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2020-11

11月8日~14日のみことば - 2020.11.08 Sun

今日のYouTube礼拝ライブ配信は途中で途切れてしまいました。すみません。
新型コロナウイルスのために礼拝のライブ配信を始めて早半年以上ですが、慣れなかったり、パソコンの古さだったり?教会の電波状況だったり?わからない不具合にみまわれることがまだまだ起こります。手探りでやっておりますので、どうぞ温かい目で見ていただければ…(^_^;)
でも、そんな試行錯誤も多くの方とみことばを分かち合うためなら楽しく取り組めるのが不思議です。
色んな苦労があっても、「配信見ましたよ!」と言われると一気に吹き飛んでしまいます。
今日のメッセージも後ほど聖書朗読とメッセージの部分のみ再度アップする予定ですので、ぜひご覧になってくださいね。

今週も皆さんの上に神さまの祝福が豊かにあります様に!!

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 箴言
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)


11月8日(日) 箴言11章21-31節
一言メッセージ:今朝の箇所で面白いのは、24節以下です。ここではお金のことを話しています。24節の「散らしても」は「浪費する」という意味ではなく、「必要な時にはケチケチせずに金銭を用いる人」です。そう読めば、一貫して見えてくるのですが、28節にあるように「富に依存(固執)」し、26節のように「穀物を売り惜しむ者(飢饉の時に高値を付けて儲ける者)は民の呪いを買い」、逆に周囲の人々の困窮を放っておかず、用いるべき時には財を用いる人には祝福が増し加わるとあるのです。平たく言えば「あなたは誰のため、何のために生きるの?」と賢者は問うのです。
毎年、大学生の講義を担当していますが、ここ数年、最後の講義の時に「幸せとは何か?」という特別講義をしています。最初に「幸せってどういう時に感じる?」と学生に問います。それぞれ、「欲しいモノを買った時」とか「美味いものを食う時」とか「努力が報われた時」など、答えてくれます。そうしたら次に尋ねるのです。「じゃあ、その幸せって、ずっと持続する?」幸せが瞬間的なものと、持続する幸せがあることを考えるのです。そして、持続していく幸せとは自分一人で得られるものでなく、例えば、「大事な誰それに喜んでもらった」とか「ありがとうって言ってもらえた」といった、誰かの存在があることに気づいてもらうのです。聖書のことばを加えながら、「本当の幸せは私の願望通りに生きることでなく、愛し愛されながら、周囲(神と人)と共に生きることの中で味わえるのではないか」と話します。今朝の箴言も、共に生きることの幸いを語っているのです。さぁ、今日は日曜日。教会の人々と共に礼拝し、共に生き、共に幸いを味わいましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、共に生きることの幸いを想起させます。今の社会は「今だけ、金だけ、自分だけ」と言われるように、自分の幸せ追及ばかりが目立つ世の中です。でも何故でしょう。誰もが幸せを求めているのに、他者を軽んじる社会に幸せは見えません。神さま、私たちは今、改めて箴言のことばに目を留めます。私たちはこの時代にも、共に礼拝し、共に生きる群れ、教会でありたいと願います。どうぞ私たちを幸い満ち溢れる群れとしてください。またどうぞ、教会に多くの人を加え、共に生きるように導いてください。私たちと共に生きてくださる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

9日(月) 箴言12章1-8節
一言メッセージ:今朝のみことばは、「神さまが自分の人生の根拠である者は幸い」との教えが並んでいます。私の目に留まったのは3節です。「神に従う人の根は揺らぐことがない。」植物が土の中で太く強い根っこを何本も張り巡らせて元気に立ち続けるように、神さまに従う人も信仰の根っこが大事だと賢者は告げます。
  私は落語が好きです。好きな噺家さんの一人が桂文珍さんです。以前レンタルで借りたCDのライナーノーツ(CDの中に入っている解説)の中で「ネタ」についての文章がありました。芸人さんの芸のことを「ネタ」と言いますが、漢字で表現すると「根多」と書くのだそうです。芸人としてしっかりと立つためには、芸という根っこを多く持つことが大事、という意味なのだそうです。
  私たちも同じです。揺るがぬ神さまという大地に立ち、ふっとい信仰の根っこを持ち、少々の困難にも動じず、自らも周囲も支えて生きる信仰者になりたいものですね。そのために、今日もみことばをしっかりと味わい、自分の生活に根差した根っこを育ててまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは根多を持つ信仰者になりたいと思わされました。神さま、どうか私たちを日々、成長させてください。あなたによって希望を見出し、生きる信仰者にしてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

