受難週、そしてイースター! - 2015.04.01 Wed
久留米は昨日から、春の雨が降っています。
せっかく咲いた桜が散ってしまうのではないかとはらはらして過ごしています。
4月に入り、入学・進級の季節ですが、教会では先日の礼拝からイエスさまの十字架の苦難を覚える「受難週」を過ごしています。
十字架刑は当時の死刑の中でも最も残酷なものでした。両手首と足首に釘を打たれ、その部分で自分の全体重を支えます。打ちつけられた両腕と重みで下がっていく体。ついには、体を支えることが出来なくなり、最後には窒息して亡くなるのです。
また、十字架に付けられている間イエスさまは多くの罵声を浴びせられました。
十字架に付けられたイエスさまは肉体的にも、精神的にも多くの苦痛を味わったのでした。
私たちが救い主として信じている方は、遠く離れて上から私たちを見下ろしている方ではなく、わたしたちが体験する痛みも、苦しみも、憤りも、すべてを経験され、知っている方です。しかも、自分の罪のためではなく、わたしたちを救うためにその苦しみを担われた方なのです。
受難週の一日一日を過ごしながら、そこまで私たちを愛しぬかれたその愛をもう一度かみしめています。
そんな受難週を経て5日の礼拝は、イエスさまの復活を祝うイースター礼拝です。
十字架の苦しみを受けたイエスさま。しかし絶望では終わらない。
その先に必ず希望があることが復活によって示されました。
わたしたちも、そんな希望に与りたいと思います。
イースター礼拝はいつもの礼拝と同様、10:30から始まります。
ぜひ、一緒に復活と言う希望の出来事を知り、喜びましょう。お待ちしています♪
せっかく咲いた桜が散ってしまうのではないかとはらはらして過ごしています。
4月に入り、入学・進級の季節ですが、教会では先日の礼拝からイエスさまの十字架の苦難を覚える「受難週」を過ごしています。
十字架刑は当時の死刑の中でも最も残酷なものでした。両手首と足首に釘を打たれ、その部分で自分の全体重を支えます。打ちつけられた両腕と重みで下がっていく体。ついには、体を支えることが出来なくなり、最後には窒息して亡くなるのです。
また、十字架に付けられている間イエスさまは多くの罵声を浴びせられました。
十字架に付けられたイエスさまは肉体的にも、精神的にも多くの苦痛を味わったのでした。
私たちが救い主として信じている方は、遠く離れて上から私たちを見下ろしている方ではなく、わたしたちが体験する痛みも、苦しみも、憤りも、すべてを経験され、知っている方です。しかも、自分の罪のためではなく、わたしたちを救うためにその苦しみを担われた方なのです。
受難週の一日一日を過ごしながら、そこまで私たちを愛しぬかれたその愛をもう一度かみしめています。
そんな受難週を経て5日の礼拝は、イエスさまの復活を祝うイースター礼拝です。
十字架の苦しみを受けたイエスさま。しかし絶望では終わらない。
その先に必ず希望があることが復活によって示されました。
わたしたちも、そんな希望に与りたいと思います。
イースター礼拝はいつもの礼拝と同様、10:30から始まります。
ぜひ、一緒に復活と言う希望の出来事を知り、喜びましょう。お待ちしています♪