レント(受難節)のときに - 2020.03.10 Tue
3月に入りました。
晴れたり曇ったり、季節の変わり目、何かと調子をくずしやすい時期ですね。
また、新型コロナウイルスのために、不安に心がざわつく毎日です。
久留米教会でも対策を考え、どのようにすれば安全で、安心して毎週の礼拝を献げることができるのか考えながら歩んでいます。
(新型コロナウイルスについての久留米教会の対応は ホームページのお知らせ に掲載していますので、ご参照ください。)
また、明日は3月11日。わたしたちにとって忘れられない日です。
大きな揺れと、大きな津波。そして福島第一原子力発電所の未だ終息しない事故。
物理的には少しずつ復興が進んでいる面もありますが、被災した方の心はどうなのだろうか。
3月11日が来るたびに悲しみに胸を引き裂かれるような思いをしている方々のことを思うと、何もできずただ立ち尽くしていることしかできない自分に出会います。
今、教会ではイエス・キリストの十字架の苦しみを覚える期間、レント(受難節)を過ごしています。
イエスさまは神の子としての歩みの中で多くの奇跡をおこなったと聖書は記しています。水をぶどう酒に変える奇跡、病の人をいやす奇跡、わずかなパンと魚を大勢の人に分け与えた奇跡・・・
しかし、ご自分が十字架にかかっている時には、イエスさまは一切奇跡を行いませんでした。
何の罪も犯していないにも関わらず、ただ十字架に無残にくぎで打ちつけられ、また自分を喜び讃えて迎え入れたはずの民衆たちからののしられ、体にも心にも深い痛みを負い、叫びながら亡くなっていったのです。
この方を、教会は2000年以上「救い主」として信じているのです。
わたしたちの救い主は、わたしたちの苦しみを知らない方ではありません。むしろ、十字架の上であらゆる痛みを経験し、わたしたちのからだの痛みも、心の痛みもすべてをわかってくださる方。苦しみや悲しみの前に何もできずに押し黙ってしまう、そんな経験を自らなさった方なのです。
コロナウイルスに対する不安、また3月11日を前に、わたしたちはどうしようもない痛みと悲しみを前に立ち尽くします。
そんなわたしたちの傍らに、わたしたちの救い主は共に寄り添ってくださいます。「その痛み、わたしにも良く分かる。わたしもあなたと共にその痛みを担おう」と言って、共に涙を流してくださる。
そんな救い主が、目には見えないけれど今もわたしたちに伴っていてくださると、わたしたちは信じているのです。
このレントを過ぎるとイースターが待っています(今年は4月12日)。
痛みと苦しみと絶望の中で死なれた救い主イエス・キリストは、しかし3日目に復活されました。
それは、「どうしようもない苦しみは確かに私たちにある。しかし、その苦しみは苦しみに終わらない。必ず神さまの力が働いて希望へと変えられていく」ということをわたしたちに示しています。
その時がいつなのかわたしたちにはわかりません。でも、この神さまの約束を信じて、そして傍らにいてくださるイエスさまの伴いを感じながら、この時を歩みたいなと思います。
新型コロナウイルスのために苦しんでいる方々、またその治療にあたっている方々、この騒動のために様々な痛みを追っている方々の上に神さまの癒しがありますように。また、亡くなった方の魂とそのご家族の慰めを祈ります。
そして、東日本大震災の被災地のため、その悲しみにイエスさまの寄り添いがありますようにと切に祈ります。
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