8月1日~8月14日のみことば - 2021.07.31 Sat
いよいよ7月も終わり、8月が始まります。
オリンピックでの選手たちの健闘は素晴らしいですが、感染者の増加を見るにつれ不安も増してしまう夏です。マスク生活にも慣れてきたとはいえ、夏の暑い中では熱中症も心配です。
どうぞ、皆さんの心と体とが守られますように!
8月、久留米教会では毎年、平和を覚える月間として礼拝をささげています。
もちろん、平和は8月だけではなくいつでも大切なテーマですが、やはり日本が敗戦した月、また広島と長崎に原爆が落とされたこの8月に平和を覚えることの意味も深いものであると思います。
すでに天に召されましたが、私たちの教会の協力牧師であった中島文昭先生は長崎で原爆を体験した方でした。今も教会ホームページの礼拝メッセージページの下のほうに生前文昭先生が語ってくださった平和メッセージが残っています。とても貴重なお話ですから、皆さんもどうぞお聞きになってくださいね。
8月の礼拝は毎週聖書が語る平和についてメッセージを聞いていきます。どうぞ、皆さんも会堂で、またYouTubeで礼拝に参加してくださいね。共に聖書に聞き、平和を祈りましょう。
それでは、今週もみことばをどうぞ♪
※8月4日~12日まで牧師が夏季休暇のため、その間のみことばメールはお休みです。
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※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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8月1日(日) 創世記41章14-41節
一言メッセージ:今朝の物語はヨセフの人生がいよいよ大逆転していく箇所です。獄中で2年を過ごしたヨセフはエジプト王ファラオの夢を解くために、牢から出されます。そして、見事に王の夢を解き明かし、7年の大豊作と7年の大飢饉を預言し、王に「聡明で知恵ある人物を見つけ、執政官として国を治めさせたらよい」と進言します。王と家来たちはヨセフの言葉に感心し、王はヨセフをエジプトのナンバー2に抜擢するのです。
アメリカンドリーム的な大逆転の話ですが、では、私たちはここに何を見出すでしょうか。今朝の箇所そのものとは離れるのですが、私は「ファラオがよく、ヨセフの夢解きを認め、受け入れたな」と思うのです。後の出エジプト記で触れると思いますが、エジプトは神権国家でした。王であるファラオは神の化身であり、国は神が直接統治していると理解されていたのです。だから、「ヨセフの信じるイスラエルの神のお告げをそう簡単に受け入れられたな」と思うのです。なので今朝はヨセフよりもファラオに注目したいと思います。人間は、自分に都合の良いアドバイスはありがたく受け入れるものです。一方、自分にとって都合の悪いもの、関心がないアドバイスは無視しがちです。この時代のファラオはヨセフの夢解きを受け入れ、その才を素直に認め、大抜擢しました。それだけ、自分を絶対視せず、広い視野を持っていた王だったのでしょう。私たちもこのファラオのように、自分を絶対視せず、広い視野を持って、物事を判断する者でありたいです。今日から8月です。戦後76年目の夏。歴史を紐解きながら、いかに冷静に、平和実現に向けて今を生きるのか。上っ面の言葉に惑わされず、神さまの平和を求めて歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はヨセフの大逆転の場面を読みました。ヨセフの立場の大逆転もすごいのですが、ファラオの姿勢もとても目を引きます。自分の都合や立場で他者の意見を排除するのでなく、冷静に物事の善し悪しを見定めようとする姿勢にならいたいです。特に敗戦76年目の夏、戦争体験の生々しい記憶を持つ方が少なくなる中で、戦争の記憶を都合悪く思う人々が憲法を変えようと躍起になっています。神さま、どうぞ、今こそあなたの御心に基づく平和実現のために私たちに正しい視点と言動を為させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
2日(月) 創世記42章1-38節
