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2020-08

7月26日~8月1日のみことば - 2020.07.28 Tue

長く続いた梅雨もようやく終わりそうな天気予報。
今度は東日本で大雨の予報のニュースに、先日の九州での大雨を思い出し、心配しています。
どうか、被害が出ませんように…。

今週も毎日のみことばメールをまとめて掲載します。
みことばによって皆さんが元気になりますように!!

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 詩編
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

26日(日) 詩編99編1-9節
一言メッセージ:99編は「聖なる主が私たちの神さまだ」ということを喜ぶ詩です。3節、5節、9節で繰り返される「聖なる(カドーシュ)」の「きよさ」は、何か汚れていたものを綺麗に洗って綺麗になる「清さ」ではなく、そもそも一切汚れることすらないほどの絶対的な聖さを表す言葉です。そんな極めて偉大な神を詩人は5節、8節、9節と身近な存在として「我らの神」と繰り返す。何故、詩人はそんなに神さまを「我らの神」と連呼するのか。それは、6節以降にあるように、神さまが私たち民の呼びかけに応えてくださる方だからです。本来、神さまには私たちの呼びかけに応える義務など無い。けれど応えてくださる。その理由を、私は「神さまの愛」としか表現できません。ヨハネの手紙一で「神は愛である」とありますが、神さまが私たちに応えてくださること自体が、神さまの愛であり恵みなのだと思わされるのです。
  今日は日曜日。礼拝の時です。新型コロナウイルスの感染再拡大が懸念される中ですが、今朝も神さまに呼びかけましょう。神さま、どうぞ私たちの呼びかけに応えてください。
祈り:天のお父さま、今朝もこうしてみことばをありがとうございます。今、私たちは新型コロナウイルスの感染再拡大のニュースを前に不安を強くしています。神さま、どうぞ私たちの呼びかけに応えてください。一刻も早く、病を終息させてください。感染している方々に癒しを、不安を覚えている方々に平安を、私たちに守りを、そして日々、みことばとあなたが伴ってくださっている実感をお与えください。今日の礼拝も、どうぞあなたの恵みを分かち合うことができますように。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

27日(月) 詩編100編1-5節
一言メッセージ:詩編100編まで来ましたねぇ(前半は幾つか詩を省略してきましたが(笑))。100編はスケールの大きな歌です。詩人は「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」と呼びかけます。「喜びの叫び」は別の訳をすれば「凱歌、勝利の歌」です。詩人は「全世界よ、勝利の歌を歌い喜べ」と呼びかける。私たちは「勝利」と言われると勝者と敗者があるのだと思いますが、詩人は敗者を記しません。何故なら全世界の民が勝者であり、敗者がいないのです。あえて言うならば、敗者とは今の「自己責任の風潮」のような、わたしたちの社会の持つ理不尽な現実です。神さまの御心に沿わぬあらゆる理屈が滅び、そんな理屈に支配されていた全ての民が今、勝利者となると詩人は歌うのです。それは3節「主こそ神」だからです。神さまが私たちの神であってくださる。だから「わたしたちは主のもの、その民。主に養われる羊の群れ」です。
今朝から、一週間の働きが始まりました。理不尽な現実はいっぱい広がっています。でも、不安に沈みこまないでくださいね。ちゃんと神さまの勝利宣言を覚えて一週間を歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、わたしたちは一週間の仕事の始まりに、あなたによる勝利の詩をいただきました。あなたが私たちの神さまでいてくださるから、一時的に直面する理不尽な現実があっても、あなたはちゃんと適切な時に全てを整えてくださるでしょう。どうか、この世界にあなたの御心を現わしてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

28日(火) 詩編101編1-8節
一言メッセージ:101編の詩人は王さまです。王の基本的な信念は「慈しみと裁き」です(1節)。ヘブライ語を見ますと「慈しみ」はヘセドという言葉で、神さまから人への祝福を意味する言葉、「裁き」ミツファートは人と人の公正を指す言葉です。王は「私は神さまから与えられる御心と、他者と共に生きるための公正に従って政治を行う」と宣言しているのです。「慈しみと裁き」が守られることはイスラエルに限らず、王にとって大事な資質です。古代アッカド語の文書でも「もし、王が正しい裁きに意を介さないならば、その民は弱体化し、その国は荒廃する。」と書き残しています。
  ひるがえって、今の世界に目を向けてみましょう。世界のリーダーたちは「慈しみと裁き」に従った政治をしているでしょうか。「私欲とひいき」にまみれていませんか。だとすると、このままでいいのでしょうか?古代と違い、現代の私たちはそんな指導者の姿をちゃんとチェックし、「否は否」と意志表示することができるし、することが役割です。間もなく8月、平和を覚える月間です。かつての過ちを繰り返さないために、子どもや孫たちを犠牲者にしないために、今、大人は「慈しみと裁き」の政治を求めて声を上げる役割があるように思います。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。わたしたちは詩編101編を通して、王や指導者のあるべき姿を分かち合いました。それは「慈しみと裁き」、あなたの示唆と民の公平を守る者でした。残念ながら、私たちは今、世界の指導者の多くにそのような姿を見出せません。でも神さま、古代と違い今の私たちは、おかしなことはおかしいと声を出すことができます。私たちはあなたの御心に沿った社会であるかの監視者でもあるのでしょう。神さま、私たちはちゃんと世界を監視し、声をあげる者であれますように。そして私たち、子どもたち、孫たち、これから生まれ来る子どもたちの未来に、あなたの平和を実現させ、世界を御心に基づいて正しく導いてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

