サウンド・オブ・ハープ - 2010.10.27 Wed
去る23日(土)、福津市の自由が丘伝道所にてサウンド・オブ・ハープ(以下、S.O.H)のコンサートを行ってきました。
S.O.Hというグループは、神学部在籍していた時期、一緒に過ごした仲間4人のバンドです。
各地の招いてくださる教会を中心に年に1~2回程度コンサートをしています。
変なバンドでして、メンバーの担当がぐちゃぐちゃです。
リーダーは、ギターの腕は逸品ですが、音楽仲間からは昔から「お前はコーラスならいいけど、メインで歌うのはやめた方がいい」と言われていたそうなギター&ボーカルのIさん。
もう一人のギターは、ギター以外できないからギターをしているD.Iさん。
Kさんは本来ドラムが専門なのに、器用なのと、「ベース弾きたい」という本人の希望でベース&ボーカル。
ちなみに、ベース弾きながらハープを吹いて、歌うという離れ業をやってのけるが、ベースにギターのカポをつけるという大胆なことをやってのける不思議な人。
で、本当はギター弾きなのに、結成当時、「ギターは3人もいらないが、他に何かやらないの?」と聞かれ、大学時代にラテン音楽のサークルに所属していたことからパーカッションを叩くこととなった僕。
この「本当の専門から離れたところで担当している」というあたりが、私たちS.O.Hです。
実はこのグループでは、大事にしている想い出があります。
それは結成当時のことです。
結成は神学部入学した最初の年でした。
時期はちょうど今時分です。
神学部の学生は一般の学部とは若干色合いが違い、年齢や経験に幅があります。
例えば、私が入学した年の同級生には、社会で長く働き、定年退職後に神学部に入ってこられた60代の方々が数名おられました。
みな、「神さまのために働きたい」という願いをもって入学してこられたので、年齢や経験の違いを超えてとっても大切な仲間になれました。
ちなみに、私が今いる久留米教会の中島文昭協力牧師はその時の同級生です。
そんな神学部ですから、高校卒業したばかりの大学生たちには不思議な光景だったでしょう。
明らかに講義をしていそうな年代の方々が一緒に学生しているから。
さて、時期は今頃です。
「不思議な神学部」が、大学祭で一般の方々や学生たちに「神学部をアピールしよう!」と考え、野外ステージで演奏することになりました。
その時に演奏舞台としてかき集められたのが、私たちのグループの前身です。
そんな折、私たちはあるショッキングな体験をしました。
神学部の一年先輩の林さんという方が10月31日、突然亡くなりました。
前日まで健康だったのですが、心臓の血管が破けたのだそうです。
あまりのショックに、私たちは言葉を失いました。
皆、互いに「あの時、こうしてあげていたら彼は助かったかも…」と自分を責めました。
そして、皆一様に祈りました。
「神さま、林さんはあなたの御用のために…と、仕事も家族も残し、献身しました。そんな彼の命をどうしてあなたはとられたのですか?」
彼の家族が呼ばれ、葬儀や荷物整理一切が終わった時、正直わたしたちはバンドどころではありませんでした。
しかし、大学祭は近付いている。
私たちは何を歌えるのか。
私たちは自分たちの整理できない思いをそのまま歌いました。
「神さま、あなたがどうして林さんの命をとられたのか、私たちには分かりません。でも、そこにはあなたの御心が、私たちには今は理解できないだけでも、あなたの深い御心があるのですよね。」
縋るような思いの中で、私たちは神さまへの叫びと祈りを歌ったのです。
あれから8年です。
バンドは今も続いています。
彼の死について、自分たちなりの答えを歌った曲もできました。
自由が丘伝道所でのコンサートでも、林さんの出来事とアンサーソングも演奏しました。
今、私たちはそれぞれ日本の各地の教会に赴任していますが、林さんの思いもどこかで含みながら、牧師をしています。
そして、私は牧師として語っています。
「愛する者の死は遺される者には大きな悲しみです。しかし、死は決して終わりではありません。その証拠は、聖書にあります。私たちの救い主イエス・キリストは…」
自由が丘伝道所でのコンサートも無事に終わってホッとしています。
