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2010-12

☆メリークリスマス☆ - 2010.12.25 Sat

みなさん、メリークリスマス☆
イエスさまのお誕生、おめでとうございます♪
クリスマスって、本当にいいですね。

昨夜のイブはいかがお過ごしだったでしょうか。
私たちの教会では例年を超える67名が礼拝に来て下さいまして、本当にうれしい礼拝でした。
私たちの教会では、礼拝後に持ち寄りのパーティーをするのですが、昨日はみんな、お腹も心も満たされたようです。
今日は午後から、入院中の会員を有志で訪問するのですが、クリスマスの喜びを分かち合いたいと思っています。

さて、昨日は「何かが起ころうとしている」と題して、メッセージをさせていただきました。
要点を絞って書かせていただきますね。

イエスさまの誕生を考えるとクリスマスは素敵ですが、世界に目を向けてみると、そこでは命を奪われている人々がいるし、寒さに凍えている人もいるし、餓え乾いている人、涙を流す人、課題を抱えている人も多くいます。
その人々を思うと、私たちは自分たちの無力さを感じずにはおれません。
私が大好きなさだまさしさんの「遥かなるクリスマス」という曲はそんな私たちの姿を歌っています。
でも、私はだからこそ言いたいのです。
無力であり、痛みを抱え、課題を抱えている私たち、世界の平和を願いながらも無力である私たちだからこそ、このクリスマス、聖書に改めて目を向けたいのです。

救い主イエスさま誕生の次第が聖書には記されていますが、その誕生に関わった人々はカリスマであったり、権力者だったり…ではありませんでした。
ローマ帝国の植民地として苦しむイスラエルを舞台に、一少女マリア、ヨセフ、羊飼いたち、東方の賢者たちです。
彼らは私たちと同じく、多くの痛みを抱え、悩み、追いつめられ、世を憂う人々です。

聖書によれば、天使はマリアに「聖霊によって身ごもった」と告げますが、当時、いいなづけのある女性が婚約を解消するような妊娠をすることは、命を奪われる危険をはらんでいました。
天使のお告げは、マリアの命を危険にさらすのです。
しかし、マリアは天使のお告げを受け入れました。
彼女は一度、必死に否定します。
しかし、「神があなたと共におられる」との言葉を信じます。
マリアは命の危険を持ちながらも、天使の告げた「神があなたと共におられる」との言葉をただ信じたのでした。

ヨセフはマリアの妊娠に苦しみます。
自分の愛した女性が、自分の知らぬところで妊娠した。
聖霊によって宿ったというが、簡単に信じられるはずもない。
マリアへの愛が深ければ深いほど、彼は苦しむ。
疑いが拭えないのです。
かといって、事を公にすれば、マリアが死刑にあう。
ヨセフはマリアと「ひそかに縁を切ろうとします」。
解釈になりますが、ヨセフは事が公になる前に自分から縁を切ることによって、後々、マリアのお腹が目立った時に、周囲の詮索を自分に向けるようにしたのではないでしょうか。
「ヨセフはひどい奴だ!マリアを妊娠させた挙句に、身勝手に縁を切った男だ!」と騒ぐでしょう。
でも、マリアの命を救いながらも、疑いをぬぐえないヨセフのぎりぎりの決断が「ひそかに縁を切る」だったのだと思うのです。
しかし、そんなヨセフに天使は救い主誕生を告げます。
ヨセフはそのお告げを信じます。
彼もまた信じたのです。

