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2020-08

7月12~18日のみことば - 2020.07.16 Thu

雨のピークはどうやら過ぎたようで少しのほっとしています。
今週も遅くなってしまいましたが、「今日のみことば」を1週間分シェアします。
皆さんの一日一日がみことばによって支えれますように!

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 詩編
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


12日(日) 詩編85編1-14節
一言メッセージ: 85編はバビロン捕囚から祖国イスラエルに帰還した民の歌です。50年を超える捕囚期間、イスラエルの人々が捕囚地バビロンにてひたすら耐えてきたのは「神さまがいつか私たちを救い出してくださり、祖国に帰らせてくださる。祖国は豊かな土地があり、私たちは安心して暮らせるようになる」との願いでした。1-4節で詩人はバビロンからの解放を経験します。喜び勇んでイスラエルに戻るのですが、祖国は荒れ果て、厳しい生活が待っていました。5-8節で詩人は神さまに嘆いています。この状況が変わっていくのが9節です。
8節まで詩人は「私は私は」と自分の思いばかりで神さまに訴えかけていました。けれど9節で詩人は「神が宣言なさるのを聞きます」と語る。「私のこと」でなく「神さまの御心」を集中して聞くのです。その時詩人は、神さまがイスラエルの民が過去の過ちに戻らないように願い(9節)、神を畏れて正しく生きるように願っておられること(10節)を理解します。さらに神さまは具体的な民の回復の計画も示されました。11節以降です。「慈しみとまことを出会い、正義と平和は口づけし」は、社会が愛をもって神さまの真実に目が止め、神さまの正義と平和を実現しようと努力し始めたことを指しています。その時13節、大地は実りをもたらし、人々は厳しい生活から脱却していく、そんな展望が与えられたのです。
  大事なことは9節、目先の現状に一喜一憂して「私は私は」と騒ぐのでなく常に神さまに目を留め、そこから物事を見定めていくことです。大きな課題を抱え苦しんでいたとしても神さまがおられるから大丈夫。私たちが一時的に神さまを見失っても、神さまは私たちから目を放さない。だから心静め、神さまの御心に聴くのです。今朝は日曜日。共に礼拝で神さまに聴いていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝の主の日もみことばをありがとうございます。詩編85編は私たちに「自分の思いでいっぱいいっぱいになるのでなく、神さまに目を向け、耳を傾けよ」と告げます。その時、私たちが目先に振り回されず、あなたの導きに期待して、安心して生きていけるからです。神さま、どうぞ私たちをいつもお導きください。今朝の主の日の礼拝も私たちが自分の理解を超えて、あなたと出会うことができますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

13日(月) 詩編86編1-17節
一言メッセージ:86編は全編を通して神さまに助けを求めた詩です。注目したいのは「主よ」という呼びかけの言葉です。1節、3節、4節、5節、8節、9節、11節、12節、15節で詩人は「主よ」と呼びかけますが、日本語でちゃんと訳出すると「我が主よ」です(6節は厳密には「ヤハウェよ」)。
これはとても大事な約だなぁと思います。詩人は神さまを「いつもわたしに目を留めてくださっておられ、導いてくださり、救い出してくださる、わたしの神さま」と信じ、訴えているのです。そこには単なる「神さま」以上の信頼が見られるのです。
  これは言われた側もそうですよ。次男がよく「誰か~、〇〇して~」と言っています。私しかいなくても「誰か~」と言っています(笑)。私としては「父ちゃん」と名指しで言われた方が良いですが、神さまも一緒じゃないかな、と思うのです。「誰でもいいから助けて」じゃなくて「わたしの神さま、助けて」と訴えた方が嬉しいでしょう。神さまはいつも私たちに目を留めていてくださる。その神さまにわたしたちの側がちゃんと真正面から向き合うのが「わたしの神さま」なのです。
  さあ今週も仕事が始まります。神さまと向き合いながら歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝86編から「ちゃんとあなたに目も心も向けて呼びかけること」を示唆されました。あなたがいつも私たちに目を留めてくださっているのに、私たちの方が時々、「誰か~」とあっちこっちに目が移ってしまっていました。神さま、今週わたしたちはちゃんとあなたに目を向けて歩みます。どうかいつもあなたが伴ってくださっていることの確信と期待に満ちた週を過ごさせてください。わたしの神さまに祈ります。アーメン。

