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2020-08

5月10日~5月16日のみことば - 2020.05.10 Sun

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言がだされて1ヶ月以上が過ぎました。
「不要不急」の外出を控える生活からくるストレスもかなり溜まってくる頃かと思います。
実際、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる過剰に自粛を呼び掛けて対策をしながら営業しているお店に対して強い言葉で非難をする人たちや、県外ナンバーの車に対する嫌がらせなど、少しづつ人々の心に疲れからくる不寛容が広がってきているように思います。
心の余裕がなくなってくるのは状況的に仕方がないことですが、そんな心と上手に向き合っていければいいですよね。
私たちが加盟している日本バプテスト連盟の宣教研究所から出された「新型コロナウイルス感染拡大に伴うストレスに対処するための視点」という文章にはその対処として

・深呼吸。 ・軽い運動。 ・十分な栄養をとる。 ・好きな音楽や入浴でリラックス。
・家族や友人と話す。 ・SNSやテレビなどの情報を見過ぎない。
・感情を吐き出す(ただしメールやSNSなどでは、感情を吐露する文章はそのまま送信せず、時間を置いて再読してから出す。文字だけのコミュニケーションは誤解を生みやすく、さらにストレスを生む要因にも)。
・信仰における習慣を大切にする(祈りと黙想の時間、聖書の学びの時間の確保など)。

をあげています。
新型コロナウイルス対策から始まった毎日の一言メッセージと祈りのことばが皆さんの心をほっとさせる一助になれば幸いです。
以下、1週間のみことばを掲載します。


***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 詩編
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


10日(日) 詩編19編1-15節
一言メッセージ:詩編19編は極めて大きなスケールの詩編です。神さまの御業は時代も距離も状況も越えて、世界に等しく祝福を与えていることがうたわれています。大正時代に訳された文語訳での2節は格調高く、「この日ことばをかの日につたへ、この夜知識をかの夜におくる」と記しました。そうなのです。私たちの一日一日は単なる繰り返しの毎日でなく、神さまの御言葉、神さまの御業を語り伝えている一日一夜なのです。そんな神さまの祝福は太陽のように生きとし生ける全ての人々に注がれているのです。それが、たとえどれだけ辛く、しんどい時であっても、です。
今、私たちは毎日、新型コロナウイルスの不安を感じながら生きています。生活が一変した中で、皆さんはいかがでしょう?普段よりたくさん、時間が取れて、普段できていなかったことに取り組むことも可能でしょう。でも心に張り合いというか、自由な快活さが無いと、私たちは元気に生活できないのでしょう。自分を振り返ってみても、そう思います。でも、今朝の詩編19編の御言葉は私たちに、私たちがいかなる状況にあろうと神さまの御言葉と御業は変わることなく私たちに注がれていると告げているのです。言うなれば、私たちは神さまに生かされて、毎日毎日を過ごしているのです。
今日は礼拝の時です。今日も神さまと向き合い、生かされている喜びを分かち合いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編19編はなんと温かく、希望に満ちた詩でしょう。あなたが壮大な祝福を今日も変わらず私たちに与えてくださっていること、だからこそ私たちは神さまの御前にへりくだり、あなたを礼拝するのだと教えられています。神さま、今日は日曜日、礼拝の時です。どうぞ会堂とネットを通して、今日も御言葉を与えてくださいますように。あなたが私たちの神さまでいてくださることに感謝し、救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

