1月3日~1月9日のみことば - 2021.01.03 Sun
新年あけましておめでとうございます。
今年のお正月は例年と違い、帰省せずお家で過ごされている方も多いのではないでしょうか。毎日ニュースを見るたびに増えていく感染者数を見ながら、感染された方の回復や、逼迫していく医療現場の方々を覚えて祈りを新たにする思いです。
新年になり、街やお家の飾りもクリスマスからお正月へと変わりましたね。
特にお店の様変わりの早さには毎年驚かされます。
ですが、実は教会のこよみ(教会暦)では、イエス・キリストの顕現を記念する「公現日」である1月6日までがクリスマスをお祝いする期間とされています。
ですから、うっかりクリスマスの飾りがそのままだった!という方もご安心を。むしろ教会暦的にはそちらが正解です!・・・と言いつつ私たちの教派はそこまで教会暦に細かくこだわりがないので、年末に片づけてしまいましたが(笑)
クリスマスが終わっても、お正月になっても、教会・クリスチャンにとっては毎日が神さまと共に歩む日。この一年も神さまを見上げ、み言葉に聞き、祈る1年でありたいと願っています。
これを読んでくださっているあなたも、この神さまと共に歩む仲間として加わってくださることを心からお祈りしています!
今年もどうぞよろしくお願い致します!!
***今週のみことば***
※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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3日(日) 箴言28章11-20節
一言メッセージ:今朝は新年最初の礼拝です。今年はコロナ禍だったため、元旦礼拝を中止してしまいました。なので、帰省中の方々も今朝の礼拝にお越しくださり、共に礼拝を守れますことを祈っています。
さて、そんな一日の始まりですが、今朝注目したいのは13-14節です。「罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。」ここでいわれる「罪」は、悪意ある行為だけでなく、過失も含むのだそうです。つまり、「知ってて犯した罪も、知らずに犯した罪も」です。そりゃ私たちは「知らずに犯した罪まで言われると…」と息苦しくなるのですが、大事なことは後半です。「告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける」です。賢者は「その罪を悔い改め、神さまにお委ねせよ。そうすれば、神さまがあなたを憐れんでくださる」と告げるのです。年の初めに私たちが覚えたいのは、「神さまは憐れみの方だ」ということです。昨年末、ご一緒に見てきたように、神さまは私たちに伴い、共にいてくださる方です。神さまの御心を悟らず、罪を重ね、弱く、身勝手な私たちにかかわらず、神さまは私たちを愛し、救い主イエスさまをお与えになりました。だからこそ賢者は「罪を神さまに委ね、憐れみをいただいて、新たな歩みを始めなさい」と勧めます。その際、14節で「いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人」とありますが、この「恐れ」とは神さまへの畏敬ではなく、13節の「罪」への恐れです。自分が罪を犯しかねない者だと自覚し、神さまに憐れみ再出発をいただいたことを覚えて生きることが「幸い」だと賢者は語るのです。
今日は日曜日。共に神さまの憐れみをいただき、新しい一年をスタートいたしましょう。10:30からお待ちしています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは2021年最初の日曜日を迎えました。あなたと向き合い、新しい一年をスタートするに際して、箴言は「神さまは憐れみのお方」と示してくれました。神さま、みことばに感謝します。私たちは知った上で御心に背き、罪を犯してしまうこともありますし、知らずに罪を犯すこともあります。でもあなたはそんな私たちであっても、悔い改めて、あなたを信じて歩み出す者を憐れんでくださり、新たなスタートくださいます。神さま、2021年もあなたの憐れみの中で歩み出させてください。私たちへの憐れみの証である救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
4日(月) 箴言28章21-28節
