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2021-02

2月7日~13日のみことば - 2021.02.07 Sun

2月になりました。
今年は新型コロナウイルスで様々な行事もできなかったこともあり、例年とはまた違った意味で一年があっという間に過ぎている気がします。
緊急事態宣言の延長も発表され、まだまだ我慢の時が続きますね。
心が沈みそうなとき、独りぼっちのような気持にさいなまれるとき、よかったら礼拝のライブ配信や過去動画をみてみてください。
少しでも、一緒に礼拝する喜び、見えないけれど神さまは私たちと共にいてくださることが伝わったらいいなと思います。
YouTubeでは、検索すれば讃美歌の動画なんかもたくさんありますね。こちらもおすすめです。
この長いトンネル、先が見通せないのは怖いけれど、どんな状況になっても私たちと共にいてくださる方。神さまの伴いを信じて一歩一歩毎日を歩んでいけたらいいなと願っています。

今週も、毎日のみことばで心に栄養を!!


**今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 新約聖書
・書名選択     : マタイによる福音書
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

7日(日) マタイによる福音書5章21-26節
一言メッセージ:昨日予告したように、今朝からはイエスさまによる、神さまの御心の先鋭化の箇所です。全部で6つの話が続きますが、全て「これまで〇〇と言われてきた。しかし、他ならぬこの私が言う・・・」という反対命題という定式を持ちます。これがなかなかにすごい言葉なのです。
  今朝の箇所5.21でイエスさまは「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、(他ならぬこの)わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」注目したいのは「殺すな」という命令が出エジプト記20.13の十戒のことば、神さまのみことばだということです。私たちは「イエスさまが救い主だし、神の子」と知っていますからすんなり受け入れられますが、当時の人々はイエスさまの十字架も復活も神さまの御心もまだ分からない。だから、「なんて不届きな!冒涜だ」と感じた人々もいたことでしょう。それくらい大胆な言葉なのです。でも、言い方は挑戦的でも、内容はより神さまの御心を深め、先鋭化しています。これもイエスさまの世界観に基づいて理解せねば分かりにくいですが、イエスさまは「もうすぐにでも神さまの救いは完成するよ。時間が無いよ。あなたが兄弟に怒っている(ギリシア語のオルゲー。「根深い怒り」を指す)間に神さまの救いは完成するかもしれない。だから敵対を止め、神さまに目を向けて、神さまの救いに期待しなさい」と語っているのです。イエスさまの御言葉は常に神さまへの「全集中!」でした。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。イエスさまは私たちに、あなたの祝福を逃さぬために早々の和解を促します。神さま、他者への憤りは一時的なファイトを湧かせますが、でも、苦しさが長引きます。神さま、どうか私たちの中の怒りを適切に鎮めさせ、和解の御業を私たちに実現してください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