11日(月) 詩編20編1-10節
一言メッセージ:今日は月曜日、新しい週の仕事が始まります。新型コロナによる自粛要請の中でも、家族や社会のライフラインを守るために一生懸命に働いておられる方々や、感染を広げないために、不要不急の活動を自粛する方々も多いことでしょう。本当に我慢のしどころだと思わされます。
  しかし、その一方で、「不要不急」を求めた政治が「今、それをする時か!?」ということをやらかします。土曜日に審議された官邸が検察人事権に介入することを合法化する取り組みなど、今、本当に必要なことでしょうか?火事場泥棒にしか見えません。憲法が訴える主権者たる国民の生活を顧みず、その基本的人権を蔑ろにする指導者たちに、正直、苛立ちも多々感じます。
  そんな私たちが今朝、詩編20編を読むのです。この詩編は詩編の中で10編だけ存在する、「王の詩編(詩の歌い手〔その一部〕が王である詩編)」です。今朝、注目したいのは8-9節です。「戦車(自分たちの力や権力)を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我ら(イスラエルの王と民)は、我らの神、主の御名を唱える。彼らは力を失って倒れるが、我らは力に満ちて立ち上がる。」この言葉は正に今、私たちにとって必要な言葉です。週の働きの始まりに、この国、この世界が、社会の中で苦境に追い込まれている方々に必要な助けが与えられるように、力や権力でなく神さまの愛される一人ひとりの命を尊べる歩みへと変わってくように、と祈りながらスタートいたしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝私たちは詩編20編を読みながら一週間の働きを始めます。社会が混乱し、火事場泥棒のような政治に落胆する中で、でも私たちは「われらの神、主の御名を唱え、力に満ちて立ち上がる」と分かち合いました。神さま、どうぞ今、私たちに希望と力を与え、この社会の中で苦境に立たされた方々の平安と守りを祈り、手を差し伸べることができますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

12日(火) 詩編22編1-32節
一言メッセージ:今日の詩編はちょっと長いですが、敢えて全部を読むようにしました。この詩編22編は「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」でスタートします。どこかで聞いたことのある言葉ではないですか。これは伝統的な解釈として、マルコやマタイ福音書で十字架上のイエスさまが「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶ言葉の解釈として用いられてきた詩編なのです。この詩編は「神さまに見捨てられた」という嘆きから始まり、前半は悲嘆にくれる言葉が続きますが、しかし、そんな絶望の中で詩人がやはり神さまに希望を見出していく様が描かれていくのです。そして、最後31-32節で詩人は、今も変わらず苦境にいるであろうに、未来に目を向けています。それも「神さまがおられるんだから大丈夫だ」という希望に満ちた未来を見ているのです。彼は自分の役割はこの苦難を超えた時に、神さまを賛美し、人々に神さまの御業を証することだと歌って詩を終えました。
私は今日、その詩人と同じ心境で過ごしたいのです。つまり、たとえ今、私たちがどれほど苦しい思いを経験していても、私たちはこの苦しさを超えた時に「神さまはなんて素晴らしい方なんだ」という賛美と証を互いに交わすことになると期待して過ごすのです。
皆さんも今の期間、それぞれに体験しておられませんか?「やっぱり神さま、おられるっちゃんね♪」という喜びの証を。どうぞ、その証を温めながら今日を過ごしてください。そしてどうか、私たちがもう一度礼拝に集う時に、その証を聞かせてください。私たち久留米キリスト教会は神さまを賛美する群れ。今の不安も苦難も全部、後々の感謝に代わるための通過点です。さぁ、今日も神さまの御業を経験するため、一日を始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝私たちは詩編22編を手にしました。詩人はあなたに「どうして見捨てられたんだ」と訴えて詩を始めたのに、いつの間にかあなたによる慰めと希望を確信し、最後には「私はこの賛美と証を後の世代に伝える」と期待に満ちて詩を締めくくりました。神さま、今、私たちはこの詩人と同じように、不安が期待に変わることを、恐れが賛美に変わることを、祈りつつ待ち望みます。その根拠をあなたに見出します。あなたこそが私たちを導かれるお方です。あなたこそが私たちの神さまです。どうか、私たちに賛美と証の基となる経験をさせてください。今日のお導きに期待し、救い主イエスさまのお名前でお祈りします。

