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2022-12

クリスマスおめでとうございます!!(12月25日~12月31日のみことば) - 2022.12.22 Thu

みなさん、クリスマスおめでとうございます。
新型コロナウイルスが依然として猛威を振るい、ウクライナやミャンマーをはじめとして世界はいまだ争いの渦中です。
国内でも国外でも貧しさにあえぐ人たちがあり、差別や様々な人権侵害によって苦しむ人たちがいます。
わたしたち一人ひとりにもそれぞれ悩みも悲しみも持っています。

それでも、クリスマスはやってきます。
それは、こんな私たちの現実に神の子イエス・キリストが与えられていることを示します。
どんな苦しみの中にあっても、どんなに追い詰められている状況でも、寒さの中で孤独を感じていたとしても、「インマヌエル(神我らと共にいます)」という名を持つ方が私たちの傍らにおられる。
悲しむときには傍らにいて共に泣き、苦しみを共に担い、しかし希望を与え続けてくださるお方が私たちと一緒です。
それは、どんな人にも与えられている恵みなのです。

だから、クリスマスおめでとう。
わたしにもあなたにも、伴っていてくださる救い主イエスさまの誕生を心から感謝し、お祝いします。
どうぞ、このクリスマスの灯があなたの心にもともりますように。

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Merry Christmas!!


***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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25日(日) ミカ書3章1-12節
一言メッセージ:今朝の箇所は南ユダ王国の王侯貴族、指導者たちへの罪の宣告です。1節にて神さまは彼らに「正義(ツェダカー、神の御心)を知ることが、お前たちの務めではないか」と告げます。しかし、彼らは2-5節、自分たちの都合によって民を搾取し、自分に利をもたらさないものには破滅を宣言し、国と民を支配します。彼らは11節で「主が我らの中におられるではないか。災いが我々に及ぶことはない」と語り、宗教的に自分たちの身勝手を正当化したのです。それゆえ、神さまの裁きが6節から告げられていきます。注目したいのは8節です。「わたしは力と主の霊。正義と勇気に満ち、ヤコブに咎を、イスラエルに罪を告げる。」神さまは彼らの身勝手な要求に沈黙し、何も恵みを与えず、一方「正義と勇気」の方だからこそ「ヤコブに咎を、イスラエルに罪を告げる」のです。それは切り捨てるための罪の宣言でなく、救うための促しです。「ダメなものはダメ、過ちは過ち」と明確に示し、裁きを通して彼らを立ち直らせようとするのです。私たちは今のところ、神さまからの明確な裁きをいただいてはいませんが、もし神さまの沈黙を感じるならば、自分を振り返る時なのかもしれません。御心を模索し祈りましょう。今日は日曜日、礼拝の日です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。南ユダの指導者は自らの都合を正当化するためにあなたを利用しました。あなたは指導者たちの身勝手な言い分に沈黙し、過ちに気づかせ、悔い改めさせようとされます。あなたの沈黙は私たちへの問いかけです。神さま、今、私たちはあなたの沈黙をいただいているのでしょうか。それとも、御心が示されているのに気づいていないだけでしょうか。ぜひ御心を示してください。救い主イエスさまの名で祈ります。アーメン。

