FC2ブログ
topimage

2020-05

イースター礼拝と今週の一言メッセージと祈り - 2020.04.13 Mon

先日の日曜日は、イースター礼拝としてささげました。
新型コロナウイルスの感染拡大と共に不安の多い毎日ですが、そんな時だからこそ、死の淵より復活され、絶望の先に必ず神さまからの希望あることを示してくださったイエスさまの復活の希望を静かに確かめる、そんな礼拝となったように思います。
礼拝メッセージは、音声配信やYouTubeでも配信しています。(ライブ配信はトラブルがあり途中で切れてしまいました。すみません。その後メッセージのみアップしなおしています。)
ぜひ、聞いてみてくださいね。視聴方法はホームページ(⇒こちら)をご覧ください。
今年は例年配っているイースターエッグも新型コロナウイルスの影響で配ることができませんでしたので、少しでもイースターの喜びを実感できるようにと、いつもより飾りつけをがんばってみました♪
以下少しお裾分け。皆さんにも、イースターの喜びがありますように!!

1_2020Easter.jpg
*入口付近と受付。クロスもイースター柄です。

2_2020Easter.jpg
*受付のテーブル。イースターエッグの絵は子どもたち作。

3_2020Easter.jpg
*礼拝堂正面。いつもはたくさんのイースターエッグとユリの花が飾られますが今年はこじんまりと。

4_2020Easter.jpg
*新型コロナウイルス対策の間はお花の奉仕もお休み中。今回は駐車場に咲いていた菜の花を。

5_2020Easter.jpg
*イースターエッグの飾りつけはたまたま3月末に託児クラスの子どもたちが作ってくれたもの。
 ユリの花の折り紙を添えました。

また、受難週の間続けていた毎日の一言メッセージと祈り。
受難週は終わりましたが、今しばらく不安な毎日が続きそう。日々みことばから励ましをいただくため、もう少し続けてみることにしました。
長くなりますが、ブログでもシェアします。
ブログを読んでくださっている皆さんにもみ言葉から元気をもらえますように!!


<4月12日(日)~4月18日(土)一言メッセージと祈り>

12日(日) ルカによる福音書23章56節b-24章12節
一言メッセージ:皆さん、イースターおめでとうございます。今年は新型コロナウイルスのため、例年のような祝い方ができませんで、少々寂しくも思っています。でも、イエスさまが復活なさったという、喜びの根幹は一切ブレていません。だから今日も「おめでとう」と呼び交わしたいのです。
  今朝の箇所で興味深いのは4節、イエスさまの墓に行った女性たちがイエスさまの遺体が無くなっていて「途方に暮れた」という記述です。彼女たちが途方に暮れたことの本質は、「自分たちの思惑で理解できない事態に行き詰まったから」です。直後に現れた天使は「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と語ります。ギリシア語原典を見ますと、この言葉には数箇所、神さまの御業というニュアンスが見られます。それは「人の理解や思惑を超えて神さまの御業に目を向けなさい」との示唆なのです。続きは教会HPやYouTubeで今日の礼拝をチェックください。今朝の宣教題は「ナンセンス!?」です。
祈り:神さま、イエスさま復活のイースターをありがとうございます。私たちはいつも、自分たちの経験や常識や思惑の中で物事を理解しようとします。だから、自分の理解を超える出来事に直面すると狼狽し、途方に暮れてしまいます。でもあなたは今朝私たちに、「あなたの理解を超えて信じなさい」と促してくださいました。神さま、どうぞ私たちを信じる者としてください。不安や不安定の中でも、イエスさまが伴っていてくださることの確信と希望を忘れぬ者としてください。イースターの日に心からの感謝を込めて、イエスさまの名で祈ります。アーメン。


