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2021-06

6月27日~7月3日のみことば - 2021.06.27 Sun

20日の礼拝から集まっての礼拝のおすすめ、また祈り会を再開していますが、やっぱり集まっての礼拝や集会はいいなぁと実感しています。
改めて集まると、私たちって本当にいろいろな方法でコミュニケーションをしているんだなぁと思わされます。体の向き、目線、呼吸、声の大きさ、しぐさなどなど…
だからこそ、今の状況の中で「人と会えない」ことの多い状況は私たちが思っている以上に私たちの心に影響をあたえているんだなと思います。
ひとりでいると自分の内側ばかりに考えが向きがちになりますが、実はそんな風に自分一人で突き詰めて考えようとするよりも、他者とのかかわりの中でこそ、わたしたちは本当の自分をとらえられるのかもしれません。
教会は「究極の他者」、私たちに最も遠く、最も近い存在である神さまと出会うところ。
神さまと出会いうことで、「本当の自分」に出会うことができるのだと思っています。

まだまだ感染予防対策は必要ですし、教会でもマスク着用、検温、手指消毒、間隔をあけての着席、プログラムの短縮などなど対策を行いながらの礼拝をしていますが、ぜひ対策をしつつ教会に足を運んでみてください。きっと大切な出会いがあなたを待っていると思います!
もちろん、「まだ人の集まるところに行くのは怖いな」と思われる方は、YouTubeからのライブ配信もつづけていますのでそちらもどうぞ!

今週も皆さんにとって、よい1週間となりますように!!

***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
 ページの下のほうにある「書名・章・節から探す」に以下の事項を選択・入力してください。
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 新約聖書 / 旧約聖書
・書名選択     : マタイによる福音書 / 創世記
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


27日(日) マタイによる福音書28章16-20節
一言メッセージ:いよいよマタイ福音書最後の箇所です。が、最後の箇所も4日に分けて読みますので、今しばらくお付き合いください(笑)。
  今朝注目したいのは17節で、復活のイエスさまと再会した弟子たちの中に「疑う者もいた」ということです。「疑う」と読みますと、「はぁ?復活やらあるわけなかろうが」と否定したニュアンスと思いますが、原文では「ためらう」という意味があります。どうして弟子たちはイエスさまとの出会いに「ためらった」のでしょう。それは、彼らが最後にイエスさまと一緒だったのが、ゲッセマネでイエスさまが逮捕された時の逃亡、ペトロにとっては大祭司の館での裁判での裏切りだったからです。自分たちの師であるイエスさまを見捨て、見殺しにしてしまった。その罪や後悔、またイエスさまへの後ろめたさや「赦されるわけがない」という恐怖が、彼らを「ためらわせ」たのです。しかし、そんな「ためらう」弟子たちにイエスさまは向き合ってくださいました。18節では自ら「近寄って来て」くださいました。ここが今朝の大事な点なのです。
  私たちは自分たちの過ちから目を背けたい、忘れたい、無かったことにしたいと思っています。だから、時に相手に向き合って謝罪して乗り越えることをせず、一方的に無かったことにして誤魔化そうとします。でも、それは解決ではありません。弟子たちもそうです。彼らはイエスさまの前にやってきます。イエスさまも彼らに近寄り、向き合ってくださる。これが、弟子たちにとって、赦しの第一歩でした。何度も見てきたように、イエスさまは赦しの主です。けれど、その赦しを私たちがちゃんと実感すべく、イエスさまと向き合い、また他者と向き合うことが必要なのです。
  今朝は礼拝の日です。礼拝は神さまと向き合う時。今朝も自らの罪を悔い改め、新たな赦しと力と示唆をいただきましょう。会堂でもネットでも皆さんと一緒に礼拝するためお待ちしています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。後悔、後ろめたさ、恐れを抱いていた弟子たちはそれでもイエスさまと向き合うべく、ガリラヤの山に集りました。その時、彼らは赦されました。神さま、あなたの赦しに感謝し、私たちも礼拝に集います。どうぞ今日も私たちに赦しと新たな示唆をお与えください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

