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2021-03

2月21日~27日のみことば - 2021.02.20 Sat

緊急事態宣言はまだ解除されていませんが、久留米での感染者がかなり減ってきていることや、幸い私たちの会堂は広いので蜜を避けられることを考え、日曜日の教会学校(小学科・幼稚科)と10:30からの礼拝で集まることを再開したいと思います。
もちろんマスク着用や手指消毒、間隔をあけての着席など感染防止対策をしながら行います。
集まることのできる方は、ぜひともに礼拝を守りましょう。
また、引き続きYouTubeのライブ配信も行っていますから、こちらもご視聴お待ちしています♪



**今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 新約聖書
・書名選択     : マタイによる福音書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


14日(日) マタイによる福音書6章1-4節
一言メッセージ:マタイ6章は1-4節で「施し」、5-15節で「祈り」、16-18節で「断食」と、善行と考えられた行為についての注意を呼びかけます。それは、「いったい何のためにそれをするの?」という問いかけです。今朝の箇所1-4節では「施し」をする人に、「人に見てもらおうと(1節)」願い、「ほめられようと(2節)」考え、「人までラッパを鳴らし(目立とうとする)」ことを止めなさい、とイエスさまは言われます。むしろ3節にあるように「右の手のすることを左の手に知らせてはならない(最も身近な人にすら知られないで良い)」と語ります。何故なら、神さまがちゃんと私たちに目を留め、神さまが覚えてくださり、神さまが報いてくださるからです。
  考えてみると、現代社会は常に他人の評価に振り回される社会です。まるで評価されることがその人の価値かのような誤解すら生じています。でも、評価のために生きていると、評価されなくなった時に自分が不要な者と感じてしまい、生きることが虚しくなる。それよりも「僕のことはぜ~んぶ、創造主なる神さまが分かってくださっている」と安心して平安に生きる方が遥かに幸いです。神さまを信じること、それはいつも神さまの目に留められている安心に生きること。今朝も安心して歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、周囲の評価のために生きるより、あなたの目に留められている平安と期待感に生きる方が幸いと気づかされました。どうぞ、私たちにいつもあなたの平安を与えてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

15日(月) マタイによる福音書6章5-8節
一言メッセージ:今朝は「祈り」についてのススメです。昨日同様、イエスさまは「偽善者たちが他人に見てもらおうと、派手に祈る。はっきり言っておく(この言い方は、イエスさまが大事なことを語る時の定型句です)。彼らに神さまの祝福は無い。何故なら、彼らが求めていたのは他人の評価であり、神さまの祝福ではなかったのだから。」祈りは神さまと向き合い、対話する行為です。こちらから神さまにお願いもするでしょうが、でも先日の宣教同様、神さまの示唆を聞くことが大事です。実際、8節でイエスさまは「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものを御存じなのだ」と言われました。注目したいのは「あなたがたが欲しいもの」でなく「必要なもの」と言われたことです。親は子の願望通りに何でも行いません。願って叶えられないと不平不満をまき散らすワガママな子に育ってしまうからです。だから、不要なものは与えない。神さまも同じように、私たちの祈りを聞かれながらも神さまのご判断がある。だからイエスさまは「他人の評価のために祈りのでなく、神さまと向き合いなさい」と言われたのでした。今朝から一週間の働きが始まります。神さまと向き合ってスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「祈り」について考えました。どうぞ、私たちがいつもあなたと向き合って、祈ることができますように。7節にあるように、くどくどは祈りません。どうぞよろしくです。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

16日(火) マタイによる福音書6章9-15節
一言メッセージ:今朝の箇所は、イエスさまが弟子たちに祈り方として教えられた「主の祈り」の箇所です。実は既に何度も書かれていながら、今日まで指摘しなかった事柄があります。それは9節、神さまを「父」と呼んでいることです。これはイエスさまの独自色の強い教えです。
いきなりの脱線で申し訳ないですが、面白い余談を1つ。ユダヤ人は十戒に「主の名をみだりに唱えてはならない(出エジ20.7、申命記5.11)」とあるので、古代から神さまの名を直接的には表現しませんでした。ヘブライ語アルファベットは皆さんのスマホやパソコンのフォントの都合上書けませんが、英語アルファベットではYHWHと表記します。普通の表記は子音だけで、母音は書かないのが一般的です。ユダヤ人はこの表記すら畏れ多いと考え、長年、「アドナイ」とか「ヤー」という言葉に読み替えて神さまの名前を表記しました。そうやって数百年に亘って神さまの正式名称を呼ばなかったので、ユダヤ人たちはYHWHで神さまの名前は実際にどう読むのか、分からなくなりました。そこで中世期以降、YeHoWaHという母音を加えて「イェホバ(エホバ)」という表記が神さまの名前だと言われたのです。ただ、これも後の研究者によって「YaHaWeH(ヤハウェ)が本来の読み方」と発表され、今はこちらが定説です。余談終わりです。余談で何が言いたかったかと言えば、ユダヤ人はそれくらいに神さまを畏れ多い存在と扱うのです。でもイエスさまはそんな神さまのことを「父」と呼ぶのです。それもアラム語(ヘブライ語の方言)で「アッバ(小さな子が父親を呼ぶ時の「お父ちゃん」)」と表現しました。ユダヤ人から見れば不遜極まりないが、ここにイエスさまのメッセージがあります。「神さまは私たちにとって近しくて、優しくて、いつも傍にいて下さる方。畏れすぎて、神さまを遠く遠―くにおしやってしまうのでなく、もっと身近な方と知りなさい」なのです。それも「インマヌエル(神は我々と共におられる)」の表れなのです。
さて一日のスタートです。傍に神さまがいてくださると確信し、安心して始めましょう。
祈り:アッバ、おとうちゃん。今朝もみことばをありがとうございます。今朝もあなたの守りと整えの中でスタートします。どうぞいっぱいの祝福と示唆を与えてください。出会う人々にあなたの福音の一片でも伝えることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