10日(火) 箴言12章9-12節
一言メッセージ:今朝はたった4節と短く刻んでしまいましたが、ここでのテーマは「労働」です。今朝のみことばは分かりにくいので補足します9節の「軽んじられていても自分のために働く方が、見栄を張っても空腹で苦しむより良い」という意味です。10節は「神に従う人は家畜の心すら知っている。まして、弱い人の心を知らないわけがない。一方、神に逆らう人は心さえも残酷だ」です。11節は「自分の土地を実直に耕す人は食事に困らず、楽して稼ごうとする者は困窮する」、12節は「神に逆らい、欲に走る人々は、悪事を企む者たちの下に下り、神に従う人は根を張り、実りを得る」です。全て、実直に働くことの勧めです。小さなことからコツコツと生きる。地味ですが、その地味なコツコツとの生き方に神さまが目を留め、祝福くださるのです。さぁ、今朝も箴言に励まされながら、実直に働きに行きましょう。今日の誠実も、神さまの目に留まっています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、易きに流されず、誠実に働くことの勧めを読みました。神さま、どうぞ今日も私たちが誘惑に流されず、あなたの目を意識して働く者であらせてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

11日(水) 箴言12章13-28節
一言メッセージ:今朝の箇所は「ことば」がテーマです。以前も書きましたが、「ことば」は神さまが私たちにくださった賜物です。同じ人間の同じ口からなのに、ある時は人を慰め、励まし、立ち上がらせるのに、別の時には人を突き刺すような暴言、失言を吐いてしまう。箴言の賢者も、ことばがどれほど大事なもので、注意深く語らねばならないかを熟慮していたのでしょう。今朝のみことばは、その1つ1つをそのまま、自分自身に当てはめて読んでみてください。わたしは一体、普段から何を口にしているだろう、と。(ちなみに、25節の「心配は人をうなだれさせる」は分かりにくいですが、「心配」を「憂い」と読んでください。周囲から「あれが心配」「こうなるんじゃないかなぁ」と語り続けられると、こちらもゲンナリしますが、そういう状況が25節の言葉です)。
  自分がどうだったかを考える時、「私は軽率なことばを吐いていた」と思うならば今日から注意して生き直しましょう。やり直せるのですよ。何故なら、私たちは罪だらけだったのに、イエスさまの十字架によって赦され、生かされているのですから。そもそも、私たちの命はイエスさまによってやり直しをいただいた命なのですから。だから、今日も自分の過ちに気づいたらやり直せばいいのです。繰り返しますが、私たちの口も言葉も神さまからの賜物です。ならば、神さまの賜物にふさわしい言葉をかたりましょう。壊れた関係を修復し、傷ついた者を癒し、絶望する者を励ますのです。今日、私たちは言葉によって神さまの御業を行わせていただきましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。神さま、今朝は「ことば」について考えました。私たちの語ることばは、あなたの目に正しく用いられているでしょうか。軽率に他者を傷つけ、軽んじていなかったでしょうか。もしそうならば、どうぞ私たちに御心に沿う、正しいことばを語らせてください。ことばによって、あなたの御業の一端を行わせてください。私たちの命のみことばなる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

12日(木) 箴言13章1-6節 
一言メッセージ:13章は1節ずつ独立しており、分類しにくいので3日かけて読んでみます。今朝の1-6節は「口、ことば」に関する格言です。日本語で「目は口程に物を言う」という諺がありますが、それは表面に出ないように隠しても、その人の思いが表出してしまうことを語っています。古代イスラエルの賢者も同じように、ふとした言動にはその人がそのまま表れると考えたのでしょう。いくら表面的に取り繕っても、その人が本当に神さまに畏敬の念を持ち、誠実に生きているかどうかは如実に表れるのだと、様々な表現で語っています。そんな中で今朝、私が特に目に留まったのは1節の「不遜な者は叱責に聞き従わない」でした。人からアドバイスを受ける時、その人がよく表れるものです。アドバイスを受けてた時、プライドを守るために反発したり、言い訳する人と、素直に過ちを受け入れて謝罪できる人、果たしてどちらが信用に足る人でしょう。
  11月に入り、幼児園でもクリスマスに向けた準備が進み始めました。もう何年前になるでしょうか、クリスマスの準備に因んだ1つの思い出があります。当時、幼児園は園児数が20名おらず、クリスマス劇には先生方も参加していました。リハーサルの時、三人の博士役だった中島文昭先生(当時は副牧師であり、幼稚園の園長でした)は、赤ん坊イエスさまに没薬の贈り物をするシーンで段取りを間違えました。すると一人の子が「園長、間違っとる!」と叱責したのです。中島先生は「間違っとらんよ」と言いましたが、子どもから「こうやって、こうやって、こうやろうもん」と段取りを説明され、自分が間違っていると気付いた時、彼はみんなの前で「間違ってた。ごめんなさい」と謝りました。私には中島先生の謝罪に驚きましたが、それが彼らしいし、心から彼を尊敬し、見習わなばならない美徳だと思ったのです。あれ以来、私は「間違わない人間」よりも「間違えてもきちんと謝罪できる人間」になりたいと肝に銘じています。
  きちんとことばを行動に表す、そんな一日を歩みたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝はみことばから中島文昭先生のことを思い起こしました。園児の叱責にきちんと過ちを認め、謝罪した彼の姿と、今朝の箴言のみことばが重なります。神さま、私たちは今、プライドゆえに過ちを認められない自分を反省します。間違いを犯したならば、きちんと謝罪し、やり直せる私たちであらせてください。今日の一日もイエスさまの祝福と整えをいただき、一歩、あなたに近づく生き方ができますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