14日(火) 詩編87編1-7節
一言メッセージ:87編は難解な詩です。あれこれ省略しますが、この時のエルサレム(1節の「シオンの城門、神の都」)は滅ぼされ、荒廃していました。なのに詩人はエルサレムで全ての民、他国の民は生まれたと歌います。4節のエジプト(ラハブはエジプトのこと)もバビロンも、ペリシテ、ティルス、クシュもイスラエルを侵略してきた民族です。その国々も神さまが創造されたと詩は歌う。歴史的、民族的に言えば盛大な負け惜しみに聞こえます。でも、ここで私たちの常識に凝り固まったモノの見方を変えてみましょう。国といった所属で考えるから、「エジプトやバビロンはイスラエルの敵。ペリシテ、ティルス、クシュもちょっかいかけてくる面倒な国々」と対立構図をイメージしてしまう。でも、神さまの視点では国や国籍、人種、民族、文化、伝統、性別、年齢、個々の人間的違いは決定的な違いにならないのかもしれない。宗教的な違いすら、神さまから言えば「あなたたちが作った区別であって、神はわたしただ一人」と言われるでしょう。神さまの前で私たち人類は皆兄弟であって、詩人はその示しから、「皆が神さまの前で歌い踊る」と歌ったのです。
  教団賛美歌465番「うれしき朝よ」の3節を思い出します。歌詞はこうです。「ものみな声をうち揃えて、神のさかえをほめうたえり。楽しきこの日、きよきこの日。歌ごえ合わせ、神をたたえん。」新しい一日の始まりです。神さまをほめたたえてスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしは87編を通して「人類みな兄弟」という言葉を思い出しました。今の社会のピリピリした対立や緊張関係を見ると、夢物語のようにも思えます。でも、きっとあなたから見れば、私たちが抱える対立などは本来不要ないさかいに見えるのでしょう。誰もがあなたの前に兄弟姉妹とされ、仲良く生きられるはずなのに、私たちの側が勝手に区別を作り、対立を生み出したのでしょう。神さま、どうぞ、あなたの壮大なスケールの中で世界の考えも風潮も整えてください。私たちの思惑でなく、あなたの御心が実現しますように。期待し、主の御名で祈ります。アーメン。

15日(水) 詩編88編1-19節
一言メッセージ:88編はひたすら暗い詩です。詩人は何らかの重病を患って、死ぬかもしれないと考えています。古代、病は神さまに罪を犯し、神さまが離れてしまったから悪霊に憑りつかれて患うものだと思われていました。だから、親しい友も彼を「罪人」と見て離れ去り、詩人はひとりぼっちです。読み進めていく中で、どこで「しかし主よ、あなたは私を顧みてくださいました」的な回復が歌われるかと思ったら、最後まで苦難を訴えて詩が終わりました。暗い詩です。
  でも私は、この88編が盛大な新約聖書への前フリに思えてしまう。例えば11節「あなたが使者に対して驚くべき御業をなさったり、死霊が起き上がってあなたに感謝したりすることがあるでしょうか」と、「人間死んでしまったらもうおしまいだ」と訴えますが、いえいえ、私たちはイエスさまの十字架を思い起こす。イエスさまは罪だらけの民に最後まで徹底的に寄り添って死なれました。でも死者の中からイエスさまを復活させた神さまがおられる。そう思う時、私たちは詩人に「大丈夫、神さまは死者の中からすらイエスさまを復活させられた。それは神さまからの希望のメッセージだ。私たちがどんな苦境にあっても、たとえ私自身や親しい者が命を終えたとしても、私たちにはその先が約束されている。この希望は決して潰えない」と教えてあげたくなるのです。昨日の87編7節の言葉を引用して今朝のメッセージを終わりましょう。「わたしの源はすべてあなた(神さま)の中にある。」
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。88編の詩人は重い病のために絶望的になり、必死になってあなたに「人間、死んだらおしまいだ」と訴えました。しかし私たちは、その訴えをみながら、「死んでも終わりじゃない」と思い起こします。イエスさまの復活はあなたの恵みが私たちの思いを遥かに超えて強く、深いことを示してくれます。神さま、私たちの希望の源はあなたです。あなたがおられ、私たちの神さまであってくださるから、私たちの希望は尽きません。あなたの御名を心から賛美し、救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

16日(木) 詩編89編1-53節
一言メッセージ:89編は長い!長すぎるのでポイントだけ見ていきましょう。1―19節の要約は「神さま、あなたに並ぶ者などいません」です。20-38節は「あなたはダビデを祝福し、その一族に永久の祝福を約束くださいました」です。39-53節は「じゃあ、なんで今、ダビデの末裔である僕らはこんなに苦しんでいるんですか?」です。詩人は「自分たちの苦しみは神さまに見捨てられたからだ。神さま、約束破った!ずるい!」と考えるのです。心情としてとてもよく分かる詩ですね。共感しつつ、でも気づかされることもある。詩人は神さまに文句言いながら、「早く助けてください」と期待もしています。「神さまが助けられないわけがない」と信じているからこそ、彼は「早くして!」と叫ぶ。そこにはやっぱり信頼があるのです。
  日本基督教団に春名康範という牧師がおられます。4コママンガでユーモラスに聖書のメッセージを表現する牧師ですが、著書のタイトルが『人生、一歩先は光』です。「一歩先は闇」でなく「光」。その根拠は神さまがおられるから。実にシンプルですが、これ以上に強い理由など無い。神さまがおられるから、私たちの未来に不幸はないのです。一時期の不幸はあっても、その先に希望は光のように満ち溢れているのです。
  もし皆さんが今、課題を抱えているならば、どうぞ89編の詩人のように訴えて祈ってみてください。「神さま、おらるっとでしょ?もうしんどいけん、はよう助けてくれんですか」と。そう祈りながら、「人生、一歩先は光」と思い起こして一日をスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。「人生、一歩先は光」。どんなに課題を抱えていても、あなたがいてくださるから私たちは人生に希望を見出します。私たちの手でどうにもならない時には、いつも以上に丸投げにしてあなたに頼ります。どうぞ整えてください。開き直って、心からあなたに期待して、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