13日(水) 詩編23編1-6節
一言メッセージ:詩編の中で最も有名な詩の1つがこの23編ですね。暗唱しておられる方も多かろうと思います。神さまと自分との関係を羊飼いと羊に譬えた詩です。詩人は歌います。「神さまがおられるならば、わたしには不足はない(1節)」、「神さまは私の魂(霊魂ではなく、生きる力の根源を指すイメージ)を生き返らせてくださる(3節)」、「神さまが導いてくださるから、死の陰の谷(絶体絶命のピンチ)を行く時もわたしは『もうダメなんじゃなかろうか』と不安におののくことはない(4節)」、「私を敵視する人が目の前にいても、神さまは私の食卓(日常の生活)をちゃんと整えてくださる(5節)」、「私は生涯にわたって守られ、死して後も神さまの平安の中に生き続けるだろう(6節)」。彼は一貫して神さまの祝福と守りを語り続けます。では、その根拠とはどこにあるのか。新共同訳はこの大事な部分をちゃんと訳出していませんが、それは1節冒頭の言葉、「主は“わたしの”羊飼い」だからです。新共同訳では「主は羊飼い」と書かれているだけで、これでは一般的な意味合いの例のニュアンスが出てしまいます。でも、詩人は「神さまは、こんな私であっても身を挺して守ってくださる羊飼いだ」と語り、だからこそ「自分には欠けることがない」し、2節以下の祝福も語ったのです。
詩の中で、私たちは羊に譬えられます。羊はとても弱い生き物です。視力も知力も運動能力も低く、勇気ある動物でないため、襲われた途端に大パニックになる、そんな動物です。でも、そんな羊の最大の強みは聴力です。羊はたとえ何年離れていても、主人の声を聞き間違えることはないそうです。私たちは羊、羊飼いは神さま。今日も神さまの御声を聞きながら歩み始めていきましょう。メェ~。
祈り:天のお父さま、今朝もこうしてみことばをいただき、感謝します。今朝私たちは詩編23編を分かち合いました。他ならぬあなたこそが私たちの羊飼いです。あなたは、羊飼いが羊を守るために身を挺してくださるように、私たちを守り導いてくださるお方です。だから、私たち自身に力や勇気や知恵が足りなくとも、あなたの御声を聞き分けて従います。どうか詩人同様に、私たちにもあなたによる平安をお与えください。あなたへの信仰によって生きる者としてください。この祈りを救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

14日(木) 詩編25編1-22節
一言メッセージ:今朝の詩編25編はヘブライ語のアルファベットに基づく、あいうえお作文のような詩です。例えば、1節はヘブライ語アルファベット最初の言葉アレフで始まり、2節はベイト、3節はギンメル…というように22節のタァブで締めくくられています。そして、この詩は意味の一環がある詩というよりも、1節ずつを独立して読む詩なので、どうぞあなたの感覚にピタッと合うところを心に留めて一日を過ごしてください。ちなみに私が「ここっ!」と思うのは20節です。詩人は神さまの守りを願いながら、「御もとに身を寄せます」と語ります。「神さま、わたしのところに来て守ってください」でなく、「わたしが神さまの御もとに行きます」と語っています。自分の正しさを神さまが補強してくれることを願うのでなく、神さまの正しさに自分が身を寄せていくと訴えています。ここに、信仰者の生き方があると思うのです。私たちは人間ですから、自分の正しいと思うことは自分なりのモノの見方に過ぎません。別の視点から見れば、独りよがりだったりするのです。だから私たちは「私はね、私はね」と我を貫くのでなく、全てを理解した上で導いてくださる神さまの視点を大事にするのです。そんな生き方がこの20節にあると思うのです。さぁ、今朝は一体どんな一日になるでしょう。今日の一日、神さまの御心を模索して従うように始めてまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたの御言葉はいつも、私たち一人ひとりに必要な示唆を与えてくれます。どうぞ今の自分に響いた御言葉の示唆を大事に今日の一日を過ごさせてください。どうか、私たちは自分の思いに固執せず、あなたの御心を求めて生きることができますように。十字架を前にして「私の思いでなく、御心が実現しますように」と祈ってくださった救い主、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

