fc2ブログ
topimage

2012-02

被災地視察の報告会を計画しています。 - 2012.02.27 Mon

長いこと、記事をアップしておりませんで、大変申し訳ありません。
実は2月の中旬に東北の震災被災地の視察とボランティアに行ってきました。
自分の目で見た被災地は今も瓦礫や取り壊さねばならない建物が残り、人々の心が痛んでいる場所でした。
現在、報告書を作成している最中です。
また、久留米教会の3月11日の礼拝を「東日本大震災を覚える礼拝」とし、礼拝後の時間に私が見てきた被災地の報告をする予定です。
是非お時間のある方はお越しください。

以下の文章は昨日の週報の巻頭言です。
ちょっとした感想になっていますので、合わせて御覧頂ければ幸いです。

先週水曜日に「灰の水曜日」を迎え、今年も受難節(イースターを含めた46日前から始まる、イエスさまの受難を覚える期間)に入りました。初代教会にとって、この期間は洗礼を受けて教会に入るための訓練の期間であったとも言われます。彼らはイエスさまの受難を振り返り、そのイエスさまの苦しみが何のための痛みであったか、誰のための苦しみであったか、その行為に何の意味があったのか、を繰り返し覚えたそうです。
2008年以降読み続けているマタイ福音書も受難物語に入っています。私はイエスさまの受難の物語を宣教させていただきながら、今年の受難節を特別な思いで過ごしています。先日までの休暇で東北の被災地を見て回りました。3月11日の分級時に報告を持たせていただきますが、被災地は今も復興にはほど遠く、被災された方々もボランティアの方々も、心の痛みを抱えて毎日を過ごしておられます。その人々を前に、私たちは改めて「救いとは何か」「希望とは何か」を問われ続けています。家族も生活も、家も仕事も、友人も町も、一瞬にして奪われた方々に語れる希望とは何でしょうか。それは「力強い栄光のキリスト」ではなく「苦しむキリスト」なのだと、私は思うのです。
今、被災地が本当に必要とするのは「何故、地震や津波が起こったか。何故、全ては奪われたのか」の答えではないでしょう。理由を知っても家族は帰ってきません、生活は戻りません。納得はするでしょうが、慰めにはならないでしょう。今、被災された方々が必要としているのは「悲しみにくれるあなたの傍らに、神の子は共にいてくださる」という真実です。神の子であり、救い主である方が私たちを愛してくださり、救うために、私たちに代わって私たちの全てを背負って苦しみを経験してくださった。苦しむキリストとの出会いこそが人々を慰めるのであり、その福音を伝えることこそ私たちに与えられた使命なのだと思うのです。
今朝、私たちは苦しむキリストと出会ったキレネ人シモンの記事を読みます。彼は後に信仰者となったと言われます。彼は何を見たのでしょうか。今朝も御言葉に聞いていきましょう。
音声配信ページ
スポンサーサイト



NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

久留米キリスト教会

Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
(※ブログに掲載した文章の無断転載はご遠慮ください)

カテゴリ

お知らせ (23)
教会写真館 (28)
踊牧師の一人ごつ (146)
未分類 (203)

カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム