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2023-03

3月5日~11日のみことば - 2023.03.04 Sat

3月に入りました。
各地の高校でも卒業式が行われたようですね。
今年はノーマスクでの卒業式が行われたところも結構あったようです。
大変な中でも、素敵な青春を過ごすことができていればいいなと思いながら、ニュースを眺めていました。

久留米教会の中でも、今年は小学校、中学校、高校、それぞれに卒業を迎える子たちがいます。
それぞれ受験を乗り越えた子、今まさに真っ最中の子も。
一人一人にとってまさに新しい出発の時、また人生での大切な節目を迎えています。
そこに至るまでには、きっと悩み、もがき苦しむときもあったでしょう。また、挫折するようなこともあったかもしれません。
日本全国の受験生たちの中には、希望の学校に合格できず、複雑な気持ちで今を過ごしている子たちもいるだろうと思います。

教会では「神さまの導き」という言葉を使うことがあります。
そして、それは時に自分の意志とそぐわない方向へ進まざるを得ない場合にも使われます。
もちろん、すべてのことを「神さまの導き」と考えるのは乱暴ですし、注意が必要です。
しかし、実際に、その時はわからなくても、後から振り返ると自分では不本意だった道へ進んだことが実は今の自分にとって、とても大切だったと思えることがある。
そういったことを振り返る時、「ああ、自分では気づかなかったけれど神さまはちゃんと私に必要な道を備えていてくださったんだな」と驚きと感謝を思わされるのです。

今、新しい道を歩みだそうとしているたくさんのひとたち。自分の希望にかなった道を歩もうとする人にも、不本意な道を歩もうとしている人にも、きっと今からの道に神さまの導きがありますようにと祈りたいなと思わされています。そして、その道に必ず神さまが伴っていてくださることも、ぜひ知ってもらいたいなと思っています。

さあ、新しい週もみことばを聞きながら、深呼吸して1歩1歩歩んでいきましょう♪

***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
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 ・書名選択     : エレミヤ書
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5日(日) エレミヤ書18章18-23節
一言メッセージ:今朝は「エレミヤの告白」という、エレミヤから神さまへの切実な訴えです。エレミヤ書で「告白」は5箇所あります。①11.18-12.6、②15.10-21、③17.14-18、④18.18-23、⑤20.7-18です。今朝の箇所は18節がエレミヤを邪魔者と考える人々が彼を排斥しようと企む言葉で、19-23節はエレミヤが神さまに「彼らを滅ぼしてください」と怒って訴える箇所です。エレミヤの怒りは情的に共感できますが、今朝わたしたちが注目したいのは18節、エレミヤを邪魔者と考えた人々のことです。彼らはエレミヤを神さまから遣われた預言者と認めてはいます。しかし、彼らは「エレミヤだけが預言者じゃない」と考え、排斥しようとします。それは、エレミヤの預言が苛烈過ぎて、自分たちの都合や既得権益を侵害するからです。ここに彼らの問題が見えます。彼らは自分たちの都合が第一であり、神さまの御心は二の次です。それが、自分たちを救うための御心であっても、自分の方が大事になっていました。私たちは彼らの姿を反面教師にしましょう。私たちは大事な順序を間違う時、生き方を間違えてしまいますから。今日は日曜日、礼拝の日です。会堂で、ネットで、事情によっては時間を異にしても、礼拝を守りましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。エレミヤは神さまの御心よりも、自分たちの都合を優先する民の傲慢さ、思い違いに怒りました。神さま、私たちも思い違いをすることがあります。素直に悔い改めます。どうぞ私たちにあなたを第一とする生き方を忘れないようにしてください。私たちの模範であるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