8日(月) マタイによる福音書5章27-30節
一言メッセージ:今朝の「姦淫するな」も十戒の言葉です。イエスさまは「『姦淫するな』と命じられてきたが、しかし、他ならぬ私は言う。姦淫どころか、みだらな思いで異性を見る者はだれでも、既に心の中でその相手と性的関係をもったのである。」かなり極端に思える言葉です。また29節以下の「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまえ…」も、むちゃくちゃ過激です。「かわいい」とか「綺麗」とか「かっこいい」とかは、誰でも反射的に思ってしまう事柄ですから、それを否定されるのは「無茶な」と思ってしまうのです。昔、古代のキリスト教指導者オリゲネスは性欲を断つために自ら男性器を切断したと聞いて「うわぁー」と思ったものです。今朝のイエスさまの意図も、昨日のみことばメール同様、イエスさまの「すぐにでも終末(神の国)が来る」という切迫感を理解せねば分かりません。イエスさまは「本能的な欲に突っ走って、神さまの救いを見過ごさないようにしなさい」と告げているのです。私たちも、自分たちの願望に甘えて誘惑に流されやすいですが、、神さまの御心を見過ごさないように今日を過ごしましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。イエスさまは私たちが誘惑に弱いことを知っておられたから、「神さまの救いをちゃんといただきなさい」と告げられました。神さま、イエスさまの言葉のような痛さは勘弁してほしいですが、その真意を受け止めます。どうぞ今日もあなたを見上げて歩めますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(火) マタイによる福音書5章31-32節
一言メッセージ:「妻を離縁する者は、離縁状を渡せ」とは申命記24.1の言葉です。イエスさまはその律法をがっつりと否定し、「不法な結婚(淫行、不倫)」以外の理由による離縁を禁じました。この掟を知るには、時代背景を知る必要があります。当時の社会は男性中心の社会で、女性や子どもは家の財産という理解でした。ですから、離縁された女性は頼る相手のいない社会的弱者の扱いをされました。そして、当時、この掟や理解を悪用する男性たちがいたようです。調べますと、結婚すれば性的関係は姦淫にならないから、一日だけ結婚して関係をもち、翌日には一方的に離縁する男もいたようです。この律法は、そんな男性の身勝手な欲望のために翻弄される女性たちを守るための教えです。今朝は、弱い民を見捨てない神さまの御心を具体的に先鋭化した教えなのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、イエスさまの離縁についての教えでしたが、その真意にあったのは、弱い立場に追いやられる人たちを守り、寄り添うあなたの御心の体現でした。神さま、今も昔も、自分本位に身勝手を押し通す者はいます。けれど、そんな現実に目を瞑るのでなく、苦しむ人に寄り添う私たちであれますように。最後まで弱い民に寄り添ってくださった救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

10日(水) マタイによる福音書5章33-37節
一言メッセージ:「偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ」はレビ19.12、民数記30.3、申命記23.2に関連する引用です。イエスさまはこの掟を語りながら、「しかし、他ならぬこの私は言う。一切誓うな。天にかけても、地にかけても誓うな」と禁じました。これは、当時の人たちが「神さまにかけて誓う」という言い方を濫用し、自分の言い分を正当化していたからです。イエスさまは続けて「それは神さまを軽んじる行為だ。自分がいかに先も見通せぬ者であるかを自覚し、日々、誠実に生きよ」と告げるのです(「然り、然り」「否、否」は誠実で率直であることの勧め)。イエスさまは「自分を主張する時に神さまを言い訳にするな」と告げたのです。神さまを言い訳にせず、自分の意見として正々堂々と言えばいいのだと思うのです。
  以前、ある会議の休憩中、一人の方が私に「みんな言っていますが…」と言って意見してきたことがあります。「自分の発言は大多数の意見」と言いたかったのでしょうが、私にはとても納得がいきませんでした。それで「みんなとは具体的にどなたですか?」と問い直しました。するとその方は口ごもりながら「自分の周りのみんな」と言う。それで「では、皆さんに尋ねましょう」と語り、会議の休憩明けに「今、ある方から『皆さんが〇〇と言われている』と聞きましたが、より詳しくご意見が知りたいので、どうぞこの場で教えてください」と切り出しました。結果、どなたからも反論はなく、むしろ、私への同調意見が多数出てきました。若気の至りからか、その方の面子を潰してしまいましたが、でも私は今も「みんなが言っている」との言い方は嫌いです。
今朝のみことばも「神さまを言い訳にするな。あなたはあなたらしく、自分の思いとして率直に語ればいい」と促しているように感じています。私はわたし、他人と比べずにありたいです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、自らを尊大に見せたがる人間の弱さを教えられました。自分を正当化するため、人は時に「みんなが言っている」とか、「神さまに誓って」と語ります。でも、私たちはいつも、誰かを言い訳に利用せず、誰に対しても真っ正直に向き合いたいと願います。神さま、どうぞ私たちの考えが正しければ何があろうと守り、誤っていればどうぞ正して、お導きください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

