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2020-08

8月2~8日のみことば - 2020.08.04 Tue

梅雨が明け、本格的な夏がやってきました。
梅雨明けと同時に暑~い毎日が続いています。
新型コロナウイルスだけでなく、熱中症にも注意が必要ですね。
また、豪雨被災地ではこの暑さの中での復旧作業。
体調を崩すことがありませんようにと祈るばかりです。

今週もみことばメールをまとめて掲載します。
皆さんの日々がみことばによってささえられますように。

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 詩編
・章選択      : 該当章数を入力(章まで入力するとその章すべてが表示されます。)

2日(日) 詩編106編1-48節
一言メッセージ:106編の詩人は長いですが、とても分かりやすい詩です。1-5節は神さまの偉大さを詠いながら、自分たちを再度、「御心に留めてほしい」と願っています。というのも、詩人は「わたしたちは先祖と同じく罪を犯し、不正を行い、神に逆らった(6節)」からです。詩人は自分たちの罪を思い返しながら、こんな自分たちをそれでも見捨てず、目を留め、手を差し伸べ、何度も何度も救おうとされる神さまに呼びかけているのです。
6節以下は出エジプトの際の神さまの奇跡の御業と民の裏切りを列挙しています。解説が必要なのは39節で、神さまへの罪を「淫行」と表現していることです。神さまと人間の「救われる、信じる」という関係が婚姻のイメージで考えられているのです。誰でも、浮気されたら怒りや悲しさを感じるものでしょうが、同じように、神さまも人間に裏切られる度に苦しさを経験されるのです。でも、神さまは忍耐強く何度も何度も、「きっともう気づくだろう」と民を愛し、救おうとされる。
私は106編を読む時、2つのことを思い起こしたいです。1つは、私たちの国の過ちである太平洋戦争です。「大東亜共栄圏」といった自分勝手な平和観を言い分に、アジア諸国を侵略し、自他ともに多大な犠牲を生み出してしまった私たち。当たり前ですが、平和を作るものが虐殺などするわけがありません。もう1つ思い起こしたいのは、自分たちがこれまで神さまを軽んじた過去、です。私たちが神さまを蔑ろにする度に神さまは悲しんできたでしょう。でも、そんな私たちの罪を全て知りながら神さまは、私たちを立ち帰らせようと今日も招いてくださるのです。今の私たちは、そんな神さまの赦しと期待によってあるのだと気付かされます。今朝は日曜日、礼拝の時です。今朝も神さまの招きをいただき、礼拝に集いましょうね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝の106編、私たちはしみじみと味わいます。そこに書かれていたのは人間の罪とあなたの深い慈愛です。人間は自分たちの願望や一時的な感情のために、どれほどあなたを蔑ろにしてきたことでしょう。それでもあなたは私たちを見捨てられませんでした。何度も何度も私たちが立ち帰る機会を創り続けてくださいました。神さま、今日こそあなたをしっかりと心に刻み、信じ、従う者となりたいです。あなたを信じ、人生の本当の平安を味わうことができますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

3日(月) 詩編107編1-43節
一言メッセージ:107編は聖書の前に、この解説を読んだ方が分かりやすいかもしれません。
107編は、前半は4つの「苦境から救い出された民」の物語を語り、後半でイスラエルの救いの歴史を振り返る構成です。前半の4つの物語は①4-9節の「遭難」、②10-16節の「幽閉」、③17-22節の「重病」、④23-32節の「海難」です。それぞれに、最初は民が神さまを蔑ろにするのですが、「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」と「主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる」という言葉(一段下がった部分)が繰り返され、神さまの救いを体験していくのです。本題は後半です。詩人は前半の想起を経て、33節以下、今自分たちが直面している苦境を思っています。それは、理不尽な社会によって生まれた経済格差です。注目したいのは40-41節の「貴族ら」と「乏しい人」です。41節の「乏しい人」はヘブライ語エブヨーンといい、社会制度や経済格差によって生きる支えを奪われた貧しい人たちを指す言葉です。107編当時のイスラエルでは、貴族たちが自分たちの都合の良い制度を作ってますます富み栄えていくのに、貧しい人たちはますます追い詰められています。詩人はそんな苦境を神さまに訴えながら、「どうぞ過去同様に今、救ってください」と訴えているのです。
社会が作り出した格差。とても過去の出来事と思えないのは私だけでしょうか。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。107編は社会によって苦しめられた民の訴えの詩でした。詩人は苦しみを経験しながら、でもあなたという訴える相手、ちゃんと自分たちの声を聴いてくださるお方がいることを確信していました。あなたが顧みてくださると信じ抜いています。神さま、今、私たちの社会でも格差はどんどん広がり、多くの民が生活の苦しさを感じるのに、一部の権力者たちの横暴は度を越しています。現代の日本なのに、夏休みなどの長期休暇で学校給食が無くなると途端に食事がとれなくなる子どもたちもいます。神さま、この社会はやはり間違っています。皆が安心して、当たり前に生きられる社会を願います。どうか、どうか、あなたの平和を実現してください。民の訴えを受け止めてくださるあなたに祈ります。アーメン。