26日(月) ミカ書4章1-3節
一言メッセージ:今朝の箇所はイザヤ2章と同じく、神さまの平和な御国が語られる箇所です。3節ではこう書かれています。「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」これは神の国の完成の預言です。神さまの御国では国々はもはや戦わず、それまで命を奪い合ってきた武器が、命を育むための農耕具へと打ち直されていく。平和とは違いを認め合い、共存することにあることが分かる預言です。この3節で改めて注目したいのは「主は多くの民の争いを裁き…」と神さまによる直接統治が書かれていることです。それは、人々が神さまの思われることを理解し、応答して生きることを表しています。人にはそれぞれに都合、理屈、願望があります。そんな個人の思いを優先し、相手に押し付けていくと、そこに争いが起こる。逆に皆が神さまの御心を思い、互いを尊重していけば共に生きる平和が実現する。それは今まさに世界が必要としている示唆ですね。一日も早くこの世界に神の国が実現すること、そのために私たちも御業の一端を担いたいと祈らされます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はイザヤ2章にも記される神さまの国の姿を読みました。描かれているのは、一人ひとりが神さまの御心を模索し、応答しようとすることで、争いを棄て、命を奪う武器を命を育む農耕具に作りなおし、共に生きようとする歩みでした。神さま、世界は今、あなたの平和を求めています。どうぞ一日も早くウクライナの争いを収束させ、世界が民の共存を示す主の平和を実現させられますように。そのために私たちにも担える働きをお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

27日(火) ミカ書4章1-8節
一言メッセージ:1-3節は昨日読んだ箇所ですが、合わせて8節まで読んでいきます。4-8節はさらに神さまの平和の描写が進み、障害を持った人々、争いの時代に邪魔扱いされた人々も労わり合う世界が描かれています。4節で「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り」とありますが、「ぶどうの木」は1つの房にたくさんの実が成るので多産や繁栄の象徴、「いちじくの木」は平和の象徴です。そんな中で注目したいのは5節です。「どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに我らの神、主の御名によって歩む。」1-3節で世界中の民が聖書の神さまの御前に集ってくることが歌われましたが、5節では「どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む」と違う情景が書かれるのは何故でしょう。それは、現実的な変化の段階を表しているからです。1-3節で神さまの御国は示された。しかし5節では、未だ自分たちの旧態の支配体制に固執する者たちもいる。既得権を持ち、都合よく生きていた人々の反抗かもしれませんし、かつての敵国の民と一緒に生きることを不安を持つ人々の抵抗かもしれません。彼らが納得し、変わっていくには時間がかかる。でも、だからこそ5節2行目からミカは語る。「我々は、とこしえに我らの神、主の御名によって歩む。」それは「未だ、神さまの御国を理解せず、抵抗する民がいるが、私たちは先ず率先して、永遠に神さまの平和を求めて生きる」との決意であり、「後には、きっと抵抗している人々も神さまの平和を求めて集ってくるだろうから」という期待の言葉です。私たちの教会の在り方もこうなのだと思う。私たち一人ひとりはユニークな個性と長所だけでなく、弱さや課題、欠点も抱える普通の人間です。でも、そんな私たちが神さまの御前に集う時、私たちは欠点を互いに補い合い、共に生きていくことができるし、それが心強く、慰めと励ましと希望に満ちた生き方となる。そんな私たちの姿を見ながら、近しい人たちが「あの人は様々な課題を抱えながらも、なんであげん幸せそうなんやろ。神さまってどげん方?教会ってどげんとこ?」と思い、来てくださるようになるんじゃなかろうか。2023年もまもなくスタートです。新しい年、私たちは自分たちを丸ごと認め、笑顔と希望で伝道する教会でありたいですね。次の年への期待が膨らみます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はミカ4章から、神さまの御国を嬉々としながら目指す民の姿を読みました。それは、私たち教会が目指したい姿です。私たち一人ひとりは弱さも課題も欠点もあります。でも、そんな私たちでもあなたの御前に集い、互いの個性を補い合い、共に生きることを喜び、支え合って生きる群れ、教会をいただいています。神さま、どうぞ新たな年、私たちが嬉々としながら教会に集い、その姿を通して、あなたを知りたいと願う方が起こされていきますように。期待し、救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

