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2021-07

10月4日~10日のみことば - 2020.10.04 Sun

10月に入りました。
毎日秋のさわやかな日が続いています。

先日は中秋の名月でしたね。皆さんはご覧になりましたか?
月を見上げながら、また空に瞬く星を見ながら、「神さまのつくるものはなんと美しいんだろうか…」と静かに感動を覚えました。
いつもは気にしない月も改めてじーっと眺めるといろんなことを思いめぐらせます。
この空の上の上のそのまた上に登っていくと宇宙があるのか…と知識では知っていてもにわかに信じがたいような。しかし、宇宙のことに思いをはせてみるとここで月を見上げている自分は何とちっぽけなんだろうと思ったりもします。
でも、そんなちっぽけな私たち一人ひとりもまた神さまは大切に創り、この世に命を与えてくださった。神さまの作品という意味ではあの月と私たちひとりひとりはおんなじなんだな…なんてやっぱり最後は神さまに感謝することのできる幸いをしみじみと感じたのでした。
みなさんはどんな思いで月をながめたでしょうか?

10月も久留米教会は引き続き新型コロナウィルス対策として、プログラムの簡略化、換気、検温、マスク着用、アルコール消毒などを行いながら礼拝をしています。
礼拝に参加されたい方はぜひマスク着用にてどうぞ(教会受付にもマスクを置いています)。
また、「足を運ぶのはちょっと…」という方はまずYouTubeのライブ配信などをのぞいてみてくださいね。
早く気兼ねなく集まることができるように、この新型コロナウイルスの終息のために改めてお祈りします。

20201004flower.jpg
久しぶりに会堂のお花。オレンジのお花は「ピンクッション」というんですよ。

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 詩編
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

4日(日) 詩編138編1-8節
一言メッセージ:138編はとても具体的な示唆に富む詩です。詩人は神さまへの感謝を歌います。何か大変厳しい状況にあったようですが、そこから救われたことを感謝しています。さて、何が具体的な示唆かと言えば、神さまの救いの順序が見られるのです。注目するのは3節です。岩波訳聖書では「わたしがあなたを呼んだ日に、あなたはわたしにお答えになりました。あなたはわたしに力を増し加えてくださる。我が魂の中で」です。神さまが力を加えてくださるのは「わたしの魂の中」が最初なのです。私たちは神さまに助けを求める時、自分の周囲の状況が変わることをイメージします。でも、138編が示したのは、周囲が変わる前に私自身が変えられていること、です。さらに正確に言えば、私が変えられて、私を通して周囲が変わっていくという順序が見られるのです。詩人は示します。「困難の中、神さまに願い求めなさい。その時、神さまは先ずあなたを祝福し、あなたを出発点にして周囲に御業を行われる」と。私たち自身が御業の出発点として用いられるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたのみことばは私たちを励まし、強め、希望を湧きおこらせてくださいます。詩人は困難の中であなたの助けをいただきました。それは詩人の周囲を変える前に、詩人自身を強めることが始まりでした。神さま、今、私たちもあなたの御業に期待します。どうぞあなたの御心を行うため、先ず私を強め、大胆に用いてください。あなたの御手の中で私も周囲も整えられますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

5日(月) 詩編139編1-24節
一言メッセージ:139編の詩人は今、悪事を企み、追い詰めようとする者に苦しめられています。でも彼は「神さまは私以上に私のことをちゃんと知っていてくださる」、「神さまは、私が生まれる前から今に至るまで偉大なる御業をもって私を導いてくださっている」、「神さま、私が素直にあなたを信じていることを理解し、とこしえに守り導いてください」と歌うのです。
  神さまを信じる人生は、困難の無い順風満帆な人生…ではありません。やっぱり、トラブルは突然襲ってきますし、「なんで?どうして?」と訴えたい苦痛も経験します。では信仰の強さとは何か。それは、苦難の中で、なお神さまの導きと整えを信じられることです。もし神さまを信じていなかったら、私たちは自分の力、友人たちの協力と手を尽くして、それでも解決しない問題はもはや諦め、絶望するしかなかったでしょう。でも、信仰者は自分たちの力の限界を超えて、なお神さまに期待する。139編の詩人がまさにそうです。「私が生まれる前から知っていてくださる偉大な神さまが今の私の状況を、わたしの心境を、わたしの苦痛を丸ごと受け止めてくださっている。だから大丈夫。神さまが私をこのまま滅びるままにするわけがない。私には神さまに導かれて、祝福に満ちた未来がある」と確信している。同じ信仰が私たちにも与えられています。信仰って嬉しいですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の詩編は私たちに、あなたへの期待を伝えてくれました。いつ、いかなる時にも、どのような状況下でも、あなたは私たちの神さまです。あなたがいてくださるから、私たちは自分たちの限界を超える出来事を前にしても、あなたの導きに期待し続けます。時に諫め、時に鍛え、時に問いかけ、時に叱りながらも、どうぞあなたによって導かれていけますように。永遠の同伴者なるイエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