4日(火) 詩編108編1-14節
一言メッセージ:108編の詩人は周辺の国や民族の小競り合いに直面し、頭を抱えているようです。思うようにいかない現実に腹立たしさと力不足を感じる詩人は、神さまのへの信仰に固く立とうとします。その時、詩人は8節以下のイメージを得ます。8-10節で神さまは詩人たちを含め、近隣の諸国や民族の名を挙げながら、「それらは皆、私のもの」と宣言されます。それは詩人への励ましでした。自分たちの小競り合いに右往左往せず、主である神さまにどっかり頼り、安心して生きるように励まされるのです。とても印象的な言葉が13節後半-14節前半です。祈祷会で皆さんと読んでいる月本昭男さんの私訳はこうです。「人間による救いなど虚しいのです。神にあってこそ、われらは威力を発揮できる。」神さまと共にあってこそ、私たちは十分に力も知恵も命も、発揮して生きていられるのです。さぁ、今朝も新しい一日が始まります。今日も神さまを意識しながら、歩み出していきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことばはストレートでした。「あなたにあってこそ、わたしたちは十分に生きられる」。神さま、わたしたちはあなたを信じています。それは、自分の具合が悪い時だけでなく、私たちの良い時も悪い時も、強い時も弱い時も、いついかなる時もです。でも私たちは自分の直面する現実が大きいほどに、あなたを見失いがちです。神さま、どうか私たちの信仰を強めてください。いつもあなたと共にあることを喜び、期待し、誇りを持って生きる者としてください。一日の始まり、あなたに期待し、イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

5日(水) 詩編109編1-31節
一言メッセージ:109編は一読してもよく分からない詩です。というのも、6-20節で詩人を攻める敵対者の言葉が引用されているのですが、それが一読しただけでは分からないからです。
  要約しますと、1-5節で詩人は理由が分からないのに敵対者に責められ、4節で「ただ祈るしかない」と訴えています。敵意に善意をもって返しても、相手はますます敵意は強くします。6-20節は敵対者の発言ですが、読むと、とにかく詩人を滅ぼしてしまおうと勢い込んでいます。21-27節で詩人はやつれてしまいます。でも28-31節で詩人は神さまの救いを再度願います。印象的なのは28節「彼らは呪いますが、あなた(神さま)は祝福してくださいます」です。
  2日の礼拝宣教を思い出しましょう。キング牧師は黒人を差別する人々の根底には、恐れ、プライド(誇り)、無知、偏見、誤解があると説明しながら、これを克服するには「神さまに目を留め、神さまの愛に生きるしかない」と説きました。神さまの愛から敵対者を見る時、彼らにも神さまを信じて回心する可能性がある、だから敵対者を滅ぼすのでなく、彼らが変わることを願いました。
  それは109編の詩人にも見られることです。詩人は敵対者が28節「恥に落とされる(過ちを自覚する)」ことを予見しながら、彼らが滅びることまでは祈りません。詩人は、彼らが「恥に落とされた」後、どう変わると期待したのでしょうか?私はそこに詩人の真の期待を感じるのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。109編に私たちは平和を考えさせられます。私たちも時に、理不尽や八つ当たりとしか見えない敵意に曝されることがあります。詩人は強く責められる中であなたへの期待を忘れず、あなたによる回復を願い続けました。神さま、わたしたちもあなたの御業に期待します。平和を実現する時にあなたは敵対者を滅ぼすのでなく、回心を与え、わたしたちの友としてくださることでしょう。神さま、どうか今こそ平和を実現してください。わたしたちにも、この社会にも、世界にも。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

6日(木) 詩編85編11-12節
一言メッセージ:今朝は8月6日、75年目の広島の日です。75年前の今日8:15、広島上空に投下された一発の原子爆弾は、決して忘れてはならない記録となりました。2年前、教会裏にお住まいのおばあちゃんから戦争証言を伺いました。おばあちゃんのお姉さんは広島の原爆の真下で大やけどを負い、一週間後に亡くなったと話してくれました。その無残な姿、焦土となった広島。あれから75年。今朝、私は普段の詩編の続きでなく、詩編85編11-12節を読みたいのです。
昨年11月24日(日)、わたしは午後から広島に急ぎました。平和公園にて行われたローマ法王の平和集会に参加するためでした。集会で法王が語った平和の訴えはとても印象的でした。全文はネットにも掲載されていますからどうぞ検索してください。今朝は終盤から一部を紹介します。
  「思い出し、ともに歩み、守ること。この3つは倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この3つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代がここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても、国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。
だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。
神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない!兵器の轟音(ごうおん)はもういらない!こんな苦しみはもういらない!と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85.11-12)。主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!」
祈り:神さま、平和を来たらせてください。戦後75年が経つ今も世界で戦争は無くならず、核兵器の危機は未だに高まったままです。私たちの身近なところでも原発という形で核の脅威は隣り合っています。歴史を紐解くと、権力が自分の思惑や都合、利権で、歴史と事実を歪曲して解釈する時、戦争が始まることが分かります。神さま、どうか人間に悔い改めを起こしてください。あなたが示される平和は、自分の身内だけの安定でなく、敵対者を共に作り変え、理解し合い、共に生きることにあります。神さま、どうか、どうか、私たち、子どもたち、孫たちへと時代が経過する度に、戦争がもはや起こらない世界を来たらせてください。そのために私たちを平和の道具として用いてください。主よ、来て下さい。平和の主イエス・キリストのお名前で祈ります。アーメン。

