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2011-10

気付けば10月 - 2011.10.02 Sun

日が経つのが早く、「ブログの記事をアップしないとなぁ」と思っていたら、あっという間に10月に!
非常に申し訳ない次第です。

現在、久留米教会ではイエスさまの受難物語を読んでいます。
イエスさまの十字架の死と復活の物語です。

私たちはイエスさまの復活という結果から物事をみていましたから、イエスさまの受難さえも「この後復活があるもんね」という過程で見ていたような気がしています。
けれど、改めて考えてみると、イエスさまの受難は理不尽な仕方で、民衆に見捨てられ、弟子たちに逃げられ、多くの人々の憎しみを受けて、十字架という拷問ありきの死刑です。
僕がその立場だとしたら「俺が何したって言うんだ!」といわざるを得ない出来事です。
しかし、そのイエスさまにとっての死が福音(良き知らせ)の先駆けなのです。
その知らせとは、「人生に突然襲ってくる『何故?』と言わざるを得ない出来事ゆえに人の人生は生きるに値しないのではなく、たとえ突然の『何故?』があったとしても、イエスさまはその先に希望があることを示して下さった」と言えるのではないでしょうか。

人は何か不幸なことがあると、過去に原因を求めます。
「どうしてこんなことになったのだろうか、なにが、誰が悪かったのだろうか」
それは同じ過ちを繰り返さないためには必要な問いでしょう。
けれど、過去をさかのぼっても解決しない問題も多々あるのです。
未来に目を向けないと、立ち上がれない状況だってあるのです。

そのように考えているのは、3.11地震の被災地の方々のことを思うからです。
彼らは3.11以後、まさに『何故?』を抱えておられるのではないでしょうか。
けれど、それでも私はイエスさまの福音が人々の希望になるのでは、と感じるのです。

今朝の礼拝でも受難物語を考えていきます。
今朝は主の晩餐制定の記事です。
テーマは、イエスさまを裏切るイスカリオテのユダは最後の晩餐、そして主の晩餐の制定時に席上にいたのか。
主の晩餐にユダがいるかいないか、は主の晩餐の持つメッセージ性を大きく左右すると思うのです。

続きはまた次の記事で。
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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
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