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2020-10

10月25日~10月31日のみことば - 2020.10.23 Fri

さわやかな秋の風の気持ち良い季節になりました。
教会の裏庭の銀木犀も甘い香りを漂わせています。

17日の土曜日には、私たちの教会の付設幼児園の運動会が行われました。
今年はどこの保育園や小学校も短縮開催の中、私たちの園は少人数で密になりづらいこともあり、対策をとりつつ、通常通りのプログラムで開催を予定しました。
結果的には雨のため、午後からの開催となり若干の短縮プログラムとなりましたが、大いに盛り上がり大変楽しい運動会となりました。
子どもたちの一生懸命な姿って本当に感動しますね。
わたしたちの園の運動会は、全員参加型。
子どもはもちろん保護者をはじめとした大人の競技も充実してみんな勝つために必死です。
最後の全園児による紅白リレーは、会場全体が一つになって応援します。
ちなみに今年は同点で迎えた最後のリレー、まさかの同着で引き分けの結果になりました。
結果もさることながら、全力を出し切ったあとは本当にすがすがしい気もちになるなあと改めて思わされた運動会でした。
大人も子どももケガなく運動会を終えることができ、神さまに心から感謝でした。
スポーツの秋、皆さんはどのように過ごされますか??


***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 箴言
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

25日(日) 箴言4章1-27節
一言メッセージ:今朝は箴言4章をまとめて読んでみました。先週のみことばメールをまとめてふりかえったような言葉です。そんな中で、目に留まるのは1節、10節、20節と繰り返される「我が子よ、耳を傾けよ」という呼びかけです。
  私は3人の子育てをしています。自分が彼らに語る言葉が、かつて私自身が親から言われた言葉が多いことに気づきます。不思議なもので、反抗期から独り立ちの頃などは「いつまで子ども扱いするんだ」とイライラ感じていたのに、自分が同じように話しているのです。そして、自分が言うようになって実感します。親が話していた言葉は、私たちが成長していく上で大事なヒントだったのだなぁ、と。親が子の成長を喜ばないわけがないのです。だから、成長の上で大事だからこそ小言のように繰り返していたのです。もちろん、今のように変化の激しい時代には、「かつてはこれで上手くいった」というような風潮が通用しないこともあるでしょう。でも、しつけ、心、そして神さまに対しての姿勢は、時代が経とうが何も変わりません。変わらずに大事な示唆です。
その証拠に、今の私たちから見れば数千年前の箴言のことばでさえ、今の私たちにとても実践的な生き方のヒントとなります。だから、箴言が語る言葉は、どれだけ時間が経とうと真実な示唆です。だから賢者は繰り返します。「我が子よ、神さまの知恵をいただいて生きなさい」と。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。賢者は数千年経とうと変わらない真理として、神さまの知恵をいただきながら生きることを示しました。私たちは時に浅はかにも、自分の願望を優先し、あなたの御心を蔑ろにしてしまいます。でも神さま、どうぞ私たちをただし、あなたの御心に従う者へと整えてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

26日(月) 箴言5章1-23節
一言メッセージ:私たちの人生の主軸はどこにあるでしょうか?人によっては「仕事」や「趣味」、「家族」など、様々な答えが出てくるでしょう。でも、今朝の箴言5章で賢者は、それは神さまの知恵にある、と繰り返します。神さまが私たちの主軸だからこそ、人生は盤石なのです。
若い頃には様々なものに興味が出るものです。興味は自分の見分を広げる意味で大事なことです。けれど、主軸が無いままの人があれこれ見分を広げようとしても、それは単なる目移りになるのです。賢者はその危惧を12-14節でします。目移りばかりで帰るべき神さまという主軸をもたない人が将来、「自分は一体何をしてきたのだろうか」と深い後悔ばかりで人生を終えることが無いように、箴言は「今すぐに神さまに立って生きる者となりなさい」と呼びかけるのです。
以前、大ベテランの牧師から聞いた話を思い出します。先生は当時80代中盤だったと思うのですが、彼は自分が年を重ね、今までのようにあれもこれもできなくなった当初は落ち込んだそうです。でも、改めて「失ったものでなく、変わらず残っているものは何だろう」と考えた時、彼が真っ先に感じたのは「神さまの恵みは年齢に関係なく、常に私に与えられ続けている」という確信と、感謝だったそうです。
賢者が語ったように、「人の歩む道は主の御目の前にある」。神さまが私たちの人生の主軸。さぁ、新しい一週間も、神さまの御目の前で歩み始めましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばにて、賢者は神さまに主軸を置いて生きることを諭してくれました。それは、私たちが後悔だけの人生を終えないための諭しでした。神さま、私たちはあなたを信じます。いつも自分の都合や願望、経験だけで物事を判断するのでなく、あなたの御心を模索し、あなたの整えと導きをいただきながら、人生を重ねていくことができますように。今週も、あなたの御目に留められながら歩める一週となりますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