13日(月) マルコによる福音書16章1-8節
一言メッセージ: マルコ版の復活の記述です。昨日のルカと違うことが一点あります。それは天使が「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と具体的に指示していることです。「ガリラヤ」とはイエスさまや弟子たちの故郷です。イエスさまと出会い、イエスさまの話や行動をつぶさに見てきた場所、共に宣教の生活を送った場所です。天使は弟子たちに先ず、「あの時の言葉、行動を思い返してみなさい」と促すのです。
では私たちにとってのガリラヤとはどこでしょう。それはきっと、聖書の御言葉と私たちの日々の生活です。私たちは日々、御言葉を読み、その御言葉が今、自分の生活にどう関わるのかと考えながら生きる時、私たちは自分たちに伴ってくださっているイエスさまに気づかされるのです。さぁ、今週も私たちのガリラヤに歩み出しましょう。
祈り: 神さま、イースターから一夜明け、今週の働きの時が始まりました。私たちは日々、忙しく動いているため、あなたを忘れがちになって過ごしています。また、今は新型コロナウイルスの報道により、自分たちの生活の隣で病が広がっているように思います。でも、そんな不安な時も含めて私たちは私たちのガリラヤを過ごします。どうか、日々、イエスさまが伴ってくださっていることを覚えて生活を送らせてください。今週のあなたの導きと御業に期待し、イエスさまの御名で祈ります。アーメン。


14日(火) ルカによる福音書24章13-35節
一言メッセージ:エマオ途上の物語です。二人の弟子がエルサレムからエマオを目指して歩きます。彼らは先生であったイエスさまの無残な死に落胆しています。聖書を読むと、彼らは既に女性たちからイエスさま復活の知らせを聞いていますが、「そんなことあるか」と受け流したようです。イエスさまはそんな彼らと出会い、連れ立って歩み出されるのです。
面白いじゃないですか。彼らはイエスさまに失望しながら、でもイエスさまに伴われて歩んでいる。
イエスさまは彼らと共に歩きながら何をされたでしょう。イエスさまは27節「モーセと預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明され」ます。弟子たちはイエスさまの姿が見えなくなった時、その時の自分たちに気づきます。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。」イエスさまに伴われ、御言葉を知る時、私たちもまた、心燃やされるのです。
祈り: 神さま、今朝の御言葉はとても面白いです。イエスさまは復活を信じない二人の弟子たちに伴って、一緒に歩まれました。イエスさまは彼らを強く叱責したのでなく、もう一度、御言葉を語ってくださいました。その御言葉が彼らの目を開かせ、もう一度、イエスさまに従う者へと造り変えました。神さま、私たちは改めて、私たちにどれほど御言葉が必要か教えられます。きっと今もイエスさまは私たちの生活に伴ってくださり、日々、御言葉の解き明かしをしてくださっているのでしょう。ただ私たちがあまり気づけていないだけです。だから神さま、今日1つ、私たちの願いを叶えてください。今日の生活の中で、一度でも御言葉を思い出し、イエスさまを身近に感じる時を作ってください。あなたに期待して祈ります。アーメン。


15日(水) ルカによる福音書24章36-49節
一言メッセージ:復活のイエスさまが弟子たちに現れました。弟子たちは亡霊と間違えて狼狽します。イエスさまは彼らに本当に復活したと示すために、焼き魚をむしゃむしゃ食べています。何だかとても親近感のわく記述です。でも大事なことはこの後です。イエスさまは彼らをもう一度、立ち上がらせるために語ります。44節「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」と告げ、45節「聖書を悟らせるために彼らの目を開い」たのです。イエスさまは昨日の箇所に続き、弟子たちにとって必要なことは「御言葉を悟ること」だと示されるのです。それは私たちも同じです。私たちも自分たちの思惑でなく、神さまの御心を御言葉から知れるように、神さまを思い浮かべながら一日を過ごしましょう。関係ないけど、今夜は僕も焼き魚食べよう。
祈り:神さま、今朝も昨日に続き、ルカ福音書を読みました。復活のイエスさまが弟子たちに現れた時、最も大事にしたことは再会を喜び合うことではなく、「御言葉を悟ること」でした。それほどにイエスさまは、御言葉が私たちを養い、生かし、成長させることを知っておられたのでしょう。神さま、どうぞ、私たちも御言葉によって日々養われ、生かされ、成長させていただけますように。どうぞ私たちの「心の目」を開いてください。あなたに感謝し、期待し、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。



