受難週を、祈りつつ過ごします。 - 2020.04.07 Tue
新型コロナウイルスによって身の回りにも様々な影響が出ています。
久留米教会でも、ホームページでお知らせしている通り、
◆礼拝以外の集まり(水曜・木曜祈り会、教会学校など)をお休みとします。
◆礼拝は、広くご参加いただける通常の礼拝と違い、参加を希望する教会員のみで簡略
化した礼拝とさせていただき、換気や間隔をあけて座るなど対策をしながら行います。
◆教会に来られない方のためには、礼拝同時刻(日曜日10:30までに)にホームページ
で宣教の音声配信・ライブ配信を行いますので、家庭での礼拝にお用い下さい。
という方針で対応しています。
音声配信やライブ配信の視聴方法などはホームページトップの「おしらせ」からご覧ください。
また、対応に変更があった場合は随時ホームページにてお知らせします。
さて、教会では先日の日曜日からイエスさまの十字架の苦しみを覚える受難週に入っています。
今年はこのような状況ですから、「受難」ということをいつも以上に考えさせられるときを過ごしています。
平日の集会を中止としていることもあり、今年は教会のメンバーには受難週の1週間毎日分かち合うみことば(聖書の言葉)、一言メッセージ、祈りの言葉をメールなどで分かち合っています。
自粛生活の中で、少しでも心を落ち着かせる一助になるかもしれないと思い、以下ブログでもシェアしますね。
聖書の言葉は日本聖書協会の聖書本文検索からお読みいただけます。
自粛生活の中で、少しでも心を落ち着かせる一助になるかもしれないと思い、以下ブログでもシェアしますね。
聖書の言葉は日本聖書協会の聖書本文検索からお読みいただけます。
心のざわつく毎日ですが、寄り添ってくださるイエス・キリストが皆さんの心に平安を与えてくださいますように。
今心身ともに苦しみの中にある方々の上に癒しと慰めをお祈りします。
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◆4月5日(日) ヨハネによる福音書(新約聖書)14章1節
一言メッセージ:ヨハネ福音書14-17章はヨハネ福音書が記す最後の晩餐でのイエスさまの言葉です。その一言目にイエスさまが語った言葉が今朝の1節「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」です。シンプルで深い御言葉です。心が騒ぎたつ時、私たちは神さまを忘れがちになるからです。けれど、イエスさまは神さまを信じることを強く求めました。それは、私たちを導かれるのが父なる神さまだからです。また「そして、わたしをも信じなさい」とは、「あなたの傍らに寄り添う私を信じなさい」という意味です。私たちは受難週の始まりに、私たちを導いてくださる神さまと、寄り添い伴ってくださるイエスさまとを感じながらスタートするのです。
祈り:神さま、今年、私たちは新型コロナウイルスの不安の中で毎日を過ごしています。「心騒いで」います。でも、イエスさまはそんな私たちに「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と告げてくださいました。この不安の中でも、安心して信じられるあなたがいてくださる幸いを覚えます。私に伴ってくださるイエスさまを感謝します。どうか今日からの一週間もあなたの導きと守りと伴いを感じさせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
◆4月6日(月) ヨハネによる福音書16章33節
一言メッセージ:昨日に続き、ヨハネ福音書からの御言葉です。イエスさまが最後の晩餐で弟子たちに語った最後の言葉は「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」でした。イエスさま自身、苦難、受難はこれから経験されるのです。けれど、イエスさまは「既に世に勝っている」と言われました。事が起こる前に、事が起こった先を語っておられるのです。これは信仰の成せる業です。信仰者は「なるようになるさ」という楽天家とは違います。私たちは、この苦難の中で私たちに御心を示し、この先で御業を実現される神さまを信じるからこそ、今の課題と直面しながら、この課題の先を夢描けるのです。焦らず、今日を過ごしましょう。イエスさまは「既に世に勝って」おられるのですから。
祈り:神さま、新しい一週間の働きが始まりました。今週、私たちは何に直面するのでしょう。喜びや笑顔でいたいです。でも、私たちは弱いですから、きっと笑顔で過ごしていた次の瞬間、予期せぬ事態が起こればあっという間に不安にさいなまれてしまうでしょう。でも、どうか、いつもあなたを思い起こして過ごせる者としてください。既に世に勝っておられるイエスさまを傍らに感じ、今の出来事の先を思い描かせてください。私が出会う人々、直面する出来事の中で、私をあなたの御業実現のための用いてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
◆4月7日(火) マタイによる福音書(新約聖書)22章23-40節
一言メッセージ:エルサレムに入場されたイエスさまを快く思わぬ人々は、イエスさまを陥れるために多くの議論を吹っかけてきました。その1つが23節以下の復活問答です。イエスさまは論点を聞いた後、端的に29節「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」と告げます。告げられたサドカイ派はユダヤ教の最高指導者層です。彼らに対して「聖書も神の力も知らない」と言い切ったのです。人々が驚く中、イエスさまは律法の中心メッセージを2つ告げます。それが34節以下です。1つは「神さまを愛すること」、もう1つは「隣人を自分のように愛すること」でした。この2つは私たちにとって生き方の土台です。私たちは神さまを第一に愛していますか。自分の都合を優先して、余力の部分で神さま…と思っていませんか。また、隣人と自分を比較して見ていませんか。もし見ていたら、今日、やり直してみましょう。神さまを第一に、隣人に自分がしてほしいように、自分がそう心掛けているように働きかけてみるのです。