17日(水) マタイによる福音書6章16-18節
一言メッセージ:今朝の箇所は6章に並ぶ、善行3つの最後「断食」について、です。イエスさまは「偽善者は断食していることを他人に見てもらおうと、わざわざ苦しそうな顔をする」と語ります。不幸自慢、疲労自慢をしたがるというのです。でも、既に見てきたように、イエスさまは「他人から『大変やねぇ』と言われた時点で、報いられてる。だって彼らの目的は他人の評価だもの」と語ります。イエスさまは「何のために善行を行うの?」と問うのです。
  私たちも時に「忙しさ自慢、大変さ自慢」をしたがりますが、気をつけねばなりません。それは謙遜しているようで、「大変やねぇ」の言葉を求め、自分の自尊心を満足させていないか、傲慢(ごうまん)になっていないか。イエスさまは「善い行動をするな」と言ってはいません。「善行は神さまに分かってもらえば、それでいい」と言われるのです。周囲の人が分からなくても安心しましょう。さぁ今日も、神さまのあたたかな眼差しを感じながらスタートです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばを読みながら、私たちは自分たちを振り返りました。私たち、時に謙遜傲慢になっていませんでしたか?一生懸命アピールが鼻に着くことがありませんでしたか?忙しさも大変さも、神さま、どうぞあなたが受け止めてください。他人の目でなく、あなたに応えて生きる私たちであれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

18日(木) マタイによる福音書6章19-21節
一言メッセージ:今朝の箇所に関連する1つの伝説を紹介します。今のインドの王様が、誰も見たことないような大宮殿を建築することにした。そこで、遠くイスラエルまで最高の建築士を求めて、家臣を派遣した。イスラエルについた家臣は一人の人物と出会い、最高の建築士を知らないかと問う。すると彼は「私の弟子でトマスという男がいる。彼を連れて行きなさい」と告げる。家臣は喜んでトマスを連れて帰り、王様に接見させます。王様は「いくら費用をかけても良い。誰も見たことのない大宮殿を作れ」と命じます。トマスは早速、多額の費用を持ち出し、貧しい人々に分け与えていく。しばらく経ち、王様が「どれだけ建築が進んだろうか」と見に行くと、何もできていない。烈火の如くに怒った王様はトマスを投獄します。その夜、王様は夢を見ます。すると、夢の中で見たこともない大宮殿が建っている。その素晴らしさに感動した王様は傍にいた人に、「これは誰の宮殿ですか」と問う。すると彼はこう答えます。「これは、私の弟子トマスがあなたのために天に立てた宮殿です。」その男性はイエスさまだった、という伝説です。
  マタイ6章は「施し、祈り、断食」と3つの善行を語ってきました。全て「他人の評価のために善行を行うのでない」と告げてきました。そして今朝の箇所は「天に富を積みなさい」と語ります。神さまの目に留まっていることに安心し、誠実に生きるように勧められるのです。今の社会に訴えたいみことばであり、物語です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「天に富を積め」と語られました。今の時代、人々は周囲の評価によって自分の価値を測ろうとします。でも神さま、私たちはあなたの目に留まっていることに安心し、誠実に生きていくことを願います。今は課題が多くても、どうぞあなたの整えと導きと祝福とを確信し、今日も歩めますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(金) マタイによる福音書6章22-24節
一言メッセージ:今朝は2つの話を選びました。1つは「身体の灯」の話です。日本語で「目は口ほどに物を言う」という諺がありますが、ユダヤ人は「目は心を表す」と考えていたようです。イエスさまは「今、お前の目は輝いているか?」と問われるのです。もう1つは「神さまと富、どっちを大事に生きるの?」という問いかけです。富が義人化され、人間を神さまから引き離そうとする存在として描かれています。どちらの話も、「お前は今、どう生きている?神さまに目を向け、誠実に生きているか?」と問う言葉です。
  人間は誘惑にとても弱いです。力や富の誘惑はとても魅力的ですが、では果たして、力や富は果たして人を幸せにできるのでしょうか?今から20年前の2001年、「ロード・オブ・ザ・リング」というファンタジー映画が公開されました。ホビットという弱い種族の主人公が世界を支配できる力を秘めた指輪を手にしてしまいます。その指輪はかつて封印された魔族の王の力を閉じ込めた指輪でした。物語は指輪をめぐり、誘惑に翻弄される者たちと、誘惑に必死に抗いながら皆で生きることを願う主人公、という物語です。作者のトールキンは熱心なカトリック教徒でした。彼もまた、「人は誘惑に屈するのでなく、神に誠実に、他者と愛し合って生きるべきだ」と訴えたのでした。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちはイエスさまから「お前は今、どう生きている?神さまにまっすぐに向き合い、誠実に生きているか?」と問われます。神さま、私たちは誘惑に弱いです。でも、誘惑に屈することが幸いではないとも知っています。どうか一時的な誘惑に負けぬように、神と他人に誠実に生きる私たちであり続けさせてください。私たちの人生の同伴者であり、導き手であるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