16日(木) ヨハネによる福音書20章11-18節
一言メッセージ:今朝はヨハネ福音書に記されたマグダラのマリアと復活のイエスさまの再会の物語です。今朝は少し違う観点で聖書をみてみます。マグダラのマリアは全ての福音書で、イエスさま復活の最初の証人と書かれます。古代イスラエルでは女性は法的証言ができない存在です。だから、マリアの証言は当時の人々には信じるに値しないと考えられました。でも聖書は、マリアが最初の証言者だと書き残したのです。これは一体どういうことなのでしょうか。それは、マリアがイエスさまの復活を最初に知らされた証言者であることが、まぎれもない事実だからです。一般的にはマリアの証言は信じてもらうには不都合でしたが、私はこの不都合さの中に、イエスさま復活のリアリティーを感じずにはおられません。イエスさま復活は私たちの都合を超えて御業として起こったのです。
祈り:神さま、今朝、私たちはマグダラのマリアが最初の復活証言者であることを読みました。最初期の教会にとって、それは周囲が信じてくれない不都合な面もあったでしょうが、教会はマリアの証言を大事に守り続けました。神さま、翻って私たちは自らを振り返ります。神さま、私たちは「ここは譲っちゃいけない」という時に、あなたの御業を大胆に語り抜くことができるでしょうか。私たちもちっぽけな存在に過ぎません。でも、マリアのように語るべき時にはしっかりと語り抜き、初代教会がマリアの証言を守ったように私たちもあなたの福音を物おじせずに語り抜く群れとさせてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。


17日(金) ヨハネによる福音書20章19-23節
一言メッセージ:イエスさまが弟子たちに現れた時、弟子たちは「自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」と言います。とても象徴的です。エルサレムの住民に見つかると「イエスの仲間だ」といってひどい仕打ちを受けるかもしれない。でもイエスさまの死後すぐにエルサレムから逃げ出すのもしのびない。そんな悶々とした気持ちで、怯えながら弟子たちはエルサレムに留まっているのかもしれません。その気持ちは小さいながら、私たちにも分かります。私たちも信仰と日常との狭間で悩むことがあるからです。でもイエスさまはそんな彼らの傍に現れてくださる。そしてそんな弟子たちを「わたしもあなたがたを遣わす」と送り出してくださるのです。イエスさまが弟子たちに期待されたのは、過ちと怯えの中で身動きできなくなることでなく、赦され、一歩踏み出すことでした。私たちは今日もイエスさまに送り出されながら、一日を歩み始められるのです。う~ん、感謝!
祈り: 神さま、今朝はイエスさまが私たちを送り出してくださることを分かち合いました。私たちは弱く、「どうしよう…」と思い悩むことも多いです。しかしイエスさまはそんな私たちの傍らに寄り添ってくださり、一歩踏み出すようにと促してくださいます。神さま、私たちはイエスさまに日々送り出されている、その幸いを改めて感謝します。今日の一日があなたの導きの中で歩めますように。感謝し、イエスさまの名で祈ります。アーメン。


18日(土) ヨハネによる福音書20章24-29節
一言メッセージ:復活のイエスさまと出会ったトマスの物語です。直前の箇所を見ると、この一週間前に他の弟子たちはイエスさまと出会っていますが、トマスだけは会えませんでした。トマスはその報告を聞いても「わたしは直接会い、手と脇の傷を手で触れねば信じない」と語り、信じることを拒否します。しかし八日目にイエスさまと出会った時、トマスは実際に傷跡を触る前に「私の主、わたしの神よ」と語り、信じるのです。イエスさまはそんなトマスに語るのです。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」この物語の初めに、聖書はトマスのことを「ディディモと呼ばれるトマス」と紹介しています。「ディディモ」とは「双子」という意味です。面白いことに聖書で他の箇所にトマスが双子であったとはありません。もう一人のトマスが誰か分からないのです。でも、だからこそ私は思います。もう一人のトマスは私たちかもしれません。自分に固執し、イエスさまを認められない。そんな時、私たちこそがもう一人のトマスなのです。そんな私たちに向けて今日、イエスさまは語り掛けてくださいます、「信じる者になりなさい」と。
祈り:神さま、この一週間、私たちは日々の働きに労苦し、また新型コロナのことで不安を抱えながら歩んできました。まだ緊急事態宣言解除までは2週間以上あります。社会を見ても、皆、余裕を失ってきたように感じます。そんな今日、わたしたちはトマスの物語を読みました。「自分の目でみなければ、自分で触れなければ信じない」と言い張るトマスは、私たちの姿でした。でも、イエスさまは私たちに「信じる者になりなさい」と語り掛けてくださいます。神さま、私たちはその呼びかけを感謝して受け取ります。神さま、あなたの祝福と導きと救いを信じる者とならせてください。弱い私たちと出会ってくださった救い主イエスさまの名でお祈りいたします。アーメン。