29日(水) 詩編102編1-29節
一言メッセージ:102編は私がとても大事にしてる詩の1つです。詩人の状況が1節に書かれていますが、他の詩と比べてとても具体的で詳しいです。親しい旧約学者の方によると、102編は「国の都合による構造改革によって貧しくされ、子を持つ望みを絶たれ、神さまに切実に不平不満を叫ぶ詩人の詩」だそうです。大変厳しい状況に置かれた詩人なのですが、とても印象的な言葉が19節に記されています。「後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された。』」詩人の語る「後の世代」は血の繋がりのある子ども、孫ではありません。でも、彼は今、切実に社会の不正を神さまに訴えながら、未来の子どもたちを思い起こしています。彼らが理不尽な社会の犠牲とならないように、希望を失わないように、生きる力を得られるように、と詩人は歌います。それが19節「主を賛美するために民は創造された」です。
  かつて、筑後キリスト者平和の会の2.11集会で、沖縄の平和運動をされている牧師が講演の中でこう語りました。「私たちの目標は沖縄から基地が無くなることに留まらず、世界中から武器が無くなることにあります。それは私たちの世代で実現できる事柄とは思っていません。でも、世界の平和は神さまの御心です。今の私たちは、そんな神さまの御心の実現のために、一時代を担わせていただいている。それが私たちの誇りです。」
  102編の詩人も同様なのだと思います。社会の不正義は簡単に無くならない。でも、彼の叫びは神さまと民にちゃんと届いている。彼の叫びは神さまの平和の一端を担っており、その想いは次の世代によって引き継がれていく。事実、そうだからこそ102編の詩は歴史に埋没するのでなく、語り継がれ、詩編に加えられたのでしょう。私も今、同じ思いでありたいのです。私たちも後の世代のために、今、何を語り伝えるのでしょうか。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。102編の詩人は大変厳しい苦境の中で、それでも自分の叫びが神さまの御業の一端に加えられていること、自分の叫びがちゃんと後の世代に引き継がれていくこと、そして後の世代が受け取るであろう神さまの平和実現の一助であることを確信していました。神さま、私たちはすぐに自分の目先のことで捉われ、大きな障害には諦めやすいです。でも、そんなちっぽけな私たちもあなたの御業の一端を担わせていただける。その幸いを今日分かち合えました。神さま、どうぞあなたの平和の御業を実現してください。そのために私たちにも一端を担わせてください。平和の君イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン。

30日(木) 詩編103編1-22節
一言メッセージ:103編を理解するため、3つのブロックに分けて考えてみましょう。最初のブロックは1-5節です。3-4節から、詩人は何かしらの重病にかかり、死を意識していたようです。でも神さまによって奇跡的に回復させられる。5節に出る鷲は一年に一度、羽が生え変わるので、若々しく見えるのだそうですが、同じように、詩人も病から劇的な回復を経験したのです。
第二ブロックは6-13節です。詩人は病から回復し、神さまの御業の偉大さを知ります。その時に、彼はこの神さまの御業が私だけでなく、全ての虐げられている人々にも及んでいることを知ります。私たちは辛い時に「私は、わたしは」と自分のことでいっぱいいっぱいになりますが、詩人は今、冷静に周囲に目が向けられたのです。
第三ブロックは14-22節です。詩人は改めて、塵芥に過ぎない私たち人間に目を留め、御業を行ってくださる神さまの偉大さに賛美させられていきます。
  3つのブロックに分けて103編を味わいましたが、詩人は詩の中で大きく変化しました。最初は「私は、私は」と自分の主張だけだったのに、最後には同じ時代に生きる多くの人々に目が留まり、共に生きる者となっています。神さまは私たちを、癒しと同時に成長させてくださるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。103編の詩人は病に苦しみ、自分のことしか見えていませんでした。けれど、あなたの癒しを経験する中で、視野が広げられ、同じように苦しみながら、整えられていく同胞にも目が留まり、自分が一人で生きているのではなく、民と共にあなたを賛美して生きるのだと悟りました。神さま、現代の社会はすぐに「自己責任」の言葉で人と人を分断し、苦しむ者にさらに孤独を感じさせます。でも、私たちはあなたの御業に生かされ、「共に礼拝し、共に生きる教会」であろうと願います。神さま、私たちも詩人のように、あなたによって整えられ、成長させていただけますように。今の時代に苦しむ人々と共に礼拝し、共に生きる教会となれますように。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