20日(土) マタイによる福音書6章25-34節
一言メッセージ:今朝の箇所はマタイ6章のまとめです。イエスさまは神を信じる人と信じぬ人を対比して語っています。両者は「今」の理解が異なります。神を知らぬ人々は、神の祝福や導きを信じませんから、自分や周囲の能力によって「今」を少しでも良くしようと努力します。けれど、人の力には限界があるため、自分の能力や周囲の協力がその人の限界になってしまいます。イエスさまも「飲み食いや富(衣服)のために今を生きようとするが、でも自らの寿命を延ばすことはできない」と指摘します。一方、信仰者は神さまの導きと祝福を信じます。だから、空の鳥や野の花(野の花は貧しい人が竈の焚き付けにするために前日にちぎって輪を作り、一晩乾燥させて使った)のように、自分の努力や能力を超えるときにも神さまの御業への信頼によって今を誠実に生きるのです。たとえ自分たちの人生が終わろうと、その先に神さまの永遠の命という祝福が約束されています。だから安心して、今を誠実に生きるのです。
ここで注目したいのは30節の終わりから。イエスさまは私たちを「信仰の薄い者たち」と言われました。「信仰が無い」ではなく、「あるのだが薄い」です。でもイエスさまはそんな「薄い信仰」の私たちを切り捨てるのでなく、「その信仰からでも良い。思い悩むな(原意は「心をちりぢりにするな」)」と呼びかけます。何故なら、「父なる神さまはいつも私たちに目を留め、傍にいてくださるのだから、私たちの必要なもの(欲しいものではない)を既にご存知だ」と語ります。そして33節「だから、何よりも優先すべきは、神さまの国と神さまの正義。そうすれば、必要なものは全て、加えて与えられる」と語るのです。「加えて」です。必要な全て満たされるのです。
  既に何度も話しましたが、私が神学生だった頃の話です。ある日、仲間の神学生たちと息抜きにビリアードに行きました。帰りがけ、商店街を原付バイクで帰っていると、神学部の人文科(牧師コースでなく一般コース)の学生がいる。声をかけ、原付を降り、エンジンを入れたまま押して歩いてしまいました。すると後ろからタクシーがクラクションを鳴らす。道の端に避けようとハンドルをきった弾みで、アクセルが入ってしまいました。原付はファーンとウイリーして、前輪が24時間果物屋さん(何でこんな店があったのだろう?)に商品台の端に落ちました。ガッシャーン。で、季節外れのブドウやリンゴなど,6810円分弁償させられました。がっかりして寮に帰り、寮母さんに果物を渡すと翌朝からデザートが豪勢に。同期の一人は「主よ、『日用の糧を今日も』でなく、『今日の豪勢な糧を日々』」と祈っていましたが、痛むのは私の懐です。貧乏学生にとって6,810円は痛い。するとタイミングよく、数日後に神学部に短期のバイトの話が来ました。早速飛びついた私は10時間働きましたが、後日、バイト代をもらってびっくり。金額は6,890円でした。神さまは弁償代を補い、加えて80円と、生涯にわたって語れる説教ネタをプレゼントしてくれました。
  だから今日も自信満々で皆さんに言います。「何よりも先ず、神の国と神の義を求めましょう。そうすれば、必要は皆、加えて与えられます。」
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は一週間読んできたマタイ6章をまとめるみことばでした。私たちは他人の評価を求め、誘惑に弱く、すぐに目先のことに翻弄される者です。でもイエスさまは、そんな私たちの「薄い信仰」を認めてくださりながら、「最も優先すべきは神さまの御業と神さまの正義」と告げられます。神さま、どうぞ私たちにいつもあなたに目を向け続ける信仰と、実直にあなたに従い得る行動をお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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