受難週を、祈りつつ過ごします。 - 2020.04.07 Tue

新型コロナウイルスによって身の回りにも様々な影響が出ています。
久留米教会でも、ホームページでお知らせしている通り、

◆礼拝以外の集まり(水曜・木曜祈り会、教会学校など)をお休みとします。
◆礼拝は、広くご参加いただける通常の礼拝と違い、参加を希望する教会員のみで簡略
 化した礼拝とさせていただき、換気や間隔をあけて座るなど対策をしながら行います。
◆教会に来られない方のためには、礼拝同時刻(日曜日10:30までに)にホームページ
 で宣教の音声配信・ライブ配信を行いますので、家庭での礼拝にお用い下さい。

という方針で対応しています。
音声配信やライブ配信の視聴方法などはホームページトップの「おしらせ」からご覧ください。
 ⇒ホームページはこちら
また、対応に変更があった場合は随時ホームページにてお知らせします。

さて、教会では先日の日曜日からイエスさまの十字架の苦しみを覚える受難週に入っています。
今年はこのような状況ですから、「受難」ということをいつも以上に考えさせられるときを過ごしています。
平日の集会を中止としていることもあり、今年は教会のメンバーには受難週の1週間毎日分かち合うみことば(聖書の言葉)、一言メッセージ、祈りの言葉をメールなどで分かち合っています。
自粛生活の中で、少しでも心を落ち着かせる一助になるかもしれないと思い、以下ブログでもシェアしますね。
聖書の言葉は日本聖書協会の聖書本文検索からお読みいただけます。
 ⇒日本聖書協会聖書本文検索

心のざわつく毎日ですが、寄り添ってくださるイエス・キリストが皆さんの心に平安を与えてくださいますように。
今心身ともに苦しみの中にある方々の上に癒しと慰めをお祈りします。


ー*-*ー*-*ー*-*ー*-*ー*-*ー
◆4月5日(日) ヨハネによる福音書(新約聖書)14章1節
一言メッセージ:ヨハネ福音書14-17章はヨハネ福音書が記す最後の晩餐でのイエスさまの言葉です。その一言目にイエスさまが語った言葉が今朝の1節「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」です。シンプルで深い御言葉です。心が騒ぎたつ時、私たちは神さまを忘れがちになるからです。けれど、イエスさまは神さまを信じることを強く求めました。それは、私たちを導かれるのが父なる神さまだからです。また「そして、わたしをも信じなさい」とは、「あなたの傍らに寄り添う私を信じなさい」という意味です。私たちは受難週の始まりに、私たちを導いてくださる神さまと、寄り添い伴ってくださるイエスさまとを感じながらスタートするのです。
祈り:神さま、今年、私たちは新型コロナウイルスの不安の中で毎日を過ごしています。「心騒いで」います。でも、イエスさまはそんな私たちに「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と告げてくださいました。この不安の中でも、安心して信じられるあなたがいてくださる幸いを覚えます。私に伴ってくださるイエスさまを感謝します。どうか今日からの一週間もあなたの導きと守りと伴いを感じさせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

◆4月6日(月) ヨハネによる福音書16章33節
一言メッセージ:昨日に続き、ヨハネ福音書からの御言葉です。イエスさまが最後の晩餐で弟子たちに語った最後の言葉は「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」でした。イエスさま自身、苦難、受難はこれから経験されるのです。けれど、イエスさまは「既に世に勝っている」と言われました。事が起こる前に、事が起こった先を語っておられるのです。これは信仰の成せる業です。信仰者は「なるようになるさ」という楽天家とは違います。私たちは、この苦難の中で私たちに御心を示し、この先で御業を実現される神さまを信じるからこそ、今の課題と直面しながら、この課題の先を夢描けるのです。焦らず、今日を過ごしましょう。イエスさまは「既に世に勝って」おられるのですから。
祈り:神さま、新しい一週間の働きが始まりました。今週、私たちは何に直面するのでしょう。喜びや笑顔でいたいです。でも、私たちは弱いですから、きっと笑顔で過ごしていた次の瞬間、予期せぬ事態が起こればあっという間に不安にさいなまれてしまうでしょう。でも、どうか、いつもあなたを思い起こして過ごせる者としてください。既に世に勝っておられるイエスさまを傍らに感じ、今の出来事の先を思い描かせてください。私が出会う人々、直面する出来事の中で、私をあなたの御業実現のための用いてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

