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2010-11

子ども祝福式 - 2010.11.22 Mon

今日は久しぶりの恵みの雨が降っている久留米です。
昨日、私たちの教会では礼拝の中で子ども祝福式を行いました。
10名の子どもとご家族が参加してくださいまして、嬉しい礼拝でした。
風邪のために来れなかった3人の子どもたちは残念でしたが、しっかりプレゼントは確保してるから、来週は元気になって教会においでね♪
式の写真は近いうちに教会のホームページのようにアップされるだろうと思いますので、乞うご期待!

さて、昨日のお話はマタイ福音書19章1-15節からでした。
1-12節は離縁についての問答があり、13-15節はイエスさまのところに子どもたちが来る話です。
僕はこの箇所は切り離して読んじゃいけない箇所だと考えています。
でないと、13節でイエスさまのところにきた母子を弟子たちが叱って追い返そうとする事柄がつながりません。
この箇所は前半の離縁問答が激しく言い合われる中に、子どもたちが来たから弟子たちが子どもを追い返そうとするのです。
弟子たちは何を考えたのでしょうか。
離縁問答という、子どもに聞かれたくない事柄だったから追い返そうとしたのか、それとも疲れたイエスさまへの配慮だったのか、その辺は分かりませんが、弟子たちは子どもたちを追い返そうとします。
しかし、イエスさまは「子どもたちが、私のところに来るのを妨げてはならない」と言われました。
イエスさまの言葉は続きます、「天の国はこのような者たちのものである」。

イエスさまは「天の国は子どもだけ、子ども限定のもの」とは言いません。
「子どものような者」、子どもの心を持つ者のものだと言われました。
子どものような心、それはどんな心でしょう。
私は「子どものように純粋で、まっすぐ信じる心」を指すのだと思います。

私は教会附設幼稚園の園長も兼任していますが、幼稚園に行くと子どもたちが寄ってきてくれます。
「踊先生、遊ぼう!」「高おにしよう!」「駆けっこしよう!」「抱っこして!」「おんぶがいい!」と、次々に声をかけてくれます。
嬉しい瞬間ですが、中には3段のテラスから飛びついてこようとする子もいます。
落っことしたら大変です。
だから「危ないからダメ!」と注意します。
でも、改めて考えてみたら、子どもは「この人は絶対に僕を受け止めてくれる」と信頼するからこそ、飛び込んできてくれるのです。
誤解がないように言いますが、テラスから飛び込んでくることを奨励しているのではありません。
これほどに信頼して飛び込んでくるのが子どもたちの心なのだと言いたいのです。

私たちは子どもから学ばされます。
私たちはこれほどの信頼をもって、私を受け止めてくれるとおっしゃるイエスさまに飛び込んでいるのか。
飛び込んで受け止められなかった時のことを考え、怪我しない程度にイエスさまと接していないか。

イエスさまは難しい議論の最中にあっても、「私のふところに飛び込んで来る者を受け止め損ねる、落っことすことはない」と言ってくださいます。
必ず受け止めてくださる。
あと、僕たちに必要なことは、イエスさまを信じて飛び込んでいく信頼なのです。
そう、子どもたちのように、です。

今度の日曜日から今年のアドベント(イエスさまの誕生を待ち望む期間)が始まります。
イエスさまが私たちの救い主として、私たちの現実の中に、私たちの傍らに来て下さることをご一緒に実感できればと願っています。
今週の皆さんの歩みが、神さまの祝福に満たされますように。

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久留米キリスト教会

Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
(※ブログに掲載した文章の無断転載はご遠慮ください)

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