28日(月) マタイによる福音書28章16-20節
一言メッセージ:昨日に続き、復活のイエスさまと弟子たちの出会いの場面です。今朝から3日間は18-20節に記された、イエスさまの3つの示唆を順々に見ていきたいと思います。
  今朝注目したいのは18節のイエスさまの言葉です。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」イエスさまは「わたしは神さまから天地万物全てを動かし、従わせる権能をいただいた」と宣言します。ものすごい力です。では、その力をイエスさまは何に行使したでしょう。それは「弟子たちを赦し、再出発させること」でした。人は必ず過ちを犯してしまいます。「分かっててもやってしまう」だけでなく、視野が限られているために、良かれと思いながら、とんでもない失敗を引き起こしてしまうこともあるのです。だから、私たちは誰もが赦されねば生きていけない存在なのです。そして、イエスさまはそんな私たちに「天と地の一切の権能」をもって赦し、再出発を与えてくださる。私たちはイエスさまに贖われ、イエスさまに赦され、今も生かされているのです。今日から新しい一週間が始まります。今週も赦された者として、感謝を持って歩み出してまいりましょう。今週も神さまの御業を喜び、御業の一端をお伝えする、そんな歩みとなりますように。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしたちは、イエスさまが「天と地の一切の権能」をもって私たちを赦し、再出発を与えてくださったことを分かち合いました。私たちは誰しも過ちをやらかし、後悔を抱えます。けれど、あなたはその私たちを赦し、今一度立ち上がらせてくださいます。神さま、あなたの御前に私たちは自分たちの罪を、後悔を、痛みを全て告白します。どうぞ、「天と地の一切の権能」で私たちを赦し、申し訳なく思う相手がいたら、その人との和解をも実現させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

29日(火) マタイによる福音書28章16-20節
一言メッセージ:昨日は復活のイエスさまの示唆の1つ目として「赦し」を分かち合いました。今朝注目したいのは「使命」です。19-20節には「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」とあります。使命としては「洗礼へと導く(伝道する)」と「教える(教育する)」です。けれど、私は19節最初の「あなたがたは行って」という言葉に注目したいのです。弟子たちは自ら、人々の許に出かけていく。そして、そこで人々と一緒に生き始めていく。昨日分かち合ったように、人は誰しも過ちをやらかし、後悔を抱えます。弟子たちはそんな人々の中で生きて、信頼を得て、あれこれ話すようになるうちに、「自分はかつて、イエスさまを見捨ててしまったんだ」と証するでしょう。その時、「でも、そんな私を赦し、再出発させてくださる救い主がおられるのだ」とも伝える。人々がその言葉に心揺さぶられる。その時にこそ、伝道は可能となるし、教育も始まるのです。今朝、私は「使命」を分かち合います。その使命は先ず「共に生きる」ことから始まるのです。コロナ危機の中でも私たち、イエスさまの赦しと再出発を求める人々と「共に生きる」者でありましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちは昨日の「赦し」に続き、今朝は「使命」を分かち合いました。あなたは弟子たちを赦し、赦された者として多くの人々と「共に生きる」使命を与えてくださいました。今、その示唆に、私たちは自分たちの姿を重ねます。あなたの救いを知ったからこそ、私たちは自分たちの家族や友人、隣人にもあなたの救いを伝えたいと願います。かしこまって伝えるよりも、私たちの喜びや笑顔、希望を通して、自然にあなたを伝えさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

30日(水) マタイによる福音書28章16-20節
一言メッセージ:いよいよ今朝がマタイ福音書のラストです。1/16から始まりましたから5か月半もかかりました。最初は「イースター(4/4)くらいに読み終わろう」と思いましたが、途中で「無理だ」と諦めて、開き直ってがっつり読みました。最後までお付き合いありがとうございました(笑)。
  最後に分かち合うのは復活のイエスさまの3つ目の示唆「約束」です。20節でイエスさまは弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されました。イエスさまを見捨ててしまった弟子たちに、イエスさまは「いつもあなたがたと共にいる」と告げるのです。なぜ、そこまで言ってくださるのか。それは、実はこれこそが聖書を貫いて神さまが示し続ける約束だからです。創世記から黙示録まで、この「神はわれわれと共にいてくださる」との約束はそこかしこに登場します。そして、マタイ福音書でも1.23、天使がヨセフにイエスさま誕生を告げる時にも告げています。ここにマタイの最も告げたかったメッセージがあるのです。
  すなわち、「『神さまは私たちと共にいてくださる』、その約束を私たちに明確に示すべく、イエスさまは私たちに寄り添う救い主として来て下さった。あの十字架の苦しみの時にも、最後まで私たちに寄り添い抜いてくださった。そのイエスさまが今、復活して私たちに告げる。『私は天と地の一切の権能を持ち、あなたがたを赦し、再出発させる。さぁ、赦された者として、今、まだ救いを知らぬ人々のただ中で、共に生きなさい。あなたを通して、救いを伝え、みことばを教えなさい。決して恐れてはならない。神さまはいつも私たちと共にいてくださる。』」これが、マタイ福音書が最後に示す物語なのです。私たちはその示しをいただき、今日も歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。5ヵ月半をかけて、マタイ福音書を読み続けてきました。その終わりに、イエスさまは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」との約束をくださいました。神さま、その約束に励まされながら、私たちは今日も歩み出します。どうぞ、あなたと共にいる喜びと希望を、周囲の人々に示すことができますように。救い主イエスさまと共に歩み出せますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