◆4月7日(火) マタイによる福音書(新約聖書)22章23-40節
一言メッセージ:エルサレムに入場されたイエスさまを快く思わぬ人々は、イエスさまを陥れるために多くの議論を吹っかけてきました。その1つが23節以下の復活問答です。イエスさまは論点を聞いた後、端的に29節「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」と告げます。告げられたサドカイ派はユダヤ教の最高指導者層です。彼らに対して「聖書も神の力も知らない」と言い切ったのです。人々が驚く中、イエスさまは律法の中心メッセージを2つ告げます。それが34節以下です。1つは「神さまを愛すること」、もう1つは「隣人を自分のように愛すること」でした。この2つは私たちにとって生き方の土台です。私たちは神さまを第一に愛していますか。自分の都合を優先して、余力の部分で神さま…と思っていませんか。また、隣人と自分を比較して見ていませんか。もし見ていたら、今日、やり直してみましょう。神さまを第一に、隣人に自分がしてほしいように、自分がそう心掛けているように働きかけてみるのです。
祈り:神さま、イエスさまはエルサレムで十字架にかかる直前も、人々にあなたの御心を示し続けられました。それも小難しく論じるのでなく、端的に、あなたが喜ばれることは何かを示されます。神さま、この2つの示しを私たちはどう今日の生活の中で実現できるでしょう。どうか今日、この2つの内1つだけでもを実行できるように、私に働きかけてください。私たちだけでなく、新型コロナのことで多くの人が不安に苛まれています。どうか、その方々に、あなたによる平安を届けさせてください。あなたの御業実現のために私にも一助を担わせてください。イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

◆4月8日(水) マルコによる福音書(新約聖書)13章32-37節
一言メッセージ:イエスさまは「神さまの時はあなたたちには分からない」と告げます。でも、神さまの御業は起らないのではなく、起こるのだけれどその時が私たちには分からない、と告げるのです。35節でイエスさまが譬えとして語る4つの時があります。「夕方」と「夜中」、「鶏の鳴くころ」、「明け方」です。この時を受難週の中で思い起こしてください。「夕方」は14章12-31節の主の晩餐を思い起こします。「夜中」は14章32-52節のゲッセマネでのイエスさまの逮捕、「鶏の鳴くこと」は14章53-72節で起こった不当な裁判とペトロの三度の否定を連想します。「明け方」は15章1節からのピラトによる裁判です。それぞれ、イエスさまはジェットコースターのように目まぐるしく動く出来事に翻弄されるようですが、その中で、神さまの時は時々刻々と動いているのです。ただ、人間たちが気づかないだけです。
祈り:神さま、あなたの御業に気づかせてください。あのイエスさまの十字架への歩みの中であなたの御心を考えることをせず、自分たちの思惑で突っ走ってしまった群衆と同じで、私たちは自分たちの関心や直面する出来事に右往左往し、あなたの御業を見失いがちです。でも、私たちが気づいていないだけであって、あなたの御業は今も実現しつつあります。神さま、どうか今、あなたが私の傍らで何を語りかけ、何を示され、どう導こうとしてくださっているかに気づく私たちとならせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

◆4月9日(木) マルコによる福音書14章32-42節
一言メッセージ:イエスさまが十字架にかかる前日の夜です。イエスさまは弟子たちと共に過越しの食事をとった後、オリーブ山のゲッセマネの園にて祈っておられました。この箇所を見ますと、イエスさまは十字架の死に怯えきっています。それはまるで私たちと同じ、弱い、一人の人間の姿です。私たちはこのイエスさまの姿に、弱い私たちにより沿っておられる救い主の姿を見るのです。注目したいのは36節です。この「(しかし私が願うことではなく)御心に適うことが行われますように」をギリシア語で見ますと、マタイによる福音書(新約聖書)6章10節でイエスさまが弟子たちに教えた主の祈りの言葉と完全に一致しています。イエスさまは自分の恐怖と向き合いながら、主の祈りを祈っておられるのです。今、皆さんは不安がありませんか?新型コロナによって病に加えて、先の見えぬ不安。そんな不安を持つことは当然です。でもそんな不安と共に、どうぞ主の祈りを祈ってみてください。不安の中であなたに寄り添ってくださるイエスさまを思い起こしてほしいのです。
祈り:「主の祈り」を噛み締めるように祈ってください。
<主の祈り>
天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