6日(月) エレミヤ書19章1-15節
一言メッセージ:今朝の箇所はエレミヤが壺を買い求め、長老や長老格の祭司に持たせてベン・ヒノムの谷に遣わし、預言の宣告と共に、壺を破壊するように指示する話です。ベン・ヒノムはエルサレムの西から南にかけて街を囲むように位置する谷で、異教礼拝の儀式として人身御供が行われていた場所です。神さまは預言を通して、そんな悪しき風習を糾弾します。5節「わたしはこのようなことを命じもせず、語りもせず、心に思い浮かべもしなかった。」神さまは命を祝福し、育む方だから、自分の利のために他者を犠牲にする人身御供は神さまの意に適うはずもないのです。さて、今朝の箇所で不思議なのは「どうしてエレミヤ自身がそこに行かずに長老たちを代理で遣わすのか」です。理由は簡単で、エレミヤの語る預言が祖国滅亡だったので、彼は神殿に近づくことが禁じられていたのです。だから、エレミヤは代理の人を遣わします。が、さらに興味深いのは、エレミヤがそうしてまで、民が拒む預言を伝えようとする動機です。「神さまに命じられた」という理由もあるでしょうが、私が感じるのは「エレミヤは本当に祖国を愛していた」です。祖国を愛し、同胞を救いたいがゆえに、彼らにとって耳障り良くてもその場しのぎな偽りを語ろうとせず、厳しくとも神さまの祝福に至るための真理を語り抜いたのです。私たちもその場しのぎの薄っぺらな言葉でなく、内実のある神さまのみことばに耳を傾けて今週も歩みだしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。一週の働きの始めに、あなたは厳しいみことばをくださいました。私たちは耳障りの良い言葉が好きです。でも、本当に大事なことは耳障りでなく、あなたの御心をこそ第一に聞くことです。私たちの望む言葉でなく、あなたの御心を聞かせてください。週の働きの始まりに、救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

7日(火) エレミヤ書20章1-6節
一言メッセージ:「この国は神の御心に背いたから滅亡する」と預言し続けたエレミヤは、時の神殿最高指導者であるパシュフルによって鞭で打たれ、一晩投獄されました。翌朝、パシュフルはエレミヤが懲りたであろうと考えて解放しますが、エレミヤはパシュフルに「主はお前の名をパシュフルではなく、『恐怖が四方から迫る(マーゴール・ミッサービーブ)』と呼ばれる」と語ります。古代世界において名前を変えることは、「変える者が変えられる者を支配している」という意味を持ちました。つまり、エレミヤは「主なる神がお前を支配し、お前に四方から恐怖が襲い掛かって来るようにされる」と宣言したのです。驚くのは4節後半、エレミヤは祖国を滅ぼす相手を、それまでの「北の国」でなく、「バビロン」と初めて名指しで語りました。パシュフルは心臓を掴まれるほど驚いたでしょう。自分の権威と懲罰をもってエレミヤを黙らせようとしたら、かえって自分が神の裁きを宣言されたのです。今朝わたしたちはこのやり取りを読みながら、パシュフルを反面教師にしたいと思います。自分の考えが本当に神さまの御心に沿うものかどうか、吟味したいのです。もし「神さまの御心に沿うと思う」ならば、「神さま、間違っているならばどうぞ諫め、正してください」と祈りつつも、周囲が何を言おうと貫けばいい。もし「御心に適うものじゃない」と思えば、早々に方向転換すればいい。怖いのは、自分の願望を「神の御心」と言い訳することです。この一点だけ注意して今日もスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちはパシュフルとエレミヤの記述に「自分たちは本当にあなたの御心に沿っているか」と振り返ります。もし御心に沿っているならば、私たちを勇気づけ、貫かせてください。もし御心に沿っていないなら、素直に方向転換する勇気をお与えください。御心がなりますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