7日(金) 詩編110編1-7節
一言メッセージ:詩編110編は預言者が神さまの預言を王に告げる詩です。だから1節の「わが主」は王を指します。6節などは血なまぐさく、ちょっと目を背けたくなる言葉です。でも、注目したいのは4節です。神さまが預言者を通して示す理想の王の姿は「メルキゼデク」と明記されました。メルキゼデクは創世記14章に登場しますが、彼は王であり、同時に祭司でした。そこに見られるのは、「理想の指導者とは神にも民にも誠実である者」なのです。
  現代社会では権力を分散するのが基本的な考え方です。それは、人間は過ちを犯す存在だからです。憲法の三権分立(立法、行政、司法)などは、正に相互に抑制できる体制です(だから、安倍総理が数年前、「私は立法府の長として…」と発言したことは非常に危ういものでした)。
  繰り返しますが、人間は必ず過ちを犯します。だから、いつも自分を自制する神さまが必要なのです。メルキゼデクしかり、わたしたちしかり、神さまを覚え続けるからこそ、正しい生き方が見出されるのです。今、私たち自身もそうですし、本当に正しい指導者を願っています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしたちは詩編110編を通して、理想の指導者とはどのような者か、を分かち合いました。それは、神さまと民に誠実な者でした。神さま、私たちの社会を見ていますと、そんな指導者が見られず悲しいです。でもイスラエルの民も長年、そんな指導者を願い、祈り続け、そしてイエスさまがお生まれになりました。神さま、私たちも平和の指導者の登場を祈り続けることができますように。あなたの平和が実現しますように。主よ、来て下さい。平和の君イエスさまのお名前で祈ります。アーメン

8日(土) 詩編111編1-10節
一言メッセージ:111編は、ヘブライ語の22個のアルファベットを順々に行の頭文字に使いながら、最後まで読み上げたアルファベット詩です。文学としても、とてもよくできた詩なのです。
  でも私たちが興味を持つのはやはり内容です。111編の3節「主の成し遂げられた…恵みの御業」、4節「驚くべき御業」は出エジプトの出来事を詠っています。そんな中でとても目を惹くのは3節の「驚くべき御業」の範囲です。「驚くべき御業」と聞けば、一回限りのものすごいスケールの大きな奇跡、例えば出エジプト時では海を割るといった奇跡をイメージしますが、111編ではそれだけに限定されず、3節のように「永遠に続く(もの)」、例えば5節の「糧(毎日の食事)」などの日常の出来事も含んで考えていることです。平たく言えば、「毎日の生活も神さまの御業」と理解しているのです。毎日、当たり前と感じている出来事。そこに詩人は神さまの御業を見出すのです。
  人は勘違いしやすく、毎日続く出来事を「当たり前、当然」と思いがちです。特に神さまの御業は私たちが自覚的に思い起こさねば、「当たり前」にされがちです。例えば、戦後75年、私たちの国が戦火にさらされなかったことなども「当たり前」と思われがちです。でも、その「当たり前」のために、75年前、どれだけの命が奪われたでしょうか。日本の侵略によってアジア諸国がどれほど苦しみ、また私たちの国でもどれほどの命が奪われたでしょうか。あの戦争を経て、今があります。今の戦争を拒否する日本の姿は「当たり前」ではありません。守らねばならないものです。
わたしたちは今、私たちの毎日の中で、神さまのこと、平和のことを思い起こし、「当たり前」でなく感謝し。いかに守り続けるか、覚え続けるか、伝え続けるか、考えたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。111編を通して、私たちの毎日の生活は当たり前でなく、あなたの有り得難い、ありがたい恵みであることを思い起こしました。神さま、わたしたちは日常に慣れきってしまう時、大事なことを忘れがちになるものです。戦争の記憶もそうです。先日の広島の日、明日の長崎の日、11日の久留米空襲の日、15日の敗戦記念日と続く時期ですが、どうぞわたしたちが戦争の記憶を受け継ぎ、平和な未来を実現する決意を新たにできますように。今日の一日を守り、明日も伴い、明後日、一週間後、一年後、十年後もどうぞ導き続けてください。私たちの神さまに心から感謝し、平和の君、イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。


***

今週も皆さんの上に神さまの祝福がありますように。。。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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