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2020-07

7月19~25日のみことば - 2020.07.21 Tue

2ヶ月以上感染者の出ていなかった久留米ですが、ついに先週再び感染者が出てしまいました。
感染された方が重症化しませんように。またできるだけ感染が広がりませんように祈るばかりです。
特に先日の豪雨で被害を受けた方々、暑い中片付け作業などをしておられる方々が感染してこれ以上の痛みを負うことがありませんようにと切に祈ります。
久留米教会も今のところは感染防止対策を強化しつつ礼拝をおこなっていますが、対応に変更が出てくる場合はまたホームページでお知らせいたします。

***今週のみことば***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
・書名選択     : 詩編
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19日(日) 詩編92編1-16節
一言メッセージ:92編は1節で「安息日に」とあるように、礼拝の喜びを歌った詩です。詩人は神さまに従う者と逆らう者を対比させて詩を書きました。ユニークなのは、それぞれを個性がまるで違う植物で譬えたことです。神さまに逆らう者は8節で「野の草花」に譬えられます。それらは美しく咲き誇ります。それは詩人も認めています。でもイスラエルの雨季と乾季を考えれば、花の咲く期間は数か月と短いものです。一方、神さまに従う者が13節でなつめやしやレバノン杉に譬えられています。なつめやしは10~30mにも育つ巨木で、樹齢は80~150年。葉は樹頂に王冠のように茂る華やかな植物なので、繁栄の象徴と見られる木です。さらに、その実は甘い上に、一本の木に12房ほど、ひと房で1,000個ほどの実がなるのです。祝福の規模がものすごいのです。レバノン杉は屋久杉をイメージしてください。樹齢1,000年を超えることもあり、30-50mに育つ巨木です。まっすぐに聳え立つ木は、神殿や宮殿などの柱に用いられました。
さらに、植えられた土地も比較がされます。逆らう人々は「野の草花」ですから、野原に咲きます。一方、神さまに従う人は14節で「主の家、神の庭」に植えられます。その木々は神さまの許可なく伐採されることはなく、日々、成長し続けるのです。
詩人のこの描写は(極端ですが)私たちに大事なことを教えます。それは、何を人生の基盤に据えれば良いのか、ということです。一時的に我が世の春を誇る人はいるでしょう。でも神さまが与えてくださる大繁栄の前では一時に過ぎないのです。大事なことは神さまに従うこと。だから、安心して信じましょう。今日は日曜日、礼拝の時。今日もド~ンとみことばを分かち合いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編92編は私たちに、あなたに従うことが人生の盤石な基盤と教えてくれます。私たちはすぐに目先のことに右往左往しがちです。でも神さま、あなたの祝福は一時的なものでなく、私たちに永遠を約束くださいます。あなたの深い恵みに感謝し、救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

20日(月) 詩編93編1-5節
一言メッセージ:「神さまこそが王なるお方」と歌う93編ですが、注目したいのは1節終わりの「世界は固く据えられ」という言葉です。続きの「決して揺らぐことはない」という言葉を合わせると、まるで「世界は完成されていて変化しようがない」とイメージしてしまいます。でもヘブライ語原文を見ますと「固く据えられ」という言葉は未完了形で、「固く据えられ続けていて」と、今も神さまの創造の御業が続いていることを示しています。
  神さまが世界を創造し続けておられるとは新しい視点です。神さまの創造が今も続いている、神さまの世界は今も変化していると考える時、私たちは自分をふり返ってみてどう感じますか?私たちはもはや完成されていて、変わる必要、成長する必要など無い存在なのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。人間は日々、学ぶし、成長し続けられるのです。私たちも日々、より信仰を強く、だからこそ形式は柔軟に、変化し続けることができるのです。
僕が通った西南教会の付属幼稚園、当時の園長は坪井正之先生というおじいちゃん先生でした。元々、西南高校の校長だった方ですが、校長引退後に園長をお引き受けされたそうです。この坪井先生、学ぶことがライフワークで、校長引退後から18世紀の神学者マルチン・ベンゲルの『グノーモン』という新約注解を私訳(ありがたいことに私はデータをいただいています)され、亡くなる直前まで現代の新約学の大家ゲルト・タイセンのドイツ語の著書を辞書を引きながら読み続けていたそうです。坪井先生を思い出すと、私たちも日々、学び、発見し、驚き、喜ぶことができるのだと思わされます。
ちなみに、このみことばメールもそんな1つにしてください。聖書、ひとことメッセージを読んで、ご自分なりに考えてみてください。賛同だけじゃなく、批判だって構いません。大事なことはみ言葉と向き合うこと。ご自分の人生と重ねて、みことばを味わってほしいと願っています。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編93編であなたは、今も創造の業をし続けておられることを知りました。あなたが今も私たちに目を留め、だからこそ世界を整えてくださるから、私たちもまた日々、自分たちの人生の中で働くあなたの御業を模索してまいります。どうぞ今日もあなたの御業を発見し、感動し、喜ぶことができますように。気づきに期待し、救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