27日(火) 箴言6章1-5節
一言メッセージ:今朝は難解な諭しが語られます。信頼していた友人に裏切られ、苦境に陥った時にどうしたらいいか、を賢者は語ります。それは「行って足を踏みならし、友人を責め立てよ(3節)。怠らずに訴え続け、努力し続けよ(4-5節)」でした。私たちは「『許しなさい』じゃないんだ」と意外に思うかもしれません。でも「命は友人の手中にある(3節)」から、こちらも余裕はない。加えて、ここが大事ですが、不義を不義のままに放置することが正しいことではないのです。神さまの目に悪だと判断されそうなことは、きちんと指摘することも大事です。何故ならば、その相手が自分の過ちを知り、それでも自分を赦し救ってくださる神さまを知り、悔い改めるかもしれないから、です。相手を放置するのでなく神さまの正しさを伝え、悔い改めの機会を示すことも私たちの役割なのです。だから、「おかしいことはおかしい」との指摘も必要なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の箴言は難解でした。不義の相手を許すのでなく、不義を指摘し、努力することが告げられました。私たちはそれを、「その人に悔い改めの機会を与えるため」と理解します。神さま、今の世の中で、あなたの御心を告げることに臆病になる時もありますが、どうぞ、その出来事もあなたの目に留められていること、必ず整えられることを確信させてください。私たちの同伴者であり、導き手であるイエスさまの御名で祈ります。アーメン。

28日(水) 箴言6章6-19節
一言メッセージ:今朝のみことばは格言です。賢者は「蟻」の実直さに学ぶようにと勧めます。蟻が実直に働き続けることを示しながら、9節では「怠け者になるな」と、12節からは「ならず者になるな」と警告します。16-19節では「主の憎まれるものが六つ、心からいとわれるものが七つある」とあります。この「〇個、いや〇+1個」というのは古代イスラエルの表現法なので、「七つある」と理解したらいいのですが、新共同訳を見ますと17-19節は八つの厭うものがあるように書かれています。これは訳のマズさです。原文の七つは「驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪のない人の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足、欺いて嘘を言い立てる嘘の証人(ここが新共同訳のマズさ)、兄弟間にいさかいを起こさせる者」です。じっくり読むと、この七つは怠け者よりも、ならず者の要素が強いです。それは、周囲をも陥れるからなのかもしれません。私たちはならず者とならないように自戒しつつ、みことばを心に留めて歩みたいものですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝は、あなたの目に厭われるものを読みました。それは、あなたの目に留められて生きていることを忘れ、自分の利益のために周囲を陥れる者でした。神さま、わたしたちは今、あなたの目に正しく生きているでしょうか。もし、正しくないならば、どうぞ私たちを諫め、整えてください。あなたの整えに期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

29日(木) 箴言6章20-35節
一言メッセージ:箴言の中では不倫への警告が幾つもあります。それは、イスラエルの中で不倫が多々あったからというわけではなく、不倫が神さまから離れて罪を犯すことと同じイメージで語られたからです。軽い気持ちで性的関係を持つ行為が、「まぁこれくらいならいいだろう」と神さまに罪を犯す者の浅はかさと同じように考えられたのです。だから、箴言は不倫への警告を語ります。
  賢者は、ほんの出来心でふらふらと過ちを犯してしまう人間の弱さをよく知っています。でも、それは「仕方ない」では済まない、取り返しのつかない事態を引き起こすことも理解しているのです。だから警告し、神さまを意識しての自制を呼びかけるのです。その時、23節のように、神さまの戒めは私たちの足元を照らす灯であり、神さまの教えは光のように私たちを照らします。時に少々の失敗をしても、その懲らしめや諭しはどうやり直せばよいかを示す命の道となるのです。やり直しのきかない人生より、やり直せる人生でありたいですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。神さま、私たちは誘惑に弱い存在です。「これくらいなら」と思うと、ついつい失敗をしでかします。食べちゃだめな饅頭を食べたくらいなら「ごめんなさい」で済みますが、慢心が膨れ上がると、取り返しのつかない過ちをもやらかしてしまうのです。神さま、どうか私たちの弱さを理解した上で、誘惑に屈しないように、踏みとどまらせてください。いつもあなたを想いながら生きる者としてください。救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