28日(水) ミカ書4章9-13節
一言メッセージ:今朝の箇所は、ミカが直面する現実の厳しさから理解する箇所です。おそらくこの時、南ユダ王国の首都エルサレムは北王国を滅ぼしたアッシリアに包囲され、危急存亡の危機に直面しています。しかし預言者は5節で「今、なぜおまえは泣き叫ぶのか」と呼び掛けています。さて、今朝の箇所で私たちが注目したいのは9節、10節、11節に繰り返される「今」と、10節、12節に書かれる「だが(しかし)」です。今年のアドベント説教のために数冊の本を読んでいましたが、その中の一冊、朝岡勝さん(改革派教会牧師、同教団理事長、東京基督教大学理事長。)のクリスマス説教集で彼が面白いことを語っていました。「私たちは生活の中で『しかし、だが』という言葉を使う。その際は『○○ありたい。しかし』というように、自分たちの目指す理想を前に現実の苦しさを訴えるための『しかし』が多い。でも、聖書の語る『だが、しかし』は逆です。現実の苦しさに直面している人たちがいて、聖書は彼らに対して『しかし、神がおられる』と希望として『だが、しかし』を語るのです。」なるほど、今朝の箇所も正にそうです。南ユダ王国はアッシリアに囲まれ、民は恐怖の中でパニックに陥っている。しかし聖書は『だが、バビロンにたどりつけば、主がお前を敵の手から贖われる(10節)』、『だが、彼らは主の思いを知らず、その謀を悟らない(12節)』と神さまにある大逆転を語ります。神さまへの信仰は厳しい現実に心折れそうな私たちになお希望と確かな展望を与える力です。私たちも神さまにある『しかし』を期待しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしたちは、あなたに期待することはしんどい現実の先になお希望と展望を見出すこと、と分かち合いました。神さま、「あなたこそが私たちの神」と信じていられることを心から感謝します。今、課題や痛みや悲しみや不安を抱える人々に、どうぞあなたによる希望が与えられますように。私たちも互いに神さまの希望を語り合い、励まし合う者とならせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

29日(木) ミカ書4章14節-5章14節
一言メッセージ:今朝の箇所も、アッシリアによるエルサレム包囲中に語られた南王国の救いと平和預言の箇所です。人々から言えば、「滅ぼされかけているのに平和やら救いやら、果てはお前たちが世界を席巻すると語るなど馬鹿じゃなかろうか」と聞こえるでしょう。日本でも「来年の話をすると鬼が笑う」と言いますが、これも「人間に未来のことなど分からないから、未来の話をしても無駄」という意味です。そう、人間には未来のことが分かりません。でも神さまには分かる。5.1に注目しましょう。これはマタイ2.6、占星術の学者がヘロデ宮殿に行った際に宮廷学者たちが見つけた救い主誕生預言の言葉です。来年どころか、ミカから下ること700年先に誕生したイエス・キリスト預言です。さらに目を惹くのは、この救い主は3節「彼は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳によって」と書かれています。救い主は自分の能力で民を養おうとはしません。神さまの力によって民が安心して生きられるように導くのです。そんな彼の姿を4節「彼こそ、まさしく平和である」とミカは告げました。先日わたしたちはイエスさま誕生のクリスマスを祝いました。飼い葉桶に眠る幼子の中に、神さまの平和があることを分かち合いました。年の瀬にあって、私たちは来年どころか神の国の完成を夢見ながら、ワクワクと過ごしてまいりましょう。ちなみに今日は10:00から教会大掃除。来年のために今日できる働きも一緒に担えればうれしいです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箇所は、エルサレムが包囲され危機的状況の中で、あなたが救い主到来預言を語られた箇所でした。その預言はイエス・キリストにおいて実現しました。神さま、あなたが与えてくださる希望は、決して私たちを裏切らず、必ず実現することを確認でき、ますますあなたに期待します。どうぞ私たちの願望を超える、あなたの素晴らしい御心が成りますように。年の瀬に神のみ国を思い、期待し、祈ります。アーメン。