15日(金) 詩編27編1-14節
一言メッセージ:この一週間も金曜日まで歩んで来られました。今朝の詩編27編の詩人は、具体的な背景は分かりませんが、周囲の人々に見捨てられ、苦しい状況に追い込まれた中で神さまに救いを願って祈っています。10節などは思わず賛美歌の「いつくしみ深き」を思い出すような言葉です。
こんな詩編27編で注目したいのは4節です。詩人は「ひとつのことを主に願い」と語ります。「ひとつのこと」と見ますと、「今の状態ではこのひとつを優先しよう」という、絞り込んだ選択肢というニュアンスを感じますが、ヘブライ語原典では意味合いが違います。「ひとつのこと(アハト)」は「唯一のもの」という意味合いです。詩人は「あれもこれもあるけれど、今はこれ」と言っているのでなく、周囲から見捨てられて苦しい状況の中で、「私は自分の人生の中で、この唯一のものを求めて生きて生きたい」というニュアンスで「ひとつのことを主に願い」と語っているのです。
詩人は私たちに、人生の唯一の指針は神さまと断言します。それは、神さまを大事にすれば、後はどうでも良いからではありません。神さまが私たちを最善に導き、必要なものは整えてくださるからです。イエスさまもマタイによる福音書6章33節で同じように語りました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(私たちに必要なもの)はみな加えて与えられる。」
新型コロナはこれからどうなるのでしょう。終息に向かうのか、第二波、第三波が続くのか。先は見えませんが、14節「主を待ち望め。雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望め」との御言葉に励まされながら、今日の一日を始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたこそが私たちの人生の根拠であり、希望の源です。私たちは日々、耳に入る情報や目に見える出来事に捉われ、時に、自分の経験や常識で計り知れない先行きに不安を感じて、こわい想像を膨らませてしまいます。でも神さま、そんな時にも私たちに、あなたを信じて生きる幸いを思い起こさせてください。あなたは必ず私たちを導いてくださる方です。私たちの必要には答え、鍛えるためには沈黙しつつ見守ってくださる方です。神さま、どうか今日の一日もあなたの守りと導きの中で歩ませてください。あなたを待ち望み、心強く、そして優しく歩むことができますように。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

16日(土) 詩編28編1-9節
一言メッセージ:今週も土曜日まで歩んできました。今朝は詩編28編を読みます。この詩のテーマは「沈黙」です。詩人は何らかの苦境の中で神さまに「助けて」と祈り求めますが、その祈りに神さまが答えてくださらないと焦り、「沈黙しないでください(1節)」と訴えています。3節では、神さまに逆らう人々は「平和」を口にしながら悪意を抱いているが、自分も神さまからそんな人々と同じように見られているのではないか、と怯えているのです。神学者・関根正雄という方はこの箇所でこんなことを語っています。「神がそっぽを向いたと感じたその時に、なお神を追いかけるか、諦めるかで私たちの信仰は決まる。その時に神を信じて追わないならば、その者は神でなく、自分の幸福を信じているに過ぎない」。彼は「それでも信じなさい」と語るのです。28編の詩人も「神さま、どうか応えてください」と追いかけたのでしょう。6節で「主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました」と記しています。何があったか分かりません。ただ、私たちは「神さまは応えてくださるお方」とだけ告げられているのです。神さまは私たちを見捨てる方ではないのです。
明日は日曜日、礼拝の時です。一週間で疲れもあることでしょう。でも礼拝は私たちの力の源です。昔、O兄が証で言われていましたが、「一週間は168時間。その1時間を神さまにお献げして」、礼拝に思いを寄せましょう。明日、会堂とネットで皆さんと礼拝できることを楽しみにしています。
祈り:天のお父さま、今朝もあなたの御言葉をありがとうございます。今朝は28編を分かち合いました。詩人の姿に私たちは自分を重ねます。私たちも「神さま」と願いながら、願いが叶えられないと、「神さまは何故黙っておられるのか。聞いていないんじゃないか」と疑ってしまいます。けれど、詩人はそれでもあなたを信じ、追い求めることを止めませんでした。神さま、私たちはこの詩人の姿に教えられます。どうか私たちも日々、あなたを信じ、あなたに期待し、あなたに従って歩む者としてください。明日の礼拝、どうぞ私たちに新たな一週のために力をお与えください。感謝して、イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。



***

今週一週間も皆さんの心に神さまからの平安がありますように!



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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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