心を喜び、信じ、従う私たちであれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

24日(水) マタイによる福音書12章15-21節
一言メッセージ:昨日の箇所にて、イエスさまを殺害しようとするファリサイ派のたくらみを知ったイエスさまは、さっさとその場を離れます。けれど、こっそり立ち去ることはできず、大勢の群衆が従います。イエスさまは「バレるからついて来るな」と言うことなく、彼らから姿をくらませることもせず、彼らの病をすべて癒し、「言いふらさないでね」とだけ強めに言い聞かせるだけです。本気で逃げようとするならば、どうにも中途半端な対応に思えます。でも、そんなイエスさまの様子をマタイ福音書はイザヤ42.1-4を引用して、こう説明します。「イエスさまは神さまの御心を行うために来られた。イエスさまは誰かを排除するのでなく、自らの命を奪おうと騒ぐ者すら糾弾しない。大通りを普通に歩けないような課題を抱えた罪人たちに寄り添い、受け入れる。神を知らぬ者たちも彼に望みを抱く。」私はこのイザヤ書の引用に、自分の意に沿わぬ者を排除するのでなく、全ての者を受け入れ救おうと願うイエスさまの姿を見出す思いです。どうぞ今朝、仕事や学校、買い物など、あらゆる場面で出会う人々を見ながら思い起こしてください。イエスさまはこの全ての人を救おうとされたし、今も呼びかけておられるのだ、と。その時、私たちもまた、イエスさまの救いをお伝えせねばと思わされるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちはイエスさまの行動をイザヤ書42.1-4から読みました。イエスさまは意に沿わぬ者を排除するのでなく、ご自分の命を狙う者さえ救われることを願われました。人々に神さまの御心と御業を示し、今も私たちを救いへと招いてくださるイエスさまに感謝します。どうぞ私たちも、自分たちが出会う人たちにイエスさまの救いの一端でもお伝えすることができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

25日(木) マタイによる福音書12章22-32節
一言メッセージ:今朝の箇所は、若干話が入り組んでいます。22節は「そのとき」と始まりますので、昨日の箇所の続きです。イエスさまの周りに集まった病人がみんな癒されていますが、22節の病人は「目が見えず口が利けない」という重複の病でした。イエスさまが彼を癒すと、ファリサイ派の人々が「あれは悪霊の親玉ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのだ」と騒ぎ、イエスさまを「悪霊」呼ばわりしたのです。難癖ですが、当のイエスさまは彼らの悪意を見抜き、ユーモアで返します。ニュアンスを強調して訳しますと、「悪霊の力で悪霊を追い出すと、内輪もめが起こると。あなたたちが私を『悪霊の力で悪霊を追い出している』と誤解しているのは、そもそも自分たちが悪霊の力で悪霊を追い出しているからかな?でも違うんよ。私は神さまの力で悪霊を追い出して癒している。それはね、神さまの救いがあなたたちのすぐ傍に来ているってことの証だ。(ベルゼブルの別の意味が「家の主人」であることをシャレにして)だいたいさ、家に押し入って強盗するには、家の主人を縛り上げないとできないもんよ。だからね、俺は強盗みたいに、ベルゼブル(家の主人)を縛り上げて、叩き出してるんだ(笑)。」イエスさまは自分を「強盗」に例えるユーモアで、ファリサイ派をやり込めつつ、最期に強い警告を語ります。31-32節「ついでに一言いうから、よく聴きなよ。人間相手の過ちは必死に赦しを乞えば赦されるにしても、神さまに対する冒瀆は赦されないように、人の子(わたし)を批判するのは赦されても、神さまの御心を蔑ろにすることは赦されないからね。よく考えなよ。」
  今朝は、イエスさまの中で笑って流せるところと、流せない部分が明確に見える箇所でした。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所で、イエスさまはご自分を批判する人々にユーモアで相対しながら、神さまを軽んじることを強く警告しました。物語を見ながら、私たちは自分たちを振り返ります。私たちも自分の思惑や願望によって、時にあなたの御心を蔑ろにしていることがあったならば、どうぞ、いつもあなたの御心を求めて生きる私たちとなれますように。あなたの与えてくださる整えに期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

