4月26日~5月2日みことばメール - 2020.04.27 Mon
今週も毎日のみことばメールとして発信しているものを1週間分掲載します。
今週の皆さんの歩みの上にも平安がありますように。
新型コロナウイルスの感染が少しずつでも収まっていきますように。
治療にあたっている医療関係者の方々、ライフラインの維持のために働いてくださっている方々へ神さまからの守りがありますように。
今週の皆さんの歩みの上にも平安がありますように。
新型コロナウイルスの感染が少しずつでも収まっていきますように。
治療にあたっている医療関係者の方々、ライフラインの維持のために働いてくださっている方々へ神さまからの守りがありますように。
※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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26日(日) イザヤ書43章19節
一言メッセージ:新しい週の始まりです。この御言葉は2007年、私が久留米教会に着任した年の主題聖句でした。昨日のみことばメールで指摘したように、直前まで神さまは「わたしは」「あなたは」と連呼しながら、私たち人間に、「主なる私(神)に目を向けよ」と繰り返されました。今朝のみことばはその続きです。神さまは「見よ、新しいことをわたしは行う。今やそれは芽生えている」と宣言されます。神さまの語る「新しいこと」とは、「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」ほどの出来事です。荒れ野は整備できないから荒れ野であり、砂漠は水気がないから砂漠なはずです。でも神様はそんな、「無理だって」と決めつけてしまいそうな現実のただ中から「新しいこと」を始めようとされるのです。今朝、私は週の始まりにこの「見よ、新しいことをわたしは行う」と宣言される神さまに期待します。神さまは今週、わたしたちにどんな示唆を与えてくださるのでしょうか。
そうそう、先日すっごく面白い話を聞きました。T兄はネット環境が無いとのことで、宣教CDを作ってお届けしています。するとお礼の電話と共に、「CDですが、同じ老人ホームの方で以前、礼拝にお連れした方が僕以上に熱心に聞いておられます」と言われるのです。これは、終息後、貞一さんと共にお越しくださるんじゃないかと楽しみをもらいました。これも「新しいこと」ですね。
さぁ今朝は10:30から主日礼拝です。直接来られる方もネット参加の方も、共に礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、新しい週の始まりをありがとうございます。今朝、あなたは私たちに「見よ、新しいことをわたしは行う」と宣言されました。その御業は「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」ほどの御業、私たちには理解し難いほどの御業と宣言されます。神さま、何が実現するのか、今の私たちには皆目見当がつきません。でも、あなたが「見よ」と呼びかけてくださるから、私たちは期待しつつ、あなたに目を向け、心静め、御業を待ち望みます。どうか今週もお導きください。後からの礼拝で兄弟姉妹たちと心合わせることができますように。イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。
27日(月) イザヤ書46章3-4節
一言メッセージ: 新型コロナの騒動の前、「自己責任」という言葉をやたら耳にしていました。今の状況でそれを言うと、あからさまな弱者切り捨ての言葉に聞こえるから政府も口にしませんが、でも、長いこと休業補償を渋っていたことなどは、そういう風潮に基づく意図だったかもしれません。私はそんな「自己責任」と言って、困窮する民、傷つき涙する者を切り捨てる風潮が大嫌いですし、福音的と思いません。一方、聖書は私たちに何を告げますか。聖書は良き知らせ、慰めと希望を告げ続けています。今朝の箇所はその際たるものです。神さまは私たちを丸ごと引き受けて、「わたしがあんたの責任者!わたしがあんたを守っとると!」と断言くださいます。今のちょっとしんどい時にも「わたしが担い、背負い、救い出す」と断言下さる神さまに目を向けて、今日も元気に歩んでいきましょう。
祈り: 神さま、今日もみことばをありがとうございます。今日から一週間の働きが始まってまいります。本当ならば早い人はもうゴールデンウィークに入り、楽しい計画もあったことでしょう。でも、私たちは今、制限と不安の中で生活しています。「どうしてこうなったのだろう、これからどうなるだろう」と不安もありますが、でも、今日いただいた御言葉で「わたしがあんたの責任者!」と言ってくださる神さまを知って、ホッとしました。神さま、どうぞ今週もあなたの導きの中で歩ませてください。期待して、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。
28日(火) イザヤ書46章10節
一言メッセージ: 皆さんは刑事コロンボという映画をご存知ですか?ロサンゼルス市警殺人科刑事コロンボが難事件を解決していくシリーズです。以前はテレビでも結構放送されていましたが、ここ数年は全く見ませんね。さて、そんなシリーズの中でかつて衝撃を受けた話がありました。それは放送が始まると早々にコロンボによって犯人が明らかにされたのです。普通は事件が起こって、刑事の捜査が始まって、謎が明らかになって、最後に犯人が分かりそうなものですが、この回は最初に犯人が明らかになり、そこから何故コロンボが犯人に行き着いたかを明らかにしていったのです。これ、初めに結論ありきのスタイルです。さて、今朝のみことばで神さまも告げます。「わたしは初めから既に先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。」これぞコロンボ型福音!事実、イザヤ書のみことばを聴いた時のイスラエルの民はまだバビロンで捕囚の境遇でした。けれど神さまはそんなイスラエルの民に先ず救いを宣言し、その後にバビロンの滅亡、イスラエルの解放へと導かれたのです。今日、みことばは同じように私たちに救いを告げます。さて、どこで「やっぱり!」と確認できるでしょうか。楽しみですね。
祈り: 神さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたは時々、刑事コロンボのように、私たちに結論から与えられる方です。(もしかして、楽しんでおられますか?)あなたは私たちが理解しえない時に約束を与えて下さる方です。私たちは後になって、「あっ!これって以前に聞いていた…」とびっくりさせられます。神さま、今、わたしたちはまたびっくりさせられたいです。あなたの救いをいただきたいです。どうぞ病の終息と癒しを私たちの社会に実現してください。あなたの約束に期待してお祈りします。アーメン。
29日(水) イザヤ書49章16節前半
一言メッセージ: 読み続けてきたイザヤ書ですが、今朝の箇所は想像力を刺激されませんか?見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。」誰かを思い出しませんか?私はイエスさまを、その手の十字架の傷を思い起こすのです(厳密に言えば、イエスさまの十字架は手のひらでなく手首でしたが)。私はこの御言葉を読みながら、「私たちはイエスさまによって救われたんだ。これは当たり前じゃない恵みなんだ」と思わされます。
最近、新型コロナに関連して、悲しいニュースを聞きます。不安やストレスのためか医療従事の方々やスーパーの店員さんなどに八つ当たりする人もいるそうです(私は郵便局で、些細なことで怒鳴っている方を見ました)。その不安も分かりますが、先ず私たちは周囲に目を向け、「当たり前」とせずに「ありがとう」を伝えましょう。その方々もまた今、「その手のひら」で社会を助けようとしてくれているのです。
祈り: 天のお父さま、今朝の御言葉は私たちにイエスさまの姿を思い起こさせます。私たちはイエスさまの十字架の死によって救われました。この救いは当たり前でなく、本当ならば起こり得ない、有り得難い出来事でした。神さま、私たちはイエスさまの救いに感謝するとともに、今の社会の中で必死にコロナウイルス終息や私たちの生活を守るために尽力くださっている方々を思い起こします。どうぞ私たち同様に、その方々をもお守りください。今日の一日、不安やストレスによる不満よりも、多くの人への感謝を感じて過ごす一日としてくださいますように。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
30日(木) ローマの信徒への手紙4章9節
一言メッセージ:久しぶりに朝のみことばメールを新約から選んでみました。今朝はローマ書4章9節です。著者はパウロです。パウロと言えば、元迫害者だったのが回心してキリスト教を世界へと広めていった人物ですが、彼のすごいところは「救いとは割礼を受けたユダヤ人にのみ与えられる」と考えられていた教理を、「ユダヤ人以外の異邦人にも、割礼を受けていない人々にも当てはまるのだ」と広げて伝道していったことです。それは異邦人伝道となり、今の私たちにも繋がりました。さて、ここで疑問が湧きます。誰もが割礼は救いの条件だと思っていたのに、その条件を関係ないと主張したパウロは、何からそう思ったのでしょう。それが今朝の箇所です。パウロは信仰の父と呼ばれるアブラハムを例(創世記15章6節)に着目し、「神さまがアブラハム(当時はアブラム)を義と認められたのは割礼を受ける以前だった。神さまは信仰によってアブラハムを義とされた」と気づいたのです。人の「当然」と思い込んでいた事柄に対して、御言葉に立ち、改めて問うた結果、パウロは神さまの福音の本質に気づきました。この4月、私は「神さまに注目しよう、御言葉に養われよう」ということを大事にしてきました。この制限多い生活の中で私たちはやはり神さまによって生かされていることを共に確認したいのです。人の「当たり前」は神さまの御心の前にはもろいものです。4月の終わりに、私たちは改めて神さまの御心とみことばに立つものでありましょう。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。今朝私たちはパウロが「人が信仰によって義とされる」と確信した根拠を分かち合いました。それはアブラハムが割礼といった行為ではなく、先ず信仰によって義とされていたとのみことばの示唆によるものでした。神さま、私たちは御言葉がどれほど人を勇気づけ、生かし、直面する事態を変えていくかを知らされます。神さま、どうぞ私たちにも日々、みことばを与えてください。慣れ親しんだみことばであっても、どうか繰り返し読む中で、新たな気づきと喜びを見出させてください。4月、みことばによって生かされたことを感謝し、5月の導きにも期待し、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。
5月1日(金) ローマの信徒への手紙5章3-5節
一言メッセージ: 早いもので4月も終わり、5月に入りました。例年であれば、4月は春をいっぱいに感じ、「よし5月も頑張ろう。その前にゴールデンウィーク♪」とウキウキする時ですが、今年は新型コロナウイルスのために制限ばかりで4月が過ぎました。長引く自粛に皆、疲れとストレスが溜まっているようです。そんな中、今朝はローマ書に目を留めたいのです。パウロは苦難が希望に繋がるから誇りだ、と語ります。分かりやすくするため、日曜日の礼拝の御言葉、コリントの信徒への手紙10章13節も合わせて思い起こしてください。パウロは「神さまは真実な方だから、苦難に直面する時に私たちが逃げるのでなく、向き合うならば必ず解決するための出口を与えてくださる」と語りました。今朝の箇所も同じです。パウロは逃げ出すのでなく、課題に向き合う時、「苦難は忍耐を、忍耐は練達(熟練)を、練達は希望を生む」と語るのです。その「希望」は神さまによる希望だから、「わたしたちを欺くことがない」のです。パウロの希望の根拠はいつも神さまです。私たちも神さまの愛を根拠に5月も歩んでいきましょう。
祈り: 天のお父さま、今朝もみ言葉をありがとうございます。神さま、4月も今日で終わりです。今年の春は自粛制限ばかりで、ある意味忘れられない春でした。神さま、長引く自粛に私たちは少し疲れも感じています。早く、自由に過ごせる毎日を過ごしたいと願います。けれど同時に、この制限の中で私たちがただ腐るのでなく、あなたへの希望をも確信させてください。パウロが語ったように、この苦難の中で忍耐する私たちが、少しずつあなたに心を向け、あなたの慰めと導きを見出し、希望を得ることができますように成長させてください。新しい月の始まりに、あなたへの感謝と期待をもって一日過ごさせてください。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。
2日(土) ローマによる信徒への手紙8章18-28節
一言メッセージ: ローマ書を読み始めましたが、正直、難しいですね。というのも、ローマ書はパウロの最後の手紙であり、彼が考えてきた自分たちの風習と神学的考察を比較しながら書いた、いわば神学書の走りだからです。だから、当時の人々の風習や価値観をもって読まねば、よく分かりません。でも時々、パウロの状況を超えて、私たちの生活の中でも実感として分かるのです。
パウロはこの時、「私たちは既に救われているなら、どうしてまだ苦しみ続けているのか」という疑問について考えています。パウロは端的に言って、「今の救いは将来与えられる救いの完成と比べると、まだまだぜんっぜん大したことないんだ。既に救われた私たちだけど、この救いの完成に向けて私たちは生きているんだ。だから、まだ苦しみがある。でもね…」といって、26節のように「霊も弱いわたしたちを助けてくださり、わたしたちの言葉にできない呻きのような思いすら、神さまへととり繋いでいてくださる」と語ります。そして神さまは28節「万事を益に」、今のこの苦しみや迷いも呻きもすべて、益としてくださるのだと語るのです。きっと今の私たちの経験も必ず益となるでしょう。明日は礼拝の日です。今日は一週間を振り返りながら、明日の礼拝に備えましょう。
祈り: 天のお父さま、今週もあなたの守りの中で歩むことができて、ありがとうございます。今朝も私たちはローマ書を読みました。慣れ親しんだ御言葉ですが、改めて私たちは自分たちの生活と当てはめて御言葉を味わいます。神さま、あなたは言葉にならぬ呻きをもちゃんとご存知でいてくださり、この経験をも含めて私たちを救いの完成、あなたの御国へと導いてくださることでしょう。神さま、どうかこの苦難をも益としてください。どうかこの制限の中で、今まで以上に私たちがあなたを身近に感じて喜ぶことができる者、信頼できる者となれますように。一週間の疲れを癒し、明日の礼拝に備えさせてください。いつも私たちに伴い、み言葉をもって励まし強めて下さるイエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。
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