13日(金) 箴言13章7-16節
一言メッセージ:今朝は「13日の金曜日」ですね。といっても、最近の若い子たちは昔はやったホラー映画のタイトルなど分からないでしょうが(笑)。ちなみに「13日の金曜日」が不吉なのは、イエスさまが十字架にかかって亡くなった日を計算すると「13日の金曜日」になるからだそうです。みことばメールのはじめに豆知識でした。
  今朝の箇所を読んでいると、「表面的に物事は判断できない」と思わされます。7節などは正にそのままです。8節では「裕福」に見えて幸せそうな人が、そのために危険に遭い、誘拐されるようなことがあるし、「貧しい人」はそもそも盗られるものがないので危険に遭わないのだと語ります。11節も解説が要りますが、ここでいう「財産」は「急激に得た財産(投資などか?)」であり、そうやってバブル期のように楽して儲けた金はあっという間に消え失せ、「手を持って集める(地道に働く)」財産は確実に増えていくのです。10節の「高慢」で、13節「言葉を侮る(軽んじる)」人は一見、自信満々な人ですが、彼らはその高慢さで失敗をやらかす。そうやって、表面な裕福さや自信満々な様子に、人は「あの人は幸せなんだろうな」と想像するのですが、本当に幸せであるかは見た目では分からないのです。今朝、賢者は私たちに「思慮深く」あることを諭してきます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。私たちは見えるもので物事を判断しがちです。現代でも、勝ち組だの負け組だの、結果や成果といった見えるもので人の評価をくだす風潮です。でも神さま、本当の幸いはあなたに従う生き方にあり、あなたの知恵をいただき思慮深く生きることにあります。どうぞ私たちが今日も、あなたのみことばを愛し、楽しみながら従うことができますように。救い主イエスさまの御名で祈ります。

14日(土) 箴言13章17-25節
一言メッセージ:今朝の箴言も難解ですね。今朝の箇所において、賢者は「誠実に、実直に生きること」を諭します。その際、共通するのは「真の幸いとは神さまに繋がり、従うことから実現する」ということです。3つ解説が要ります。①19節に「欲望がかなえられれば」とありますが、「欲望」と言うと悪いイメージがありますが「望み」と理解してみると分かります。神さまによって望みが叶えられることは幸いです。②23節で「貧しい人の耕作地に多くの食料が実る」わけがないのです。実って入れば「貧しい」わけがないのですから。ここは訳の問題で「貴人の土地」と理解するように言われています。「貴人の耕作地に多くの食料が実っても、正義が行われなければ奪われる」のです。③24節で、自分の子に鞭を与える親は「DVを行う親」という意味ではなく、「子ども可愛さで甘やかすばかりで、きちんとしつけきれない親は我が子をダメにする」というニュアンスです。賢者の根底にある理解は「神さまに誠実に従うことは幸いだ」です。今週の私たちは神さまに誠実に歩めていたでしょうか。感謝するところはしっかり感謝し、反省するところは素直に反省し、一週間を締めくくりましょう。さぁ、今週も終わりの始まりです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今週もあなたの守りと整えの中で歩ませていただき、ありがとうございました。神さま、今週私たちはあなたの目に誠実に歩めたでしょうか。どうぞ、あなたの導きを覚えて感謝し、反省するところは素直に反省します。どうぞ、私たちの歩みを整え、週の終わりの一日を歩ませてください。明日は礼拝に集い、あなたの御前で感謝し、新たな一週を始められますように。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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