一言メッセージ:今朝から仕事はじめの方も多いでしょう。そんな仕事はじめに、先ずはみことばを分かち合いましょう。今朝、注目したいのは26節です。「自分の心に依り頼む者は愚か者だ。」賢者の言葉は切れ味抜群です。ここでいう「自分の心」とは願望や思惑といった判断基準のことで、それが生き方の基準になる者は「愚か」と言われます。何故ならば21節、「誰でも一片のパンのために罪を犯しうる」ほどに、状況に応じて神さまに背きかねない存在だからです。だから、己が「心(願望、思惑)」に生きることは危ういと賢者は訴えます。そこで26節後半「(神さまの)知恵によって歩む人は救われる。」日々、「神さま、あなたは今、私に何を示しておられますか?どう導こうとされていますか?」と尋ね求める者は、ちゃんと神さまの整えをいただいて歩めるのです。今年も神さまの知恵を尋ね求めながら、働きを始めてまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝から仕事はじめの人も多かろうと思います。そのはじめに、あなたは私たちに「自分の思惑に突っ走るのでなく、御心を求めて歩み出せ」と示してくださいました。どうぞ、新しい年もあなたを信じ、あなたに従って歩むことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
5日(火) 箴言29章1-6節
一言メッセージ:1節のことば、新共同訳と岩波訳では印象が違います。岩波訳では「繰り返して訓戒されても、なお頑迷な人は、瞬く間に粉砕されて、いやされることがない」です。新共同訳では、「元々素直な子だったのに繰り返し懲らしめられて拗ねてしまい、ある時を境に自暴自棄になったら手の打ちようがない」という意味合いに読めるのに対して、岩波訳は「どれだけ注意しても変わらない人は、あっという間にダメになるだろう」という意味合いになります。これ、どちらもニュアンスとしては合っているようです。どちらで読むかは、それぞれに任されています。であれば、自分にとって、より厳しい読み方をしましょう。何故なら昨日見たように、自分に甘いよりも、神さまの御心を優先して自分を律する者が神さまに喜ばれるからです。今日も私たちは、神さまは今、私に何を示し、どう導こうとされているのか、模索しながら歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は頑固さについて考えました。正しい諭しを聞き入れぬ頑固さは私たちの目を曇らせ、未来を危うくします。かといって、厳しい叱責ばかりでは私たちの心は折れてしまいます。だから神さま、私たちにはあなたの豊かな愛情によって養われつつ、自分の過ちを受け入れ、素直に自らを正せる素直さをお与えください。2021年もあなたに導かれ、正しく歩みことができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
6日(水) 箴言29章7-12節
一言メッセージ:今朝の箇所を見ますと、「指導者とは神さまに実直従う人であるべし」との真理が見えてきます。昨年末、前総理の「桜を見る会」にまつわる虚偽答弁の問題が明るみに出て来ました。誰がどう考えても総理大臣在任中の強気一辺倒の答弁は大問題であり、裁かれねばならないはずなのに、彼は12/25には「自分は認識していなかった。秘書が…、責任者が…」と言って逃げ回った挙句、「説明責任を果たした。議員としてさらに精進する。次の選挙にも出る」と開いた口が塞がらないコメントを出していました。あの姿を思い起こしながら今朝の箇所を見ると、しみじみと賢者のことばが理解できます。7節「神に従う人は弱者の訴えを認める。神に逆らう者はそれを認めず、理解できない。」、8節a「不遜な者(イザヤ28.14では悪徳政治家の意味)らが社会に騒動を起こす」、11節「愚か者は感情的」、12節「支配者が偽りの言葉に耳を傾けるならば、仕える者は皆、自分の利益にはしり、神の正義に逆らうようになる。」
箴言の時代と今の時代の大きな違いは、箴言の時代は支配者を引きずる降ろすことは、国が亡びるかクーデターが起こらない限り、難しい事柄でした。しかし現代はそうではありません。私たちは国の主権者ですから、権力を引きずり下ろすことが可能です。そこで箴言は、今度は私たちに問います。「あなたは神に実直に従い、正しい選択を行えているか?」と。今年は衆院の総選挙もあります。子どもたち孫たちの未来のために、正しい目で社会を見極めていきたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばはまるで今の私たちの社会を指摘するようなみことばでした。聖書は時代を超え、場所を超え、でも鋭く真理を指摘してくれます。神さま、どうぞこの社会があなたの御心に沿う社会へと変えていくことができますように。2021年、あなたの御業が地上に1つずつでも実現してまいりますように。私たちに祈って、決断する知恵を与えてください。主イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。
7日(木) 箴言29章13-17節