30日(金) ミカ書6章1-16節
一言メッセージ:今朝の箇所は改めて、神さまが南ユダの民に「悔い改めなさい」と呼び掛けた箇所です。この箇所の中、6-8節は預言者の言葉で、それ以外は神さまが語り掛ける言葉です。1-5節で神さまは民に「私を思い起こせ」と促します。それは出エジプトの出来事です。エジプトで奴隷であった民がどのように救われたか。彼らは自分たちでエジプトと戦って自由を勝ち取ったのではなく、ただただ神さまの導きによってエジプトを脱し、救われた。しかし9節以下、そんな神さまを忘れた民は今や不正にまみれて利益とご利益宗教に走った結果、国が崩壊しつつある(自分の利益のために統一協会とすら手を組み続けてきた自民党のようです)。そこで神さまは彼らに必要な裁きを下すと語り掛けます。注目したいのは6-8節の預言者の言葉、その中でも8節です。彼は語ります。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」預言者は「大きな成果を上げること、人を圧倒する知恵を持つこと、誰もがうらやむほどの財を蓄えること」などを告げません。むしろ、今からでも実践できることを語ります。「正義(神さまの御心)を実践し、慈しみを愛し(自分も人も愛し)、へりくだって(謙虚で)、神と共に歩むこと」です。神さまが必ず私たちを顧み、整えてくださる。だから、私たちは誠実に神さまと向き合い、他者と共に生きるのです。利益が私たちを豊かにするのではない。神さまが私たちを祝福くださるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。年の瀬に一年を振り返りつつ、バタバタと過ごしています。でも、落ち着いてあなたのみことばに触れる時、あなたはいつも私たちを祝福し、導いてくださったことを思い起こします。困難や悲しみもありましたが、必ずあなたは後に、感謝と平安へと整えてくださる方です。だから私たちは8節のみことばが告げるようにあなたの御心を実践し、自分も他者も愛し、謙虚に、あなたと共に生きてまいります。どうぞ一日一日、あなたの伴いを感じて歩めますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

31日(土) ミカ書7章1-7節
一言メッセージ:大晦日、一年の締めくくりですが、今朝のみことばは一読すると結構ヘビーな裁きです。もはやエルサレムの民への神さまの裁きが不可避となったと語ります。そこでは「主の慈しみに生きる人、正しい者はいなくなり(2節)」、誰もが私利私欲に走ったため、国を再建する者はおらず「大混乱が起こる(4節)」。同胞、友人も信用できず(5節)、家族間すら疑心暗鬼となる(6節)状況です。もはや絶望的な状況です。しかし預言者は7節「しかし、わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる」と語ります。希望無き中でなお神さまが希望と語るのです。今年、皆さんはどう過ごしてこられましたか?順風満帆に過ごせた方は感謝ですね。逆に、悲しみや痛み、強い不安を経験した方もあるかもしれません。今朝、この箇所を読みながら、私は一人の教会員の方を思い出しました。お連れ合いが今年亡くなられたのですが、自宅から病院に移られ、最後の数日、毎日15分の面会時間を大事に、ベッドの傍らに祈っていたそうです。自分ではもうケアしてあげられることは無くなった。でもその時になって、初めて「委ねる」ことを体験し、安心しながら、手を握り、祈ることができたのだそうです。「その経験は『私に何ができなくなっても、なお私には祈れる神さまがいる。神さまの御業に期待できる』との確信をいただいた時だった」そうです。悲しみは時間をかけながら、向き合いながらでしか乗り越えられません。でも、その私たちには「救いの神」がおられる。それは大きな希望です。一年の終わりの日、私たちは今日もみことばによって励まされました。皆さん、一年、ありがとうございました。次の年も共にみことばに励まされながら、やっていきましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。一年を振りかえる時、今朝の御言葉は深い実感と希望をくださいます。人の力、考え、展望が持てない時にも、あなたは私たちの救いの神です。あなたがおられるからこそ私たちは平安と期待を持ち続けられます。どうぞ私たちの思惑を超え、あなたの御業を、あなたの最善を行ってください。今年の歩みに感謝し、来年に期待し、救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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