17日(金) 詩編90編1-17節
一言メッセージ:いきなり自分のことで恐縮ですが、私はモノを考える時に複数の視点で物事を考えようとします。経験や常識で「きっと〇〇だろう』と思っても、「自分の好みじゃない」と思っても、いろいろな可能性や方法を考えてみるのです。その上で、自分の願望を脇に置いて、「神さまが望むのはどれだろう」と考えるようにしています。そうやって考えていきますと、自分でも気づかなかった発見や喜びや自信を見出せます。今朝はそんな読み方をしてみたい詩編です。
  90編は、人間の儚さと神さまの永遠を歌った詩です。人間の生涯は短く、草花のように萎れたり枯れるし、塵芥にすぎない存在と歌われます。儚さにがっかりしそうですが、でもここで3節に注目し、発想を変えましょう。神さまが人間に「人の子よ、帰れ」と呼びかけています。人間は儚い存在であるのに、神さまは人間を御自分に招いているのです。これを自分への呼びかけと受け止めてください。神さまは私たちを招く。では私たちはどうするのか?自分の思惑や願望にしがみ付いて失敗と後悔を繰り返して生きるよりも、早いところ神さまを信じて立ち帰った方が良くないか。
  年輩の方の中には「この年になって信じることはちょっと…」と躊躇される方もありますが、発想を変えてみましょう。これまでの何十年を振りかえって躊躇するのでなく、これからの永遠を大事にするから神さまを信じるのです。若い人たちでは「そのうちに信じようとは思うけど…」と考える人もいますが、それももったいない。自分の限界だらけの力で生きるより、神さまの無限の可能性に生きるからこそ人生は希望に満ちるのです。
90編は「私は変わらないぞ」と思う方には儚さを突き付ける詩ですが、「私は変われる」と思う方には神さまの永遠の祝福にワクワクさせられる詩なのです。あなたはどう90編を読みますか?
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編90編は不思議な詩です。人間の儚さに目が留まる方には気持ちが沈む詩でしょう。でも、私たちが儚い存在だろうが、あなたが永遠の神さまであられ、私たちに「帰っておいで、信じなさい」と呼びかけておられることに注目する方には、どでかい祝福の詩です。神さま、私たちは後者で詩を味わいたいです。どうか私たちに信仰を増し加え、あなたへの期待を湧きおこらせ、必要なら私たちを成長させて作り変えてください。私たちと共に生きて、救いに導いてくださるイエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

18日(土) 詩編91編1-16節
一言メッセージ:91編はどこをとっても「神が信じる者を守って下さる」と言い続けています。守りについては特に6節の「疫病、病魔」が想定されています。10節では「あなたには…疫病も触れることはない」とありますが、あくまでも例えですからね。「じゃあ新型コロナウイルスも安心」と考えて、感染リスクの高い行動をとるのは止めておきましょう。今朝わたしが注目したいのはそこではなく、以下の2点です。
1つ目は詩人の安心の根拠です。14節「彼はわたし(神)を慕う者だから」であり、「わたしの名を知る者だから(「信じる者だから」と理解)」です。いつも話す神さまへの信頼が根拠です。
2つ目の注目ポイントは信頼の仕方として、4節にあるように神さまと私たちを「親鳥とひな鳥」になぞらえていることです。親鳥が「翼の下」に守ってくれるためには、ひな鳥は翼の中に居らねばいけません。自分勝手に翼から飛び出して「守ってくれ」ではない。長男や次男が小さかった頃、「だっこ」とせがまれて抱っこした際に、彼らが腕の中で暴れると言ったものです。「暴れると落っことす。危ないけん止めんね」。同じように思うのです。守られるためには守られる側の姿勢も大事。それが「信じる」ということだと思うのです。
  今週も私たちはそれぞれに働き、課題と向き合って過ごしてきました。明日、私たちは親鳥なる神さまの御翼にホッとさせられるように、礼拝へと集ってきましょうね。
祈り:天のお父さま、今週もみことばをありがとうございました。今週最期に私たちがいただいたみことばは神さまへの信頼の大事さと、信頼する姿勢でした。神さま、私たちはあなたを信じ、誠実に御心を求めて生きたいと願います。できることは小さなことばかりですが、どうか小さな決断の時もあなたの御心を求めることができますように。被災された方々も病の方々のことをどうぞあなたが守り、導き、回復させてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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