8日(水) エレミヤ書20章7-18節
一言メッセージ:今朝の箇所は「エレミヤの告白」の最後5つ目です。エレミヤは7-13節で、自分と神さまとの葛藤や対立を率直に語り、「あなたの勝ち(7節)、わたしの負け(9節)」と語りました。エレミヤは預言者として神さまのみことばを取り次ぐことに疲れ、「もう辞めたい」と何度も思ってきました。それは、エレミヤの語る預言が祖国滅亡預言だったので、誠実に神さまのみことばを取り次げば取り次ぐだけ、同胞から敵意や誹謗中傷を受けてきたからです。エレミヤだって、わざわざ好き好んで敵対したくない。でも、神さまはエレミヤに「語れ」と命じ続けました。そして14-18節で率直に嘆きつつも、預言者を続けようと決意したのです。その確信は11節「主は恐るべき勇士としてわたしと共にいます」と感じたためです。人々がどれだけ騒ぎ、敵視しようと、神さまに勝つことはできない。その神さまは、虐げられる民を救うため、自らも彼らと共に生きていることを示すため、エレミヤを彼らの代表のようにして生かし、用いている。私たちもいつもいつも、神さまに感謝ばかりは祈れません。悔しさや憤り、疲れ、嘆きだってある。ならば、どうぞ神さまに素直に投げかけてください。どれだけ嘆き悲しんでも、でも神さまはいつもあなたと共に居てくださるし、あなたを用いて御業を行われる方です。神が共にいてくださる、それが私たちにとって最高の力です。エレミヤ同様、感謝の笑みと諦めの苦笑いを持って、今日もスタートです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。エレミヤは率直にあなたと対立し、自分の葛藤も投げかけました。でもあなたはそのエレミヤをいつも強め、立たせ、用いられました。神さま、私たちも時に、自分たちの中に簡単に飲み込めない思いを抱えます。あなたはそんな私たちをも丸ごと受け止めてくださり、共にいて、1つずつ整えてくださるでしょう。期待し、信じて従います。御心を行ってください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(木) エレミヤ書21章1-10節
一言メッセージ:今朝の箇所で、南ユダ最後の王ゼデキヤは祭司をエレミヤに派遣します。この時、エルサレムはバビロン軍によって包囲されています。王はエレミヤを通して主の託宣を聞き、あわよくばエルサレムを包囲するバビロン軍を追い払うような御業を期待します。しかしエレミヤが伝えた神の言葉は「神はバビロンを用いて、この国を滅ぼされる」という、期待と真逆の言葉でした。5節の「わたし(神)は手を伸ばし、力ある腕をもってお前たちに敵対し、怒り、憤り、激怒して戦う」は王にとって絶望的な言葉だったでしょう。今朝の箇所で注目したのは8節です。神さまは祖国滅亡後の預言として、「わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く」と告げ、どちらを選ぶか問います。死の道は祖国に留まること、命の道はバビロンに捕囚として連行されることです。捕囚は、祖国を奪われ、自分たちのプライドも地位も財産も全てを奪われる、絶望的な事柄です。逆に、留まれば少なくとも先祖伝来の土地から離れないで済む。でも神は捕囚を「命の道」と告げました。このことをどう捉えましょう。私は思います。「己がプライド、また固執したい様々な出来事があろうが、たとえ這いつくばろうとも神さまの導きに従うことに未来はある。一時的な挫折はあっても、神は必ずそこから私たちを救い出し、祝福に導いてくださるから」。神さまを根拠として生きる時、未来は必ず開かれるのです。未来を拓く神さまに期待して一日をスタートしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の預言は南ユダの人々にとって絶望的に響きました。でも同時に、滅亡とバビロン捕囚、そしてそこからの解放を知る私たちには、一時的に自分の誇りとするものが奪われても、神さまを根拠とした時、未来は必ず切り開かれることを覚えます。神さま、口で言うほど簡単に割り切れないことと、分かっています。でもどうか私たち、いついかなるとき、どんな状況においても、あなたの導きを信じて生きることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

10日(金) エレミヤ書21章11-14節
一言メッセージ:申命記17.18-20には「王に関する規程」が書かれます。内容を要約すると、「律法(神の御心)を絶えず学び、実行すること。そうすれば、王位は長く保たれる」です。今朝の箇所12節前半は正にそうです。「ダビデの家よ、主はこう言われる。朝ごとに正しい裁きを行え。搾取されている人を虐げる者の手から救い出せ。」言い換えるならば、「政治とは、民を労わり、誰もが等しく、安心して生きるためのもの」です。しかし権力者は時に身勝手な理屈で民を支配し、搾取します。だから、今朝の箇所12節後半-14節において、王が民を虐げるならば、神さま自らが「わたしはお前たちの悪事の結果に従って報いる(14節)」と宣言し、「わたしは火を放ち、火はすべてを焼き尽くす」と滅亡を語りました。今の世界を見て、神さまはどう思うでしょう。そして私たちは今の社会に対して、どう行動するように促されているのか。今朝は問いかけられる箇所です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに私たちは「政治とは民のためにおこなうもの」であると改めて見ます。けれど現実はみことばとあまりにかけ離れ、生きること、食べることすら当たり前でない人々が増えています。神さま、あなたは今の社会をどう見られるでしょうか。どうぞ私たち一人ひとりが主権ある国民として、この国をどう正していけるか、問い直す一日を過ごさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

