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2020-06

ありのままへの招き - 2012.07.16 Mon

昨日の宣教は「ありのままへの招き」と題して、ザアカイ物語を分かち合いました。
ホームページでのアップは数日後になるでしょうが、先ずは昨日の週報の巻頭言だけアップします。

先週は金子先生をお招きしての聖書講演会でした。神さまの祝福をいっぱいにいただくことができ、感謝でした。金子先生のメッセージは「イエス・キリストを知る喜び」という主題通りに、信仰の喜びを思い起こしてくださいました。少し振り返ってみましょう。
 一日目は「はじめの一歩」と題して、金子先生がクリスチャンになった経緯を話してくださいました。「キリスト教が本物かもしれないと思うなら一歩踏み出してみたらいい」と勧めをいただいたのでした。二日目はメッセージの初めに日野原重明先生の「Quality of Life」という言葉を紹介されました。金子先生の言葉では「意味ある人生、生き方」とは「神さまと向き合って生きる」生き方でした。神さまが私にどんな満足を与えてくれるのかでなく、神さまは私に何を求められているのかを考える生き方。神さまを信じ、従う生き方。その生き方こそ人が最も自然に生きる生き方と語ってくださいました。
 「神さまと向き合って生きる」「神さまを信じて生きる」生き方を想像すると、もしかすると堅苦しいイメージが湧く方があるかもしれません。けれど、信仰を持つ生き方は、堅苦しさとは真逆の生き方です。何故なら、信仰者は神さまの前で自分を飾って、強がって、虚勢を張って生きる必要が無いからです。自分の弱さも醜さも劣等感も、課題や不安を含め、神さまの前にはありのままの姿をさらけ出して生きることができる。自暴自棄故の「ありのまま」ではなく、神さまが私たちをそのままに受け入れ、どれほどの困難や課題があろうとも、必ず私たちを悪いように終わらせないとの確信故の「ありのまま」です。
今朝、私はこの宣教を「ありのままへの招き」と題しました。文字通り、イエスさまは私たち一人ひとりを招いておられる。あなたが虚勢、孤独、不安といったことから解放されるために、イエスさまはあなたを招いておられる。
今朝は招きに応えて解放されたザアカイの物語を御一緒に見ていきましょう。

イザヤ書を通して - 2012.06.18 Mon

先日、嬉しいメールが来ました。
教会HPでアップしているメッセージの音声配信を聞いてくださっている方々が予想以上に広範囲であることが分かったのです。
日本で言えば東京や大阪、海外で言えば韓国とスロバキア在住の方から連絡をいただきました。
御言葉は軽々と距離の隔たりを越えてしまうんだ、と思わされています。
これからも身を引き締めてメッセージを語らねば…と思っています。

さて、そんなメッセージですが、現在は7月7日(土)、8日(日)に計画しています聖書講演会に向けて、教会の人々の心備えのためにイザヤ書6章を読み続けています。
例えば、私たちが誰かに美味しい食べ物を勧める場合、自分で味わった上で実感をもって勧めなければ相手には伝わりません。
「たぶん美味いと思うっちゃけど、まだ食ったことないけん分からんったいね。試しに食うてみらん?」と言われて喜んで食べる人は稀です。
「これ本当に美味いんよ。食ってんね」と言われた方が人は食べてくれる。
同じように、私たちがイエスさまの救いの喜びを人々に伝えるためには自分たち自身がその喜びに満たされていなければ、本気で人を誘うことなどできないでしょう。
だから、先ず私たち自身が信仰の素晴らしさを味わおうとしているのです。

イザヤ書6章は預言者イザヤの召命(神さまによって預言者として召し出されること)の記事です。
ホーリネス教団の小林和夫師によれば、イザヤは召命体験の幻の中で5つのものを見たのだそうです。
1つ目は神さまの姿。
2つ目は己の姿。
3つ目は己への救い。
4つ目は同胞。
5つ目は約束。

今、久留米教会では聖書講演会まで、じっくりとイザヤ書を読みながら心備えをしています。
昨日のメッセージでは3つ目まで語りました。
お時間のある方は是非お聞きください。
説教音声配信ページ

「教会の誕生」 - 2012.05.28 Mon

毎回の記事アップの度に謝罪をしていますが、今回も更新が滞ってしまっていまして、申し訳ありません。

昨日はペンテコステの礼拝でした。
ペンテコステとは、イエスさまの復活後の出来事です。
弟子たちの上にイエスさまによって約束されていた聖霊が降った出来事です。

さて、皆さんにお考えいただきたいと思います。
聖霊が降ったことによって何が起こったでしょう。
弟子たち個人のことを考えると、聖霊が降ったことによって弟子たちが自信と力、そして言葉を得て、堂々とイエスさまの十字架の救いを語り始めた、変化の出来事です。
けれど、私はペンテコステを個人の出来事と考えるのでなく、弟子たちと周囲の人々、ひいては人類の歴史において起こった決定的な出来事と捉えています。
それは、教会が誕生した瞬間なのです。
あれから2000年にわたって引き継がれている教会が誕生したのです。

今回のメッセージは「教会の誕生」、使徒言行録2章36-42節です。
是非聞いてみてください。

説教音声配信ページ

「信じて従う」 - 2012.05.07 Mon

ゴールデンウィークも終わりました。
皆さんは如何お過ごしだったでしょうか。

さて、先日の礼拝メッセージです。
今回はマタイによる福音書28章1-15節からでした。
イエスさま復活の記事です。
1-8節は4月22日にじっくり語ったので、メインは9-15節です。

昨日はこの箇所を通して、3つの視点でイエスさまの復活を考えました。
1つ目の視点は、11-15節から「イエスさまの復活を拒絶する人々の視点」です。
2つ目は9-10節から「イエスさまの復活を信じ、イエスさま本人と出会った人々の視点」です。
そして3つ目は9-10節から、「復活のイエスさまの視点」です。

それぞれの視点から、私たちはどんなメッセージを見出すのでしょうか。
お時間のある方は聞いてみてください。

宣教音声配信ページ

「恐れながらも大いに喜び」 - 2012.04.25 Wed

かなり長い間、記事をアップしておりませんで、大変申し訳ありません。
関係者から「あまりに記事をアップしていないからページに広告が出ていますよ」と指摘されました。

先日の礼拝ではマタイによる福音書28章1-8節から「恐れながらも大いに喜び」というメッセージをさせていただきました。
イエスさまが埋葬されたお墓に2人の女性がやってきた。
マタイでは彼女たちが墓にやってきた理由を記していません。
(マルコ福音書の平行箇所では「香油を塗るために」とあります)。
女性たちが、イエスさまの墓にやってきた目的は何だったのか。
私は思うのです。
きっと、そこに理由などないのです。
ただ、愛するイエスさまの死を悼んでいるのです。

2月に津波被災地を視察してきました。
その時に聞いた話です。
震災後、津波の被害があった地域で生き残った方々が、見つからぬ家族を思って海を眺めながら泣いている場面が幾度となくあったそうです。
突然、納得のいかぬ形で愛するものが奪われていった痛みを抱え、どうすることもできずに海を見つめてハラハラと涙を流していたのです。

イエスさまの墓にやっていた女性たちも同じだと思うのです。
けれど、不思議なことに、彼女たちは8節には「恐れながらも大いに喜び」と語られる。
彼女たちは今や悲しみや涙以上に「喜び」を胸に帰って行く。
そこに何があったのか。

お時間のある方は是非聞いてみてください。

宣教音声配信ページ

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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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