今度はぜひ、久留米でコンサートを開きたいですね。
S.O.Hというグループは、神学部在籍していた時期、一緒に過ごした仲間4人のバンドです。
各地の招いてくださる教会を中心に年に1~2回程度コンサートをしています。
変なバンドでして、メンバーの担当がぐちゃぐちゃです。
リーダーは、ギターの腕は逸品ですが、音楽仲間からは昔から「お前はコーラスならいいけど、メインで歌うのはやめた方がいい」と言われていたそうなギター&ボーカルのIさん。
もう一人のギターは、ギター以外できないからギターをしているD.Iさん。
Kさんは本来ドラムが専門なのに、器用なのと、「ベース弾きたい」という本人の希望でベース&ボーカル。
ちなみに、ベース弾きながらハープを吹いて、歌うという離れ業をやってのけるが、ベースにギターのカポをつけるという大胆なことをやってのける不思議な人。
で、本当はギター弾きなのに、結成当時、「ギターは3人もいらないが、他に何かやらないの?」と聞かれ、大学時代にラテン音楽のサークルに所属していたことからパーカッションを叩くこととなった僕。
この「本当の専門から離れたところで担当している」というあたりが、私たちS.O.Hです。
実はこのグループでは、大事にしている想い出があります。
それは結成当時のことです。
結成は神学部入学した最初の年でした。
時期はちょうど今時分です。
神学部の学生は一般の学部とは若干色合いが違い、年齢や経験に幅があります。
例えば、私が入学した年の同級生には、社会で長く働き、定年退職後に神学部に入ってこられた60代の方々が数名おられました。
みな、「神さまのために働きたい」という願いをもって入学してこられたので、年齢や経験の違いを超えてとっても大切な仲間になれました。
ちなみに、私が今いる久留米教会の中島文昭協力牧師はその時の同級生です。
そんな神学部ですから、高校卒業したばかりの大学生たちには不思議な光景だったでしょう。
明らかに講義をしていそうな年代の方々が一緒に学生しているから。
さて、時期は今頃です。
「不思議な神学部」が、大学祭で一般の方々や学生たちに「神学部をアピールしよう!」と考え、野外ステージで演奏することになりました。
その時に演奏舞台としてかき集められたのが、私たちのグループの前身です。
そんな折、私たちはあるショッキングな体験をしました。
神学部の一年先輩の林さんという方が10月31日、突然亡くなりました。
前日まで健康だったのですが、心臓の血管が破けたのだそうです。
あまりのショックに、私たちは言葉を失いました。
皆、互いに「あの時、こうしてあげていたら彼は助かったかも…」と自分を責めました。
そして、皆一様に祈りました。
「神さま、林さんはあなたの御用のために…と、仕事も家族も残し、献身しました。そんな彼の命をどうしてあなたはとられたのですか?」
彼の家族が呼ばれ、葬儀や荷物整理一切が終わった時、正直わたしたちはバンドどころではありませんでした。
しかし、大学祭は近付いている。
私たちは何を歌えるのか。
私たちは自分たちの整理できない思いをそのまま歌いました。
「神さま、あなたがどうして林さんの命をとられたのか、私たちには分かりません。でも、そこにはあなたの御心が、私たちには今は理解できないだけでも、あなたの深い御心があるのですよね。」
縋るような思いの中で、私たちは神さまへの叫びと祈りを歌ったのです。
あれから8年です。
バンドは今も続いています。
彼の死について、自分たちなりの答えを歌った曲もできました。
自由が丘伝道所でのコンサートでも、林さんの出来事とアンサーソングも演奏しました。
今、私たちはそれぞれ日本の各地の教会に赴任していますが、林さんの思いもどこかで含みながら、牧師をしています。
そして、私は牧師として語っています。
「愛する者の死は遺される者には大きな悲しみです。しかし、死は決して終わりではありません。その証拠は、聖書にあります。私たちの救い主イエス・キリストは…」
自由が丘伝道所でのコンサートも無事に終わってホッとしています。
今度はぜひ、久留米でコンサートを開きたいですね。
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