祈り:神さま、イエスさまはエルサレムで十字架にかかる直前も、人々にあなたの御心を示し続けられました。それも小難しく論じるのでなく、端的に、あなたが喜ばれることは何かを示されます。神さま、この2つの示しを私たちはどう今日の生活の中で実現できるでしょう。どうか今日、この2つの内1つだけでもを実行できるように、私に働きかけてください。私たちだけでなく、新型コロナのことで多くの人が不安に苛まれています。どうか、その方々に、あなたによる平安を届けさせてください。あなたの御業実現のために私にも一助を担わせてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。
◆4月8日(水) マルコによる福音書(新約聖書)13章32-37節
一言メッセージ:イエスさまは「神さまの時はあなたたちには分からない」と告げます。でも、神さまの御業は起らないのではなく、起こるのだけれどその時が私たちには分からない、と告げるのです。35節でイエスさまが譬えとして語る4つの時があります。「夕方」と「夜中」、「鶏の鳴くころ」、「明け方」です。この時を受難週の中で思い起こしてください。「夕方」は14章12-31節の主の晩餐を思い起こします。「夜中」は14章32-52節のゲッセマネでのイエスさまの逮捕、「鶏の鳴くこと」は14章53-72節で起こった不当な裁判とペトロの三度の否定を連想します。「明け方」は15章1節からのピラトによる裁判です。それぞれ、イエスさまはジェットコースターのように目まぐるしく動く出来事に翻弄されるようですが、その中で、神さまの時は時々刻々と動いているのです。ただ、人間たちが気づかないだけです。
祈り:神さま、あなたの御業に気づかせてください。あのイエスさまの十字架への歩みの中であなたの御心を考えることをせず、自分たちの思惑で突っ走ってしまった群衆と同じで、私たちは自分たちの関心や直面する出来事に右往左往し、あなたの御業を見失いがちです。でも、私たちが気づいていないだけであって、あなたの御業は今も実現しつつあります。神さま、どうか今、あなたが私の傍らで何を語りかけ、何を示され、どう導こうとしてくださっているかに気づく私たちとならせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
◆4月9日(木) マルコによる福音書14章32-42節
一言メッセージ:イエスさまが十字架にかかる前日の夜です。イエスさまは弟子たちと共に過越しの食事をとった後、オリーブ山のゲッセマネの園にて祈っておられました。この箇所を見ますと、イエスさまは十字架の死に怯えきっています。それはまるで私たちと同じ、弱い、一人の人間の姿です。私たちはこのイエスさまの姿に、弱い私たちにより沿っておられる救い主の姿を見るのです。注目したいのは36節です。この「(しかし私が願うことではなく)御心に適うことが行われますように」をギリシア語で見ますと、マタイによる福音書(新約聖書)6章10節でイエスさまが弟子たちに教えた主の祈りの言葉と完全に一致しています。イエスさまは自分の恐怖と向き合いながら、主の祈りを祈っておられるのです。今、皆さんは不安がありませんか?新型コロナによって病に加えて、先の見えぬ不安。そんな不安を持つことは当然です。でもそんな不安と共に、どうぞ主の祈りを祈ってみてください。不安の中であなたに寄り添ってくださるイエスさまを思い起こしてほしいのです。
祈り:「主の祈り」を噛み締めるように祈ってください。
<主の祈り>
天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
◆4月10日(金) ルカによる福音書(新約聖書)23章44-48節
一言メッセージ:今日はイエスさまの十字架の死を覚える受難日です。イエスさまは亡くなる直前、大声で「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と叫ばれました。「委ねる」という言葉を私たちはどう受け止めますか?どうしようもなくて投げやりになった言葉でしょうか。いいえ、「委ねる」とは、神さまにお任せする言葉です。委ねることは神さまに属するものとされるのです。こんな限界だらけの私たちが、神さまに属するものとされる。神さまはこんな私たちをも丸ごと受け止めてくださるのです。イエスさまはそんな信じて委ねて救われる道を私たちに示してくださったのでした。
祈り:神さま、私たちは自分たちを振り返ります。私たちはいつも自分たちの経験や思惑や判断に固執して生きています。あなたを信じていながら、でも自分に、そして周囲の人に頼って生きています。それがどれほど限界だらけか分かっていながら、です。でも今、私たちはイエスさまの「委ねます」との言葉に深い感動を持って向き合わされます。神さま、私たちもあなたを信じ、委ねます。どうか私たちを受け止め、あなたに属する者とならせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
◆4月11日(土) イザヤ書(旧約聖書)53章1-12節
一言メッセージ:イザヤ書53章は「苦難の僕(しもべ)」と呼ばれます。神さまは私たちの救いのために、一人の僕を選び、その僕に私たちの一切の罪を背負わせることをもって、私たちの罪を赦し、救ってくださいました。この僕こそがイエス・キリストです。私たちはイエスさまによって救われたのです。私たちの命はイエスさまの贖いによって救われた命です。神さまはそれほどにあなたを大事と思っておられるのです。そして10節で聖書は私たちに問います、「あなたが彼の命を、あなたの償いの献げ物とするならば、彼は子孫が日々、長らえるのを見るであろう。そして主の望み(救い)は彼の手によって成就するであろう。」イエスさまの救いを受け止めるかどうか、今、私たちが問われているのです。
祈り:天のお父さま、私たちは今、イザヤ書53章の御言葉を受け止めます。イエスさまが私たちを救うための犠牲であったことを信じます。私たちは過ち多い罪人に過ぎません。けれどそんな私たちが、それでもイエスさまに愛され、あなたに受け止められた命であることを感謝します。神さま、どうか、私たちに信仰を増し加えてください。今の不安の中でも、あなたに生かされている幸いを思い起こして今日の一日を過ごさせてください。この救いを一人でも多くの方にも伝えさせてください。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。
◆4月12日(日) ルカによる福音書2(新約聖書)3章56節後半-24章12節
一言メッセージと祈り:来週の主日礼拝で分かち合いましょう。会堂でもネットでも、私たちは共に礼拝を守るのです。
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