26日(金) マタイによる福音書12章33-37節
一言メッセージ:今朝の箇所は、イエスさまのファリサイ派の人々への警告です。簡単に言えば、「正しいことを語るならば、行いも正しなさい」です。私が神学生時代に研修させていただいた教会に、アメリカ人の宣教師の方がおられました。日本語ペラペラの方で、彼女と話していた際に、「日本語のキリスト教っていう表現はあまり正しくないです。正確にはキリスト道です。だって、イエスさまの言葉は単なる教えじゃなくて、『こう生きていきなさい』っていう促しですから」と話してくれました。2002年当時は、戦後まもない日本伝道のために多大な尽力し、私たち日本バプテスト連盟の支援し続けてくれたアメリカの南部バプテスト連盟が極端に右傾化していた時期で、執行部が「女性が牧師や宣教師であることは好ましくない」という時代錯誤な主張をし、女性牧師や女性宣教師を解任する動きが出ていました(おそらく、時代背景的に9.11同時多発テロ以降のアメリカの風潮が影響していたと思います)。彼女自身も宣教師の資格をはく奪され、アメリカに帰国せねばならないか…という時期でした。でも彼女は、南部バプテスト連盟の主張を拒否し、西南大の教授として日本に留まり、今まで通り、日本の教会のために実直に働き続けました。最後には西南大学の学長を務め、アメリカに帰国しましたが、私は彼女が教えてくれた「イエスさまのことばは、私たちに生き方を促しています」という言葉が、とても心に残っています。彼女もまた「キリスト道」を歩んだ方でした。私たちもそうありたいものです。大きな働きを行わなくても構いません。でも日々の小さな出来事で、イエスさまの御心を誠実に行う者でありたいと願います。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、イエスさまは「正しい言葉を語るならば、行いも正しなさい」と勧めてくださいました。私たちは信仰を単なる知識にはしません。イエスさまの御言葉を生きる者でありたいと願います。大きな働きはできませんが、一日一日、小さくともあなたにお応えする生き方をさせてください。私たちの救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

27日(土) マタイによる福音書12章38-42節
一言メッセージ:イエスさまから「神さまの御心に従って生きなさい」と言われたファリサイ派や律法学者の人たちは、「そこまで言うんだったら、お前が神の派遣した者だという、目に見える証拠を出せ」と騒ぎます。イエスさまは「神を知らぬ者たちほど『証拠だ』何だと騒ぐ」と語り、ヨナ書と列王記上10.1-13の物語を引き合いに出します。イエスさまが語る「しるし」は、ご自分が十字架で死に葬られることと語ります(厳密に言うと、イエスさまが葬られてから復活までの期間は二日間です。三日目には復活していますから。だから「三日三晩」はヨナ書に引っ張られた記述です)。さて、注目したいのは、ヨナ書と列王記の記述で、ニネベの街と南の国の女王が言及されていることです。実はニネベとはイエスさまから遡ること750年の昔、北イスラエル王国を滅ぼした敵国アッシリアの首都です。ヨナ書の深いテーマは「自らを滅ぼす者のために救いを告げに行くヨナ」なのですが、イエスさまはこの話を引用しながら、神を知らぬ民(異邦人)さえ、ヨナの言葉に悔い改めたと示します。また南の国はアフリカの国ですが、女王はソロモン王の知恵を聞くためにやってきて、神を信じます。イエスさまは「どちらも、元来、神を知らぬ者たちであったのに、彼らは神を信じ、悔い改めた」と示し、それこそが「ヨナにまさるもの」「ソロモンにまさるもの」と語ります。この「もの」というギリシア語に注目しますと、人を指す言葉ではなく、何らかの現象を指すための言葉です。おそらく、イエスさまの意図では「神の選びにあぐらをかき、内実、神を蔑ろにするユダヤ人ではなく、神を知らぬ民であってもその福音を知り、信じ、従う者たちによって新たな世界が始まる。それこそが神の国だ」と告げようとしたのでしょう。今朝の箇所のポイントを示すならば、「悔い改め、信じて従いなさい」です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは改めて、イエスさまから「信じて従いなさい」と促されました。どれほどの善行を積んできたかではなく、どれほど秀でた人間であるかでもなく、信じ、悔い改め、従い生きる者をイエスさまは喜んでくださいます。神さま、どうぞ、私たちをさらに深くあなたを信じる者とならせてください。弱い者でありますが、あなたを信じる兄弟姉妹の交わりに励まされながら、どうぞ共にあなたに従う私たちであらせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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