◆4月10日(金) ルカによる福音書(新約聖書)23章44-48節
一言メッセージ:今日はイエスさまの十字架の死を覚える受難日です。イエスさまは亡くなる直前、大声で「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と叫ばれました。「委ねる」という言葉を私たちはどう受け止めますか?どうしようもなくて投げやりになった言葉でしょうか。いいえ、「委ねる」とは、神さまにお任せする言葉です。委ねることは神さまに属するものとされるのです。こんな限界だらけの私たちが、神さまに属するものとされる。神さまはこんな私たちをも丸ごと受け止めてくださるのです。イエスさまはそんな信じて委ねて救われる道を私たちに示してくださったのでした。
祈り:神さま、私たちは自分たちを振り返ります。私たちはいつも自分たちの経験や思惑や判断に固執して生きています。あなたを信じていながら、でも自分に、そして周囲の人に頼って生きています。それがどれほど限界だらけか分かっていながら、です。でも今、私たちはイエスさまの「委ねます」との言葉に深い感動を持って向き合わされます。神さま、私たちもあなたを信じ、委ねます。どうか私たちを受け止め、あなたに属する者とならせてください。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

◆4月11日(土) イザヤ書(旧約聖書)53章1-12節
一言メッセージ:イザヤ書53章は「苦難の僕(しもべ)」と呼ばれます。神さまは私たちの救いのために、一人の僕を選び、その僕に私たちの一切の罪を背負わせることをもって、私たちの罪を赦し、救ってくださいました。この僕こそがイエス・キリストです。私たちはイエスさまによって救われたのです。私たちの命はイエスさまの贖いによって救われた命です。神さまはそれほどにあなたを大事と思っておられるのです。そして10節で聖書は私たちに問います、「あなたが彼の命を、あなたの償いの献げ物とするならば、彼は子孫が日々、長らえるのを見るであろう。そして主の望み(救い)は彼の手によって成就するであろう。」イエスさまの救いを受け止めるかどうか、今、私たちが問われているのです。
祈り:天のお父さま、私たちは今、イザヤ書53章の御言葉を受け止めます。イエスさまが私たちを救うための犠牲であったことを信じます。私たちは過ち多い罪人に過ぎません。けれどそんな私たちが、それでもイエスさまに愛され、あなたに受け止められた命であることを感謝します。神さま、どうか、私たちに信仰を増し加えてください。今の不安の中でも、あなたに生かされている幸いを思い起こして今日の一日を過ごさせてください。この救いを一人でも多くの方にも伝えさせてください。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

◆4月12日(日) ルカによる福音書2(新約聖書)3章56節後半-24章12節
一言メッセージと祈り:来週の主日礼拝で分かち合いましょう。会堂でもネットでも、私たちは共に礼拝を守るのです。

ー*-*ー*-*ー*-*ー*-*ー*-*ー



レント(受難節)のときに - 2020.03.10 Tue

3月に入りました。
晴れたり曇ったり、季節の変わり目、何かと調子をくずしやすい時期ですね。
また、新型コロナウイルスのために、不安に心がざわつく毎日です。
久留米教会でも対策を考え、どのようにすれば安全で、安心して毎週の礼拝を献げることができるのか考えながら歩んでいます。
(新型コロナウイルスについての久留米教会の対応は ホームページのお知らせ に掲載していますので、ご参照ください。)

また、明日は3月11日。わたしたちにとって忘れられない日です。
大きな揺れと、大きな津波。そして福島第一原子力発電所の未だ終息しない事故。
物理的には少しずつ復興が進んでいる面もありますが、被災した方の心はどうなのだろうか。
3月11日が来るたびに悲しみに胸を引き裂かれるような思いをしている方々のことを思うと、何もできずただ立ち尽くしていることしかできない自分に出会います。

今、教会ではイエス・キリストの十字架の苦しみを覚える期間、レント(受難節)を過ごしています。
イエスさまは神の子としての歩みの中で多くの奇跡をおこなったと聖書は記しています。水をぶどう酒に変える奇跡、病の人をいやす奇跡、わずかなパンと魚を大勢の人に分け与えた奇跡・・・
しかし、ご自分が十字架にかかっている時には、イエスさまは一切奇跡を行いませんでした。
何の罪も犯していないにも関わらず、ただ十字架に無残にくぎで打ちつけられ、また自分を喜び讃えて迎え入れたはずの民衆たちからののしられ、体にも心にも深い痛みを負い、叫びながら亡くなっていったのです。
この方を、教会は2000年以上「救い主」として信じているのです。
わたしたちの救い主は、わたしたちの苦しみを知らない方ではありません。むしろ、十字架の上であらゆる痛みを経験し、わたしたちのからだの痛みも、心の痛みもすべてをわかってくださる方。苦しみや悲しみの前に何もできずに押し黙ってしまう、そんな経験を自らなさった方なのです。

