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2020-10

11月1日~11月7日のみことば - 2020.10.31 Sat

ホームページでもお知らせしていますが、毎年11月3日に行っている教会バザー、今年は新型コロナウイルス感染防止のため、残念ながら中止となりました。
今年は何かと行事やイベントができずちょっぴりさみしいです。
でも、その分今年は礼拝に集中。
一時は礼拝すらできるだけオンラインでと呼びかけていた時もありましたから、毎週礼拝に集えるのは当たり前ではなく、とても幸いな事なんだと噛みしめています。

教会でも通常は様々な行事ごとがありますが、いちばん大切なのは毎週の礼拝です。
今年はこの礼拝をゆっくり、じっくり味わう年になるなぁと改めて感じているこの頃です。
皆さんも、ぜひ礼拝に足を運んでみてください。
どなたでも一緒に礼拝できます。
聖書・讃美歌も貸し出していますし、普段着でOKです!
直接行くのはちょっと…という方はYoutubeのライブ配信やホームページの音声配信から始めてみてくださいね。(Youtubeチャンネルやホームページは左下のリンクをチェック!)
あなたと一緒に礼拝できることを心待ちにしています。


***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 箴言
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

11月1日(日) 箴言9章1-6節と13-18節
一言メッセージ: 今朝は箴言9章から7-12節を除いて読みます。というのも、1-6節と13-18節が対応する言葉だからです。1-6節は「知恵」が擬人化され、13-18節は「愚かさ、浅はかさ」が同じように擬人化されて対されているのです。両者はそれぞれ「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい」と同じ言葉を語ります(4節と16節)。ここで言う「浅はかな者」とは「これから人生をどう歩んでいこう」と模索する若者といったニュアンスですが、私たちは「私自身」と受け取った方が分かりやすい。知恵の呼びかけに応えるならば、そこには立派な住まい(1節)と豪勢な食事(2節)があり、一方「愚かさ」に進むと騒々しく無知なうえに、食事も「盗んだ水、隠れて食べるパン(不正なパン)」(17節)となります。賢者は「人は神の知恵を得て生きるのか、自分の願望に従って生きるのかで、人生がまるで変わってしまうのだ」と警告するのです。誰でも、知恵を持って生きる方が良いと思うものです。では、具体的にどう生きることが知恵を持った生き方になるのか。端的に言いますが、それはいつも神さまを意識して生きることです。自分が人生の主権者なのでなく神さまを主権者と考え、神さまの御心を求めて生きるのです。その時、私たちは喜びの時には傲慢にならず、辛い時には揺るがない強さをいただいて生きられるのです。今日は日曜日です。今朝も神さまの知恵を共に分かち合うべく、礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は、知恵を得て生きるか、自分たちの願望や都合だけで生きるのかによって人生が変わることを語りました。神さま、私たちはあなたの知恵を求めて生きていきます。どうぞいつも、あなたが伴ってくださっていることを意識して生きる者とならせてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

2日(月) 箴言9章7-12節
一言メッセージ:昨日の「知恵」と「愚かさ」の擬人化の間にある格言が今朝のみことばです。ここは1-6節の「知恵」が私たちを諭す言葉です。アドバイスする時は、相手を見て語りなさい、と。神さまを知らない人に神さまを語っても余計な反発を生むだけであり、きちんと聞く耳を持つ人にこそ知恵は有用だと書かれます。私はその言葉に納得すると同時に、「でも…」と思うのです。「私たち自身も神さまを信じる前は不遜で傲慢で、感情のままに生きていたじゃないか」と。だから、今朝の御言葉で私は「アドバイスはやり方が大事」と受け取ります。最初からあれもこれも話しても理解されないのだったら、最初に薦めるべきは10節「主を畏れること」です。神さまをお伝えすることが「知恵の初め、分別の初め」となると賢者は告げるのです。
  さぁ、今週も仕事が始まります。私たち自身は神さまの知恵を意識しつつ、また周囲には神さまをお伝えするようにして、始めてまいりましょう。
祈り:神さま、今朝もみことばをありがとうございます。今週も働きの日が始まりました。どうかこの一週間もあなたの知恵をいただいて歩ませてください。私たちは職場や学校やご近所など様々な人の中で生きており、人間関係で悩むこともしばしばです。そんな時、どう注意するのかに悩みますが、どうか、語り掛けるべき言葉とタイミングを見極める知恵を与えてください。そしてその相手にあなたの存在をお伝えする機会も与えてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

