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2021-07

めぐみのその60周年!(12月13日~19日のみことば) - 2020.12.11 Fri

今日12月12日は私たちの教会の付設幼児園「めぐみのその幼児園」の60周年記念式典でした。
本来ならもっともっと多くの方々のお声をかけて行う予定でしたが、こういった状況ですので、在園児とそのご家庭、また小学生までの卒業生のご家庭にお知らせをして、感染防止対策をしつつ行いました。
式典ではまず記念礼拝がもたれ、長年園長を務めてくださっていた吉田晃児先生が赤いリボンを用いて「めぐみのその還暦祝いの赤」「歴代の先生たちの情熱の赤」「イエスさまの十字架での血潮の赤」の3つを中心にお話してくださいました。
また、第二部では在園時によるクリスマスページェント(イエス・キリスト降誕劇)が行われました。いつもと違った特別な舞台での劇となりましたが、子どもたちは立派に演じ切ってくれました。在園児家族は子どもと一緒に緊張を味わいながら、卒業生とそのご家族は懐かしみながら、子どもたちの演技に見入っていました。毎日の練習の積み重ねと子どもたちの成長に大きな拍手!!素晴らしい式典となりました。

この60年でたくさんの子どもたちがこの「めぐみのその」から巣立っていきました。時には(現在もそうですが)卒業生のお子さんやお孫さんが入園してくることも。60年という歴史の長さとそこに関わってくださった方々の積み重ねが今の園を作っているのだと実感します。
久留米教会祈りの中、初代牧師のお連れ合いの働きから始まっためぐみのその。そこにはいつも、教会・園・園児のご家族の三者の祈りと信頼関係がありました。そしてそれを全部包み込むように、神さまの支えと導きがあったことを思います。
今日、子どもたちを取り巻く環境は益々多様に、ますます厳しくなっていますが、「すべての人はそのままで神さまに愛されている」という聖書からの変わらないメッセージに基づき、神さまから与えられた子どもたちひとりひとりの命が思いっきり輝いていける園でありますように、また子どもたちだけでなくそこに関わるお一人おひとりがほっと安心できる場所となりますようにと祈りを新たにしました。
60年をみちびいてくださった神さまに改めて感謝です。


***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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13日(日) 箴言21章21-31節
一言メッセージ:今朝は26節に注目したいと思います。「欲望は絶えることなく欲し続ける。神に従う人は与え、惜しむことはない。」とても含蓄のある言葉です。誰しも「あれが欲しい、こうしたい」という欲を持ちます。それ自体は問題ではありません。でも欲のままに生きていきますと、「次はあれ、次はもっと」と際限なく欲し続けてしまうのです。一方、周囲に分け与える時、私たちは一緒に満足する充足感を味わいます。実はその充足感は非常に人にとって大きな喜びです。何故なら、その喜びは自分だけのものでなく相手と一緒に経験でき、長く共有できるものだからです。
  マザーテレサの逸話を思い出します。ある時、マザーの孤児院でお砂糖が欠乏し、弱り果てたことがあったそうです。そんなある日、一組の親子がマザーを訪ねてきました。幼い男の子はマザーに小さな包みを差し出して言ったそうです。「お砂糖が無いんでしょ?僕、三日間、お砂糖使わずに貯めたんだ。使って。」マザーは彼の申し出に深く感動し、その喜びを孤児院でも、修道院でも、様々な講演でも語りました。一人の男の子のくれた三日分のお砂糖は、大勢の人に神さまに従うことの尊さと恵みを伝えてくれました。
    今はアドベントの時ですから、最後に私たちに与えられた最大の贈り物を考えてみましょう。それは救い主イエスさまです。神さまは独り子を惜しむことなく、私たちの救い主として与えてくださいました。それは、神さまが私たちを愛し、私たちと共に喜びを分かち合うためです。神さまは私たちを本気で救おうと決意されたのです。どうか今年のアドベント、このイエスさまの愛を強く、深く実感できますように。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は欲望について考えました。神さま、今の社会を見ていますと強く感じます。人が己の欲望に押し流される時、自分の利益を正当化し、結果、自分のために他者が犠牲となることさえ見えなくなります。でも、他者のために与える時、私たちはモノを持つこと以上の充足感を周囲の人と共に味わうことができます。イエスさまが「受けるより与える者が幸い」と語られましたが、神さま、どうか私たちも「我が我が」と我欲に走るのでなく、多くの人と喜びを分かち合って生きる者とならせてください。どうか私たちが驕ることなく、いつもあなたの目に誠実に生きる者となれますように。そして何より、私たちに与えられた最大の贈り物、救い主イエスさまの誕生を多くの人と分かち合うことができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

14日(月) 箴言22章1-16節
一言メッセージ:今朝の箇所では3つの節に注目しましょう。1節と6節と15節です。1節は新共同訳では分かりにくいのですが、「名誉」も「品位」もどちらも世評と関係する言葉です。分かりやすく訳すと、「賢者や義人として認められることは莫大な財よりも価値があり、義人との人望を得ることは金銀にまさる」です。その上で15節。賢者は、若者が無知で自分の願望に走りがちな存在であることを理解します。だから、彼らには「ダメなもんはダメ!」とする厳しい諭しが必要だと語ります。それは6節、若者を賢者や義人と育てるためです。若い時分から誠実にみことばを教えられて育った者は年を重ねても道を踏み外すことがない、と賢者は言うのです。そして、そうやって誠実に生きる人は最初の1節のように、莫大な財に優る人生を歩むのです。
  先日、幼児園のクリスマス会が行われました。幼い子どもたちが毎年のようにイエスさまの誕生劇を演じました。我が家の次男も今年で卒園ですが、何年も演じてきたからか一人で全てのセリフを覚えているようです。きっと、他の子どもたちも同様でしょう。いつか彼らが大人になった頃、何か挫折を経験する時、きっと自分のそれまでの人生を振り返るでしょう。その時、イエスさまのことが彼らの中に呼び起こされ、立ち直る希望となることを祈っています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は幼子たちにみことばを語り伝える大切さを思いました。イエスさまのことを語り伝えることで、園児たちが将来、イエスさまを思い起こすことができますように。正に今のコロナ禍のような時に、自分がひとりぼっちだと誤解し、孤独に陥ることがありませんように、彼らの中にみことばをしっかりと根付かせてください。またどうぞ、今この時、卒園生たちがしっかりとイエスさまを思い起こしながら、自分たちの現実と向き合えていますように。いのちのみことばなるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

15日(火) 箴言22章17-21節
一言メッセージ:今朝の箇所から24章22節までは「三十句」と呼ばれ、30の格言が記されるとされています(どこで30を区切るかは研究者によってバラバラです)。今朝の17-21節はそんな三十句の始まりです。賢者は「あなたが神さまを信頼し、神さまの祝福をいただいて生きられるように、30句を書きつけよう」と語ります。その中で私は18節に目を留めたいのです。賢者はみことばを「腹に納め、ひとつ残らず唇に備えておけ」と語ります。「唇に備える」とは、ふと何気なく口に付いて御言葉を語れる状態です。賢者は何気なく歌を口ずさむように、みことばを語れるようにしなさいと勧めます。私はこのことはとても大事だと思うのです。
  以前、一人の方の証を伺いました。彼女は三人の子どもを育てるシングルマザーです。夫と別れた後、子どもたちを立派に育てようと自分を律し、家でも仕事でも人一倍努力したそうです。でも、ある時とても疲れきりました。知らず知らず、気を張り続けていたのです。仕事からの帰り道、彼女は感情が留められなくなり、公園の駐車場に車を入れて号泣したそうです。一生懸命やっているけれど、子どもたちに十分に関われていないことが申し訳なく、でも養うためには必死で働かざるを得ず…と行き詰まり、頭が真っ白になっていたそうです。しばらくして、ふと気づくと、彼女は自分がハンドルにしがみ付きながら主の祈りを祈っていたことに気づいたそうです。意識していなかったのに、自分は静かに主の祈りを祈っていた。その時彼女は、心乱れていた自分の傍らにイエスさまが伴っていてくださって、一緒に祈ってくださっていたような平安を覚えたそうです。彼女は「大丈夫。イエスさまがいつも共にいてくださるから」と確信し、子どもたちの待つ家へと帰って行ったと話してくれました。
  賢者が「ひとつ残らず(みことばを)唇に備えておけ」と勧めてくれた事柄は真実です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はみことばを唇に備えることを分かち合いました。あなたのみことばは私たちの足の灯、道の光です(詩編119.105)。それは確かな真実です。私たちは弱く、時にあなたを忘れがちになるでしょう。でも神さま、どうぞそんな時にも私たちがあなたに立ち帰れるように、いつもみことばを身近に覚えさせてください。あなたのみことばによって生かされる私たちであれますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

16日(水) 箴言22章22-29節
一言メッセージ:昨日から箴言の三十句を読み始めました。でも今朝の箇所が第何句から第何句かは人によって数え方が違うので数えないようにします(笑)。さて、今朝の箇所で注目したいのは22-23節です。賢者は私たちに「弱い者を踏みつけるな」と語ります。その理由が大事です。「可哀想だ」という同情ではなく、23節で「彼らの背後に神さまがおられるから」です。賢者は、いかなる相手の背後にも神さまの守りがあると伝えます。これは互いを認め合って生きる際の大事なヒントです。時に傲慢な人は、自分の言い分が全く正しいと信じ込み、相手の意見を否定し、時には「自分にたてつく奴」と考え、拒絶します。その結果、自分の間違いや、モノの観方は多様なのだと気づかずに大失敗をしでかしてしまうのです。賢者はそんな人の弱さをよく熟知した上で、「いかなる相手にも神さまが伴ってくださっていると敬意を持って対せよ」と告げるのです。
  今日も一日、働きが始まっていきます。隣人を自分のように愛して歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の賢者の示唆は、どのような相手の背後にもあなたがおられると考えて接することでした。私たちは時に傲慢になり、自分の言い分だけが正しいかのような浅はかな誤解に陥ってしまいます。でも、あなたが相手の背後にもいてくださると思い起こすことによって、私たちは正しい接し方を行えます。神さま、どうぞいつもあなたが一人ひとりに伴ってくださっているのだと思い起こす余裕と信仰をお与えください。今日の一日をどうぞ守り、整えてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

17日(木) 箴言23章1-12節
一言メッセージ:今朝の箴言にて賢者は、支配者(権力者)と食事を伴する時の警告を語ります。賢者は「相手が抜け目なくあなたを観察し、あなたを追い詰めようとしているかもしれない」と考えています。私たちにはそこまでピリッと張り詰めるような場面は多くありませんが、でも、賢者が支配者のどこに注意すべきか語った内容には注目したいのです。それは4節「富を得ようとして労するな。分別をもって、やめておくがよい(支配者が富を得ることを主目的としているかどうか、を見極めなさい)」でした。10節では一例として、「父母を亡くした子どもの土地を奪い取ろうとするな」と警告があります。何故ならば、神さまが彼らを守られているから、悪事には神さまの厳しい裁きがあるからです。賢者は徹底して「富を目的として生きるのでなく、神さまの正義に生きよ」と告げるのです。人生の目的は何でしょう。「富(利権)」が目的であるならば、「富」が得られなくなった際には支配者たちは自分以外の者を非情に切り捨てるでしょう。それは、正に今の政治の様を見ればよく分かるというものです。富に振り回される人生より、神さまと、そして人々と共に平和に生きる人生の方が素晴らしいのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに人生の目的を教えます。それは富や利ではなく、あなたが与えてくださる平和であり、愛であり、人々との共生であり、救いです。どうぞ私たちが生き方を見誤ること無く生きる者であれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

18日(金) 箴言23章13-28節
一言メッセージ:以前読んでいた本の中で22-26節について、とても印象深い話が載っていました。後にアメリカのウェスレー神学校校長をされた方が、牧師になるべく神学校に入学する日の朝、父親が彼にこう語ったそうです。「お前はこれから故郷を離れ、神学校生活に入る。いろいろな人や新しい考えに出会うだろう。お父さんお母さんがお前に教え諭してきたことと違う意見を聞くかもしれない。その時、不安になり、閉じこもりたくなるかもしれないが、決して耳を塞いではいけない。両親の言葉と違った意見であっても、それが真実なものならば聞きなさい。そして、自分の良心に問うて考え抜きなさい。納得すれば、その言葉に従いなさい。ただ耳を塞いで閉じこもり、真実なことばを避けて古い考えに安住するならば、将来お前が何を語っても人々はその言葉の中に、真実に向き合ってこなかったとの疑惑を見出すだろう。だから誠実に真理を求め続けなさい。」この言葉は誰しもが聞くべき言葉です。人は、自分の思惑や願望にしがみ付いているだけならば、真理を語り伝えることはできません。真理は私たち個人にではなく、神さまにあるのです。今度の日曜日は一足早くクリスマス礼拝です。神さまの真理に耳を傾け、誠実に応えたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はあなたの真理に生きることを諭されました。私たちは自分たちの慣習や思惑や願望にしがみ付きたくなります。特に都合の悪いことや苦労が生じることには、ソッポ向いていたいです。でも神さま、もし私たちが耳を塞ぎたくなることがあなたの示される真実ならば、どうぞ私たちをその真理に向き合わせてください。一時的な安穏に逃げ込むことなく、いつも誠実にあなたと向き合う者とならせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

19日(土) 箴言23章20-21、29-35節
一言メッセージ:今朝の箇所はお酒に関する諭しです。一言でまとめたら「酒は飲み過ぎるな」です。20-21節では「身を持ち崩す」と言われ、29節では飲み過ぎたが故に、あれこれと口を滑らせ、問題を生じさせることが警告されます。30節では、より強いアルコールを求めて際限ない様が書かれ、31-33節は翌日の体調不良が書かれ、34-35節では酩酊してアホな行動をすることへの警告が書かれます。大学生時代を思い返すとあれこれ耳が痛いですが、こんな古代から「酒は飲み過ぎるな」という警告があったことは面白いです。人間、そう変わらないものです(笑)。
  ものすごく私的なことですが、実はここ2ヵ月ほど、お酒はほとんど飲まないようにしています。それまでは、遅くまで仕事をして、冴えた頭を鈍らせるためにお酒を飲んで寝ていたのですが、あまりにも疲れが取れずに具合が悪くなっていました。僕の場合はそもそもが弱いからですが、酔い過ぎないようにアテをつまみながら飲んでいたのですが、食べると翌朝身体がしんどくなっていたわけです。そこで、ここ2ヵ月ほどお酒をグンと控えています。すると翌朝、以前よりも体力が回復していることを実感します。体力が十分に回復してクリスマスを終えたら祝い酒をしようと思っていますが、もうしばらく賢者の勧めに従ってみます。
  もちろん、「断然、断酒すべき」と言うつもりはありません。イエスさまだって、罪人と呼ばれた人々と一緒に飲み食いしていたと記されています。ただ、大事なことは「ほどほど」です。明日は日曜日、元気で、お酒が残っていない程度で礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はお酒に関する勧めでした。お酒はおいしいのですが、おいしいがゆえに、ついつい量が増えてしまいがちです。飲んでも楽しい酒をほどほどに飲むくらいであれますように。深く酩酊するのはお酒でなく、あなたのみことばであれますように。罪人たちの友となり、一緒に飲み、語らってくださった救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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