21日(火) 詩編94編1-23節
一言メッセージ:神さまのことを「報復の神」と表現する詩編は今朝の94編だけです。私たちは「報復」と聞くと恐ろしい復讐をイメージしますが、今朝の箇所をよく読むと、神さまは悪には悪を、善には善をもって応じています。ちゃんと正しい者にも祝福をもって報いてくださるとある。だからこそ、詩人は神さまに正しく生きることを訴えるのです。
  そんな94編の中で特に注目したいのは13節です。「幸い」な人とは、悪に対して復讐するのでなく、「静かに待つ」者と書かれています。彼は、今は苦しくとも、神さまが与えられる次の展開に期待しているからこそ待つのです。昔、恩師の関田寛雄牧師から言われました。「たとえ這いつくばってでも生きることが大事。生きることは時間が経過すること。時間が経過するということは物事が変化するということ。変化する時には神さまが働いてくださる。神さまが働かれるならば、物事が不幸で終わるわけがない。だから生きて待つことが大事です。」今朝のみことばも私たちに信じて待つことを促すのです。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝わたしたちは94編を通して、待つことを教えられました。私たちは実に短気で、課題に直面すると直ちに状況が変わらねば、ずっと悪い状態が続くように思い込みますし、あなたが私を見捨てられたのでないかと不安になります。でも94編は信じて待つことを告げます。信じて待てば、あなたがちゃんと時と状況を整えてくださいます。神さま、あなたを信じています。どうか私たちが短気を起こさず、あなたの御業を待ち続けることができますように。期待し、イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

22日(水) 詩編95編1-11節
一言メッセージ:95編は50編、81編と並ぶ祝祭の詩編です。詩人は聴衆である私たちに「さぁ、主に向かって喜び歌おう」と呼びかけます。1節後半2節後半の「喜びの叫び」は別訳では「凱歌、勝利の歌」です。95編の祝いの理由は、神さまによる勝利です。
  でも勝利の歌のはずなのに、7節3行目で詩人は苦言も呈します。「今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。」「今日こそ」と書かれるということは、イスラエルの民は今まで失敗を繰り返してきたのでしょう。実際、詩人は8節で出エジプト17章のメリバ、マサの出来事を引き合いに出します。民が神さまへの信頼よりも、自分たちの願望や算段、思惑を優先した出来事です。メリバ、マサの出来事を指摘しながら、「心を頑なにしてはならない」、「心迷う民(10節)」であるな、と訴えます。信仰は文字の如く「信じて仰ぐ」ものです。自分の願望に沿った保証があって「じゃあ、信じようかな」ではない。神さまへの信頼を根拠に「えいやっ!」と飛び込んでみるものです。詩人は今、あなたに「信じて、飛び込んでごらん」と語り掛けます。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。95編は私たちに信仰を問います。私たちの信仰はあなたの目に義とされていますでしょうか。自分の願望や算段や思惑を置いて、先ずあなたの御心を求めていますでしょうか。その御心に従えているでしょうか。自信がありません。でも、あなたは私たちに呆れることなく、それでも私たちを「主の民(7節)」と呼んでくださいます。辛抱強く呼びかけ続け、守り、導き続けてくださいます。どうか今日こそ、あなたを信じて「えいやっ!」と応答できますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

23日(木) 詩編96編1-13節
一言メッセージ:96編は「新しい歌を主に向かって歌え」と呼びかけます。今朝は「新しい歌とは何か」を考えてみましょう。
詩を読み解くためのヒントは「呼びかけられる対象が誰か」です。1節ではイスラエルに限定されるのでなく「全地よ」、7節でも「諸国の民よ、こぞって主に帰せよ」と呼びかけられています。詩人は全世界に向けて、神さまの前に集い、ひれ伏し、礼拝し、新しい歌を歌え、と呼びかけます。
  でも、実際のイスラエルの歴史を考えてみると、その訴えは夢物語にも思えます。新共同訳聖書後ろの地図①「聖書の古代世界」を見ると、イスラエルは南に行けばエジプト、東にはアラビア世界が広がり、北にはヨーロッパへとつながる土地、いわば交通の要所だと分かります。だから、イスラエルは世界の覇権を得ようとする強国の足掛かりとして狙われる弱小国でした。だから、歴史を見ると、イスラエルは強国に翻弄され、庇護に入りながら存続してきた国です。そんなイスラエルに「全地」「諸国の民」が参集して礼拝することは人間的な常識では不可能なはずです。でも、詩人は繰り返し、「全地よ、諸国の民よ、主に向かって歌え」と呼びかけ続ける。それほどに詩人が訴え続けた根拠は何でしょう?それは今朝96編で16回も繰り返される「主」です。神さまが詩人の呼びかけの根拠なのです。
詩人は人間的常識で物事をはかるのでなく、主なる神さまを土台にして訴えた。人間のモノの見方は限界だらけです。でも神さまの視野は私たちには計り知れない未来をもちゃんと見据えています。だからこそ詩人は、人間的不可能を超えて神さまに期待しました。これこそが96編の記す「新しい歌」です。自分たちの力、理解、常識、思惑、算段でなく、神さまに期待して世界を見直すこと。それが「新しい歌」なのです。私たちも今、「新しい歌」を歌いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝、私たちは96編から励ましと問いかけと揺さぶりをいただきました。詩人は人間的には不可能としか思えないけれど、あなたには全てが可能だと知っていました。だからあなたに期待して大胆に詩を歌いました。神さま、あなたが神さまであることに感謝しつつ、私たちは本当にあなたに期待し、信じているかが問われます。できていなかったならば、神さま、どうぞ今から私たちに「新しい歌」を歌わせてください。人間的常識や算段ばかりでなく、あなたに期待して、全てを見つめ直し、応答することができますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

