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2018-12

クリスマス - 2014.12.17 Wed

先日の選挙、政権はアベノミクス選挙と騒ぎ、経済の豊かさという餌をチラつかせた。
そして、「豊かさこそが最上の価値」という幻想に踊らされた人々と、多くの投票放棄に愕然とする中、それでもクリスマスはやってくる。
こんな時代だからこそ、今、クリスマスの本当の意味を分かち合いたい。
最初のクリスマス、私たちに与えられたプレゼントは神さまからの愛であり、命であり、平和であり、希望だった。
何故神は、有り余るほどの物資を与えなかったのか。
どうして、経済の豊かさを与えなかったのか。
それは、私たちが奪い合うのでなく分け合うことによって物資を皆に満たすことを求めたのであり、他人と分け合うからこそ本当の豊かさを実感するためだった。
クリスマスは私たちを人としての原点に立ち返らせてくれる時。
今年、私たちはそんなクリスマスに帰ろう。

http://thepianoguys.com/sharethegift/

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明日の参院選を前に。 - 2013.07.20 Sat

明日の礼拝説教の要約。
明日は参院選です。
その前に私たちには神さまから何を聴き、何を考えるのか。
長文ですが、是非一読いただければ幸いです。

以下、要約。

『イエスが示した神の国』
マタイによる福音書20章1-16節

もしかすると、政治的な発言を繰り返すことはバプテストの原則である政教分離に反するという声もあるかもしれません。けれど、私はそうは思わない。もし、国の行く末に無関心で、何の発言もしないことが信仰だと言うのであれば、旧約の預言者たちは皆、不信仰の塊です。
彼らは揺れ動く時代の中で、常に神が何を「義」とされるかを模索し、語り続けました。僕らも今、この国の流れの中で、神が何を「義」とされているのか、改めて問いたいのです。

今朝の聖書の箇所はマタイによる福音書20章1-16節です。
「ぶどう園の労働者」のたとえと呼ばれる箇所です。
たとえの内容は以下のものです。ぶどう園の主人が、朝の6時、夜明けと同時に広場へ行った。そこには日雇い労働を求めて人々が立っていた。主人は一日働いて1デナリオンという約束で、彼らを雇った。しばらく経った9時頃、主人はまた広場に行った。すると、また人が立っていた。主人は彼らにも「ふさわしい賃金を与える」と約束して、自分のぶどう園に送る。主人は同じように、昼の12時頃、3時頃、そして5時頃に広場に行き、立っている者たちを雇った。
何故主人はこれほど人を雇ったのか。それは、収穫がぶどうだったからです。ぶどうの収穫期はわずかです。短期間で一息に取らねば、味が悪くなる。だから、主人はとにかく人手を必要とした。
さて、一日の仕事も終わり、賃金を支払う段になった。一日の終わりですから、夕方の6時くらいでしょう。ここで主人はおかしな行動に出る。最後にきた者から支払いをし始めたのです。
夕方の5時に来た者が1デナリオンを受け取った。1時間しか働いていないのに、1デナリオンももらった。後ろに並んでいた者たちは、ほくそ笑んだでしょう。「彼らでさえ1デナリオンもらうのであれば、早くから働いた自分たちはもっともらえるだろう」と。けれど、実際に受け取ってみると、彼らも1デナリオンだった。彼らは不平を言い始めた。「こいつらは1時間しか働かなかった。自分たちは朝早くから暑い中、汗水流して働いたのに、同じ賃金というのは不公平じゃないか」と。もっともな訴えです。しかし、主人は答える。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」

主人の行動は一見すると不当です。経済論理から言って、朝から働いた者への正当な報酬を支払っていない。
もしかすると、支払いの順序を変えず、早くに来た者から賃金を支払えば、初めから働いた者は気付かなかったかもしれない。けれど、主人はあえて、この順番にこだわったのです。ここに、今朝ご一緒に分かち合いたい、神の国の姿があるのです。

