65回目の敗戦記念日(その3) - 2010.08.18 Wed
今日はすこしたくさん記事をアップしています。
いろいろ考えているわけです。
ご一緒に考えていただければ幸いと思っています。
さて、8月15日に関連しての記事その3です。
先日の8月15日、えーるピア久留米にて、筑後キリスト者平和の会主催の平和集会が行われました。
今年は1910年の韓国強制併合から100年となる年です。
日本のキリスト教会で牧師をしている韓国人の先生が講師でした。
講演の中で非常に印象的だったのは、「違いを受け入れるながら、違いを乗り越える」と話されたことです。
日本と韓国、決して無視することのできない歴史があります。
けれど、単に「私は被害者だ!」「私は加害者だ」だけでは、過去から学ぶことにはなりません。
講師は韓国にある戦争記念館にあまり行きたくないそうです。
それは怒りを煽る作りを感じるからだそうです。
私たち自身のことを振り返ってもそう思いませんか。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないですが、怒りでいっぱいの時には相手の言葉全てが聞けない。
正論だし、自分が間違っていたとしても、素直に受け入れられない。
それでは、和解などありえません。
講師が語った言葉「違いを受け入れながら、違いを乗り越える」。
非常に深いなぁと思います。
では具体的にどんな方法があるでしょうか。
ぜひご一緒にお考えください。
いろいろ考えているわけです。
ご一緒に考えていただければ幸いと思っています。
さて、8月15日に関連しての記事その3です。
先日の8月15日、えーるピア久留米にて、筑後キリスト者平和の会主催の平和集会が行われました。
今年は1910年の韓国強制併合から100年となる年です。
日本のキリスト教会で牧師をしている韓国人の先生が講師でした。
講演の中で非常に印象的だったのは、「違いを受け入れるながら、違いを乗り越える」と話されたことです。
日本と韓国、決して無視することのできない歴史があります。
けれど、単に「私は被害者だ!」「私は加害者だ」だけでは、過去から学ぶことにはなりません。
講師は韓国にある戦争記念館にあまり行きたくないそうです。
それは怒りを煽る作りを感じるからだそうです。
私たち自身のことを振り返ってもそう思いませんか。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないですが、怒りでいっぱいの時には相手の言葉全てが聞けない。
正論だし、自分が間違っていたとしても、素直に受け入れられない。
それでは、和解などありえません。
講師が語った言葉「違いを受け入れながら、違いを乗り越える」。
非常に深いなぁと思います。
では具体的にどんな方法があるでしょうか。
ぜひご一緒にお考えください。
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