11日(木) マタイによる福音書5章38-39節
一言メッセージ:今朝は「建国記念の日」です。どうぞお時間があれば、youtubeで筑後キリスト者平和の会での踊の講演をご覧ください。(※2月11日までには教会のホームページから見れるようする予定です。)さて、今朝はそんな講演とも繋がって来る「非暴力抵抗のススメ」のメッセージです。大事なことなので強調しますと、「非暴力無抵抗」ではなく「非暴力抵抗のススメ」です。
38節の「目には目を、歯には歯を」はハムラビ法典にも記される掟です(聖書では出エジプト21.23-25、レビ24.20、申命記19.21)。私たちから見れば「やられたらやり返せ」との復讐のススメに読めますが、その意図は逆で「復讐は同程度に留めなさい」です。人間は自分が受けたら以上の痛みを相手にしてやりたくなります。ドラマ半沢直樹でも「やられたらやり返す。倍返しだ」が決め台詞でしたが、そこには人間の強烈な復讐願望が見えるのです。しかしイエスさまは「悪人に手向かうな」と語り、3つの例を挙げました。今朝はその1つ目だけを読みます。
39節「誰かがあなたの右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい。」想像してください。目の前の相手の右の頬を打つ時、私たちは左の手のひらで叩こうとします。でも、ユダヤ人にとって左は不浄の手なので用いません。では右手を使って相手の右の頬を叩くにはどうするか。右手の甲で相手を叩くことになる。それは「相手を侮辱する」意味合いを持つ行為です。そう気づく時、イエスさまの意図が見えてきます。「あなたの右の頬が打たれたら…」は、「力関係を根拠に、あなたの尊厳を踏みにじる者があなたの頬を打ってくるならば、左の頬を向けなさい。そうすると、相手は右の手のひらであなたを叩くだろう。それはもはや侮辱行為ではなく、あなたを対等な相手と見据えての暴力行為にしかならない。でもあなたはそうやって、『私も神さまから尊厳をいただいた人間だ。あなたに不当に踏みにじらせない』と示すことになる」なのです。今朝の箇所は「非暴力抵抗のススメ」です。インド解放の父ガンジーはこのイエスさまの言葉によってインドでの非暴力抵抗運動を指導したのでした。イエスさまの言葉は単なる絵空事でなく、確かな示唆なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今の社会は力ある者と弱き民の格差が際立ち、「自己責任、自助」という言葉が弱い民を切り捨てる雰囲気を出す、大変生きにくい時代です。でも今朝のみことばを通してイエスさまは、「神さまから与えられている命と尊厳を誇り、卑屈にならず、互いを認め合って生きること」と示されました。神さま、どうぞ社会が互いの尊厳を認め合い、違いを受け入れ合い、共に助け合って生きるように整えられていきますように。あなたの平和をどうぞ実現させてください。平和の君イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

12日(金) マタイによる福音書5章40-42節
一言メッセージ:昨日のみことばの続きです。イエスさまの「『目には目を、歯には歯を』でなく、悪人に手向かうな」との言葉は「非暴力抵抗のススメ」でした。
  40節「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」を不思議に思いませんか?身ぐるみ剥がれるなら上着が先で下着が後のはずなのに、順序が逆です。これは、借金のカタに身ぐるみ剥がされる状況を想定した言葉です。ユダヤには「上着は夜寝る時の毛布代わりになるので、どれだけ貧しい人からも上着はとってはならない」という人道的な思想がありました。でも、その掟を最低限で守るが、上着以外、家も財産も家族も根こそぎ奪っていく借金取りがいたのです。イエスさまは「ならば、上着をも与えてしまえ。すると周囲の人々が真っ裸のあなたを見て『何があったん?そんなひどいことになって』と問うだろう。その時、あなたは借金のためとは言え、相手が非情で、いかに非道であるかを周囲に訴えることができる」と言われたのです。
  41節の「だれかが1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい」も、ローマ兵による強制徴用が想定されています。イスラエルでは「支配者側のローマ兵から命じられたら1ミリオン(約1.5km)は荷物を背負わねばならない」という法律がありました。イエスさまの十字架の場面でシモンという人物がイエスさまの十字架を代わって背負ったのはこの掟のゆえです。イエスさまはその掟を引っ張り出し、「強要されたら倍の2ミリオン行きなさい」と告げます。それは「最初の1ミリオンは支配関係ゆえ強要だが、次の1ミリオンはあなたが相手を助ける行動。あなたは被支配の民ではなく、対等な存在として相手と向き合いなさい」とのススメなのです。
  38-42節で一貫しているのは「私たちが支配や侮辱に卑屈にならず、一人格として相手と向き合うこと」のススメです。神さまが与えてくださった尊厳を根拠に、誇りある生き方を促すのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝もイエスさまの非暴力抵抗のススメを分かち合いました。イエスさまは私たちに、神さまから与えられた命と尊厳を誇って生きることを示されます。私たちは誰かの支配や侮辱の中で生きる者ではありません。時に人は地位や力関係によって上下関係を作ろうとしますが、神さま、どうぞ私たちはあなた以外に私たちの上に何かを作ることなく生きる者でありますように。また、いつも相手と対等な立場で向き合い、真正面から向き合って対話することができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