3日(火・休) 箴言10章1-9節
一言メッセージ:今朝の箇所から22章16節までは「ソロモンの格言集」と呼ばれる箇所です。これまでのように数節のまとまった言葉でなく、短い文で古代イスラエルの格言が編纂されています。みことばメールでは毎日、数節ずつ読んでいきます。
  さて、今朝は10章1-9節です。ソロモンの格言の始まりは、知恵ある子と無知な子の比較です。1-5節を見ると、知恵ある子とは、「慈善を行い、主に従い、勤勉で、地道に働きを行う者」です。一方、無知な子は「不正に頼り、欲望のままに生き、手抜きばかりの怠惰な者」です。その行く末を示すのが6-9節です。神さまが祝福なさるのは知恵ある子だと箴言は告げます。
  先日の祈祷会で、以前の牧師がされた譬え話が話題に上がりました。その先生はこう話したそうです。「派手なパフォーマンスをするスキープレイヤーがいますが、彼は自由でダイナミックな演技をするために、実直に何度も何度も基本を行ってきたのです。私たちはその最後の一面に目を留めがちですが、その前に膨大な基礎があるのです。」今朝の箇所もそうなのです。神さまが喜びとされる知恵ある子は毎日を誠実に生きてきた人です。神さまは実直な誠実さを喜ばれるのです。
今日11月3日は文化の日ですが、その発端は1946年のこの日に憲法が公布されたことを記念する日です。憲法も私たちを主権者としながら、平和を守るべく、国民に「不断の努力」を求めています。私たち、誠実に生きていきましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばは、私たちに誠実に生きることを告げます。私たちが目に留まるのは、成功者の派手な行動ばかりですが、その背後にも実直な基本の反復があります。同じように、どうぞ私たちも、あなたに誠実に生きる者であれますように。今日は憲法公布の日です。危うい政治状況ですが、どうぞあなたの御心に基づく平和を実現させてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

4日(水) 箴言10章10-21節
一言メッセージ:ソロモンの格言集に入ってからは、毎日どこでみことばを区切るか、悩ましいです。今朝は10章10-21節としました。それは「口」や「言葉」を括りました。ソロモンの格言集の特徴ですが、「口」や「言葉」についての格言が多いのです。それだけ言葉によって失敗する者が多かったからです。それは現代も同じです。11節に「神に従う人の口は命の源」とあります。本当だなぁ、とつくづく思うのです。何気ない一言が深く人を傷つけることもあれば、誠実な一言が他者を慰め、癒し、勇気づけることもある。言葉とは神さまから私たちに与えてくださった賜物でもあるのです。だからこそ言葉は大事。私たちは今日、どんな言葉を語るのでしょう。他者を軽んじる言葉でなく、祝福し生かす言葉を語りたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は「言葉」について考えさせられます。言葉はあなたが私たちに与えてくださった賜物です。たった一言で誰かを慰め、励まし、勇気づけることもできれば、軽い気持ちの一言で相手の心を引き裂くような暴言にもなります。神さま、どうぞ私たちが誠実に言葉を語る者であれますように。どうぞ守り、導いてください。ヨハネ福音書にて神さまの言葉ロゴスと記された救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

5日(木) 箴言10章22-32節
一言メッセージ:今朝の箇所の中で、私にとって印象的なのは22節です(26節も何となく好きですが)。「人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。」岩波書店の聖書訳では「主の祝福、それがひとを豊かにする。ひとの苦労は、それに何も付け加えない」です。神さまの与えてくださる御業は完全であり、最善なのです。誤解がないように最初に言いますが、この言葉は「人間は苦労しなくて良い」という意味ではありません。私たちは努力も苦労もするのです。誠実で勤勉に生きる者を神さまは祝福されるのです。だから努力や苦労はしましょう。でも、今朝の箴言が私たちに語ることは、「結果や成果は神さまにお委ねして良い」ということです。何故ならば、神さまの為さる御業は私たちの想像をはるかに超える祝福だからです。私たちの想像を超える御業に私たちが何かを加えることなど必要ない。ただ、誠実に働きを担った後は、神さまにいただく祝福をワクワクしながら待てば良いのです。今日もワクワク始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばに私たちはホッとしますし、期待感を持ちました。私たちは日々、誠実に勤勉に生きているつもりです。でも願う結果が出ない時、予期せぬトラブルに巻き込まれた時、私たちは自分たちを責めてしまいます。でも神さま、今朝のみことばは精一杯の努力のあとはあなたにワクワクと期待することを示してくれます。あなたは私たちを祝福し、願いを超える結果を準備し、トラブルさえ祝福の基としてくださいます。だから神さま、ただただあなたに期待します。どうぞ私たちの想像を超えてあなたの御業を行ってください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