コロナウイルスに対する不安、また3月11日を前に、わたしたちはどうしようもない痛みと悲しみを前に立ち尽くします。
そんなわたしたちの傍らに、わたしたちの救い主は共に寄り添ってくださいます。「その痛み、わたしにも良く分かる。わたしもあなたと共にその痛みを担おう」と言って、共に涙を流してくださる。
そんな救い主が、目には見えないけれど今もわたしたちに伴っていてくださると、わたしたちは信じているのです。

このレントを過ぎるとイースターが待っています(今年は4月12日)。
痛みと苦しみと絶望の中で死なれた救い主イエス・キリストは、しかし3日目に復活されました。
それは、「どうしようもない苦しみは確かに私たちにある。しかし、その苦しみは苦しみに終わらない。必ず神さまの力が働いて希望へと変えられていく」ということをわたしたちに示しています。
その時がいつなのかわたしたちにはわかりません。でも、この神さまの約束を信じて、そして傍らにいてくださるイエスさまの伴いを感じながら、この時を歩みたいなと思います。


新型コロナウイルスのために苦しんでいる方々、またその治療にあたっている方々、この騒動のために様々な痛みを追っている方々の上に神さまの癒しがありますように。また、亡くなった方の魂とそのご家族の慰めを祈ります。
そして、東日本大震災の被災地のため、その悲しみにイエスさまの寄り添いがありますようにと切に祈ります。

20200209flower.jpg




2月に入りました。 - 2020.02.01 Sat

1月も終わり、2月に入りました。
今年は暖冬のせいなのか、とくにここ1~2週間は天気が不安定で、久留米では一日の中で“晴れ”“雨”“くもり”の天気が目まぐるしく入れ替わっています。

12月のクリスマスを終えて1月、教会では少しゆったりとした時を過ごしていました。
1月12日には、教会のメンバーのご家族からもち米をいただいたので、みんなでお餅つきをしました。

2020mochitsuki_1.jpg
よいしょー!

2020mochitsuki_2.jpg
ぺったんぺったん♪
お正月におもちは山ほどお店に並んでいますが、やっぱりつきたてのおもちは違いますね。
2020mochitsuki_4.jpg

ホカホカで柔らかーいおもちをみんなでたくさん楽しみました。
残ったものはご近所さんにもお配りしておいしいお裾分け。
楽しいひと時となりました。

2月からは、少しずつ今年度のまとめと来年度に向けた準備が始まる時期ですね。
みなさんも、すこし忙しくなる季節でしょうか。
また、人によっては春からの新しい歩みに向けて準備を始める時期かもしれません。
新しい世界に踏み出していくことは、楽しみな反面不安もありますね。
聖書の言葉は、そんな私たちの心をほっとさせ、優しく背中を押してくれる言葉であふれています。

新しい歩みを始める前、そんな聖書の言葉に耳を傾けてみませんか。
教会は毎週日曜日10:30から、休まず礼拝をおこなっています。
特別な服装も、特別な持ち物もいりません(聖書も讃美歌も教会の備え付けのものがあります)。
どうぞ、どなたでも足を運んでくださいね。
あなたのお越しをお待ちしています。



救い主はひっそりと - 2019.12.17 Tue

11月を飛ばして12月になってしまいました。
更新が滞ってしまっていてすみません…。

あっという間に12月も半ばを過ぎ、クリスマスが間近に迫ってきました。
街の中でも、お店に入ればどこでもクリスマスソングが流れ、クリスマスの飾り付けがされています。
イルミネーションもきれいですよね。
教会では12月24日の直前の日曜日を含めて4回の日曜日を含む期間をアドヴェント(待降節/クリスマスを待ち望む期間)として過ごしますが、最近はお店の方が早くにクリスマスモードになっていますね。ハロウィンが終わると11月にはもうクリスマスです。
お店の方は購買意欲を高めるためなのでしょうが、どこか世の中的にも日常から解放されるイベントごとを欲しているような雰囲気があるのかもしれません。

