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2010-03

受難週を迎えて - 2010.03.29 Mon

今週、キリスト教会では「受難週」と呼ばれる、特別な期間を過ごします。
受難週は、イエス・キリストが私たちに代わって、神さまからの懲らしめを受けてくださり、十字架にかかってくださったことを覚える期間です。

旧約聖書イザヤ書52章13節~53章12節では、「苦難の僕」と呼ばれる預言が語られます。
聖書で語る「罪」とは神さまに背くことです。
イエスさまは私たちの背きの罪を代わって担ってくださったのです。
イザヤ書の中で、僕は一切抵抗せず、何も語らず死んでいきます。
一切自己弁護をしないけれど、私はあの受難物語の中で、イエスさまがどんな目をしておられたのか気になるのです。

福音書の受難の物語の中で、イエスさまの目についての描写はあまりありません。
その中で、ルカ福音書22章61節、イエスさまが大祭司たちに捕えられ、大祭司の館で暴行を受ける場面がある。
一度は逃げだしたペトロも気になったのでしょう、イエスさまの様子を確認するために館にもぐりこむ。
しかし、もぐりこんだ館でペトロは何もできず、焚き火に当たって様子をうかがう。
周囲にいた人々は言う。「お前はあのイエスの仲間ではないのか?」
ペトロは必至に打ち消す。「わたしはあの者を知らない」
三度目に「知らない」と語った時に、いや語り終える前に、鶏が鳴きます。
その時、「主(イエスさま)は振り向いてペトロを見つめられた」のです。
ペトロは最後の晩餐の席上でイエスさまから「今日鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないという」と言われた言葉を思い出し、その場にいることができず、大祭司の館を飛び出し、大声で泣くのです。

この時、イエスさまはどんなまなざしをペトロに向けておられたのでしょうか。
ウィリアム・バークレーという神学者は悲しみのまなざしと解釈しました。
しかし、私は違うと思うのです。
イエスさまは「今日鶏が鳴くまでに…」と語った最後の晩餐の席上、ペトロにこうも語っておられます。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞きいれられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ福音書22章31‐32節)
イエスさまがペトロに向けたまなざしはこの言葉に通ずるのではないでしょうか。
ペトロの心は今、引き裂かれている。
その姿はまるで私たち自身のようです。
私たちもまた、自分の都合や恐れでイエスさま以上に自分を守ろうとする。
ペトロは私たちでもあるのです。
そんな、イエスさまを裏切ってしまった罪悪感や自分の身の危険に怯える恐怖、その狭間で苦しむペトロにイエスさまはまなざしを通して語っておられる。
「ペトロよ、お前は今、心が引き裂かれ、苦しんでいる。しかし、わたしはあなたのために祈っている。あなたの信仰が失われないように、心が折れてしまわないように祈っている。わたしは信じているのだ。お前が必ず立ち直ることができると。この痛みを乗り越えることができると。だから、立ち直ったなら、どうか他の仲間たちを力づけてやってほしい」
イエスさまのまなざしはペトロへの祈りと励ましなのです。

今、私たちは受難週を過ごしています。
イエスさまが私たちに代わって担ってくださった十字架の痛みと同時に、イエスさまが私たちのために祈ってくださっていること、期待してくださっていることにも目を向けて行きたいのです。
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