6日(火) 詩編140編1-14節
一言メッセージ:140編の詩人は悪意に満ちた人々によって裁判に訴えられているようです。2節の「さいなむ者」は「暴力によって搾取し、抑圧する者」という意味です。詩人は、偽の証言者まで用意され、厳しい裁判に臨んでいます。さて、そんなピンチの中で詩人が訴えたのはたった一言、「(主よ)あなたはわたしの神(7節)」でした。神さまがわたしたちの神である。その揺るぎない真実こそが私たちの根拠です。私たちは神さまに愛され、赦され、救われ、導かれている。イエスさまの十字架はそんな神さまの救いの決定的な現れでした。神さまが共にいてくださるから、不正はひっくり返され、偽証は明るみに出され、悪意は潰えてしまうのです。
  今日、私たちが共に確認したいことは、「神さまを信じるから未来は祝福だ」ということです。一時的な苦難があっても、その苦難の中で神さまは私たちを鍛えつつ、守り導かれます。後になれば、苦難すら「神さまの恵みだった」と確信できるのです。
神学部時代、旧約聖書学講師の大野義正先生がこんなことを言われました。「世の中には、終末に最終戦争が起こるだの、信じねば滅ぼされるだの言って、人々を不安にする宗教が多々あるけれど、本当のキリスト教はそんなことは言いません。何故なら、聖書が語る世の終わりは神の国の完成だからです。神の国が完成される時、私たちは神さまの正義と平和を享受し、救われる。それは喜びと祝福の未来であって、恐怖ではないのです。」140編を読みながら、その言葉を思い出します。大丈夫、「主よ、あなたはわたしの神さまです。」その一言を口ずさみ、安心して今日も歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編140編にあなたが私たちの神さまであることの喜びを見出しました。たとえ、わたしたちが悪意ある者に追い詰められても、あなたが私たちの神さまでいてくださるから、全ては御手によって整えられていきます。神さま、あなたを信じます。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

7日(水) 詩編141編1-10節
一言メッセージ:141編の詩人は139、140編同様、悪意ある人によって追い詰められています。彼は1-2節に見られるように、「神さま、とにかく早急に助けてください」と訴えています。それほどに彼は余裕を無くしています。
さて、そんな141編の中で特徴的なのは3-4節です。多くの詩では、敵に苛まれている詩人は「私は絶対に神さまから離れることないのだから、守ってください。敵が滅ぼされますように」と訴えます。でも141編は「私は悪に傾きかねない存在だ」と自覚していて、だから「神さま、守ってください」と願っているのです。私はそんな詩人に、大事な模範を見出します。私たちは皆、弱く、誘惑に屈しやすいのです。「これくらいなら」とか「誰も気づかないから」と考えて、フラフラと誘惑に負けてしまう。でもそんな不甲斐ない自分だからこそ、神さまに頼るのです。弱い自分を否定するのでなく、そんな自分を認めながら「でも守ってください」と祈る。何だか、すごくホッとします。さぁ、今日も私たちを護ってくださる神さまに感謝して歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。今朝読んだ141編の詩人は、自分の弱さを自覚していました。誘惑に弱く、本当に些細なことで「神さまも気づかないだろう」と甘く考え、自分の都合ばかりを優先する自分たちです。でも詩人はそんな自分を否定するのでなく、そんな自分だからこそ「神さま、守ってください」と祈りました。神さま、私たちも同じ気持ちです。どうぞあなたの御手で私たちをお守りください。悪意ある者からも、心の隙間に付け入る誘惑も、調子に乗る心も、全てを整えてください。私たちの救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

8日(木) 詩編142編1-8節
一言メッセージ:142編の詩人も141編同様、敵に追い詰められています。2節の「声を上げ、主に向かって叫び」とある「叫び(ザーアク)」は、出エジプト2.23で民が神さまに向かって窮状を訴えたときの叫びと同じ言葉が使われています。つまり、それほどに切実な叫びなのです。彼は3節で「御前に悩みを注ぎ出し、御前に苦しみを訴えよう」と語ります。彼は神さまの前に、自分の思いと窮状を洗いざらい受け止めていただきたいと願っているのです。
そうやって受け止めてもらいたい素の自分の中で、注目するのは4節です。「わたしの霊がなえ果てているとき、わたしがどのような道に行こうとするか、あなたはご存知です。その道を行けば、そこには罠が仕掛けられています」とあります。この「道」という言葉は「脇に反れる道」を指す言葉です。詩人は自分がつらい時、神さまから離れて安易な方向にフラフラと行ってしまう自分だと、神さまに素直に話しているのです。
そんな素直な詩人なのですが、8節後半も面白い。「主に従う人々がわたしを冠としますように」とありますが、これは、私への攻撃が止み、また神さまに従う人々が私の周りに集まってくれますように、です。彼はちゃんと、神さまの御業の後の展開まで期待をもっているのです。この大らかな展望もぜひ見習いたいですね。
祈り:天のお父さま、今日もみことばをありがとうございます。142編の詩人は素の自分をあなたにそのまま見ていただきました。彼は決して強い信仰者でなく、くたびれ果てた時はフラフラと神さまから離れてしまうかもしれない、と自覚していました。でも、だからこそ、あなたに切実に助けを求めました。同時に、彼は神さまに頼る時に必ず、状況が好転し、自分の周りにまた人々が集まってくれる、孤独が解消されると期待していました。神さま、この大らかな期待を含め、私たちもあなたに素直でありたいと願います。どうぞ私たちの弱さも至らなさも含め、丸ごと受け止めてください。十字架上で私たちのために祈ってくださった救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(金) 詩編143編1-12節
一言メッセージ:143編の詩人は敵に苦しめられ、身も心も消耗しきった中で、神さまの祝福をいただいていた「古の日々(5節)」を思い起こしています。彼の心は今、「渇いた大地(6節)」のように干からび、神さまを求めているのです。最後まで詩を読むと、詩人は神さまに対して助けを願い続けていますが、とても目を惹かれるのは2節と12節です。詩人は2節で「厳密に見れば、あなたの御前に全き正しい者はいません」と語っています。つまり、自分も決して義人ではない、と自覚しています。でも、詩人は神さまに助けを求める根拠として12節で「わたしはあなたの僕なのですから」と語っています。彼は「わたしは罪人だ。でも神さまの僕だ」と思っているのです。ここにキリスト教の信仰がしっかりと見られます。
  キリスト教は自力本願ではありません。自分で善い行いを積み重ね、悟りを開いて救われるとは考えないのです。何故なら、人間は皆、神さまの前に罪人だから。でも、その罪人をも愛し、受け入れてくださる神さまがいてくださるから、私たちは救われるのだと考えます。神力本願なのです。
  今の社会は人のミスを許しません。もちろん、罪を居直ったり、謝罪すらしない、しても形だけだと「ふざけんな!」と怒られますが、でも、人間は罪も失敗もやらかす生き物なのです。そう思う時、私は今の「自己責任」の言葉でミスを裁く風潮に違和感を持ちます。私は143編の詩人のように、「神さま、私はあなたの目に罪人でしょう。でも助けてください。あなたの僕ですから」と言えるくらいの方が良いと思うのです。さぁ、今朝も祈って歩み始めましょう。「神さま、わたしは罪人です。でも今日もひとつ、どうぞよろしくお願いします」と。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。143編は私たちに、信仰の面白さを教えてくれます。私たちは罪人です。あなたの目には完全な者とは言えません。でも、あなたはそんな私たちをも僕として受け入れてください。神さま、どうか、私たちが調子に乗ることなく、あなたによって愛され、生かされ、導かれていることを今日も思って一日を始められますように。どうぞひとつ、今日もよろしくお願いします。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

10日(土) 詩編144編1-15節
一言メッセージ:144編は異邦人(神を知らない人々)からの解放を願う詩で、詩人は王だろうと考えられます。というのも、1-2節で「(神さまは)戦う術を教えてくださる」と歌っているからです。彼は神さまによって異邦人から解放され(独立し)、守られた生活に戻ることを願っています。
  144編で目が留まるのは1-2節です。詩人は神さまを「戦う術を教えてくださる方」と語りました。ただ、ここでいう「戦う」とは積極的に相手を攻めるのでなく、2節で「支え、砦、砦の塔、逃れ場、盾、避けどころ」とあるように、いかに守って勝つか、という視点です。
私たちは時に、いわれなき攻撃を受けることがあります。理不尽な敵意や誹謗中傷に曝されることがあります。そんな中で私たちは、状況を変えるために守って戦う時があるのです。
  私の戦い方はこうです。敵意や中傷に曝された際、先ずしっかり祈ります。そして神さまの目にどう今の事態が見えているかを考えます。自分に非があると思ったら、相手に謝罪します。でも、神さまの御心に沿わないと思った時は、頑として自分を曲げません。相手を攻撃するのでなく、徒党を組むこともせず、でも言うべき時にはしっかりと発言し、あとは誠実に目の前の出来事を行います。そして神さまの御業が実現する時を待つのです。しばらくすると、神さまは皆に冷静さを与えてくださいます。そして神さまは、私には理解者を、相手には気まずさや「あれ?何か思ってたのと違う」との思いを生じさせられます。その後、機が熟せば、改めて意図を伝える機会があり、状況は整っていきます。そして和解へと進むのです。私はこれまで、そうやって全て上手く対してこれました。今も、何年も掛けながら対峙している案件が幾つかあります。それも少しずつ状況が変化してきました。あとは神さまの仕上げを待つばかり。神さまに頼って、守って勝つ。そういう戦いもあるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。144編に「守って戦う、守って勝つ」ことを教えられます。神さま、あなたが私たちの神さまでいてくださることを感謝します。私たちは時に、理不尽な攻撃や誹謗中傷を受けます。傷つきながら、でもあなたが私たちに目を注いでくださり、戦い方を教えてくださいます。常にあなたに御心にすがり、あなたの御業を待ちつつ、相手と向きあいます。忍耐が尽きそうな時にはみことばと、具体的な支えをいただきながら、これまでやってこれました。きっとこれからもあなたの守りは続くでしょう。どうぞいつも、あなたに期待し、守りながら勝たせてください。私たちの砦であり、盾であり、逃れ場である神さまに祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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