7月1日(木) 創世記1章1-5節
一言メッセージ:マタイ福音書を終え、今朝からの箇所に悩みました。それで、西南大での11年の講義でやっていることを少しずつ書いてみようと思います。大学では、聖書を開いたことのない学生にも面白がってもらえるように話していますから、皆さんもどうぞ面白がってください。
  さて、最初はやはり創世記1章です。「創造物語」ですが、この物語を「史実」と捉えることは難しい。科学的な理解とはあまりに食い違い、ファンタジーに見えてしまうからです。それも当然です。何故なら、創世記は数千年前の人が、当時の常識や文化の中で編纂した物語であり、それを現代の社会科学で価値など、そもそも意味がないからです。では、こういう神話物語はどう読めばいいか。新約神学者ルドルフ・ブルトマンは1941年に「非神話化」という読み方を提唱しました。要約すると、「聖書著者はそれぞれに時代の常識や生活習慣(「生活の座」)があり、その限界の中で聖書を記した。だから現代の読み手は、聖書の記述そのものではなく、その物語を通して著者が伝えたかった真理を読み解く(解釈する)べきであり、そのために聖書研究が必要となる」でした。
  では、実際に創造物語を非神話化してみましょう。解説が長引いたので、今朝は最初の部分だけです。1-5節で神さまは最初の創造で「光」を作りました。光は闇を裂き、隠れていたものを明らかにします。けれど、不思議なことに4節では「神は光と闇を分け」ただけです。闇を滅ぼしませんでした。さて、ここで私たちは自分たちや社会と重ねながら解釈したい。個人で考えれば、私たちの中には、優しい自分がいれば、とても意地悪な自分がいる。好ましい自分がいれば、自分でも嫌になる自分もある。自分で嫌になる部分もいっぱいある。でも、神さまは私のそんな部分を滅ぼされず、分けられた。それは、「嫌な部分を含めて私なのだし、その部分ともちゃんと向き合いながら生きて良いから」です。時に、完璧主義の人は自分にも他人にも理想を求めすぎ、息苦しくなります。今のように、結果や成果で人の価値が評価される時代も正にそうです。でも、改めて聖書を読めばいい。「良い部分も悪い部分も、全部ひっくるめて私は私」、そこから生き始めればいいのです。社会だってそうです。良いも悪いもあって、私たちの社会。そこから歩み始めればいい。何だか面白いでしょ?明日からも少しずつ聖書を読み進めていきましょう。ちなみに、大学講義に基づきますから、一章一節を全部取り上げはしませんから、「いつ終わるん」との不安は不要です(笑)。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝から大学講義の一端を分かち合い始めました。今朝は「非神話化」という読み方を分かち合いました。どうぞ聖書の奥深さを楽しみながら読み進めることができますように。期待して、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

2日(金) 創世記1章1節-2章4節前半
一言メッセージ:今朝は創世記1章の創造物語です。私は「これこそが世界の成り立ち」と言うつもりはありません。後日記しますが、実は聖書の中にすら、創造物語は2種類あるからです。だから、昨日書いたように、今朝もみことばを非神話化しながら読んでいきましょう。
  この物語では世界は7日間でできたとあります。毎日何かを創造されますが、その7日目に神さまは「安息日(神さまを礼拝する日)」を作られます(2.2)不思議に思いませんか?神さまも休みが必要なのでしょうか。面白い読み方ですが、おそらく、そうではないでしょう。私たちはここに、創世記の著者の伝えようとしたメッセージを見出すのです。
神さまが安息日を作られたのは、人に秩序を与えるためです。それは、「人がちゃんと神さまと向き合って生きることが必要」という秩序です。私たちを思い返せば、よく分かります。人は視野が狭く、常に自分を基準に物事を考えます。だから、自分の目の前の出来事が世界の全てかのように錯覚しがちな生き物です。例えば、「みんなが言っている」という言葉を使う人の「みんな」は自分の仲良しの数人でしかないでしょ?本当に視野が広い人は「自分も一意見、他人も一意見」と多様性を認めるものです。また視野狭く、神さまを知らないならば、私たちは自分の限界が可能性の限界になってしまう。それが人間の弱さです。創世記の著者はその弱さを知っているからこそ「神さまは安息日を定めている。ちゃんと神さまを覚え、意識しながら生きる」と記したのです。
今週も終盤となりました。仕事や動きのペースは各人それぞれでしょうが、どうぞ、身体を休める時と、神さまと向き合う時を作って下さいね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は創世記から安息日、あなたへの礼拝について考えました。神さま、私たちは視野が狭く、あなたを覚えなければ、自分の目の前の出来事が全てかのように錯覚しがちです。また、あなたを覚えねば、すぐに自分の限界に失望してしまいます。だから、あなたは私たちに安息日を与え、あなたと向き合う生き方、秩序を定めてくださいました。神さま、あなたのご配慮に感謝します。どうぞ、私たちにあなたを覚えて生きる生き方を定着させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

3日(土) 創世記1章1節-2章4節前半
一言メッセージ:今朝はメモを取りながら聖書を読んでみてください。先ずは、神さまが何日目に何を創造されたかをメモしてみてください。そうしますと、神さまは時々、張り切って仕事された日があることが分かります。例えば、3日目は水を分けて大地と海を造られた後、11節からは植物を創造されますし、6日目には大地の生き物に続けて、人間を創造されています。
  さて、メモで想像の一覧ができたとして、今度は「良しとされた」という言葉を探してみてください。物語では、創造の後に「良しとされた」という言葉がセットフレーズのように出て来ますが、実は2つだけ「良しとされた」と書かれていないものがある。それは何でしょうか。
  それは2日目に水を分けた時と、6日の人間を創造された時です。なぜ、ここだけ「良し」とされていないのか。「水」を例に考えてみましょう。水は命を育むのに必須なものです。一方、大津波や水害では命を奪うものでもあります。その差は何かと言えば、秩序の有無です。秩序ある水は命を育みますが、秩序を無くした時には命を奪うのです。水に注目して創造物語を見ますと、実は創造の始まり以前、2節の時点で既に世界を覆っています。神さまは2日目にはその水を分けて空と海を造り、3日目には大地と海を分けました。言うなれば、水に秩序を与えることから始めて、命を育めるようにしたのです。そこから考えると、神さまが水を「良しと」しなかった理由が分かります。神さまは水には秩序が必要だと知っておられたのです。
  では「人」はどうか。水と同じように考えると分かりやすい。神さまは人にも秩序ある生き方を求めました。神さまの秩序に従って生きる時、人は違いを多様性と尊び、得手不得手を補い合いながら、共に生きる者となります。しかし、己が都合や願望だけで生きる時、人は違いを攻撃材料にし、得手不得手で命を価値づけ、上下関係で支配しようとする。神さまは人を創造し、私たちがいかにいきるか、神さまの秩序を持って生きるかどうかを見定めるために、最初に「良しと」はしなかったのだろうと思えるのです。
  創造物語を非神話化する時に見えてくるテーマは「わたしたちは如何に生きるのか」なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。創造物語は私たちに生き方を問うてきます。神さまの秩序に従う生き方は「共に生きる」ことを喜びとしますが、己が願望や都合で生きる時、人は幾らでも身勝手になります。神さま、私たちはあなたを信じ、あなたの秩序に従い、生きていきたいと願います。どうぞ、私たちから平和を実現させてください。今の状況においても、共に生きることを喜び合えますように。私たちが共に生きるように、十字架で救ってくださった救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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