一方で、毎年思わされるのはこの世の中の「クリスマスモード」の中で取り残されたような思いを抱かれるような方があるのではないかという思いです。
テレビのCMでは家族と、恋人と、素敵な食事とピカピカのイチゴの載ったクリスマスケーキを並べて楽しそうにクリスマスパーティーをしている人たち。また特別な贈り物をおくったりもらったりする姿。どのCMも楽しそうです。
それを見て「自分もこんな風に楽しもう♪」と思う方もおられるでしょうが、一方で華やかなクリスマスの雰囲気に「自分には関係ない」と感じたり、寂しさを感じる方もあるのではないでしょうか。

では、実際のクリスマス。イエス・キリストの誕生の時はどうだったのでしょうか。
イエス・キリストが生まれたのは、当時イスラエルを支配していたローマ帝国の命令による人口調査の真っただ中。各々が生まれ故郷で登録するために町の宿は帰省客でいっぱいでした。
イエスの両親であるマリアとヨセフも宿を探しますが、どこもいっぱい。
結局二人は、宿の部屋に泊まることができず家畜小屋に泊まることになり、そこでイエス・キリストが誕生するのです。
宿のそれぞれの部屋では、旅の疲れをいやしたり、楽しんだりするために宴会をしていた人たちもあるかもしれません。宿屋街のお店はどこも帰省客を引き込もうと声を張り上げていたかもしれませんね。そんなワイワイとしたにぎやかな街の片隅の家畜小屋で救い主イエス・キリストはひっそりと生まれました。誕生を祝いに来たのは、大きな星に救い主誕生を知った東方(当時のイスラエルでは救われないと考えられていた外国人)の博士。そして天使から知らせを受けた、住む家を持たない貧しい羊飼いたちだけ。
それはそれは、静かな小さなクリスマスだったのです。

ですから、クリスマスは本来きらびやで豪華な場所よりも、その雰囲気から追いやられるようにして過ごしている人たちにこそ届けられた喜びの知らせなのでした。

もしも、「クリスマスなんて自分には関係ないや」と思っている方には「いいえ、あなたにこそクリスマスの喜びを感じてほしいのです!」とお伝えしたいです。

教会でも一週ごとにクリスマスの時を待ち望んでいます。
わたしたち一人ひとりの歩みも決して順風満帆、いつでも楽しい!ということばかりではありません。どの年齢の人にも、どの立場の人にも、それぞれに課題があり、悩みがあり、苦しみがあるでしょう。クリスマスは、そんな私たちの心の暗闇にともる暖かい光です。イエス・キリストはそんな痛みの傍らに寄り添うためにこそ、無力で小さな赤ちゃんの姿で生まれてこられたのです。

どうか今年のクリスマスが、皆さんにとって派手でなくとも、じんわりとイエスさまの寄り添いを感じることのできるときとなります様に。

教会では、この本当のクリスマスのメッセージをともに分かち合うためにクリスマスの礼拝を予定しています。ぜひ、ともにクリスマスの真の喜びをともに分かち合いましょう。
お待ちしています。


★ 久留米教会のクリスマス ★

♪12月21日(土) 14:30~17:00
 子どもクリスマス(小学生たちで祝うクリスマス)

♪12月22日(日) 10:30~12:00
 クリスマス礼拝
  (大人も子どもも一緒にお祝いしましょう。お時間のある方は昼食もどうぞ!)
  
♪12月24日(火) 19:30~21:00
 クリスマスイヴ礼拝 (ろうそくを灯して心静かにクリスマスを味わいます)

※どの集会も受付は30分前からです。
 開始時間より少し余裕を持ってきていただけるとスムーズに参加できますよ。
※22日、24日は託児があります。また、赤ちゃんと一緒に参加できるお部屋もあります。
※どの集会も参加無料ですが、クリスマスの献金をお願いしています。
 任意のものですし、金額もお任せです。
 献げていただいた献金はペシャワール会をはじめとした各団体に送ります。


分からないことがあれば、お気軽に教会にお電話くださいね。
久留米キリスト教会 0942-35-1960


2019poinsetia.jpg



NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

久留米キリスト教会

Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
(※ブログに掲載した文章の無断転載はご遠慮ください)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

お知らせ (23)
教会写真館 (28)
踊牧師の一人ごつ (146)
未分類 (57)

カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード