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2021-07

1月24日~30日のみことば - 2021.01.23 Sat

ホームページのお知らせに掲載していますが、先日発表された緊急事態宣言を受けて、久留米教会では水曜・木曜の「聖書の学びと祈り会」、また日曜日の教会学校小学科・幼稚科をしばらくお休みいたします。
また、礼拝は可能な方はYouTubeのライブ配信を通してネット参加してもらうことにしています。
ライブ配信視聴が難しい方は、引き続き感染予防をしながら礼拝堂にて礼拝します。
久留米市でも、感染者が増え、クラスターも起こっていてなかなか第三波の出口が見えずに不安になりますが、聖書の言葉を通して心に平安が与えられますように。
祈りつつこの時を過ごしていきたいと思います。
皆さんのこころにも、神様からくる平安がありますように。。。

**今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 新約聖書
・書名選択     : マタイによる福音書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

24日(日) マタイによる福音書4章12-17節
一言メッセージ:今朝の箇所はイエスさまの宣教の始まりの箇所です。ただ、悲しいことに、イエスアさまの師であるバプテスマのヨハネがユダヤ王ヘロデ・アンティパスによって捕えられます(14章参照。ヨハネが逮捕された理由は、ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻へロディアを奪って結婚したことを批判したためです。王はヨハネの影響力を恐れて彼を逮捕しました)。本来であれば、イエスさまも悲しかったでしょう。また私たちであれば、権力の横暴に憤りながらもその力に怯え、口を閉ざすかもしれません。けれど、イエスさまはその時にこそ「悔い改めよ(回心せよ)、天の国は近づいた」と宣教を開始されたのです。私たちは「国」と聞くと「領土」をイメージしますが、イエスさまの意図は「神さまの支配」です。「今、神さまのお執成しが私たちに与えられようとしているだから、神さまに立ち返ろう」とイエスさまは告げたのです。Ⅱテモテ4.2に「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とありますが、正にイエスさまは民衆に、「悲しみや恐怖や怒りでなく、今こそ、神さまのお執成しに心を向け、自分たちを正せ」と語ったのです。
  今朝の礼拝から、私たちは緊急事態宣言を受けての対応として、基礎疾患のある方や不安な方はネット配信による家庭礼拝のお願いをしています。「折が悪い」事態です。でも、この時にもみことばに耳を傾け、神さまの御声を聞いていきましょう。神さまが今も私たちに目を留めていてくださり、必ずこの状況をひっくり返し、整えてくださることを覚えましょう。今朝も10:30、会堂やネットで皆さんと共に礼拝できることが嬉しいです。お待ちしています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。イエスさまの宣教は決して喜びのただ中で始められたのではありませんでした。師であるヨハネの理不尽な逮捕に悲しみ、憤りながら、でもイエスさまは「神さまのお執成しに目を向けよ」と言われました。神さま、今私たちもコロナ禍の渦中でみことばに目を向けます。今朝の礼拝から緊急対応を行っての礼拝となります。皆で集うことはできませんが、折が良くても悪くても、あなたのみことばに生かされ、つながっていることをしっかり感じられますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

25日(月) マタイによる福音書4章18-22節
一言メッセージ:イエスさまが弟子を招いた記事です。私たちは「イエスさまが弟子を招いた」と普通に受け取っていますが、これは当時の常識で言えばとても不思議な事柄です。というのも、当時は師の側が弟子に声をかけるのでなく、弟子入りを希望する者が頼みこんで弟子入りさせてもらい、四六時中、師の周りにいて、その一挙手一投足から学ぶのが当然だったからです。でもイエスさまは自らペトロたちに声をかけ、招かれたのです。神学者のディートリッヒ・ボンヘッファーはこの箇所で「ペトロは自分で回心することはできないが、イエスさまの招きに従って自らの網を捨てることはできた。それが彼の従順の始まりだった」と語っています。イエスさまに従うとは、最初から大きな従順を実現できなくても、今の自分から、一歩を始めるのです。また、神学者ヘンリー・ナウエンはこの箇所でペトロがアンデレと、ヤコブやヨハネと一緒に招かれたことに注目して、「弟子は同労者と共に招かれている。私たちは決して一人でイエスさまに選ばれているのでなく、共に生きる人々と共に招かれている」と語っています。
 私はそれらの言葉を読みながら、教会の皆さんのことを思います。今、私たちはコロナ禍で様々な制限や苦労を強いられています。先の収束への見通しも未だ見えません。でも、そんな時にも私たちはイエスさまに伴われつつ、今日も兄弟姉妹と共に「先ず一歩から、今日の一歩から」と招かれているのです。今日も誠実に一歩ずつ、兄弟姉妹たちを想起して歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばから「私たちは今日もイエスさまに招かれている。教会の兄弟姉妹と共に、一歩ずつイエスさまに従って行こう」との思いを新たにされました。どうぞ今日もイエスさまの促しを誠実に受け止め、小さくとも心を込めてあなたの示唆に応答していくことができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

26日(火) マタイによる福音書4章23-25節
一言メッセージ:今朝の箇所は明日から読み始める「山上の説教」の導入部です。イエスさまの言葉や行動を聞いた人々がイエスさまのところに集まってきたとの記事なのですが、注目したいのは24節です。「人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので…」。人々は自分たちだけでイエスさまのところにやってきたのではありません。自分の周囲でもイエスさまの助けを必要としている人たちを連れてきたのです。人々の間できっとこんなやりとりがあったでしょう。「今から、評判になっとるイエスっちゅう人んところに行くんやけど、お前も一緒に来るや?来るとやったら、背負っていっちゃろうか。」マタイ9.2では、同じように中風の男を連れてきた人々の物語がありますが、イエスさまは「その人々の信仰を見て」、喜び、癒しています。きっと、イエスさまも彼らが病人を連れてきたことを喜ばれたことでしょう。私たちもこの病人をイエスさまのところに連れてきた人々のように、今のこの時代、希望を見失い、孤独を抱える人たちにイエスさまを伝える者でありたいです。教会で作っている小さなトラクトも活用ください。「これ、私が行ってる教会のチラシ。日曜日の礼拝をyoutubeで流しよるけん、見てみらん?」って渡してください。福音伝道は小さな声かけから、です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は病人をイエスさまの傍に連れてきた人々の記事を読みました。自分では動くことができない病人たちは、こうやって声をかけてくれる人々がいて、イエスさまのところに赴くことができました。神さま、私たちもかつては、「教会に行ってみらん?」と声をかけてくれた人や、手を引いてくれた人、ポストに入っていた小さなチラシ、道端で見かけたポスターによって、教会を訪ねました。思い返せば、きっかけは小さいけれど、その小さなきっかけを作るために労苦してくれた人がいました。神さま、今、私たちも同じように小さなきっかけを作る者でありたいと思います。私たちに小さな勇気を与え、御用に用いてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

27日(水) マタイによる福音書5章1-3節
一言メッセージ:マタイ5-7章はイエスさまが山上で人々に教えられた「山上の説教」という箇所です。大事な箇所なので、丁寧に読んでいきましょう。今朝の中心箇所は3節です。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」並行箇所であるルカ6.20では「貧しい人々」です。マタイのように「心の」がありません。分かりやすいのはルカ版なので「貧しい人々」で読んでみます。さて、「貧しい人々」とはどんな人々でしょう。それは、自分の頼みとなるもの、例えば財力や人脈、実績などなどが無く、「今日はどうやって生きればいいだろう」と頭を抱える人々です。イエスさまはそういう人たちを「幸いだ」と語りました。何故ならば「天の国はその人たちのものだから」です。「天の国」とは神さまの守りであり、整えであり、導きです。つまり、「頼るべきあれこれが無い人たちは神さまに頼らざるを得ない。けれど、天地の創造主たる神さまに頼ることこそが最大の頼りである。この人々は『今日をどう食べられるだろう、これからどうなるだろう』と不安に思っているだろうが、その人々こそ、神さまの祝福を最も強く経験する。だから幸いだ」です。今朝の箇所でイエスさまは私たちに伝えます。「幸いな人生の最大の根拠は、他ならぬ神さま」と。私たち、今朝も神さまを信じ、委ねながら歩み始めて参りましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝から山上の教えを読み始めました。今朝はイエスさまのみことばから「あなたに頼る者が幸い」と分かち合いました。コロナ禍の中で多くの人が他人に目がいかず、自分の力や自分の仲間で固まり、「とにかく自分たちが」という風潮が目につきます。そして、誰にも頼ることのできない人々が「自助」「自己責任」の言葉で切り捨てられています。でもイエスさまはそんな世知辛い社会に対して、「神さまに頼る者が幸い」と言ってくださいました。神さま、どうぞ私たち自身が先ずそのことをしっかりと確信し、またイエスさまの救いを周囲にお伝えするものであれますように。どうぞあなたの「幸い」をこの時代に実現してください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

28日(木) マタイによる福音書5章4節
一言メッセージ:今朝のみことばは「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」です。これもイエスさまの語った言葉です。にしても不思議です。どうして「悲しむ人々が幸い」なのでしょうか。悲しむからには何かの事情があるのに、どうしてその人々が幸いなのか。イエスさまはその理由を「その人たちは慰められる」と語りました。「慰め」という言葉をギリシア語で確認しますと、パラクレートスという言葉が使われています。パラは「~の方へ」という方向を表す言葉、クレートスは「引き寄せる」との言葉です。つまり「○○の方へ引き寄せられる」のです。では「どの方へ」引き寄せられるのか。ギリシア語文法では「動作の主体が記されない受動態は、隠れた主語が神さま」という、神的受動態というルールがあります。つまり、「悲しむ人々が幸い」な理由とは、「神さまが、その人々を御自分にぐいと引き寄せてくださり、慰めてくださるから」です。ここでもイエスさまが語られたのは、神さまが涙を流す人々を見捨てず、その人々を慰め、整え、救ってくださるから、これから悲しむ人々に神さまの御業が実現するから、幸いなのです。私たちも神さまの実現される未来に期待したいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、イエスさまは「神さまによる慰め」を私たちに示してくださいました。あなたはいつも私たちに目を留めていてくださり、御業をもって私たちを整えてくださいます。神さま、どうか、私たちが自分の思惑や願望ではなく、あなたの御手による整えを待ち望み、幸いを得る者であれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

29日(金) マタイによる福音書5章5節
一言メッセージ:今朝もイエスさまのことばです。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」「柔和な」と言われますと「優しい」をイメージしますが、神学者エドゥアルト・シュヴァイツアーによりますと、ここは「権力の横暴の前に控え目になり、小さくされた者」というイメージを持つ言葉です。つまり、時の権力者の圧政によって生きる権利や基盤を奪われた人々です。イエスさまはそんな権力者の横暴を前に口をつぐむ人々に対して、昨日同様の神的受動態を用いて、「どれだけ権力者が我が物顔で偉そうしてても、神さまが彼らの横暴を見過ごすわけがない。きちんと神さまの裁きが起こる。そして、あなたたちは自分たちの生活基盤である大地を受け継ぐだろう」というニュアンスが見えてくるのです。さらに深くニュアンスを探ると、イエスさまのイメージする権力者は、イスラエルを植民地支配しているローマ皇帝を感じます。イエスさまは、「神さまの前にローマ皇帝も関係ない。神さまの御心は必ず実現するからね」と語ったのです。私たちは自分たちの目の前の事柄、社会の状況にいっぱいいっぱいになり過ぎて神さまを見過ごしてしまうことがある。でも、人生の導き手であり、頼るべきお方は神さま。その根拠をしっかりと意識して、今日も歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、イエスさまは私たちに、社会の権力云々ではなく、全知全能の主である神さまによって私たちが生かされていることを改めて示されました。実際、権力者は一時的に力を得るでしょうが、彼らの力はあなたの御前にあって、ほんの一瞬に過ぎません。私たちはその一瞬に翻弄されているに過ぎません。神さま、どうぞ私たちが、一瞬に目が奪われるのでなく、永遠の導き手なるあなたに目を向けて、誠実に生きる者であれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

30日(土) マタイによる福音書5章6節
一言メッセージ:今朝もイエスさまのみことばです。「義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。」「義」は正義とか公正という意味合いを持ちますが、6節のギリシア語原文を見ますと「義」に定冠詞が付き、「あの義」とされています。それは「神さまの義、神さまの正義」です。社会の中で「なんで、こんなことになるの?神さま、どうしてですか?」と訴える人々をイエスさまは「幸い」と語ります。何故ならば、ここ数日ずっと語っていますが神的受動態により、「その人たちは神さまによって、神さまの正義に満たされるから」です。今は社会全体がコロナ禍で不安を抱えています。でも、しっかり覚えて歩みましょう。私たちはひとりぼっちで信仰を持っているのではありません。共に信じ、共に祈り、共に期待し、共に歩む、そんな信仰の仲間たちがいる。そして今日も共に祈り合っています。「神さま、あなたの御心を私たちにも、この社会にも、今、困窮して助けを求める人々に実現しますように」って。さぁ今朝も共に祈りを合わせましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、イエスさまのみことばは私たちに、神さまの正義がちゃんと実現されていくことを示しました。私たちの訴え、叫び、祈りは虚しく響くのでなく、神さま、あなたに受け止められています。どうか全ての人々が、あなたの正義をいただき、共に今生かされていることを賛美出来ますように。私たちの救い主にして永遠の同伴者なるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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