改めて考えてみましょう。
夕方5時から働いた者はどういう者たちでしょう。彼らは怠け者で、昼過ぎまで寝ていて、ぼちぼちやってきた者なのか。いいえ、違います。主人は6節で「なぜ何もしないで一日中ここに立っているのか」と言っています。彼らは朝から立っていた。けれど、7節「誰も雇ってくれないのです。」とつぶやく。
何と悲痛な言葉でしょう。おそらく彼らは体を壊した者、病の者、社会的に弱い立場にいた人々でしょう。誰も自分を必要としてくれないという現実を前に、彼らはどれほど痛みを感じていたか。
私は彼らの姿の中に、様々な現代の人々の姿を投影します。仕事が無い若者、働いていても不安の多い非正規雇用の方々、自立支援のきれいごとで自立できないために施設に押し込められている方々、社会の中で孤立する人々。また、米軍基地を押し付けられた沖縄や放射能汚染問題に苦しむ福島の方々。

主人はそんな彼らに1デナリオンを渡します。1デナリオンとは1つの家族が一日生活するために必要な賃金です。主人は全ての労働者に1デナリオンずつ渡す。
それは何を意味するのか。それは、全ての者が等しく、生きることが赦されているということです。
確かに経済論理から言えば、最後の1時間しか働かなかった者は、1/12デナリオンで十分でしょう。けれど、それだけもらって帰ったところで、どうやって生きることができるのか。
たとえ話の主人は、そんな彼らに、経済論理に基づいて労働分の報酬を渡して後は知らないという態度を決め込むのでなく、彼れが生きることを「義」としてくださった。
言うなれば、経済よりもいのちが尊ばれあう世界を「義、よし」としてくださったのです。

今朝、私たちはイエスさまの御言葉を通して、神の国の姿を見てきました。
さて、選挙を前に、私たちは何を考えるのでしょうか。

休暇 - 2012.09.11 Tue

大変ご無沙汰しています。

現在は休暇中です。
久しぶりにのんびりしたいのですが、家にいると結局仕事してしまう自分がいます(苦笑)。

平和を覚える月間 - 2012.08.07 Tue

毎年、久留米教会では8月を「平和を覚える月間」として礼拝しています。
例年は67年前に終わった戦争との関係で「平和」を考えているのですが、今年は今の日本の現状を踏まえて「平和」を考えようとしています。
というのも、聖書で使われる平和「シャローム」という言葉は、そもそも普段の挨拶に使われる言葉でして、その意味は「神さまによる平和」です。
挨拶で使われる時には「神さまの平和、平安があなたに豊かにありますように」という意味です。
そういう意味で、今年の「平和を覚える月間」は、私たちの日常の関係で考えてみようとしています。

第一回目であった先日は、人間と自然との関係で考えてみました。
現在、人間は自然の「支配者」のように振る舞い、自分勝手に破壊し、自然のバランスを崩しています。
しかし、聖書をじっくり読みますと、この自然を作ったのは神さまです。
そして、その神さまは人間をも創造され、人間に自然の管理を任されたのです。
人は勝手に自然を自分たちの隷属物と考え、支配してきました。
けれど、それは人間のおごりでしかないのです。
今、私たちは自然との関係を改め、人間も神の創造物としてへりくだり、自然を整え、守る者となるべきなのです。

そんなことを語ったのが先日の宣教でした。
お時間のある方は是非一聴ください。
また、来週は原発問題を聖書から考えてみようと思います。
宣教音声配信ページ

神の愛の譬え - 2012.07.24 Tue

梅雨明けし、セミが元気に鳴いています。
星野村をはじめ、豪雨水害によって被害を受けた方々に神さまの慰めがありますように祈っています。

先日の礼拝では「神の愛の譬え」と題して、放蕩息子の譬えを読みました。
譬え話は非常に有名ですが、注意したいことがあります。
この話はイエスさまがあるものを語るために用いた譬え話です。
つまり、この譬え話を読んで、私たちはイエスさまが語りたかった真のメッセージを聞きとることが求められているのです。

では、イエスさまが本当に伝えたかったこととは何か。
それは神の深い深い愛です。

今週もしっかり語りました。
是非一度、聞いてみてください。

宣教音声配信ページ

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。

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