ピラトの尋問 - 2011.04.21 Thu
今日の聖書の箇所はピラトの尋問の場面(マタイ27章11-31節)でした。
聖書の詳細は省略しますが、この箇所で不思議な点があります。
ユダヤ人たちはイエスさまを「十字架につけろ!殺せ!」と叫びます。
本来、神さまの選びの民として、いつも神さまの御心を模索しながら歩む民がイエスさまを殺せと叫ぶ。
一方で、ピラトやピラトの妻といったローマ人、ユダヤ人でない人々がイエスさまに罪を見いだせない。
マタイの記述にこうあります。
「(ピラトは)人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていた」。
「ねたみ」や「嫉妬」といった情動的な感情は、物事の核心や本質を見失わせてしまいます。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないですが、ユダヤ人たちはイエスさまの存在が邪魔になった瞬間から、イエスさまの言葉の背後にある思いや神さまの御心を見なくなっています。
そんなユダヤ人の姿を見ながら、私は決して他人事ではないと思います。
みなさんはどうでしょうか。
物事の本質や核心をとらえているでしょうか。
今日の一日、イエスさまを繰り返し繰り返し、イエスさまを思い起こして日を過ごしましょうね。
聖書の詳細は省略しますが、この箇所で不思議な点があります。
ユダヤ人たちはイエスさまを「十字架につけろ!殺せ!」と叫びます。
本来、神さまの選びの民として、いつも神さまの御心を模索しながら歩む民がイエスさまを殺せと叫ぶ。
一方で、ピラトやピラトの妻といったローマ人、ユダヤ人でない人々がイエスさまに罪を見いだせない。
マタイの記述にこうあります。
「(ピラトは)人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていた」。
「ねたみ」や「嫉妬」といった情動的な感情は、物事の核心や本質を見失わせてしまいます。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないですが、ユダヤ人たちはイエスさまの存在が邪魔になった瞬間から、イエスさまの言葉の背後にある思いや神さまの御心を見なくなっています。
そんなユダヤ人の姿を見ながら、私は決して他人事ではないと思います。
みなさんはどうでしょうか。
物事の本質や核心をとらえているでしょうか。
今日の一日、イエスさまを繰り返し繰り返し、イエスさまを思い起こして日を過ごしましょうね。
スポンサーサイト