タラントン - 2011.09.18 Sun
先週の日曜日のメッセージの記事です。
最近、なかなか更新しておらず申し訳ありませんです、はい。
先週はマタイによる福音書25章14-30節の「タラントンの譬え」と呼ばれる箇所を読みました。
あらすじはこうです。
裕福な主人が旅に出ることとなった。主人は出発に際して3人の僕を呼び、1人に5タラントン、別の者に2タラントン、最後の者に1タラントンの財産を預けた。5タラントンと2タラントン預けられた僕は商売をして、それぞれにもう5タラントン、2タラントンを儲けた。しかし1タラントン預けられた僕はそのまま地中に埋めて保管した。かなりの時間が経って主人が帰ってきた。僕たちはそれぞれ報告する。5タラントン預けられた僕と2タラントン預けられた僕は儲けを示し、主人に誉められる。しかし1タラントン預けられた僕は主人に叱責され家から追い出された、という話です。
タラントンという単位は古代ギリシアの単位です。
1タラントンは6,000デナリオンと言われます。
1デナリオンは、1つの家族が1日生活するのに必要な額です。
仮に1デナリオンを1万円としたら、1タラントンは6,000万円!
5,000円としても3,000万円です。
イエスさまのたとえ話の中で、主人が僕たちに預けた額はどれほど大きかったか分かるでしょう。
タラントンはタレント(才能)の語源ですので、伝統的には「神さまは一人ひとりに大きな才能を与えておられる」というメッセージとして語られてきました。
今回はそれを踏まえて、さらに自分たちなりに考えてみました。
メッセージを全部掲載するのは読む方も大変でしょうから、はしょります。
主人が僕たちに大きな額を預けていますが、読む者は「5と2と1」という数字の違いに不公平感を持つかもしれません。
しかし、聖書によると、この違いは「(主人が)それぞれの力に応じて」預けたものでした。
主人が僕たちを一人ひとり吟味し、「この僕が最も適当に用いることができるだけ」を預けたのです。
わたしたちは額の大きさに目が奪われてしまいますが、実はタラントンの譬えの中で見いだせること、それは主人が僕たちに預けたものは2つあるということです。
1つはタラントンという大金(タレント=才能)、もう1つは主人の信頼です。
主人がどれだけ大きな信頼を弟子たちに寄せていたか、それが分かるように思うのです。
さて、信頼された僕たちですが、対応はまちまちです。
商売をしてもうけた僕がいれば、穴を掘って埋めていた僕もいます。
主人は「タラントンを穴掘って埋めていた僕」を叱責します。
「怠け者の悪い僕」と言われますが、私は「怠け者」という言葉よりも「臆病者」のほうが適当だと思っています。
主人の信頼に恐怖し、「主人が失敗しない」と信じてくれた信頼を裏切って逃げたことを主人は怒るのです。
けれど、この主人の叱責を読むと、そこに大きな救いを見ます。
この物語において主人は一貫していることがあります。
それは僕たちを比較してみない、比べないということです。
人は自分と他人を比較して一喜一憂しながら生きています。
時に優越感にひたり、時に敗北感にさいなまれています。
けれど、たとえ話の主人は僕たちに言葉をかける時、「あの者はこれほど頑張ったのに…」という言葉も行動も視点さえも無いのです。
物語はたとえ話ですから、何かを何かで譬えています。
主人は神さまを譬えているのでしょう。
先週の結論の1つです。
「主人である神さまはあなたが自分を信じることができなかったとしてもあなたを深く信頼し、大きな力・才能を預けられた。神さまはあなたが信頼を受け止め、応えるのを待っておられる。神さまは誰かとあなたを比べることなく、あなたそのものの姿を見、あなたの誠実な応答を待っておられる。あなたはその信頼に如何に応えるのか、私は如何に応えるのか」。
今朝のメッセージは先週の問いかけの答えとなりそうです。
また、後日記事アップします。
長文でしたが、お読みいただきありがとうございました。
皆さん一人ひとりに神さまの慰めと恵みが与えられますように。
最近、なかなか更新しておらず申し訳ありませんです、はい。
先週はマタイによる福音書25章14-30節の「タラントンの譬え」と呼ばれる箇所を読みました。
あらすじはこうです。
裕福な主人が旅に出ることとなった。主人は出発に際して3人の僕を呼び、1人に5タラントン、別の者に2タラントン、最後の者に1タラントンの財産を預けた。5タラントンと2タラントン預けられた僕は商売をして、それぞれにもう5タラントン、2タラントンを儲けた。しかし1タラントン預けられた僕はそのまま地中に埋めて保管した。かなりの時間が経って主人が帰ってきた。僕たちはそれぞれ報告する。5タラントン預けられた僕と2タラントン預けられた僕は儲けを示し、主人に誉められる。しかし1タラントン預けられた僕は主人に叱責され家から追い出された、という話です。
タラントンという単位は古代ギリシアの単位です。
1タラントンは6,000デナリオンと言われます。
1デナリオンは、1つの家族が1日生活するのに必要な額です。
仮に1デナリオンを1万円としたら、1タラントンは6,000万円!