13日(土) マタイによる福音書5章43-48節
一言メッセージ:今日10:00から地方連合の「どげんすっと?宣教協力」が行われます。コロナ禍で教会が直面した課題だけでなく、これから教会がどう地域で伝道できるかも話します。教会ホールで大きいスクリーンで映しますので、10:00からのディスカッションだけでもご覧に来て下さい。
  さて、今朝の箇所です。「隣人を愛し、敵を憎め」は聖書に記載はないのですが、当時のユダヤ教では掟の1つと考えられていた言葉です。でもイエスさまは「敵をも愛し、迫害する者のために祈れ」と語りました。自分を苦しめる者のために祈り、愛するなんて、ムチャクチャに思えます。でもアメリカの公民権運動指導者キング牧師はこの箇所でこう説教しています。「イエスは『敵を好きになれ』と言わなかった。『好きになる』は感情の事柄。私たちは、自分たちを殴りつける者たちを好きにはなれない。しかしイエスは『愛せ』と言われた。それは意志の呼びかけである。」そこからキング牧師は、太陽が悪人にも善人にも降り注ぐように、神さまが全ての存在を無条件のアガペーの愛で愛してくださっていることを説き起こし、『我々は敵を憎むのでなく、相手の中にある敵意を滅ぼそう』と呼びかけていきました。キング牧師の呼びかけと運動は確かにアメリカを変えました。なんせ、先々代のアメリカの大統領は初のアフリカにルーツを持つオバマさんでした。今もまだ、世界には黒人差別は根強くあり、この不況下では人種差別が表面化してきます。けれど世界は確かに変わりつつあります。何故なら、神さまの御心は決して廃れず、実現されていくからです。
  さて、最後に48節に注目しましょう。「完全な者となりなさい」とはどういう意味でしょう。イエスさまが語ったアラム語で見ると、これはシャレブという言葉です。その派生語はシャロームです。シャロームの原意は「神さまの祝福がありますように」。つまり、神さまの御心の成就を願う言葉です。そこから考えると、「完全な者になりなさい」の意味は「自分で努力して完全な者になりなさい」ではなく、「神さまの御心によって正しい者へと導かれていきなさい」です。大事なことは、「自力で完全な者になる」ではなく、「神さまの御心に従って生きていこう」です。その先に「敵を愛する」こと、相手の敵意を滅ぼし友に変えること、も見えてくるのですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしたちは「敵を愛せ」とのみことばから、キング牧師の活動や、神さまの御心によって人が変わっていくことを考えてきました。神さま、私たちが自ら「完全な者」にはなれません。でもあなたの御心を追い求めます。どうぞいつも私たちを導き、私たちが「無理」と思う事柄にも勇気をもって一歩踏み出させ、あなたの御心の実現の一助を担わせてくださいますように。神さま、御国を来たらせてください。御心の天になるごとく、地にもなさせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
(※ブログに掲載した文章の無断転載はご遠慮ください)

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