30日(金) 箴言7章1-27節
一言メッセージ:今朝の6-23節は非常に不倫に至る生々しい誘惑の場面です。彼女は遠方に行商に行く裕福な商人の妻です。彼女が若い男性を自宅に引き入れる光景が書かれています。一見すると魅力的な提案に思えますが、賢者はそれを「まるで屠り場に行く雄牛(22節)」と表現しました。何故ならば、彼は自分の犯した過ちが、命奪われるような事態なのだと見過ごしているからです。
  誘惑の特徴の1つは、目先の楽しみばかりを思い起こさせ、後々起こることを想像させないことです。これは、性的な誘惑だけでなく、私たちの周りでも日々、起こっている事柄です。軽はずみな一言や安易な行動が引き起こす事態を想像していれば、経験せずに済んだ惨事もある。例えば、真夏に、車のエンジンを切った車に子どもたちを乗せたまま買い物に行って、帰ってきたら子どもたちがぐったりしていた…なんて事件が今年もありました。大人であれば暑ければ窓を開けるとかできるでしょうが、子どもたちがエンジン切った車でどう窓を開けるのか、といった想像ができないための不幸な事件でした。誘惑は、私たちに先を想像することを怠らせるのです。
  だから賢者は語ります。「知恵を自分の姉妹(知恵は女性名詞だから)と言い、分別を友とせよ(4節)」と。「戒めを守って、命を得よ(2節)」と。神さまの戒めは、私たちを縛り上げる堅苦しいものでなく、私たちを生かし、守る勧めなのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは誘惑の危うさを考えました。誘惑は私たちに目先の楽しさばかりを思わせ、その先に起こる事態を想像させません。だからこそ、賢者は私たちに「知恵と分別を保ち、神さまの戒めを守れ」と告げます。神さま、どうぞ私たちも日々、あなたを想いながら、知恵と分別を得て生きることができますように。誘惑に屈しませんように。私たちの救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

31日(土) 箴言8章1-36節
一言メッセージ:今朝の箇所は長いのですが、4-36節は人格化された知恵が私たちに呼びかけているような記述がされています。大部分は知恵を得ることが人生においてどれほど大事なのか、が繰り返されるのですが、ところどころピックアップすると、神さまの知恵の特徴が分かります。箇条書きで書き出してみます。
   ・知恵は知識と慎重さをもって、私たちに熟慮させるもの(12節)。
  ・知恵は、私たちに何が正しいかを見分けさせる(14節)。
   ・知恵は常に公平である(6節)。
   ・知恵は権力者に忖度するのでなく、神さまの御心にこそ生きる(15-16節)。
  ・知恵は人を正しく神さまに導き、また人と人とが共に生きるように導く(31節)。
   ・知恵は浅はかな者に熟慮を、愚か者に反省を求める(5節)。
   ・知恵をもって生きることは幸い。知恵無く生きると人は人生の喜びを失う(34-35節)。
  今日は土曜日です。この一週間、私たちはどう過ごしてきましたか?喜びや感謝でいっぱいの一週間でしたか?それとも、後悔や反省がありますか?今日は一週間を、知恵をもって振り返る時ですね。失敗したなら、来週はどうやり直せばいいか、考えてみてください。賢者は、知恵無きままに終わらないようにと呼びかけているのであって、「失敗したらもうおしまい」と言っているわけではないのです。正しく悔い改め、来週はやり直しましょう。やり直せることも、神さまの知恵なのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今週のみことばは、ずっと神さまの知恵を得て、誠実に生きることを繰り返し示してくれました。神さま、私たちは浅はかで、よく失敗を繰り返します。でも、あなたはそんな私たちにも、繰り返し繰り返し知恵を示し、やり直しを与えてくださいます。今週の生活に失敗や後悔があっても、どうぞ新しい週、知恵をもってやり直すことができますように。あなたの知恵と整えに期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。


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