6日(金) 箴言11章1-11節
一言メッセージ:箴言11章は正邪の対比がはっきりしている箇所です。「神さまは不正を憎み、公正を喜ばれる」です。1節の「偽りの天秤」は、最初から片方に偏った天秤です。文字通りの天秤というよりも、人間関係などで片方にだけ友好的な態度などが偏った天秤として表現されています。一方、1節の「十全なおもり石」は正しく均等な重りです。とても印象的なことに、岩波訳聖書では十全なおもり石を喜ばれる」は「正しいおもり石は、主のお気に入り」と訳されています。神さまのお気に入りは何だか楽しい表現ですが、とても大事なことを示しています。神さまは誠実に生きる人を祝福されるのです。旧約聖書では神さまのことを「正義の主」と表現する箇所が幾つも出て来ます。それだけ、古代世界では権力者に阿る者が優遇されるような、力を持つ者が横暴に振舞えるような、社会だったのでしょう。それは今の時代も同じように見えてしまいます。でもだからこそ私たちは見誤らず、忘れずにいましょう。神さまのお気に入りは公正であり、神さまに誠実に生きる者、神さまはそんなお気に入りに正しく報いてくださる。今週ももう金曜日ですね。週の後半も誠実に歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、あなたのお気に入りが公正に生きる者、誠実に生きる者だと分かち合いました。社会を見ますと、強い者がますます富み栄え、弱い民がさらに苦しい境遇に追いやられているように見えます。でも神さま、あなたは不正を義とされず、必ず誠実に生きる者に報いて下さる方です。神さま、どうぞ私たちにも目を留め、私たちの中に不正があるならば正し、誠実な姿を喜び、お気に入りに加えてください。あなたの整えと祝福に期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

7日(土) 箴言11章12-20節
一言メッセージ:今朝の箇所、新共同訳聖書は訳が分かりにくいです。それは、ヘブライ語原文の表現そのものが、私たちの日本語のニュアンスと違っているからです。だから、かみ砕いて読んでみましょう。この箇所は思慮深い者と浅はかな者を比較して書いています。岩波訳で少し紹介しますと、12節は「隣人をそしる者は思慮に欠ける者。洞察力のある人は沈黙する」、13節は「中傷して歩き回る者は秘密を漏らす。信頼に足る者は事を隠しておく」です。とても分かりやすい。特に伝えねばならない事情もないのに「ここだけの話だけどね」と話す人は、どこでもここでも噂を言い広めているものです。本当に信頼に足る人は思慮深く、話して良いことと話してはならないことを区別します。だから、安心して相談できる。よく分かりますね。15節の「他国の者の保証人となれば災難がふりかかる」とありますが、「他国の者」は「知らない人」という意味なので、八方美人への警告です。16節の「美しい女、強い男」は容姿を言っているのではなく、「優雅な女は名誉を掴み、勤勉な者は富みをつかむ」ですから、誠実に慎み深く生きる人を語った言葉です。
  思慮深さについて、以前読んでいた有川浩さんの『図書館戦争』という小説シリーズの中で、とても印象的な場面がありました。舞台は架空の現代日本です。ある時期に「有害図書に制限をかける」という法律が作られるのですが、その法律が時代と共に悪用され、一部の権力者にとって都合の悪い書物、思想を有害扱いして取り締まられようとする。一方で「思想信条の自由」を盾に図書館側が武装して抵抗する…という設定の話でした。作品の中で、政府側に有害書物の作家とされた人物が語るセリフがドキッとさせられます。彼は国の「有害図書に制限をかける」との言い分だけを間に受けて法律を支持した人々の思慮の足りなさについてこう語ります。「悪意を持っている人は自分が何かを損なう意志を明確に自覚していますが、場合によっては一部の『善意ある人々』の方が恐ろしいのです。何故なら、彼らは自分が何かを損なう可能性を自覚せず、一面的な事柄や、その時の感情によって物事を判断してしまうからです。」ドキッとさせられました。「これが正しいんだ」と一面的に判断する時、人は視野が狭くなっています。今自分が賛成する事柄が別の側面でどんな問題を起こすのか、後々どう変化していくか気づかないのです。それは、先の政権時に嫌というほど実感しました。思慮深くあることは本当に大事なことなのです。そして聖書は語ります。その思慮とは神さまの御心を模索することから始まる、と。最後に20節を読みましょう。新共同訳「完全な道を歩む人を主は喜ばれる」は岩波訳では「まっすぐに(主の)道を歩む者たちは、彼(主)のお気に入り」です。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをくださり、ありがとうございます。今朝の箴言は思慮深くあること、誠実にあることを私たちに勧めます。私たちは物事を、一面的であったり、その場の感情で判断しがちです。そして、自分の判断こそが正義だと考えてしまいます。でも、物事は常に複数の視点があり、完全な正しさは神さま、あなたのご判断の中にしかありません。だからこそ、賢者は読者である私たちに、神さまに通じる思慮深さを求めるべく促しました。神さま、私たちは自分たちが限界だらけだし、思慮に足らぬ者だと自覚します。だからこそ、神さま、私たちは自分を絶対視せず、あなたの御心を尋ね求め、一心に従いたいと願います。どうぞ私たちにあなたの知恵と思慮をお与えください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

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福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
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