一言メッセージ:エジプトの執政官になったヨセフは、王へのアドバイスの通りに、7年の大豊作時に穀物を備蓄し、7年の大飢饉に備えます。その政策は功を奏し、飢饉時に世界中が作物を求める中で、エジプトには食料がたっぷり保管されていました。そこに、カナン地方に住んでいたヤコブの家からヨセフの兄たちが食料を求めてエジプトにやってきます。ヨセフはすぐに兄と気づきますが、兄たちはまさか自分たちが奴隷として売ったヨセフが執政官だとは気づきません。ヨセフは兄たちに「お前たちはスパイだろう」と難癖をつけ、17節で三日間牢に放り込みます。兄たちは牢で「これは、弟のことで罰を受けているんだ」と悔やみます。長男ルベンは「あのとき、わたしはヨセフに悪いことをするなと言ったではないか」と告げます。ヨセフはそんなやりとりを聴きながら、隠れて涙しています。その後、次兄シメオンだけ縛り上げて残し、残りの兄弟は食料の代価もとらずに、故郷に帰します。次兄シメオンを残したのは、自分の口惜しさの一端を味合わせたかったからでしょうか。こうしてヨセフ物語がクライマックスへと向かって進み出します。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はヨセフが兄たちと再会した物語を読みました。ヨセフは自分が奴隷として売られたことの恨みで、兄たちを牢にいれたり、次兄シメオンだけ残したりします。そうしてしまうほどに、彼は傷ついていたのでしょう。けれど、その傷があなたによって癒されていきます。神さま、続けてヨセフ物語を読みますので、物語を通して私たちにも人生の意味を問わせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
3日(火) 創世記43章1-34節
一言メッセージ:ヨセフの父ヤコブは食料が無くなったため、息子たちを再度エジプトに送り、食料を買い求めるように言います。息子たちはエジプトの執政官となったヨセフから難癖をつけられることを警戒し、「もし行くのであれば、前回、要望されたように末の弟ベニヤミンを連れて行かねばなりません」と告げます。ヤコブにとってベニヤミンは愛妻ラケルの忘れ形見(ヨセフの実の弟だが、ヤコブはヨセフが死んだものと思っている)、ヤコブは万一を心配します。すると四男ユダが「自分の身に代えてもベニヤミンを連れ帰る」と約束し、ヤコブは渋々同意して、エジプトに行かせます。エジプトに下った兄たちは兄弟シメオンとも再会でき、再度ヨセフと会うことになります。ヨセフは末の弟ベニヤミンを確認し、30節で懐かしさに涙します。こうして、久しぶりの兄弟勢ぞろいとなったのです。
さて、ここから物語がクライマックスに向かいます。とても良い場面なのですが、申し訳ありません。明日から12日(木)まで夏季休暇に入りますので、みことばメールをお休みさせていただきます。続きは13日から送ります。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ヨセフは弟ベニヤミンと会い、懐かしさのあまり、涙しました。突如、兄たちに奴隷として売られて以来、弟とも会えなくなり、ヨセフは寂しさが募っていました。どれほど頭は理知的であっても、人の心はそう簡単に物事を割り切れません。神さま、どうぞ、私たちの頭も心も全てを理解し、受け止めてくださるあなたの導きを願い求めます。どうぞ、いつも最善はあなたにあることを信じ、あなたに解決を求め続ける私たちであれますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
※4日(水)-12日(木)は夏季休暇のためメールはお休み。
13日(金) 創世記44章1-34節
一言メッセージ:休暇明け最初のみことばメールです。話を戻して、ヨセフ物語の続きです。実の弟ベニヤミンと再会を果たしたヨセフは、どうにかしてベニヤミンを手元に留めたいと願います。そこで、自分の大事な銀の杯を弟の荷物に忍び込ませ、窃盗の容疑で捕らえ、自分の手元に残そうとします。物事は想定通りにいくはずでした。しかし想定外が起こります。それは、兄のユダが父ヤコブとした「ベニヤミンが父のもとに戻れないことになれば、自分が身代わりになる」との約束を語り、「自分が残るから、ベニヤミンを解放してほしい」と懇願したのです。その懇願の中でユダは父ヤコブの悲嘆を語ります。父ヤコブは愛息ヨセフが「亡くなった」と理解し、以来ずっと悲しみ続けていたこと、そして、兄たちは自分を奴隷として売ったと言えず、「野獣に食われて死んだ」と嘘をつき続けなければならなかったことを、ヨセフは知ったのです。
