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2020-05

5月17日~23日のみことば - 2020.05.19 Tue

先週、福岡県を含めた39県の緊急事態宣言が解除されました。
お店や公共施設が対策をしながら少しずつ再開されていますが、これをきっかけに第2波、第3波が来るのではないかということも懸念されています。
久留米教会では今しばらく現状の対応をしつつ、様子を見ながら対応していきます。
しばらくの間は引き続きライブ配信などをしていきますので、ぜひお家から礼拝に参加してみてくださいね。
新型コロナウイルスの心配がなくなったころにはライブ配信で参加していてくださった皆さんと顔を合わせて礼拝できることも楽しみにしつつ、今しばらく忍耐の時を過ごします。


***

※聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
・訳名選択     : 新共同訳
・旧新約・続編選択 : 詩編→旧約聖書
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17日(日) 詩編29編1-11節
一言メッセージ:詩編29編で私が特に大事と思うのは1-2節と11節です。何故かと言えば、そこにこの詩の結論があるからです。少し29編の詩人の状況を自分たちと重ねて考えてみましょう。
29編の詩人は先ず雷鳴の中で神さまと出会います(3節)。具体的に雷鳴が何を意味するか分かりませんが、何か自分の力で太刀打ちできないような苦難と考えてみてください。そんな苦難の中で、彼は自分の無力さを痛感し、一方で神さまの偉大さを知らされるのです(3-10節)。10節で「主は洪水の上に御座をおく」とありますが、「洪水」は神さまに反抗する大きな力というイメージです。人間を飲み込み、その命も生活も平穏も奪い去る洪水さえ、神さまは抑え込むのです。その神さまを知った時、詩人は1-2節で「神の子らよ、主に帰せよ。主にひれ伏せ」と語ります。自分たちの喜びも感謝も希望も、不安も葛藤も絶望も、すべてを神さまから考えるように、と勧めるのです。何故か。それは、神さまが偉大であり(3-10節)、そんな神さまが私たちを「神の子(1節)」としてくださるからです。だから私たちはそんな神さまに「ひれ伏す(礼拝する)」のです。
  今日は礼拝の日です。久留米教会ではあと2週、緊急対応の礼拝スタイルで、感染が沈静化するのかを様子見しますが、今日の礼拝で覚えていただきたいことは、全知全能の神さまが今も私たちに目を留めておられるということ、私たちは神さまの眼差しの中で生かされているということです。今朝の礼拝ライブ配信を通して、その喜びを一緒に分かち合いましょう。「どうか、主が私たち一人ひとりに力をお与えになるように。主が一人ひとりを祝福して平和をお与えになるように(11節)」と心から祈っています。
祈り:天のお父さま、今朝、主の日をありがとうございます。今朝私たちは詩編29編のみことばをいただきました。私たちはこの詩編に自分たちの生活を重ねます。私たちは皆、それぞれに大小さまざまな課題を抱えながら生きています。でも神さま、私たちは私たちの人生の全てをあなたに委ね、あなたの御業を待ち望みます。何故なら、私たちこそが私たちの神であり、そんなあなたが私たちを「我が子」と呼んで愛してくださるからです。神さま、どうかあなたの祝福をください。新たな一週と向き合っていける御言葉と礼拝を与えてください。救い主イエスさまのお名前により、お祈りします。アーメン。

18日(月) 詩編30編1-13節
一言メッセージ:新しい週の働きを前に、詩編30編を読みます。この詩人は何かの病に苦しんでいます。彼は病の苦しみのために「あぁ、おれはもうダメだ。死んでしまうんだ」とどん底を感じています。3節の「陰府(よみ)」とは聖書の時代には「神さまの救いの及ばぬところ」と考えられていたからです。でも、ここで詩人は驚きます。まさかの「もうだめだ」状態から神さまが自分を癒し、救ってくださったからです。彼は気づきます。私たち人間は元気な時は「神さま、ありがとう」と言えるけど、一旦苦しむとなると途端に「恐怖に陥る」弱い存在だということを(7-8節。この人間臭さ、親近感が湧きますね)。でも、神さまはそんなどん底からでも私たちを救ってくださる。詩人はこの経験と確信により、「神さまがちゃんと導いてくださるから、勝手に自分で悲観的に結論づけるのでなく、神さまを賛美し、感謝して、委ねるように」と呼びかけてくれます。
とっても素敵なのは6節です。「ひととき、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」私はこの言葉をこう読みます。「私にとって嫌なことが起こっても、それは一時のこと。神さまは私たちを救いたいと今も願ってくださっている。大丈夫、昨夜、悩んで苦しんでいても、神さまは今日も朝を与えてくださった。今日も神さまの導きで始まる一日♪」さぁ、今日という日は神さまの整えてくださる新たな一日です。今日も元気に歩み始めましょう。
祈り:天のお父さま、今週の働きが始まります。その始まりに詩編30編をありがとうございます。この詩人はとっても私たちそっくりでした。普段、「神さま、ありがとう」と賛美していても、何か不安な事柄が起こった途端、「神さま、なんでこんなつらい目に遭わせるの?私のことが嫌い?」と大騒ぎしてしまいます。でも、詩人はそんな自分の経験を通して、「でも神さまはちゃんと私を救ってくださった」と賛美を歌いました。神さま、どうぞ私たちにも同じ賛美を歌わせてください。どうか私たちが沈黙せず、あなたへの賛美を歌い続けられるよう、お支えください(13節)。今週の働きの始まりに、私たちに伴ってくださるイエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

19日(火) 詩編31編1-25節
一言メッセージ:今朝は詩編31編です。一読しますと、結構、どんよりした気分になります。というのは、詩人がずっと苦しそうだからです。でも、そこでグッと踏ん張って読んでみてください。すると、詩人の言葉の中に、キラキラと光る人生のヒントが見えるのです。それは「まことの神、主よ、御手にわたしを委ねます。わたしを贖ってください。(6節)」という御言葉です。
この言葉はルカによる福音書23章46節でイエスさまが十字架上で息を引き取った時の言葉です。今年の受難週の時、私たちはこの御言葉をこう分かち合いました。「神さまに委ねることは、八方ふさがりで投げやりになることでなく、私たちの限界を超える神さまの導きに期待すること」と。そう、イエスさまを思い起こせば分かるのです。イエスさまは確かに十字架で亡くなりました。けれど、三日目に復活なさった。神さまの御業によって、死から甦られた。正にそれは、人の力を超える神の御業です。
牧師の大先輩であるK先生は冗談好きで、以前、「私たちは神業に生かされている」と言っておられました。金言だなぁと思います。そう、私たちは神業に生かされています。だから私たちはいついかなる時にも神さまに期待するのです。今日はどんな神業に行かされるか、楽しみですね。
祈り:天のお父さま、今朝もあなたのみことばをありがとうございます。今朝のみ言葉を読みながら、私たちは、神業の中で生かされていることの凄さを感じます。私たちにはいつも限界があります。でも、神さま、あなたには限界がありません。そんなあなたが私たちに今日も「大丈夫、安心して誠実に生きていきなさい」と呼びかけてくださいます。神さま、どうか、あなたの導きをいつも感じさせてください。腹の立つ相手と相対する時、「意外と優しいかも」と思える一面を見させてください。頭を抱え込みたくなる課題にはクスッと笑う余裕を与えてください。一日を終えて疲れを覚える時には、「でも神さまが守ってくださった」と感謝を覚えさせてください。その小さな気づきの中であなたがかなり身近に伴ってくださっていることを実感させてください。どうか、今日の一日も神業の中で歩ませてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

20日(水) 詩編32編1-11節
一言メッセージ:ふと気づきましたが、最近、真面目に詩編を1節ずつ読んでいます。スタート時は、もっと大雑把に取り上げるつもりだったのに。まぁでも、各詩に気づきが与えられるので、そこにも御言葉の面白さを感じますね。
  今朝の32編の詩人を見ていて、とても親近感が湧いてきます。例えば、1節で「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」と詩人は歌います。自分のことを「一切罪を犯していない者は幸い」というのでなく、「私は罪人だけど、神さまはそんな私をも赦して、罪を隠してくださった(無くなったわけでなく、神さまと私は覚えているけど、他の人には覆われている状態)」と歌います。言うなれば、詩人は神さまが再スタートを始めさせてくださるから「幸い」と歌っているのです。
  私たち人間は過ちを犯す生き物です。「しまった」と思うことはしょっちゅうで、中には、深く考えなかった言動のために何年も後悔し続けるような出来事もやらかしてしまいます。でも、神さまはそんな私たちを「はい、もうおしまい」と切り捨てるのでなく、「じゃあ、そのことを覚えながら、もう一度やってごらん」と促してくださる。それが「悔い改め」と「赦し」です。
  実際、詩人は8-9節で神さまの言葉を記します。「わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。」注目したいのは8節終わりの一文です。「あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。」空を飛ぶ鳥が私たちを見下ろしながら飛ぶように、神さまが私たちの先行きを見越して、導いてくださるのです。だから私たちは自分たちの思惑でなく、神さまを信じて、神さまの導きの中で歩みます。
  喜劇王チャールズ・チャップリンはこんな明言を残しました。「人生は部分的に見れば悲劇だが、総じてみれば喜劇だ。」今日の苦労も後々、笑いと感謝に変わりますよ。さぁ、今日も神さまの導きを信じ、委ねて、歩み出しましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編を読み進めていますが、みことばはなんて奥深く私たちの人生と重なるのか、と思わされます。今朝、私たちはホッとしました。それは、詩人が「私は清廉潔白」と言ったのでなく「私は罪人」と語ったからであり、私たちも同感だからです。神さま、あなたの目に私たちはいったいどれだけ罪を犯しているでしょう。でも、あなたはそれでも私たちを愛し、導いてくださいます。神さま、あなたが私たちの神さまでいてくださることを深く深く感謝します。どうか今日も、たぶん何かやらかしてしまう私たちですが、失敗した時には「勧めを与え(8節)」、導いてください。一日の終わりに、私たちが「主によって喜び躍り、喜びの声をあげ」ることができますように(11節)。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

