イザヤ書を通して - 2012.06.18 Mon
先日、嬉しいメールが来ました。
教会HPでアップしているメッセージの音声配信を聞いてくださっている方々が予想以上に広範囲であることが分かったのです。
日本で言えば東京や大阪、海外で言えば韓国とスロバキア在住の方から連絡をいただきました。
御言葉は軽々と距離の隔たりを越えてしまうんだ、と思わされています。
これからも身を引き締めてメッセージを語らねば…と思っています。
さて、そんなメッセージですが、現在は7月7日(土)、8日(日)に計画しています聖書講演会に向けて、教会の人々の心備えのためにイザヤ書6章を読み続けています。
例えば、私たちが誰かに美味しい食べ物を勧める場合、自分で味わった上で実感をもって勧めなければ相手には伝わりません。
「たぶん美味いと思うっちゃけど、まだ食ったことないけん分からんったいね。試しに食うてみらん?」と言われて喜んで食べる人は稀です。
「これ本当に美味いんよ。食ってんね」と言われた方が人は食べてくれる。
同じように、私たちがイエスさまの救いの喜びを人々に伝えるためには自分たち自身がその喜びに満たされていなければ、本気で人を誘うことなどできないでしょう。
だから、先ず私たち自身が信仰の素晴らしさを味わおうとしているのです。
イザヤ書6章は預言者イザヤの召命(神さまによって預言者として召し出されること)の記事です。
ホーリネス教団の小林和夫師によれば、イザヤは召命体験の幻の中で5つのものを見たのだそうです。
1つ目は神さまの姿。
2つ目は己の姿。
3つ目は己への救い。
4つ目は同胞。
5つ目は約束。
今、久留米教会では聖書講演会まで、じっくりとイザヤ書を読みながら心備えをしています。
昨日のメッセージでは3つ目まで語りました。
お時間のある方は是非お聞きください。
説教音声配信ページ
教会HPでアップしているメッセージの音声配信を聞いてくださっている方々が予想以上に広範囲であることが分かったのです。
日本で言えば東京や大阪、海外で言えば韓国とスロバキア在住の方から連絡をいただきました。
御言葉は軽々と距離の隔たりを越えてしまうんだ、と思わされています。
これからも身を引き締めてメッセージを語らねば…と思っています。
さて、そんなメッセージですが、現在は7月7日(土)、8日(日)に計画しています聖書講演会に向けて、教会の人々の心備えのためにイザヤ書6章を読み続けています。
例えば、私たちが誰かに美味しい食べ物を勧める場合、自分で味わった上で実感をもって勧めなければ相手には伝わりません。
「たぶん美味いと思うっちゃけど、まだ食ったことないけん分からんったいね。試しに食うてみらん?」と言われて喜んで食べる人は稀です。
「これ本当に美味いんよ。食ってんね」と言われた方が人は食べてくれる。
同じように、私たちがイエスさまの救いの喜びを人々に伝えるためには自分たち自身がその喜びに満たされていなければ、本気で人を誘うことなどできないでしょう。
だから、先ず私たち自身が信仰の素晴らしさを味わおうとしているのです。
イザヤ書6章は預言者イザヤの召命(神さまによって預言者として召し出されること)の記事です。
ホーリネス教団の小林和夫師によれば、イザヤは召命体験の幻の中で5つのものを見たのだそうです。
1つ目は神さまの姿。
2つ目は己の姿。
3つ目は己への救い。
4つ目は同胞。
5つ目は約束。
今、久留米教会では聖書講演会まで、じっくりとイザヤ書を読みながら心備えをしています。
昨日のメッセージでは3つ目まで語りました。
お時間のある方は是非お聞きください。
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