これはヨセフにとって驚きだったでしょう。計算をしますと、ヨセフが奴隷として売られたから11年が経っています。その間、ヨセフの中にあったのは兄たちへの怒りだと思います。ポティファルの家から牢に投げ込まれた時も、牢で2年間を過ごす時にも、兄たちへの恨みは強かったでしょう。エジプトの執政官になっても、家への思いや寂しさは募ったでしょう。自分の日常を奪ったのは兄たちだったのに、その兄たちは同じ期間、父に嘘をつき続けねばならなかった。父の悲しみに兄たちも苦しみ続けた。ヨセフは自分の気づかなった側面を知り、目が開かれていくのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ヨセフは奴隷として売られてから11年間、自分の境遇を嘆き、淋しさを募らせていました。兄たちを恨み、怒っていました。けれど、彼は気づかされました。兄たちは同じ期間、父の傍で嘘をつき続けねばならなかったし、そのためにどれほど苦しんでいたかを。神さま、私たちは視野狭く、時に自分の考えに捉われ過ぎて、物事を多面的に見れなくなります。自分の視点だけが全てに見えてしまいます。けれど、あなたは今朝、ヨセフは自分の見えていなかった11年を示されました。明日、物語の続きを読みますが、どうぞ私たちにも多様な視点を気づかせてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
14日(土) 創世記45章1-15節
一言メッセージ:今朝はヨセフ物語のクライマックスです。奴隷にされてからの11年、自分の中にあった兄たちへの恨みや怒りは、兄たちにとっての11年が父に「ヨセフは野獣に食われた」と嘘をつき続けねばならなかったと知り、氷解しました。ヨセフは兄弟の前で声をあげて泣き、3節「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか」と尋ねます。言葉を失う兄たちに自分であることを示したヨセフは、自分がエジプトに売られたことの背後に、神の意志があったと悟ります。5-8節でヨセフは、神さまが多くの人を救うべく、自分をエジプトに遣わしたのだと語ります。
ヨセフにはここで、視点の劇的な変化が起こっています。それまで「わたしは、わたしは」と自分の口惜しさで人生を意味づけてきた。けれど、兄たちの視点で11年を見た時、自分の視野が狭かったことを知るのです。その時にヨセフが気づいたのは、神さまの視点です。それまで、何度も夢解きをしてきたヨセフであるのに、自分の身に起こった出来事の意味を解くには11年がかかりました。自分の中の感情ゆえに、自分の境遇に示された神さまの御心が見えていなかったからです。けれど、ヨセフは気づきました。その時、彼は兄たちと和解し、喜びを取り戻したのです。
ヨセフ物語は私たちにとって大事なヒントです。私たちもヨセフ同様、自分の身に起こること、自分に近しい人に起こる出来事にはかなり感情的で、自分本位なものの見方をします。例えば、身内が「誰それに敵視された」と聞けば、事実関係を確かめる以前に相手に敵意を持つ、などはよく起こる事柄です。けれど、ヨセフは自分の身に起こった出来事を神さまの視点から見ました。その時、神さまの真意を見出します。神さまは全てのものを生かし、救うべく、ヨセフを遣わしていたのです。私たちはどうでしょう?自分の意に沿わぬ出来事、気に入らぬ事柄に怒りで目がくらむのでなく、冷静に「神さまは今、私に何を示しておられるのか。何に気づかせようとしておられるのか」と考えてみましょう。その時、私たちは自分たちの人生に新たな意味を見出せるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。ヨセフはあなたの御心を知った時、自分がエジプトに売られたのは、全ての命を救うためにあなたに派遣されたからだと悟りました。神さま、ヨセフは自分の人生に意味を見出しました。私たちは時に感情ゆえにあなたの御心から目を反らしてしまいます。どうか、ヨセフに倣って、あなたの御心を模索し、あなたの導きを見出す私たちでありますように。偶然と思っていた出来事に、あなたの必然が働いていたことを悟らせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
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