一言メッセージ:今朝の箇所のキーワードは15節「懲らしめ」です。「懲らしめ」と聞くと、非常にきつい印象がありますが、より正確に考えると「叱責をも含む、適切なしつけ」です。賢者は15節で「人を正しく育てるためには時に懲らしめも必要。甘やかし、放任するだけで育てられた子は、将来、周囲が『何でこんな風になったのだろう』と後悔することになる」と語ります。さて、そこで目に留まるのは13節。「貧しい人」とは経済的な貧しさだけでなく、「神さまを無碍にして、祝福をいただき損ねている者」という意味を持ちます。「虐げる者」は力を持って周囲を黙らせる者です。13節はそんな「貧しい人と虐げる者が出会うとひどい事態になるが、それでも神さまはどちらにも何が本当に正しいことなのかと知るために悔い改めての機会を与えてくださる」と書かれるのです。甘やかすことが愛情なのではありません。必要による諭し、叱責もあってこそ、相手を正しく育てる(導く)愛となるのです。2021年、自分自身も、また周囲にも愛と公正を持って支え、導く者でありたいものですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「懲らしめ」について考えてきました。私たちは時に自分を甘やかしがちで、正しい指摘には感情的に反発し、自分の耳に心地よい言葉だけを聴こうとしてしまいます。でも神さま、それでは私たちがあなたを見失ってしまいます。どうぞ2021年、私たちにあなたに正しく従い得るための「懲らしめ」もお与えください。また私たちも周囲の人々に臆せず、愛情あっての「懲らしめ」を告げ、寄り添い、励まし続けることができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
8日(金) 箴言29章18-23節
一言メッセージ:18節のみことばはとても鋭いです。「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」「幻」という言葉は、預言者の「啓示」という際にも用いられる言葉です。今朝は「神さまの御心に即して自分を律すること」とでも考えましょう。そう思って18節のニュアンスを改めて読みましょう。「人は神さまの御心が示されていなければ、自分を甘やかしてしまい、堕落してしまう。だから、神さまの教えを守って誠実に生き、幸いな者とあれ」です。そう理解した上で19節以下を読みたいと思います。19節「言葉だけでは僕(若い者、指導する相手)を諭せない。ことばの意味を理解しても、どう行えばいいか分からないのだ」、20節「ペラペラペラペラ話す者より、何を言っていいか分からずに口数の少なくなる愚か者の方が良い」、21節「子どもを甘やかすと、将来、つけあがる」、22節「感情的になると大失敗する」、23節「居丈高になると軽率な者に見られ、謙遜であれば人々が『立派な人だ』と認めてくれる」。肝に命じながら一日を始めたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに「あなたの御心に従って生きる者であれ」と示します。あなたの示唆が無ければ、私たちは自分をますます甘やかし、ダメになってしまうでしょう。でも神さま、正直に言いまして、私たちは「あなたに従いたい」と願いながらも、何度も何度も、自分を甘やかしてきました。その弱さも含め、どうぞ1つずつ、1歩ずつ、あなたの御許に帰る日まで、御心に従って生きる者へと成長させてください。私たちに伴ってくださる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
9日(土) 箴言29章24-27節
一言メッセージ:今朝は25-26節に注目したいと思います。先月のアドベントの宣教の中で触れましたが、「恐怖」とは先が見えないこと、未来が見通せないことから生じます。逆を言えば、たとえ自分ではどうにもできない難題であっても、「ちゃんと神さまが私たちを守られる」と信じられれば、安心して対応できる。今朝の箇所はそのことを告げています。
25節前半「人は恐怖の罠にかかる。」だから26節前半「支配者のご機嫌をうかがう者」が多くなります。でも26節後半「人を整え、救うのは主なる神さま」。そう知る者は25節前半「主を信頼する者は高い所に置かれる(先の見えぬ不安に陥るのでなく、神さまによる平安に生きることができる)」のです。
以前もお話したことがありますが、私の恩師・関田寛雄牧師がよく言われることは「キリスト教信仰は『にもかかわらずの信仰』」です。私たちは時に大きな課題に直面し、途方に暮れ、不安に怯える。しかし、にもかかわらず、『神さまがおられる』というたったひとつの真理によって、私たちはその課題に立ち向かっていける。神さまがおられるんだもの、悪い結末で終わるわけがないじゃないか。」今朝のみことばは、わたしたちに「にもかかわらずの信仰」を教えてくれているのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは私たちに「にもかかわらずの信仰」を示します。主なる神さまがおられるから、私たちは先が見えないと不安に怯える時にも、「神さまがちゃんと導いてくださる」と信頼できます。神さま、どうぞあなたの御心によって私たちをお導きください。私たちは弱く、時に心ブレますから、一歩ずつでも確かな導きをお与えください。救い主であり、私たちと共に生きてくださる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
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