24日(金) 詩編97編1-12節
一言メッセージ:昨日の96編は全世界に向けたスケールのでっかい詩でした。印象として、私たちは「全世界の中の私、集団としての私」という印象も出てきますが、今朝の97編は私たち一人ひとりに向かって語り掛けてくる詩です。
1節で「全地よ」と呼びかけられ、6節では「すべての民は(主の)栄光を仰ぎ見る」と言われていますが、10節では突然、単数形で「主を愛する人」と呼びかけられるのです。すなわち、この言葉は私たちを集団の一人でなく、「あなたはどうか?」と直接問いかけてくるのです。
詩人は神さまを愛し、従う人たちに将来の約束を告げます。特に注目したいのは11節です。「(主は)神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる。」注目は「種蒔いてくださる」とあること。言うなれば、今私たちが得ている光や喜びはまだ種のようなものに過ぎないのです。種を成長させ、本当の祝福を得るために、私たちは「神さまに応答して『えいやっ!』と一歩踏み出してごらん」と求められているのです。神学者D.ボンヘッファーは語っています。「信じる者が従い、従う者は信じる」。神さまを信じた者は従うべく一歩踏み出す。従った者は神さまの祝福が確かだと、実際に与えられることを経験し、また新たに従う者となっていくのです。今朝もわたしたちは、その種をいただいています。種を育てていきたいものですね。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編97編は祝福の種の話をしました。神さまが今、私たちに与えてくださっている祝福は感染ではなく、まだ種に過ぎないのですね。ならば、私たちはますますの祝福に期待します。私の人生も家族や周囲の人々のことも全てお委ねします。どうか祝福の種をぐんぐんと成長させ、どうか祝福を、私個人を超え、周囲の人々にも経験させてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

25日(土) 詩編98編1-9節
一言メッセージ: 98編はバビロン捕囚からの解放を喜ぶ詩です。最初に歴史を説明しますが、世界史的に見ると、バビロン捕囚からの解放は、ペルシャ帝国がバビロニア帝国を滅ぼし、捕囚とされていたイスラエルの民を解放した、という出来事です。でも、これをイスラエルの民の立場で考えてみましょう。イスラエルの民はこの出来事を「わぉ!ミラクル!」と感じたのです。
「ミラクル!」と訳した言葉は1節の「驚くべき御業」です。ヘブライ語ではニフラオートで、その意味は「人間の理解では有り得ないとしか思えない不思議な業」です。イスラエルの民はバビロン捕囚を経験しながら考えたのです。「むちゃくちゃ強くて、『未来永劫、奴隷のままなんじゃなかろうか』と思っていたのに、そのバビロンが滅びたことも信じられないけど、さらに信じられんのは、倒したペルシャが『かえっていいよ』って言ったこと。何これ?何でこんなことになるの?もう訳が分からん。・・・・・・・あっ!これって、神さまの御業なんや!私たちには訳わからんけど、神さまの御業は、私たちにでっかいでっかい祝福を与えてくださった!」と理解したのです。
私たちは今、98編を見ながら教えられるのです。皆さん、神さまに期待してますか?今の不安や苦境の中で、考えも及ばないミラクルが起こるのですよ。人はそれを「ラッキー」と言うかもしれない。でもそれはラッキーじゃない、偶然じゃない。神さまの必然です。だから祈りましょう。「神さま、私の想像も及ばない度肝抜くようなミラクルをよろしくお願いします!」って。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝98編に私たちは嬉しくなります。あなたは私たちの想像をはるかに超える御業を行われる方です。神さま、今わたしたちは改めてあなたに期待します。新型コロナや水害や、自己責任の風潮、人間関係などなど、私たちが抱える課題は重いですが、あなたに期待します。考えてみたら、あなたはこれまでも度肝を抜くような御業を行ってこられました。最たるものは、イエスさまの十字架です。まさか私たちを救うためにあなたの独り子イエスさまが十字架にかかるなんて、私たちは想像もしませんでした。でも、あなたはその出来事を通して、私たちの罪も弱さも痛みも叫びも丸ごと引き受け、救ってくださいました。あの御業を知っているからこそ、私たちは信じます。私たちが度肝抜かれて、一時的に怯え、慄いたとしても、最後には「神さま、ありがとう!」と賛美できるような、あなたの御業を行ってください。救い主イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。

***

今週も皆さんの上に神さまの守りがあります様に。

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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