31日(金) 104編1-35節
一言メッセージ:104編は創世記1章の創造物語を思い浮かべ、イメージを膨らませて読むユニークな詩です。2節の「光を衣として」は創造の始まりの言葉「光あれ」と重なります。3節「天井の宮の梁を水の中にわたされた」は、古代人の世界のイメージを理解せねば分からないです。彼らは、世界は半円球体をしており、空は地表をドーム状に覆っていて、その天井には雨を降らせるための水槽があると考えていました。3節はそんなイメージに基づく描写です。5節で神さまは創造物語にあるように、水を分けて大地を作り、大地を確固たるものとします。さらに、山や谷を作り、水に秩序を与えます。10節以降は秩序ができた水によって生き物や植物が育まれます。動物の描写も盛んですが、私が個人的に好きなのは11節の「野ろば(野良ろば)」です。きっと当時のイスラエル人にとって「いるよね~」と思い浮かぶ身近な動物だったのでしょう。コミカルです。他にも、25節以降は水の生き物も神さまによって養われていくと描かれています。
  104編のメッセージは、端的にいって「神さまは無秩序だった世界に秩序を与え、私たちをはじめあらゆる命を生かし、育むようにしてくださった」です。私たちは神さまの秩序と守りの中で今日も生きているのです。何だかとてもホッとします。今日も一日、ホッとして歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、あなたが世界に秩序を与えてくださっていることを覚えました。今の時代はその秩序を破壊し、命の価値に差をつけますが、神さま、あなたは全ての命を祝福し生かそうとされます。どうぞ今日の一日もあなたの秩序を思い起こして歩ませてください。あなたの祝福に感謝し、イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

8月1日(土) 詩編105編1-45節
一言メッセージ:詩編105編はイスラエルの歴史を紐解く詩です。1-5節は神さまの御業を賛美し、6-12節は創世記のアブラハム、イサク、ヤコブの族長物語。13-24節は創世記終わりのヨセフ物語、25-44節は出エジプトの物語を描き、神さまの御業がずっと続いていることを歌っています。
  さて、今朝注目したいのはヘブライ語のシャラハという言葉が4回使われていることです。1回目は17節、ヨセフがエジプトに奴隷として売られる時の「遣わしておられた」。2回目は20節「彼を解き放った」。3回目は26節でモーセを「遣わした」。4回目は28節にあるエジプトへの10個目の災いで「地を暗くされた(直訳は「闇を送られた」)」です。シャラハは「遣わす、送る」という言葉ですが、4つを見ると、人間的には必ずしも嬉しい派遣ばかりではありません。ヨセフにいたっては兄たちによって奴隷として叩き売られた、悲しい出来事です。でも、105編はそれらを全てシャラハと表現し、一見ひどい出来事でも、その背後に神さまの御心があったことを示唆しています。
  私たちは往々にして、目先の事柄に心がとらわれ、一喜一憂します。嬉しい時には「さすが神さま、信じて良かった」と素直に喜ぶのに、困難の時には「何故こんな事態が起こるのか。神さまに見捨てられたか」と文句と批判を始める。でも、105編は「目先で一喜一憂するのでなく、神さまの壮大な御業の中で自分を客観視しなさい」と告げます。例えば、今朝の詩で言及されたヨセフは兄たちに奴隷として売られてから再会まで少なくとも11年が経過して初めて自分は神さまに派遣されていたのだと悟りました(創世記45.7-8)。モーセが出エジプト記3章で神さまと初めて出会ったのは80歳の時でした。そう考える時、私たちは一日二日悩んだからといって「神さまのことが分からない」と結論付けられない。分からなくても神さまの壮大な導きに期待したらいいのです。
今、あなたが何か、悩んでいるならば、「神さま、どうぞひとつよろしく」と祈ってみてください。祈ったからには神さまに任せ、この一日を心静かに過ごしましょう。それで良いのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編105編は近視眼的になっていた私たちに「神さまの視野で広く物事を見らんね」と諭します。あなたの導きは壮大ですから、時に私たちには何も動いていないように思えてしまいます。でも、それは私たちが一日二日で早急な解決を求めるからでした。あなたの御業はもっと長く、でもだからこそ、決してゆるぎなく進められていきます。神さま、あなたの導きを信じます。どうぞ御心のままに私たちをお導きください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。



***

最近、YouTubeのライブ配信がトラブル続きで申し訳ないです。
今度の礼拝ではうまくいきますように・・・

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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