5,000円としても3,000万円です。
イエスさまのたとえ話の中で、主人が僕たちに預けた額はどれほど大きかったか分かるでしょう。
タラントンはタレント(才能)の語源ですので、伝統的には「神さまは一人ひとりに大きな才能を与えておられる」というメッセージとして語られてきました。
今回はそれを踏まえて、さらに自分たちなりに考えてみました。
メッセージを全部掲載するのは読む方も大変でしょうから、はしょります。
主人が僕たちに大きな額を預けていますが、読む者は「5と2と1」という数字の違いに不公平感を持つかもしれません。
しかし、聖書によると、この違いは「(主人が)それぞれの力に応じて」預けたものでした。
主人が僕たちを一人ひとり吟味し、「この僕が最も適当に用いることができるだけ」を預けたのです。
わたしたちは額の大きさに目が奪われてしまいますが、実はタラントンの譬えの中で見いだせること、それは主人が僕たちに預けたものは2つあるということです。
1つはタラントンという大金(タレント=才能)、もう1つは主人の信頼です。
主人がどれだけ大きな信頼を弟子たちに寄せていたか、それが分かるように思うのです。
さて、信頼された僕たちですが、対応はまちまちです。
商売をしてもうけた僕がいれば、穴を掘って埋めていた僕もいます。
主人は「タラントンを穴掘って埋めていた僕」を叱責します。
「怠け者の悪い僕」と言われますが、私は「怠け者」という言葉よりも「臆病者」のほうが適当だと思っています。
主人の信頼に恐怖し、「主人が失敗しない」と信じてくれた信頼を裏切って逃げたことを主人は怒るのです。
けれど、この主人の叱責を読むと、そこに大きな救いを見ます。
この物語において主人は一貫していることがあります。
それは僕たちを比較してみない、比べないということです。
人は自分と他人を比較して一喜一憂しながら生きています。
時に優越感にひたり、時に敗北感にさいなまれています。
けれど、たとえ話の主人は僕たちに言葉をかける時、「あの者はこれほど頑張ったのに…」という言葉も行動も視点さえも無いのです。
物語はたとえ話ですから、何かを何かで譬えています。
主人は神さまを譬えているのでしょう。
先週の結論の1つです。
「主人である神さまはあなたが自分を信じることができなかったとしてもあなたを深く信頼し、大きな力・才能を預けられた。神さまはあなたが信頼を受け止め、応えるのを待っておられる。神さまは誰かとあなたを比べることなく、あなたそのものの姿を見、あなたの誠実な応答を待っておられる。あなたはその信頼に如何に応えるのか、私は如何に応えるのか」。
今朝のメッセージは先週の問いかけの答えとなりそうです。
また、後日記事アップします。
長文でしたが、お読みいただきありがとうございました。
皆さん一人ひとりに神さまの慰めと恵みが与えられますように。
スポンサーサイト