21日(木) 詩編33編1-22節
一言メッセージ:皆さん、賛美歌は好きですか?きっと、それぞれに大好きな賛美歌がありますよね。そこには何か自分の経験と重なる想い出があるかもしれません。さて、そこで考えて欲しいのですが、その想い出は「わたしと神さま」の想い出が多く、「私たちと神さま」という共同体の想い出を含めた賛美歌は少ないのではないでしょうか。実はこれはもう何年も前から、私たちが慣れ親しんできた賛美歌の弱点として指摘されています。すなわち、「わたし」の感謝や嘆きや悔い改めが多くて、「わたしたちの賛美、教会みんなの賛美になっていないのではないか、信仰が独りよがりになっていなかったか」という指摘です。この指摘はとても鋭くて、賛美歌のことだけでなく、私たちの信仰についても、「独りよがりになっていないか?」と問うてくるのです。
  今朝の詩編33編を見ますと、とても面白いことに気づきます。詩人は「主に従う人よ」とか「正しい人」など、個々人の信仰の在り方から詩を歌い始めます。でも、12-13節を見ると、神さまは私たちを「民」という集団としてと、「一人ひとり」という個々人としてと、一緒に目を注いでおられるのです。だから詩人は20-22節で「われら」と語ります。神さまへの信仰を同じくする仲間たち、へと目が広げられていくのです。
  今朝私たちは自分のことだけでなく、教会の兄弟姉妹、そして隣人のことを祈りましょう。「しばらく会えていないけど、あの人はどうしているかな?元気かな?」と思い起こしたいのです。
祈り:天のお父さま、詩編33編の御言葉をありがとうございます。今朝わたしたちは、一緒にあなたを信じ、あなたに仕え、生きる人々のことを思い起こしました。神さま、教会には体調を崩している仲間たちがおります。どうぞお守りください。新型コロナの自粛生活でくたびれた仲間たちのことを慰め、癒し、整えてください。求道中の人々も、もう私たちと変わらず、あなたを信じているのです。ただ、その後押しが私たちにできていないだけです。神さま、その方々のことを祈ります。どうか、あなたを信じられるように、一歩踏み出す勇気をお与えください。また、私たちには一緒に礼拝したい家族や友人たちがおります。どうか新型コロナが終息した暁には、そのような方々を誘う言葉と勇気を与えてください。神さま、どうか仲間たちのことを祈り続けさせてください。私一人で祈り足りなくても、一緒に祈ってくれる仲間たちがいます。神さまどうか、「私たち」の祈りをお聞き届けください。あなたの御業が私たちと同様、私たちが祈る一人ひとりに実現しますように。救い主イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。

22日(金) 詩編34編1-23節
一言メッセージ:詩編34編で詩人は「貧しい人(3節)」に「わたしと共に主をたたえよ(4節)」と呼びかけます。とても嬉しい言葉だなぁと思うのです。今月の初め頃、新型コロナの感染拡大に伴い、多くの牧師たちが本当に悩みました。それは「私たちは礼拝する民なのに、共に集えないなんて。礼拝できないなんて初めての経験だ」と。久留米教会でも普段とは違う礼拝のスタイルを模索してきました。その検証や新たな可能性の模索はこれからです。でも、私は今朝の御言葉にとても深い希望を見出すのです。
34編の「貧しい人」とは単に金銭的な貧しさではなく、「社会的、経済的に差別され、正当な裁き(補償を含む)を受けられず、ただ神さまにすがる以外に選択できない民衆たち」です。そんな民衆に向かって詩人は呼びかけます。「わたしと共に主をたたえよ」と。「一つになって御名をあがめよう」と。それはまるで、新型コロナの混乱の中であらゆる制限に直面し、先の見えぬ不安を抱えながら、それでも御言葉を分かち合いたいと、自分たちのそれまでの形を変えて新たな可能性を模索してきた私たちの姿にも重なるのです。私たちはコロナ前と今とで、大きな変化を経験しました。私たちは「主を賛美する民だ」という信仰を分かち合いながら、これまでの礼拝の恵みを再度知ったと同時に、ネット礼拝を通して多くの友と一緒に礼拝する可能性も示されたのです。
3節で詩人は「わたしの魂は主を賛美する」と語りました。ヘブライ語の直訳は「主(ヤハウェ)をわが魂は誇る」です。神さまを誇る時、私たちは今までの形式の恵みと共に、新たな可能性も見出しているのです。教会は可能性がいっぱいですね。詩人が「わたしと共に主をたたえよ」と呼びかけたように、私たちも今、福音をどう多くの人と分かち合えるか模索しながら、呼びかける教会を目指したいものです。
祈り:天のお父さま、今朝も詩編34編のみことばをありがとうございます。私たちは詩人の呼びかけが今の私たちに向けられたものだと感じます。この新型コロナ騒動の中で、私たちはそれまで当たり前だったあらゆる生活が一変してしまいました。まさか、礼拝すら普段通り行えないなんて、考えたこともありませんでした。でも、実際にそんな経験をしながら、それまでの礼拝の恵みと同時に、新たな可能性も見出しています。「共にあなたを讃える」という大前提に立ちつつ、私たちには様々な可能性が見えています。今後、新型コロナが終息するとともに、私たちは共に集える礼拝に戻って来るでしょう。でも同時に、様々な手段をもって新たに、礼拝を共にする人々をお与えください。あなたの御心に沿うならば、どんな困難に直面しても救い出され(20節)、わたしたちは祝福をいただけるでしょう。神さま、この経験を私たちの糧としてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

23日(土) 詩編35編1-28節
一言メッセージ:土曜日です。この一週間はどんな一週間でしたか。「感謝だった」と思う方は幸いですが、悔しい思いをした方はぜひ35編をじっくり読んでみてください。35編は面白いのです。詩人が「神さま、私を害する人をも救ってください」と敬虔に祈るのでなく、思いっきり「神さま、あんな悪い奴は滅ぼさないとダメです!ガツンとやってください」と祈っているのです。聖書なのに、こんなに赤裸々に相手への怒りを神さまに訴えて良いのでしょうか。
良いです!私たちは神さまには真っ正直で良いのです。だって、神さまはそんな私たちの弱さや、自分でも目を背けたくなる部分も含めて、丸ごと受け止めてくださるからです。
でも同時に、ちゃんとこの詩に注目しましょう。詩人は「でも、復讐するのは私じゃなくて神さま。全部を神さまに委ねる」と思って、詩を歌っています。この節度があるからこそ、自分の心が口惜しさや疲れでいっぱいの時には神さまに甘えて駄々こねて良いのです。
考えてみたら、神さまはすごい安心ですよ。だって、神さまは絶対に誰にも告げ口しませんから(笑)。おまけに、神さまが必要と思われる時にはちゃんと整えてくださるのだから。
今日は土曜日です。皆、ちょっと自分の心を緩めて、素の自分で祈りましょう。今日は神さまに甘えて、明日の日曜日は礼拝で御言葉に整えられましょう。
祈り:天のお父さま、今週も土曜日までお守りくださり、ありがとうございました。この一週間は感謝も多かったですが、心身共に疲れた出来事もありました。そんな私たちは今日、詩編35編に励まされながら、ちょっとあなたに愚痴をこぼします。「なんであいつが」とか「このやろう!」と怒る言葉が出て来るかもしれませんが、どうぞ苦笑しながら、聞いていてください。私も「全知全能の方にこんな祈りでいいのか」と半分思いながら、でも誰かに言わずにはおれないから、一番安心なあなたに祈っています。そして残りの半分、祈りながら「この敵意が友情に変わったり、不信感が信頼に変わったら」とあなたに期待しています。甘ったれですが、事柄の結論はあなたにお委ねします。私が心から慕う相談者でありますあなたにお祈りします。アーメン。


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今週一週間も皆さんの心に神さまの守りがありますように。
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5月10日~5月16日のみことば - 2020.05.10 Sun

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言がだされて1ヶ月以上が過ぎました。
「不要不急」の外出を控える生活からくるストレスもかなり溜まってくる頃かと思います。
実際、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる過剰に自粛を呼び掛けて対策をしながら営業しているお店に対して強い言葉で非難をする人たちや、県外ナンバーの車に対する嫌がらせなど、少しづつ人々の心に疲れからくる不寛容が広がってきているように思います。
心の余裕がなくなってくるのは状況的に仕方がないことですが、そんな心と上手に向き合っていければいいですよね。
私たちが加盟している日本バプテスト連盟の宣教研究所から出された「新型コロナウイルス感染拡大に伴うストレスに対処するための視点」という文章にはその対処として

・深呼吸。 ・軽い運動。 ・十分な栄養をとる。 ・好きな音楽や入浴でリラックス。
・家族や友人と話す。 ・SNSやテレビなどの情報を見過ぎない。
・感情を吐き出す(ただしメールやSNSなどでは、感情を吐露する文章はそのまま送信せず、時間を置いて再読してから出す。文字だけのコミュニケーションは誤解を生みやすく、さらにストレスを生む要因にも)。
・信仰における習慣を大切にする(祈りと黙想の時間、聖書の学びの時間の確保など)。

をあげています。
新型コロナウイルス対策から始まった毎日の一言メッセージと祈りのことばが皆さんの心をほっとさせる一助になれば幸いです。
以下、1週間のみことばを掲載します。


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10日(日) 詩編19編1-15節
一言メッセージ:詩編19編は極めて大きなスケールの詩編です。神さまの御業は時代も距離も状況も越えて、世界に等しく祝福を与えていることがうたわれています。大正時代に訳された文語訳での2節は格調高く、「この日ことばをかの日につたへ、この夜知識をかの夜におくる」と記しました。そうなのです。私たちの一日一日は単なる繰り返しの毎日でなく、神さまの御言葉、神さまの御業を語り伝えている一日一夜なのです。そんな神さまの祝福は太陽のように生きとし生ける全ての人々に注がれているのです。それが、たとえどれだけ辛く、しんどい時であっても、です。
今、私たちは毎日、新型コロナウイルスの不安を感じながら生きています。生活が一変した中で、皆さんはいかがでしょう?普段よりたくさん、時間が取れて、普段できていなかったことに取り組むことも可能でしょう。でも心に張り合いというか、自由な快活さが無いと、私たちは元気に生活できないのでしょう。自分を振り返ってみても、そう思います。でも、今朝の詩編19編の御言葉は私たちに、私たちがいかなる状況にあろうと神さまの御言葉と御業は変わることなく私たちに注がれていると告げているのです。言うなれば、私たちは神さまに生かされて、毎日毎日を過ごしているのです。
今日は礼拝の時です。今日も神さまと向き合い、生かされている喜びを分かち合いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。詩編19編はなんと温かく、希望に満ちた詩でしょう。あなたが壮大な祝福を今日も変わらず私たちに与えてくださっていること、だからこそ私たちは神さまの御前にへりくだり、あなたを礼拝するのだと教えられています。神さま、今日は日曜日、礼拝の時です。どうぞ会堂とネットを通して、今日も御言葉を与えてくださいますように。あなたが私たちの神さまでいてくださることに感謝し、救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

11日(月) 詩編20編1-10節
一言メッセージ:今日は月曜日、新しい週の仕事が始まります。新型コロナによる自粛要請の中でも、家族や社会のライフラインを守るために一生懸命に働いておられる方々や、感染を広げないために、不要不急の活動を自粛する方々も多いことでしょう。本当に我慢のしどころだと思わされます。
  しかし、その一方で、「不要不急」を求めた政治が「今、それをする時か!?」ということをやらかします。土曜日に審議された官邸が検察人事権に介入することを合法化する取り組みなど、今、本当に必要なことでしょうか?火事場泥棒にしか見えません。憲法が訴える主権者たる国民の生活を顧みず、その基本的人権を蔑ろにする指導者たちに、正直、苛立ちも多々感じます。
  そんな私たちが今朝、詩編20編を読むのです。この詩編は詩編の中で10編だけ存在する、「王の詩編(詩の歌い手〔その一部〕が王である詩編)」です。今朝、注目したいのは8-9節です。「戦車(自分たちの力や権力)を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我ら(イスラエルの王と民)は、我らの神、主の御名を唱える。彼らは力を失って倒れるが、我らは力に満ちて立ち上がる。」この言葉は正に今、私たちにとって必要な言葉です。週の働きの始まりに、この国、この世界が、社会の中で苦境に追い込まれている方々に必要な助けが与えられるように、力や権力でなく神さまの愛される一人ひとりの命を尊べる歩みへと変わってくように、と祈りながらスタートいたしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝私たちは詩編20編を読みながら一週間の働きを始めます。社会が混乱し、火事場泥棒のような政治に落胆する中で、でも私たちは「われらの神、主の御名を唱え、力に満ちて立ち上がる」と分かち合いました。神さま、どうぞ今、私たちに希望と力を与え、この社会の中で苦境に立たされた方々の平安と守りを祈り、手を差し伸べることができますように。救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

12日(火) 詩編22編1-32節
一言メッセージ:今日の詩編はちょっと長いですが、敢えて全部を読むようにしました。この詩編22編は「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」でスタートします。どこかで聞いたことのある言葉ではないですか。これは伝統的な解釈として、マルコやマタイ福音書で十字架上のイエスさまが「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶ言葉の解釈として用いられてきた詩編なのです。この詩編は「神さまに見捨てられた」という嘆きから始まり、前半は悲嘆にくれる言葉が続きますが、しかし、そんな絶望の中で詩人がやはり神さまに希望を見出していく様が描かれていくのです。そして、最後31-32節で詩人は、今も変わらず苦境にいるであろうに、未来に目を向けています。それも「神さまがおられるんだから大丈夫だ」という希望に満ちた未来を見ているのです。彼は自分の役割はこの苦難を超えた時に、神さまを賛美し、人々に神さまの御業を証することだと歌って詩を終えました。
私は今日、その詩人と同じ心境で過ごしたいのです。つまり、たとえ今、私たちがどれほど苦しい思いを経験していても、私たちはこの苦しさを超えた時に「神さまはなんて素晴らしい方なんだ」という賛美と証を互いに交わすことになると期待して過ごすのです。
皆さんも今の期間、それぞれに体験しておられませんか?「やっぱり神さま、おられるっちゃんね♪」という喜びの証を。どうぞ、その証を温めながら今日を過ごしてください。そしてどうか、私たちがもう一度礼拝に集う時に、その証を聞かせてください。私たち久留米キリスト教会は神さまを賛美する群れ。今の不安も苦難も全部、後々の感謝に代わるための通過点です。さぁ、今日も神さまの御業を経験するため、一日を始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝私たちは詩編22編を手にしました。詩人はあなたに「どうして見捨てられたんだ」と訴えて詩を始めたのに、いつの間にかあなたによる慰めと希望を確信し、最後には「私はこの賛美と証を後の世代に伝える」と期待に満ちて詩を締めくくりました。神さま、今、私たちはこの詩人と同じように、不安が期待に変わることを、恐れが賛美に変わることを、祈りつつ待ち望みます。その根拠をあなたに見出します。あなたこそが私たちを導かれるお方です。あなたこそが私たちの神さまです。どうか、私たちに賛美と証の基となる経験をさせてください。今日のお導きに期待し、救い主イエスさまのお名前でお祈りします。

13日(水) 詩編23編1-6節
一言メッセージ:詩編の中で最も有名な詩の1つがこの23編ですね。暗唱しておられる方も多かろうと思います。神さまと自分との関係を羊飼いと羊に譬えた詩です。詩人は歌います。「神さまがおられるならば、わたしには不足はない(1節)」、「神さまは私の魂(霊魂ではなく、生きる力の根源を指すイメージ)を生き返らせてくださる(3節)」、「神さまが導いてくださるから、死の陰の谷(絶体絶命のピンチ)を行く時もわたしは『もうダメなんじゃなかろうか』と不安におののくことはない(4節)」、「私を敵視する人が目の前にいても、神さまは私の食卓(日常の生活)をちゃんと整えてくださる(5節)」、「私は生涯にわたって守られ、死して後も神さまの平安の中に生き続けるだろう(6節)」。彼は一貫して神さまの祝福と守りを語り続けます。では、その根拠とはどこにあるのか。新共同訳はこの大事な部分をちゃんと訳出していませんが、それは1節冒頭の言葉、「主は“わたしの”羊飼い」だからです。新共同訳では「主は羊飼い」と書かれているだけで、これでは一般的な意味合いの例のニュアンスが出てしまいます。でも、詩人は「神さまは、こんな私であっても身を挺して守ってくださる羊飼いだ」と語り、だからこそ「自分には欠けることがない」し、2節以下の祝福も語ったのです。
詩の中で、私たちは羊に譬えられます。羊はとても弱い生き物です。視力も知力も運動能力も低く、勇気ある動物でないため、襲われた途端に大パニックになる、そんな動物です。でも、そんな羊の最大の強みは聴力です。羊はたとえ何年離れていても、主人の声を聞き間違えることはないそうです。私たちは羊、羊飼いは神さま。今日も神さまの御声を聞きながら歩み始めていきましょう。メェ~。
祈り:天のお父さま、今朝もこうしてみことばをいただき、感謝します。今朝私たちは詩編23編を分かち合いました。他ならぬあなたこそが私たちの羊飼いです。あなたは、羊飼いが羊を守るために身を挺してくださるように、私たちを守り導いてくださるお方です。だから、私たち自身に力や勇気や知恵が足りなくとも、あなたの御声を聞き分けて従います。どうか詩人同様に、私たちにもあなたによる平安をお与えください。あなたへの信仰によって生きる者としてください。この祈りを救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

14日(木) 詩編25編1-22節
一言メッセージ:今朝の詩編25編はヘブライ語のアルファベットに基づく、あいうえお作文のような詩です。例えば、1節はヘブライ語アルファベット最初の言葉アレフで始まり、2節はベイト、3節はギンメル…というように22節のタァブで締めくくられています。そして、この詩は意味の一環がある詩というよりも、1節ずつを独立して読む詩なので、どうぞあなたの感覚にピタッと合うところを心に留めて一日を過ごしてください。ちなみに私が「ここっ!」と思うのは20節です。詩人は神さまの守りを願いながら、「御もとに身を寄せます」と語ります。「神さま、わたしのところに来て守ってください」でなく、「わたしが神さまの御もとに行きます」と語っています。自分の正しさを神さまが補強してくれることを願うのでなく、神さまの正しさに自分が身を寄せていくと訴えています。ここに、信仰者の生き方があると思うのです。私たちは人間ですから、自分の正しいと思うことは自分なりのモノの見方に過ぎません。別の視点から見れば、独りよがりだったりするのです。だから私たちは「私はね、私はね」と我を貫くのでなく、全てを理解した上で導いてくださる神さまの視点を大事にするのです。そんな生き方がこの20節にあると思うのです。さぁ、今朝は一体どんな一日になるでしょう。今日の一日、神さまの御心を模索して従うように始めてまいりましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたの御言葉はいつも、私たち一人ひとりに必要な示唆を与えてくれます。どうぞ今の自分に響いた御言葉の示唆を大事に今日の一日を過ごさせてください。どうか、私たちは自分の思いに固執せず、あなたの御心を求めて生きることができますように。十字架を前にして「私の思いでなく、御心が実現しますように」と祈ってくださった救い主、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

15日(金) 詩編27編1-14節
一言メッセージ:この一週間も金曜日まで歩んで来られました。今朝の詩編27編の詩人は、具体的な背景は分かりませんが、周囲の人々に見捨てられ、苦しい状況に追い込まれた中で神さまに救いを願って祈っています。10節などは思わず賛美歌の「いつくしみ深き」を思い出すような言葉です。
こんな詩編27編で注目したいのは4節です。詩人は「ひとつのことを主に願い」と語ります。「ひとつのこと」と見ますと、「今の状態ではこのひとつを優先しよう」という、絞り込んだ選択肢というニュアンスを感じますが、ヘブライ語原典では意味合いが違います。「ひとつのこと(アハト)」は「唯一のもの」という意味合いです。詩人は「あれもこれもあるけれど、今はこれ」と言っているのでなく、周囲から見捨てられて苦しい状況の中で、「私は自分の人生の中で、この唯一のものを求めて生きて生きたい」というニュアンスで「ひとつのことを主に願い」と語っているのです。
詩人は私たちに、人生の唯一の指針は神さまと断言します。それは、神さまを大事にすれば、後はどうでも良いからではありません。神さまが私たちを最善に導き、必要なものは整えてくださるからです。イエスさまもマタイによる福音書6章33節で同じように語りました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(私たちに必要なもの)はみな加えて与えられる。」
新型コロナはこれからどうなるのでしょう。終息に向かうのか、第二波、第三波が続くのか。先は見えませんが、14節「主を待ち望め。雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望め」との御言葉に励まされながら、今日の一日を始めていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたこそが私たちの人生の根拠であり、希望の源です。私たちは日々、耳に入る情報や目に見える出来事に捉われ、時に、自分の経験や常識で計り知れない先行きに不安を感じて、こわい想像を膨らませてしまいます。でも神さま、そんな時にも私たちに、あなたを信じて生きる幸いを思い起こさせてください。あなたは必ず私たちを導いてくださる方です。私たちの必要には答え、鍛えるためには沈黙しつつ見守ってくださる方です。神さま、どうか今日の一日もあなたの守りと導きの中で歩ませてください。あなたを待ち望み、心強く、そして優しく歩むことができますように。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

16日(土) 詩編28編1-9節
一言メッセージ:今週も土曜日まで歩んできました。今朝は詩編28編を読みます。この詩のテーマは「沈黙」です。詩人は何らかの苦境の中で神さまに「助けて」と祈り求めますが、その祈りに神さまが答えてくださらないと焦り、「沈黙しないでください(1節)」と訴えています。3節では、神さまに逆らう人々は「平和」を口にしながら悪意を抱いているが、自分も神さまからそんな人々と同じように見られているのではないか、と怯えているのです。神学者・関根正雄という方はこの箇所でこんなことを語っています。「神がそっぽを向いたと感じたその時に、なお神を追いかけるか、諦めるかで私たちの信仰は決まる。その時に神を信じて追わないならば、その者は神でなく、自分の幸福を信じているに過ぎない」。彼は「それでも信じなさい」と語るのです。28編の詩人も「神さま、どうか応えてください」と追いかけたのでしょう。6節で「主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました」と記しています。何があったか分かりません。ただ、私たちは「神さまは応えてくださるお方」とだけ告げられているのです。神さまは私たちを見捨てる方ではないのです。
明日は日曜日、礼拝の時です。一週間で疲れもあることでしょう。でも礼拝は私たちの力の源です。昔、O兄が証で言われていましたが、「一週間は168時間。その1時間を神さまにお献げして」、礼拝に思いを寄せましょう。明日、会堂とネットで皆さんと礼拝できることを楽しみにしています。
祈り:天のお父さま、今朝もあなたの御言葉をありがとうございます。今朝は28編を分かち合いました。詩人の姿に私たちは自分を重ねます。私たちも「神さま」と願いながら、願いが叶えられないと、「神さまは何故黙っておられるのか。聞いていないんじゃないか」と疑ってしまいます。けれど、詩人はそれでもあなたを信じ、追い求めることを止めませんでした。神さま、私たちはこの詩人の姿に教えられます。どうか私たちも日々、あなたを信じ、あなたに期待し、あなたに従って歩む者としてください。明日の礼拝、どうぞ私たちに新たな一週のために力をお与えください。感謝して、イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。



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今週一週間も皆さんの心に神さまからの平安がありますように!



5月3日~5月9日のみことば - 2020.05.03 Sun

今週も毎日のみことばメールとして発信しているものを1週間分掲載します。

先ほど市から情報が入り、久留米市ではじめて新型コロナウイルスで亡くなった方が出たとのことでした。
新型コロナウイルスで亡くなった方は、その葬りのときにも通常と同じようにはできないという事も他のニュースなどで聞きます。残されたご家族にとってはどれほど辛く、悲しい事かと思います。
亡くなった方の魂を神さまが抱き寄せてくださり、神さまのみ許で安らかであります様に。また残されたご家族に、慰めがあります様にお祈りします。


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3日(日) 詩編100編1-5節
一言メッセージ:今日5月3日は何の日でしょう。そう、憲法記念日です。1947年の今日、日本国憲法が施行されました。日本の憲法は施行後73年、一言も変えられることなく保たれてきました。「アメリカに押し付けられた」と言う人がいますが、そもそも、良いものは誰からもらっても構いません。今のコロナの事態のため「緊急事態条項が必要」と主張する政治家もいますが、国民が権力者を規制するための憲法について、政治家側がとやかく言うことは不当です。「古くなった」と言う人がいますが、いいえ、時代が未だ憲法の精神に追いついていないだけです。それらは前文を見れば分かることです。
  今年、僕は一度、教会で皆さんと憲法勉強会をしたいと思っていますが、僕は現行憲法こそが日本の誇りだと思っています。それは前文にあるように、諸国民(世界の人々)の平和を願う思いに信頼し、「みんなで平和を創ろう」と呼びかけているためです。
  今朝の御言葉、詩編100編も同様のスケールを歌っています。100編は礼拝に集った会衆に向かって、祭司が「礼拝を始めよう」と呼びかける詩ですが、その冒頭、祭司は「全地よ」と、全世界に向かって呼びかけます。自分たちの仲間が集まった礼拝なのに、祭司は世界スケールで「神さまの前に集い、共に礼拝をささげよう」と歌うのです。「知れ、主こそ神であると」との言葉は正に今の世界に向かっても叫ばれている言葉です。私たちの神さまは平和の神、今朝は特に平和を覚えて祈り合いましょう。
祈り:天のお父さま、今朝は73年目の憲法記念日であり、あなたを礼拝する主の日です。この2つの喜びをありがとうございます。神さま、今日、憲法が記した世界の民と共に平和を実現するとの理想を思い返しつつ、御言葉を読みます。詩編の著者は、小さな自分たちの礼拝を守りながら、世界に平和実現を呼びかけました。神さま、私たちはそんな詩編の思いを引き継ぐ教会であることを心から感謝します。今、私たちも新型コロナウイルスの不安を抱えつつ、でも、あなたの平和実現のために御言葉に立って声を上げます。神さま、どうか、私たちの小さな声を「全地」に響かせてください。あなたの御言葉に立つ平和実現の一助とならせてください。主の日、礼拝の前の時に、平和憲法を誇りとしつつ、平和の君なる救い主イエスさまの御名で祈ります。アーメン。

4日(月) ルカによる福音書6章21節
一言メッセージ:「今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる」はルカの平野の教え(マタイでは山上の教え)の一文です。現実の厳しさに直面する人々に向かって、イエスさまが語った言葉です。日本語では現れませんが、「満たされる」という言葉には「満たしてくださる方は誰か」という示唆が含まれています。それは「神さま」です。イエスさまは「神さまがいるんだから」という根拠を持って、「幸いだ」と語ったのです。どこか私たちの心をホッとさせてくれる、とってもユーモラスな言葉です。
 今、新型コロナウイルスで不安やストレスを抱えた人々も多いです。そういう中で「神さまがおられるんだから」と考えてみたら、視野が広がり、期待感が湧いてきませんか?身近なことでもそうです。夫婦喧嘩した後に「神さまがおられるんだから」と考えて、神さまの返答を想像してみましょう。「ちゃんと分かってるよ」と言われるか、「どっちもどっちたい」と浮かぶかはその人次第ですが。仕事や人間関係で落ち込んだ時にも「神さまがおられる」と祈って、大の字で寝たらいい。
クリスチャンの強みは「神さまがいるんだもの」と思えることです。そして神さまはそうやって縋る私たちを決して無下にされません。さぁ、今週も「神さまがいるんだもの」で始めていこう。
祈り:天のお父さま、今朝も私たちに御言葉をくださり、ありがとうございます。今朝、私たちはイエスさまの「神さまがおられるんだから」との信頼からくるユーモアを知りました。「神さまがおられるんだから」。それが私たち信仰者に与えられた大きな強みであることを思います。神さま、私たちの主はあなたです。私たちが信じ、従うのはあなたです。どうかこの一週間もあなたの祝福と御言葉によって養われてまいりますように。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

5日(火) 詩編1編1-8節
一言メッセージ:昨日から「幸い」繋がりで詩編1編を選びました。150編続く詩編の始まりは「幸い(アシュレー)」の言葉で始まります。詩人が「幸い」と考える人は、「神の逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」です。これだけ読みますと、とっても優れた敬虔な信仰者のように見えます。でも、じっくり読みますと、ちょっと印象が代わります。詩人は「罪ある者の道に誘惑されるがとどまらず、傲慢な者と共に腰を下ろしかけても立ち上がり…」とちょっと誘惑される様子が見えて来るそうです。でも、彼は誘惑に屈しません。それは2節「主の教えを愛し(新改訳:喜びとし)、その教えを昼も夜も口ずさむ」からです。「口ずさむ」はラテン語で「メディタティオン(黙想する)」です。日頃から御言葉を読み、自分の人生と重ねて考えること、言うなれば、日々みことばに学び、養われている、その経験によって彼は誘惑に屈しないのです。そして、そんな人を「幸い」と詩人は言うのです。
  今朝は「こどもの日」です。子どもたちが一日一日、少しずつ、でも確かに成長するように、私たちも日々、御言葉に育てられていきましょう。
祈り:天のお父さま、今朝もみことばをありがとうございます。神さま、今朝は子どもの日です。こどもたちがすくすくと育っていることを感謝します。今朝、私たちは詩編1編で「幸いな人」について学びました。詩人は、幸いな人は日々、みことばに養われる人だと語りました。神さま、私たちも日々、あなたのみことばによって養われていることを感謝します。どうか私たちが御言葉を我が事として学び、ふとした日常の時に思い起こしてあなたを身近に感じられる、そんな者となれますように育て導いてください。あなたによって育てられているこどもの一人として、心からお祈りします。アーメン。

6日(水) 詩編2編1-12節
一言メッセージ:詩人は神さまに背く地上の王の姿を描きます。彼らは3節のように自らの力を誇ります。けれど彼らに対して神さまは6節で「お前たちが何を言っていようが、私こそが神であり、私が私の代務者である王を立てる」と言い切ります。私たちは社会の動きや周囲の人々の言葉を耳にする中で、時々、「神さまこそが主である」ということを忘れがちになり、社会の動きや周囲の声に振り回されることもあるでしょう。そりゃ、私だってありますよ(笑)。でもそんな時に、一拍だけ立ち止まって、こう考えてみてください。「神さまはどげん考えらっしゃるかいな。」その一拍が私たちに冷静さと知恵を与えてくれます。特に今、社会全体が不安に浮足立つ時は余計にこのことを覚えておきたいものです。
祈り:天のお父さま、今朝も御言葉をありがとうございます。今朝わたしたちは詩編2編を通して、社会の動きや周囲の声に翻弄されないための知恵を得ました。あなたの御心を模索するために一拍の間をとることでした。神さま、どうしても不安におののき、気持ちが揺らぐ時に私たちは自分たちの経験や常識や周囲の声に流されてしまいます。でも、いつもあなたの御心に立ち帰る私たちであらせてください。今日の御言葉に感謝して、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

7日(木) 詩編8編―10節
一言メッセージ:今朝の箇所、詩編8編では、詩人の大きな喜びが歌われています。2節で「主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名はいかに力強く、全地に満ちていることでしょう」と神さまを喜び讃え、4節までで神さまの偉大な御業を語るのですが、詩人の驚きは5節に集約されます。それは、「偉大な神さまがどうして僕らのような不完全な人間に目を留めてくださるのだろう?」です。共通する理解が3節の「幼子、乳飲み子の口によって…」です。ここでいう「幼子、乳飲み子」は実際に小さな子どもというよりも、権力者と対比されて、弱く小さな存在という意味です。正に、「こんな小さな私たちに目をかけてくださった」という神さまへの驚きを歌います。考えてみれば、この驚きは私たちにも共通します。どうしてこんな私たちのために、神さまは御子イエスさまさえ惜しまず、十字架にかけてまで救ってくださったのだろうか?理屈や理詰めでは分かりません。ただ「神さまの愛」という他ありません。私たちはこの神さまの愛によって生かされ、祝福され、導かれているのです。
  さぁ、今日からゴールデンウィーク明けで仕事が始まる方もあるでしょう。未だ新型コロナの不安は続いていますが、私たちは神さまの愛の中で生きている。その喜びを覚えながら、一日を過ごしましょう。
祈り:天のお父さま、今朝も御言葉をありがとうございます。詩人は、偉大なあなたが私たちのようなちっぽけな存在に目を留めてくださっていることに驚き、感動をもって詩編8編を歌いました。神さま、私たちも同じ気持ちです。父なる神さまは私たちを救うべく、イエスさまの十字架を決断され、イエスさまは十字架にかかってまで私たちに寄り添ってくださいました。私たちはこの出来事に対して、「神さまの愛ゆえ」という言葉しか持ちえません。ただただ、あなたの愛によって生かされていることを感謝します。今日から週の後半週となります。どうか神さまの愛を感じながら過ごさせてください。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

8日(金) 詩編16編1-11節
一言メッセージ:詩編16編の6節を覚えていますか?ここは、2017年に久留米教会の教会組織50周年の感謝礼拝にてY先生が説教された箇所です。Y先生は「測り縄は麗しい地を示し、わたしは輝かしい嗣業を受けました」との御言葉を、久留米教会の歴史と重ねて語られました。測り縄はおもりの付いた縄で、測量のための道具です。どういう地形にあっても、垂直を指し続けます。Y先生は久留米教会の50年を振り返りながら、感謝もあれば困難もあったが、でも神さまの測り縄はいつも教会の歩みをまっすぐに示し続けたのだと語ってくださいました。2020年の今年、久留米教会は教会組織53年目にして新型コロナにより活動制限というピンチを経験しています。でも、私は今もこの「測り縄」に期待しています。この制限の中でも私たちは神さまの御言葉によって励まされ、生かされています。ネット礼拝など、この制限下でもできることを試行錯誤しながら、教会の在り方を模索しています。今大事なことは、「この時に神さまの測り縄は何を示しておられるか」です。私たちの不安もストレスも葛藤も失敗も、全てを祝福へと導かれる神さまは、このピンチをかつてないほどのチャンスに変えてくださいます。今のこの時も久留米教会の「測り縄」として歩みを示してくださる神さまに期待しましょう。
祈り:天のお父さま、今わたしたちはあなたの「測り縄」がどこを指しておられるか、試行錯誤しながら模索しています。少なくとも、今わたしたちは、皆が集って守れる礼拝がどれほど祝福だったかを再確認させられています。この礼拝への渇望は、私たちが教会に戻って共に礼拝できる時に、教会の新たな力となることでしょう。でも神さま、わたしたちは結構欲張りです。先ほど語った祝福だけでなく、もっともっと、この困難の中で示される祝福に気づき、喜び合いたいと思います。どうか久留米教会のこれまでの53年と同じく、いっぱいの祝福をお与えください。ただただ主なる神さまに期待し、イエスさまのお名前でお祈りします。

9日(土) 詩編17編1-15節
一言メッセージ:詩編17編は、困難の中で神さまの導きと整えを願う詩人の詩です。1-5節で詩人は自分が神さまに誠実であることを強調します。3-4節の「夜なお尋ね」は、寝ている時は心を偽れないから、自分の心の奥底まで神さまに調べられても誠実です、という意味です。私たちから見れば、「そんなに自信満々でいれるんだ」とびっくりするほど、彼は正しさを訴えます。
でも、私はそれで良いと思うのです。詩人もまた人間です。そりゃ、神さまの目に罪と思われることだってあるでしょう。でも、人生の選択の時に詩人はきっと「神さま、今、何が大事でしょう。あなたは何を求められるでしょう。私には全てを悟り得ませんが、でも私は自分の利益や都合を排除して、あなたの御心を求めて選びました(10節などと比較)」と祈り、決断してきたと思うのです。そこまで考えて決断したからこそ、「神さま、もし間違っていたら、軌道修正をお願いしますね」といった心境にもなれますものね。(経験上、本当にそう思わされます)。
最後、5節に注目しましょう。詩人は「あなたの道をたどり」と言いますが、この「道」は舗装された道ではなく「わだち(轍)」、誰かが先に通って踏み固めた道です。つまり、先に同じ困難を経験しながら神さまに従い抜いた先達がいるのです。皆さんの信仰の先達は誰でしょう。それぞれに思い起こす人もいるでしょうし、何より、イエスさまこそが私たちの信仰の轍を踏み固めてくださったお方です。私たちは今日もイエスさまに従い、生きているのです。
祈り:天のお父さま、今日も御言葉をありがとうございます。今朝私たちは詩編17編を通して、あなたに誠実に生きることを考えました。神さま、私たちは自分たちが過ちを繰り返す人間であることを自覚しつつも、あなたの御心はどこにあるか、模索して歩んでいます。特に今は制限生活の中で、より深く、あなたについて考えさせられています。神さま、どうか、迷い悩みの私たちですが、あなたに従う生き方をさせてください。どうか8節にあるようにあなたの御翼の陰で私たちを養ってください。間違った選択をした時は、ちゃんと軌道修正ください。信じて従うことのできる神さまがいてくださることに感謝して、救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。


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今週も皆さんの上に神さまの守りと祝福がありますように!


4月26日~5月2日みことばメール - 2020.04.27 Mon

今週も毎日のみことばメールとして発信しているものを1週間分掲載します。
今週の皆さんの歩みの上にも平安がありますように。
新型コロナウイルスの感染が少しずつでも収まっていきますように。
治療にあたっている医療関係者の方々、ライフラインの維持のために働いてくださっている方々へ神さまからの守りがありますように。


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26日(日) イザヤ書43章19節
一言メッセージ:新しい週の始まりです。この御言葉は2007年、私が久留米教会に着任した年の主題聖句でした。昨日のみことばメールで指摘したように、直前まで神さまは「わたしは」「あなたは」と連呼しながら、私たち人間に、「主なる私(神)に目を向けよ」と繰り返されました。今朝のみことばはその続きです。神さまは「見よ、新しいことをわたしは行う。今やそれは芽生えている」と宣言されます。神さまの語る「新しいこと」とは、「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」ほどの出来事です。荒れ野は整備できないから荒れ野であり、砂漠は水気がないから砂漠なはずです。でも神様はそんな、「無理だって」と決めつけてしまいそうな現実のただ中から「新しいこと」を始めようとされるのです。今朝、私は週の始まりにこの「見よ、新しいことをわたしは行う」と宣言される神さまに期待します。神さまは今週、わたしたちにどんな示唆を与えてくださるのでしょうか。
  そうそう、先日すっごく面白い話を聞きました。T兄はネット環境が無いとのことで、宣教CDを作ってお届けしています。するとお礼の電話と共に、「CDですが、同じ老人ホームの方で以前、礼拝にお連れした方が僕以上に熱心に聞いておられます」と言われるのです。これは、終息後、貞一さんと共にお越しくださるんじゃないかと楽しみをもらいました。これも「新しいこと」ですね。
さぁ今朝は10:30から主日礼拝です。直接来られる方もネット参加の方も、共に礼拝に集いましょう。
祈り:天のお父さま、新しい週の始まりをありがとうございます。今朝、あなたは私たちに「見よ、新しいことをわたしは行う」と宣言されました。その御業は「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」ほどの御業、私たちには理解し難いほどの御業と宣言されます。神さま、何が実現するのか、今の私たちには皆目見当がつきません。でも、あなたが「見よ」と呼びかけてくださるから、私たちは期待しつつ、あなたに目を向け、心静め、御業を待ち望みます。どうか今週もお導きください。後からの礼拝で兄弟姉妹たちと心合わせることができますように。イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

27日(月) イザヤ書46章3-4節
一言メッセージ: 新型コロナの騒動の前、「自己責任」という言葉をやたら耳にしていました。今の状況でそれを言うと、あからさまな弱者切り捨ての言葉に聞こえるから政府も口にしませんが、でも、長いこと休業補償を渋っていたことなどは、そういう風潮に基づく意図だったかもしれません。私はそんな「自己責任」と言って、困窮する民、傷つき涙する者を切り捨てる風潮が大嫌いですし、福音的と思いません。一方、聖書は私たちに何を告げますか。聖書は良き知らせ、慰めと希望を告げ続けています。今朝の箇所はその際たるものです。神さまは私たちを丸ごと引き受けて、「わたしがあんたの責任者!わたしがあんたを守っとると!」と断言くださいます。今のちょっとしんどい時にも「わたしが担い、背負い、救い出す」と断言下さる神さまに目を向けて、今日も元気に歩んでいきましょう。
祈り: 神さま、今日もみことばをありがとうございます。今日から一週間の働きが始まってまいります。本当ならば早い人はもうゴールデンウィークに入り、楽しい計画もあったことでしょう。でも、私たちは今、制限と不安の中で生活しています。「どうしてこうなったのだろう、これからどうなるだろう」と不安もありますが、でも、今日いただいた御言葉で「わたしがあんたの責任者!」と言ってくださる神さまを知って、ホッとしました。神さま、どうぞ今週もあなたの導きの中で歩ませてください。期待して、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

28日(火) イザヤ書46章10節
一言メッセージ: 皆さんは刑事コロンボという映画をご存知ですか?ロサンゼルス市警殺人科刑事コロンボが難事件を解決していくシリーズです。以前はテレビでも結構放送されていましたが、ここ数年は全く見ませんね。さて、そんなシリーズの中でかつて衝撃を受けた話がありました。それは放送が始まると早々にコロンボによって犯人が明らかにされたのです。普通は事件が起こって、刑事の捜査が始まって、謎が明らかになって、最後に犯人が分かりそうなものですが、この回は最初に犯人が明らかになり、そこから何故コロンボが犯人に行き着いたかを明らかにしていったのです。これ、初めに結論ありきのスタイルです。さて、今朝のみことばで神さまも告げます。「わたしは初めから既に先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。」これぞコロンボ型福音!事実、イザヤ書のみことばを聴いた時のイスラエルの民はまだバビロンで捕囚の境遇でした。けれど神さまはそんなイスラエルの民に先ず救いを宣言し、その後にバビロンの滅亡、イスラエルの解放へと導かれたのです。今日、みことばは同じように私たちに救いを告げます。さて、どこで「やっぱり!」と確認できるでしょうか。楽しみですね。
祈り: 神さま、今朝もみことばをありがとうございます。あなたは時々、刑事コロンボのように、私たちに結論から与えられる方です。(もしかして、楽しんでおられますか?)あなたは私たちが理解しえない時に約束を与えて下さる方です。私たちは後になって、「あっ!これって以前に聞いていた…」とびっくりさせられます。神さま、今、わたしたちはまたびっくりさせられたいです。あなたの救いをいただきたいです。どうぞ病の終息と癒しを私たちの社会に実現してください。あなたの約束に期待してお祈りします。アーメン。

29日(水) イザヤ書49章16節前半
一言メッセージ: 読み続けてきたイザヤ書ですが、今朝の箇所は想像力を刺激されませんか?見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。」誰かを思い出しませんか?私はイエスさまを、その手の十字架の傷を思い起こすのです(厳密に言えば、イエスさまの十字架は手のひらでなく手首でしたが)。私はこの御言葉を読みながら、「私たちはイエスさまによって救われたんだ。これは当たり前じゃない恵みなんだ」と思わされます。
最近、新型コロナに関連して、悲しいニュースを聞きます。不安やストレスのためか医療従事の方々やスーパーの店員さんなどに八つ当たりする人もいるそうです(私は郵便局で、些細なことで怒鳴っている方を見ました)。その不安も分かりますが、先ず私たちは周囲に目を向け、「当たり前」とせずに「ありがとう」を伝えましょう。その方々もまた今、「その手のひら」で社会を助けようとしてくれているのです。
祈り: 天のお父さま、今朝の御言葉は私たちにイエスさまの姿を思い起こさせます。私たちはイエスさまの十字架の死によって救われました。この救いは当たり前でなく、本当ならば起こり得ない、有り得難い出来事でした。神さま、私たちはイエスさまの救いに感謝するとともに、今の社会の中で必死にコロナウイルス終息や私たちの生活を守るために尽力くださっている方々を思い起こします。どうぞ私たち同様に、その方々をもお守りください。今日の一日、不安やストレスによる不満よりも、多くの人への感謝を感じて過ごす一日としてくださいますように。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

30日(木) ローマの信徒への手紙4章9節
一言メッセージ:久しぶりに朝のみことばメールを新約から選んでみました。今朝はローマ書4章9節です。著者はパウロです。パウロと言えば、元迫害者だったのが回心してキリスト教を世界へと広めていった人物ですが、彼のすごいところは「救いとは割礼を受けたユダヤ人にのみ与えられる」と考えられていた教理を、「ユダヤ人以外の異邦人にも、割礼を受けていない人々にも当てはまるのだ」と広げて伝道していったことです。それは異邦人伝道となり、今の私たちにも繋がりました。さて、ここで疑問が湧きます。誰もが割礼は救いの条件だと思っていたのに、その条件を関係ないと主張したパウロは、何からそう思ったのでしょう。それが今朝の箇所です。パウロは信仰の父と呼ばれるアブラハムを例(創世記15章6節)に着目し、「神さまがアブラハム(当時はアブラム)を義と認められたのは割礼を受ける以前だった。神さまは信仰によってアブラハムを義とされた」と気づいたのです。人の「当然」と思い込んでいた事柄に対して、御言葉に立ち、改めて問うた結果、パウロは神さまの福音の本質に気づきました。この4月、私は「神さまに注目しよう、御言葉に養われよう」ということを大事にしてきました。この制限多い生活の中で私たちはやはり神さまによって生かされていることを共に確認したいのです。人の「当たり前」は神さまの御心の前にはもろいものです。4月の終わりに、私たちは改めて神さまの御心とみことばに立つものでありましょう。
祈り:天のお父さま、今朝のみことばをありがとうございます。今朝私たちはパウロが「人が信仰によって義とされる」と確信した根拠を分かち合いました。それはアブラハムが割礼といった行為ではなく、先ず信仰によって義とされていたとのみことばの示唆によるものでした。神さま、私たちは御言葉がどれほど人を勇気づけ、生かし、直面する事態を変えていくかを知らされます。神さま、どうぞ私たちにも日々、みことばを与えてください。慣れ親しんだみことばであっても、どうか繰り返し読む中で、新たな気づきと喜びを見出させてください。4月、みことばによって生かされたことを感謝し、5月の導きにも期待し、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

5月1日(金) ローマの信徒への手紙5章3-5節
一言メッセージ: 早いもので4月も終わり、5月に入りました。例年であれば、4月は春をいっぱいに感じ、「よし5月も頑張ろう。その前にゴールデンウィーク♪」とウキウキする時ですが、今年は新型コロナウイルスのために制限ばかりで4月が過ぎました。長引く自粛に皆、疲れとストレスが溜まっているようです。そんな中、今朝はローマ書に目を留めたいのです。パウロは苦難が希望に繋がるから誇りだ、と語ります。分かりやすくするため、日曜日の礼拝の御言葉、コリントの信徒への手紙10章13節も合わせて思い起こしてください。パウロは「神さまは真実な方だから、苦難に直面する時に私たちが逃げるのでなく、向き合うならば必ず解決するための出口を与えてくださる」と語りました。今朝の箇所も同じです。パウロは逃げ出すのでなく、課題に向き合う時、「苦難は忍耐を、忍耐は練達(熟練)を、練達は希望を生む」と語るのです。その「希望」は神さまによる希望だから、「わたしたちを欺くことがない」のです。パウロの希望の根拠はいつも神さまです。私たちも神さまの愛を根拠に5月も歩んでいきましょう。
祈り: 天のお父さま、今朝もみ言葉をありがとうございます。神さま、4月も今日で終わりです。今年の春は自粛制限ばかりで、ある意味忘れられない春でした。神さま、長引く自粛に私たちは少し疲れも感じています。早く、自由に過ごせる毎日を過ごしたいと願います。けれど同時に、この制限の中で私たちがただ腐るのでなく、あなたへの希望をも確信させてください。パウロが語ったように、この苦難の中で忍耐する私たちが、少しずつあなたに心を向け、あなたの慰めと導きを見出し、希望を得ることができますように成長させてください。新しい月の始まりに、あなたへの感謝と期待をもって一日過ごさせてください。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

2日(土) ローマによる信徒への手紙8章18-28節
一言メッセージ: ローマ書を読み始めましたが、正直、難しいですね。というのも、ローマ書はパウロの最後の手紙であり、彼が考えてきた自分たちの風習と神学的考察を比較しながら書いた、いわば神学書の走りだからです。だから、当時の人々の風習や価値観をもって読まねば、よく分かりません。でも時々、パウロの状況を超えて、私たちの生活の中でも実感として分かるのです。
  パウロはこの時、「私たちは既に救われているなら、どうしてまだ苦しみ続けているのか」という疑問について考えています。パウロは端的に言って、「今の救いは将来与えられる救いの完成と比べると、まだまだぜんっぜん大したことないんだ。既に救われた私たちだけど、この救いの完成に向けて私たちは生きているんだ。だから、まだ苦しみがある。でもね…」といって、26節のように「霊も弱いわたしたちを助けてくださり、わたしたちの言葉にできない呻きのような思いすら、神さまへととり繋いでいてくださる」と語ります。そして神さまは28節「万事を益に」、今のこの苦しみや迷いも呻きもすべて、益としてくださるのだと語るのです。きっと今の私たちの経験も必ず益となるでしょう。明日は礼拝の日です。今日は一週間を振り返りながら、明日の礼拝に備えましょう。
祈り: 天のお父さま、今週もあなたの守りの中で歩むことができて、ありがとうございます。今朝も私たちはローマ書を読みました。慣れ親しんだ御言葉ですが、改めて私たちは自分たちの生活と当てはめて御言葉を味わいます。神さま、あなたは言葉にならぬ呻きをもちゃんとご存知でいてくださり、この経験をも含めて私たちを救いの完成、あなたの御国へと導いてくださることでしょう。神さま、どうかこの苦難をも益としてください。どうかこの制限の中で、今まで以上に私たちがあなたを身近に感じて喜ぶことができる者、信頼できる者となれますように。一週間の疲れを癒し、明日の礼拝に備えさせてください。いつも私たちに伴い、み言葉をもって励まし強めて下さるイエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

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4月20日~4月25日 一言メッセージと祈り - 2020.04.21 Tue

受難週を過ごす中で、また新型コロナウイルスの不安の中で、毎日の一言メッセージと祈りの配信を教会の方々にしていますが、ご好評につき以降も継続中!!
ブログにも掲載しますので、毎日の心静めるひとときにお読みいただければ幸いです♪

聖書の箇所は日本聖書協会の聖書本文検索から読むことができます。⇒こちら
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20日(月) イザヤ書40章1-5節
一言メッセージ: 今週はイザヤ書40-43章を少しずつ読んでみたいと思います。この箇所は、祖国が滅ぼされ、敵国の首都バビロンに連行され、捕囚生活を強いられたイスラエルの民が50年を経て、神さまから救いと解放の預言をいただく箇所です。神さまはまだ救いが実現する前に、民に救いを宣言されました。私はこの箇所を、今、新型コロナの不安の中にいる自分たちと重ねながら読んでみたいのです。
  その語り始めが今朝のみことばです。神さまはイスラエルの民に宣言します。「慰めよ、わたしの民を慰めよ」。「慰める」という言葉はヘブライ語のナハムーという言葉です。ナハムーは人間が主語の場合も「慰める」ですが、主語が神さまである時はその意味合いが増します。人の慰めは「(未来は約束できないけれど)大丈夫だよ」ですが、神さまが語られる時、その「慰め」は不確実な未来ではなく、確かに約束された慰め、具体的に実現される約束の言葉となるのです。事実、神さまは3-5節で「荒れ野に道を備え、谷は身を起こし…」と語られます。それはバビロンと祖国イスラエルまでに広がるアラビアの砂漠や深い山、谷、祖国へのあらゆる障害が取り除かれる帰還の約束なのです。
さらに注目しましょう。神さまは「慰めよ、慰めよ」と重ねて語ります。M.N兄はよく「大事な事だから二回言いました」とボケますが、正に神さまは確実に起こる大事な約束だから重ねて語ったのです。私たちの一週間は、この神さまの約束から始まるのです。
祈り: 天のお父さま、今朝も私たちにみことばを与えてくださり、ありがとうございます。今朝わたしたちはあなたの慰めの言葉をいただき、歩み始めます。新型コロナウイルスの不安はまだ続いていますが、神さま、どうかあなたが約束くださる、確かな慰めの約束をしっかり胸に刻んで、この一週間を過ごさせてください。あなたの御業に期待し、週の始まりにイエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

21日(火) イザヤ書40章6-11節 
一言メッセージ: 昨日に続き、イザヤ書40章からです。神さまから「慰めよ」と言われた預言者の言葉が6-8節です。預言者は神さまに「何と呼びかけたらよいのか」と口答えします。バビロン捕囚も50年を超え、何度も慰めを語ってきた預言者もまた心折れてしまっていたのです。彼は「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの」と落胆しています。けれど、8節にて彼は気づきます。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と。
  今日は、安倍総理が緊急事態宣言をして2週間目です。会見時、「国民が努力してくださるならば2週間で感染はピークアウトを迎える」と断言しました。けれど現実はどうでしょう。分かってはいましたが、私たちはがっかりです。でも、そんな中で私たちはイザヤのみことばをいただく。「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」のです。今、私たちは神さまのみことばに希望の根拠を得て、しっかりと立ちます。神さまの約束によって、今日も元気に始めていきましょう。
祈り: 天の神さま、新しい朝をありがとうございます。神さま、あなたのみことばはなんと力強く、希望に満ちておられることでしょう。今、私たちはあなたにこそ希望を見出します。どうぞ今日も、私たちを慰めと希望に満たし、生かしてください。不安には平安を、疲れには眠りを、病には癒しを、孤独には寄り添いを、落ち込む時には笑いをお与えください。いつも寄り添ってくださる救い主イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

22日(水) イザヤ書40章29-31節
一言メッセージ: 31節は2011年度の久留米教会の主題聖句のみことばです。思い返しますと、年度を始める直前の3月11日、私たちは経験したことの無い規模の大災害、東日本大震災を目の当たりにしました。東北沿岸に大津波が押し寄せ、街も人も飲み込んでいきました。私たちは東北の様子をテレビ越しに見ながら、「神さま、どうか人々をお救い下さい」と祈り続けました。そして、この御言葉に目を引き寄せられました。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」鷲が空を飛ぶ時、ほとんど自分で羽ばたくことはしません。最初に飛び上がる時以外は、風に乗って空を舞います。私たちはそんな鷲の姿を目指したのです。神さまの聖霊という風に乗り、この大災害からの復興と支援を目指したのです。今、あの時と同じ気持ちで、私たちの現実に向き合いましょう。今大事なことは、神さまの風を見分けること、神さまの御心を模索することです。
祈り: 天のおとうさま、今朝もみことばをありがとうございます。今朝のみことば、29-30節では、力を誇っていた人々が力を失い、疲れきり、倒れる様を描きました。けれど、預言者は語ります、「あなたに望みをおくものは新たな力を得る」と。「鷲のように翼を張って上る」と。神さま、鷲が風に乗って空を舞うように、今、私たちはあなたが吹かせてくださる聖霊の風、命の息吹を乞い願います。ですからどうか、あなたの御心を悟る信仰をお与えください。今日の一日もあなたに期待し、祈ります。アーメン。

23日(木) イザヤ書41章8-10節 
一言メッセージ: 今朝の箇所は、神さまが直接語りかけてくださったみことばです。もうこれ以上ないストレートな救いの言葉ですが、何度も何度も読み返してみてください。とても味わい深いのです。このみことばが語られた時、イスラエルの民は祖国から遠いバビロンに連行され、捕囚生活を強いられていました。正に「地の果て、その隅々」に追いやられた心境です。10節では「恐れることはない、たじろぐな」と言われています。ということはイスラエルの民は、バビロンの国を恐れ、肩身狭く生きていたのでしょう。けれど、神さまはそんな民に、「私はあなたを忘れていない。決して見捨てず、あなたと共にいる」と繰り返し語られるのです。実は神さまの「わたしは必ずあなたと共にいる」は、創世記から黙示録まで、時代も場所も状況もまるで違う中でも一貫して語り続けられるメッセージです。その御言葉は今、わたしたちにも同じように語り掛けられているのです。
祈り: 神さま、今朝は本当にストレートなみことばを感謝します。今朝私たちは、聖書が初めから終わりまで一貫して語り続けている「わたしはあなたを決して見捨てない。共にいる」との約束を改めて読みました。この御言葉は時代や場所や状況に左右されず、いつもあなたが私たち人間に語り続けてくださる約束です。神さま、このみことばを、私たちは今日もいただきます。どうぞ、今日の私たちの一日に目を留めていてください。私たちが「恐れず、たじろがず」に、今日を過ごすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

24日(金) イザヤ書42章1-4、16節、
一言メッセージ: 今朝の御言葉では神さまが「義」とされる僕の姿が描かれます。どんなイメージかと思って2-4節を読んでいますと、そこには1つのイメージが浮かび上がってきます。皆が不安に怯え、騒ぐ時にも、この僕は2節のように騒がない。3節の「傷ついた葦をおることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく」とは「えーい、いっそのこと!」と自棄になることなく、粘り強い者です。4節では「傷つき果てることもない」とあります。そんな、静かに粘り強く神さまに祈り続ける僕の姿が描かれるのです。さて、身近にそんな方を思い返してみましょう。今朝の箇所では一箇所、16節だけ離れて選びました。この箇所はK.N兄の愛唱聖句です。私はK.N兄と直接お会いしたことはありません。でも、彼のエピソードは幾つも皆さんから伺いました。総会で議論が白熱して煮詰まった時に彼が立ち上がって「こういう時こそ祈りましょう」と言われたとか、バプテスマ前の信仰告白の時には一人ひとりにふさわしい信仰のアドバイスをされる方だったとか。もしK.N兄が今、ここにおられたら何と言われるでしょう。同じように「今こそ祈る時」と言われるように思いますね。
祈り: 天のお父さま、今朝も御言葉をありがとうございます。今朝、私たちはイザヤ書を通して、静かに粘り強く神さまに祈り続ける僕の姿を思い描きました。神さま、今こそ、私たちを祈りの人としてください。新型コロナの不安の中でも、また生活の課題や人々との関係の疲れの時にも、どうぞ御言葉によって整えられ、祈りをもって向かい合う者とならせてください。信仰の先達の背中を思い起こしながら、その先達が見上げ続けたイエスさまを通して、この祈りを御前にお献げいたします。アーメン。

25日(土) イザヤ書43章1-15節 
一言メッセージ: 今日は少し長い御言葉を選びました。私はこの箇所が好きで、度々、礼拝終わりの祝祷時に1-2節などを引用します。皆さんの中でも3-4節が好きな方は多いことでしょう。さて、そんな箇所なのですが、今朝、注目いただきたいのは「わたし」という言葉の多さです。新共同訳聖書で数えますと、神さまは15節までの間に31回も「わたし」を連呼します。正直、「ちょっと言い過ぎだって」と笑いそうになります。一方、「あなた」や「あなたたち」は26回も書かれています。これまた面白い。端的に言いまして、神さまは御自分と私たちをちゃんと向き合わせようとされるのです。ややもすれば、すぐに神さまから目を逸らして自分勝手に生きる私たち、そのくせすぐに行き詰り、不安や孤独に苛まれる私たちが、動じずに生きるために神さまは「わたしと向き合え」と繰り返されるのです。さぁ今日で一週間も終わりです。一週間の締めくくりと共に、明日は礼拝に祈りながら備えましょう。
祈り: 天のお父さま、イザヤ書43章のみことばをありがとうございます。今朝の箇所、ちょっと笑いました。あまりにも何度も何度もあなたは「わたしが、わたしは」と繰り返されました。でも、それはそれくらいに私たちを心配してくださっているからこその言葉なのだと知らされます。気が付くとすぐに自分勝手にどこかに行ってしまう私たちに心を配り、安心して生きられるために、あなたはいつも目を留め、よびかけ続けてくださいます。そうやって今週も歩んでこられたのだと知らされます。神さま、今週もありがとうございました。明日は礼拝です。会堂に集いにくい時ですが、場所を異にしていても、あなたに心ひとつにして礼拝させてくださいますように。救い主イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

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今週も皆さんの体と心とが守られます様に、また治療にあたってくださっている医療関係者の方々のためにお祈りします。



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Author:久留米キリスト教会
福岡県久留米市にある久留米キリスト教会のブログです。
わたしたちの教会は、日本バプテスト連盟に加盟する、プロテスタント派のキリスト教会です。
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