11日(土) 東日本大震災から 12 年を数えての祈り
今日は東日本大震災から12年目の日です。震災発生後、日本バプテスト連盟では「現地支援委員会」が発足し、2021年度まで10年間、支援活動をしてきました。今は東北地方連合が被災支援委員会を作り、働きを引き継いでいます。今年も彼らから「一緒に祈ってほしい」と祈りが送られてきました。今日のみことばメールは、彼らの祈りを一緒に祈りたいと思います。以下、原文です。
主よ、東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故から 12 年が経ちます。これまでの主の寄り添いと導きに感謝いたします。そのような中、昨年 3 月 16 日に発生した福島県沖を震源とする震度 6 強の大きな余震に 12 年前の大震災を想起しました。さらに先月 2 月 6 日、トルコとシリア国境付近で起こり甚大な被害をもたらしている大地震を覚え、心を痛めています。私たちは今もなお、震災と震災の間を生きていることを思い、被災された方々のために共に祈りを合わせます。
主よ、私たちは 12 年前の大震災によって失われた 15,900 人1と、関連死した 3,786 人1の命を覚え、いまだに行方不明となっている方が 2,523 人2と、その安否確認ができないでいるご家族関係者のことを思います。さらに津波や原発事故によって避難を強いられている方が 31,438 人3おられます。震災から 12 年を経過しても「原子力緊急事態宣言」は発令中であり、福島の原発立地地域では避難指示が解除され、新たに特定帰還居住区域が指定されましたが、なお帰還希望者の減少、インフラ整備の遅れなどで町の回復には至っていません。どうか主よ、避難者の皆さんの将来への道筋と希望を与え、導いてくださるようお願いいたします。また、国の復興予算は前年を大幅に下回り、地方自治体における必要とされる復興事業も縮小せざるを得なくなっています。必要な復興支援が確保されるようお支えください。
主よ、東京電力福島第一原子力発電所における廃炉作業は遅々として進まず、今春の「ALPS(アルプス)」汚染処理水の放出が決まりました。福島県のみならず、宮城県でもようやく回復してきた漁業における深刻な被害が懸念されています。また、宮城県の東北電力女川(おながわ)原発 2 号機は住民の、リスク懸念をよそに来春の再稼働となり、国は全国の原発の 60 年延長利用に舵を切りました。主よどうか、日本各地で想定されている巨大地震や、薄れつつある原発への危機感を私たちが失うことなく、取返しのつかない事態が再び起こることのないようお導きください。そして、その備えを私たちが忘れず、目を覚ましていくことができますように。
主よ、新型コロナウイルスの感染拡大も、様々な規制が緩和され収束に向かうかに見えます。しかし失われる命は留まることなく、基礎疾患がある方や高齢者、幼児などへの影響が懸念されています。また、現在起こっているミャンマーでの軍事クーデター、ロシアによるウクライナ侵攻など、各地での争いと暴力は全世界に暗い影を落とし、また多くの人権問題を起こしています。戦争による核の脅威やエネルギー問題、環境破壊による温暖化は、私たちの生活に脅威と不安を与え続けています。主よ、どうか主の平和がありますように。そして私たちを和解のつとめに仕える者としてください。
主よ、これからも私たちが被災された方々のことを忘れず、世界で起る新たな苦難の中で苦しみ痛む人たちに寄り添っていけるよう、私たちの信仰を新たにしてください。いつもあなたが共にいてくださることを忘れず歩む私たちでありますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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