羊飼いたちは当時、社会でさげすまれていた人々でした。
その彼らに天使は救い主誕生を告げます。
彼らはベツレヘムへと急ぎ、家々を探すのです。
夜中に家々を回る羊飼いたち、きっと嫌がられたでしょう。
でも彼らは諦めなかった。
そして、ようやく一つの家畜小屋を見出だすのです。
彼らをそこに入っていった。
考えてみると、すごい場面です。
僕は感動しました。
羊飼いたちは家畜小屋だから訪問できたのではないでしょうか。
社会からさげすまれていた男たちが、家畜小屋だから訪問できた。
彼らには獣のにおいが染みついていたでしょう。
着替えもせず、汚れた格好のまま、駆けつけた。
もしイエスさまが生まれたのが王宮だったら、彼らは入れてもらえなかったでしょう。
もし豊かな家だったら、彼らの格好やにおいを嫌がったでしょう。
家畜小屋だからこそ、彼らは来訪できた。
天使の告げた言葉、「今日、ダビデの町にあなたがたのために救い主がお生まれになった」との言葉、「あなたがたのための」とは正に、羊飼いたちも含めて、「彼らが自分たちから近づいていける所」だったのです。

東方から来た占星術の賢者たちは当時、第一級の見識者たちです。
「東方」とは今でいうペルシャ湾沿岸ではないか、と考えられています。
イスラエルに行くためにはチグリス・ユーフラテス川の遡り、イスラエルの北から入ってくる道です。
西に横断するのは、アラビア砂漠があるので一般的なルートではありませんし、おそらく当時の技術では不可能に近いのではないでしょうか。
彼らは1,000キロを超える旅をしたのです。
何故彼らはそれほどまで「救い主誕生」を求めたのか。
彼らは世を憂えていたのではないか。
命がけのとんでもない旅をしてまでも、彼らは救い主誕生を願ったのです。

イエスさま誕生にまつわる登場人物は、誰一人英雄はいません。
彼らは皆、私たち同様に痛みを抱え、追いつめられ、世を憂う人々です。
しかし、聖書は告げる。
彼らこそが救い主誕生にまつわる人々であり、彼らはただ神のお告げを信じたのであり、その人々の直中に救い主は生まれたのだ、と。

クリスマスは神さまの奇跡を信じる時です。
あなたの人生にも何かが起ころうとしている。
あなたが神さまを信じるなら、自分の人生に救い主を受け入れるならば、きっとあなたにもクリスマスの奇跡は始っていく。
痛みも悩みも、悲しみも涙も、全てを抱えたまま、しかしそのあなたの人生に神さまの「何か」が起こる!
そう信じることができるのが、クリスマスです。

さだまさしさんの「遥かなるクリスマス」をご紹介しました。
私は彼の曲を聞きながら、希望も見出しています。
メリークリスマスという言葉、メリーとは「おめでとう!」といった喜びを表す表現ですし、クリスマスは「クライスト=救い主、~マス=~の日」という言葉です。
つまり、メリークリスマスとは、「救い主誕生、おめでとう」という挨拶です。
自分は無力かもしれない、でも…。
でも、救い主誕生、おめでとう。
神さまは、ここから何かを起こしてくださるかもしれない!
そんな祈りの言葉こそが、メリークリスマスですし、正に今の私たちにふさわしい希望の言葉なのです。

クリスマスの奇跡は起こります。
1914年12月23日に起こったように。
1914年は第一次世界大戦が勃発した年です。
この日、ドイツはイギリスとフランス領にて戦闘を行っていました。
ドイツ兵は塹壕の中から故郷を思い出したのか、クリスマスの讃美歌を歌いだした。
すると、イギリス軍の塹壕からも讃美歌が聞こえてきた。
彼らはおそるおそる塹壕から出てきて、近寄り、手を差し伸べ、手を握り合い、そしてこう語ったのです、「メリークリスマス」と。
クリスマスを祝う思いが、数時間前まで命を奪いあっていた兵士たち、言葉の違いがある人々の溝を埋め、手を取り合わせたのです。
この出来事は「クリスマス休戦」と言われています。

クリスマス、何かが起ころうとしている。
イエスさまの誕生を祝う人々が集う時、そこに何かが始まろうとしている。
いや、もうすでに始まっているのかもしれない。
あなたもクリスマスの奇跡を信じてみませんか。
あなたに神さまの奇跡が起こることを、救い主誕生の喜びがあなたの心に温かさとなって宿るように祈っています。
素敵なクリスマスを♪
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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
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